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ありがとう、そしてさよなら  作者: ミョー
第二章
17/24

第十六話「優しくされればされるほど、私は傷ついていく」

 うす曇りの空の向こうには、綿でくるんだ太陽の光。

 十二月最初の日曜日の朝は、相対的にぽかぽかと暖かい陽気だった。

 バスを降りると、うやうやしく頭を下げる少女の姿があった。昨日だけで道順は覚えた、出迎えは必要ない

 ―そう丁重に断ったつもりが、こうしてここまで来てくれていた。

「今日もよろしくお願いします」

「……お前、もうタメ口で喋っていいんだぞ」

 ふと口からこぼれたのは、自分の中ではずっと喉元で出かかっていた言葉だったけど、それは琴葉にとってはひどく唐突で、しかも耳を疑うセリフのようだった。

「えっ……」

 うろたえた彼女は、しかしつとめて笑顔を作り直す。

「不愉快ですか?」

「いや、そういうんじゃないけれど……」

 端的に言って、俺たちの距離感には相応しくない喋り方だと思うけど、それを気恥ずかしくない形で表現するための語彙を、あいにく俺は持ち合わせていなかった。

 黙っているこちらを前にして、間が持たなくなった琴葉は「それじゃ、行きましょう」と言って、こちらに背を向けてそそくさと歩き出した。


 期末テストを翌日に控えたこの日、俺たちは彼女の部屋で二人きりだった。

 岩瀬さんがいなくなり、寺田がいなくなり、そして芽依もいなくなった。親御さんが顔を出すことも終日なかった。静かだったけど、それはどこかとても自然な状況のように思われた。

 昨日と何も変わらず、ましてやお互い意識することなどなく、ゆっくりと最後の一日が過ぎていく。

 そして、日が暮れかけた四時過ぎ。

 彼女がなにげなく、机の上から何かを手に取る。世界史の参考書だった。

「琴葉、それは」

 彼女が普段どんな参考書を使っているのか、最初に全て見せてもらったはずだ。表紙に「十日で完成」と書かれた、手のひらに収まるサイズのそれは妙に薄く、使っていなかったにしても妙に真新しく、見たことのないものだった。

「あっ、昨日買ったんです。世界史が一番不安ですけど、もうやることがなくて。学校のものは、もう何週もしてしまったので……」

「なんだって?」

「……いけませんでしたか」

 そういって琴葉は参考書を閉じて胸の前で抱える。

「いや、そんなに順調なら良いことだよ。俺が驚いたのはさ、昨日買ったってところ」

「ああ……」

 引き続き、申し訳なさそうな表情で目を伏せる琴葉。

「実は清春さんと芽依さんがお帰りになったあと、駅まで買いに行ったんです」

「あとって……午後の八時とかにか」

「はい」

「遅すぎるだろ」

「最近ずっとそうなんですけど、寝付けなくて。帰ってきてからずっとこれやってました」

「それはランナーズハイみたいなもんだと思うぞ。感心しないな」

 本当は偉い、と力いっぱい褒めてやるべきだと分かっていた。だけど、自覚せず彼女が自分を追い詰めているような気がして、それが怖くて仕方がなかった。

「……それ、岩瀬さんにも全く同じことを言われました」

「えっ!?」

 琴葉の唐突な発言に、俺は大きな声をあげる。

「どういうことだ?」

「ですから昨晩、岩瀬さんにお会いしたんです。駅前で、偶然」

 一番会いたかった人物が、実はごく近くにいたという、知りようがなくもどうしても知りたかった事実。

「詳しく聞かせてくれないか」

「清春さん、どうしたんですか」

 言われて、自分が極端に身を乗り出していたことに気づく。

「……そりゃ、あの人は俺たちをこうやって引き合わせた張本人だろ。今何してるか気になって仕方ないんだよ」

「ああ……その件については、かなり心苦しそうでしたね」


 昨夜九時ごろ、わざわざ駅前まで繰り出し参考書を調達した琴葉は、行き交う人影の中に岩瀬さんの姿を見かけたという。

 黙って見ているだけで声もかけられなかった俺とは違い、彼女は果敢にも追いかけて話しかけた。

「岩瀬さん」

「……琴葉ちゃん」

 そのときの岩瀬さんは、妙に大きな荷物を抱えていたという。

「出かけた帰り?」

「いえ……その、参考書が足りなくなって」

 言いつつ、琴葉は買ったばかりのそれを取り出して見せた。

「ああ、これね。持っている子、たまに見かけるわよね。誰のオススメ?」

「そういうわけではなくて……正直、勢いで。誰にも相談してはないんですけど」

 語尾が尻つぼみになっていた。そこまで言って、琴葉は例によって独断で買ってしまった自らを責める。

「良いんじゃないかしら。でもテストは木曜でしょ、1ページ目からやるんじゃなくて、役に立ちそうなところだけピックアップする、っていうのは忘れないように」

「はい」

「自覚はないかもしれないけど、今のあなたは多分ムリをしてる。スパートをかけようとしてかかるのは素晴らしい、本当に素晴らしいことだけど、それが早すぎた、なんてことになったら元も子もないんだから」

「はい……」

「清春たちはどう?役に立った?」

「役に立つなんて、そんな……今日も私の家で一緒に勉強してました」

「そうなの、そんなに」

「ライバル、なんて言うのはおこがましいですけど……やっぱり共に切磋琢磨してくれる方がいるというのは、心の底からありがたいと思います」

「そうね、励みになるわね」

 それじゃまたね、と言い残して、岩瀬さんは雑踏に消えていった。彼女を視線で追いかけ続けることははばかられて、そのあと彼女が改札へ向かったのか、バスターミナルへと向かったのかは定かでないという。


「なんか一方的に喋っているような感じがするな。邪推かもしれないけど、琴葉から『なんで学校を休んでるんですか』とか聞かれるのを避けているような」

「それは私も少し思いました。あと、何か最後に意味深なことを言ってて」

「意味深?」

「ええ……独り言だったのかもしれませんけど。はっきりと聞き取れたんですけど、良く意味が分からなくて」


 その日は長居してしまい、彼女の家を出たのは午後の八時過ぎだった。夕飯までごちそうになってしまった。

 帰りもバス停まで送ってくれた琴葉は、そのままバスが来るまで立ち話をしてくれた。スマホで時計を確認すると、今日はこれから十分以上待ちぼうけらしい。そのことを思うと寒いから帰れ、と無下に断ることも出来ず、話し込むことにした。俺は自分本位な人間なのだ。

「清春さん、本当にありがとうございました」

「その言葉は、全ての結果が出るまでとっておいてくれないか。っていうか、結局俺は大したことしてないから。岩瀬さんにやってみろって言われたことをそのままこなしただけだし」

「つまり、やったのは清春さんじゃないですか」

「人に流されるだけの行動なんて、大してエネルギーはいらねえよ」

「そうでしょうか……」

「そういうもんだって。――そういやエネルギーって言えばさ」

 俺たちは目の前の民家を見上げる。煌々と灯る黄金色の電飾は家の輪郭をあらわにし、緑と赤のそれがもモミの木のシルエットを浮かび上がらせていた。世間は早くもクリスマスムードらしい。

「いつの間にか、こういう時期になっていたんだな。ここに来るまでにも結構、気合いの入った家見かけたけど……」

「私の家も準備しているんですよ。テストが終わり次第、私も手伝うとは言っているんですが……」

「なるほど。見たいものだな」

「ええ、よろしければお越しください」

 やがて、見慣れたバスの姿が見えてきた。

「清春さん。それではまた明日、学校でお会いしましょう」

「おお、またな」

 手を振る彼女に照れくさくなって、俺は力強くうなずいてからバスに乗り込んだ。


 やはり世間はもうクリスマス商戦らしく、デパートの前にクレーン車で運んだであろうサイズのクリスマスツリーが鎮座していた。心なしか裸電球の一つ一つが赤みを帯びているのは、いつ雪が降ってもおかしくないこの季節に、埋没しないようにという計らいなのだろうか。

 俺はよせばいいのに、用もないのに駅に向かっていた。日曜のこの時間帯はゆっくりとした足取りの観光客の姿も、やたらせっかちな足取りの予備校生の姿も少なく、前乗りしているであろうビジネスマンの姿が散見される程度だった。

(……)

 当然と言えば当然、そう都合よくお目当ての人物の姿は見当たらず、俺はあてどなく周辺をさまよう。やがて、長い発車ベルが聞こえてきた。東京に向かう新幹線の最終列車が発車したのだ。のっそりと動き出した十六両編成の列車が、あっという間に加速して視界から逃げるように消えていくのを、俺は冷たい窓越しに見送った。一日の役割を終えた新幹線の改札の中からは、広々とした空間に視覚障害者向けの誘導音だけが、長い間隔で響いていた。

「あーあ、十二時間後にはテストか」

 わざと声に出してつぶやいてから、俺はきびすを返した。

次回更新は8月5日、日曜の予定です。

しかし先日右上の親知らずを抜いたところ3日も痛みが引かず、執筆はおろか日常生活にすら支障が出る有様でした。

今週、左上も抜くのでひょっとしたら8月12日になるかも知れません。あしからずご了承ください。

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