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ありがとう、そしてさよなら  作者: ミョー
第二章
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第十五話「栄冠のつかみ方」

 一緒にいてあげて。そのセリフを、俺は真正面から受け止めることが出来なかった。

「……何か勘違いしてないか?」

「もちろん、二人がそういう関係とは思ってないけど」

「どころか俺たちゃ、ちょっと同盟組んでる程度の関係だろ。テストが終わったら、たちどころに切れちまう仲だよ」

「あんたはそれでいいの?」

「別に。いいも悪いもあったもんじゃないって」

 よもや彼女に対して、「あきれる」という感情を抱く日が来るとは。

「別に私だって、好きなわけでもないのに付き合えとか、そういうことを言ってるわけじゃないって。でもこのままだと彼女、諸々のコンプレックスを抱いたまま、学生生活を終えることになる」

「そりゃまあ……寂しいかもな」

 ぼんやりと想像する。琴葉がこれまでの環境での劣等感を引きずったまま、新しい環境である専門学校でも馴染めず、資格に追われるような日々。彼女があのままで、今のままで自らを保っていくための、最低限の自己肯定感を維持できるようには思えない。だけどそこに俺が介入するということもまた、恐ろしいことのように思われて仕方なかった。

「もちろんこれは私が蒔いた種で、自分で摘み取るべきなのは分かっている。でも彼女はもう、私の手に負えないところまで来てしまっているのかもしれない。抱え込んだままでいるのが一番無責任で不誠実なんだと思う。だからあんたを巻き込まずにはいられない」

「そうは言うけどさ、具体的に何すりゃ良いんだよ」

「分からない」

「おいおい」

「でもテストが終わったあとも、どうか彼女とあえて縁を切るようなことだけはしないで。いま私たちがここに一緒にいることは、きっと特別な意味がある。いや、意味を持たせないといけない」


「清春さん、清春さん」

 ちゃぶ台の正面に座る琴葉にそう呼びかけられて、自分が頬杖をついていることに気がつく。

「悪い悪い。ボーッとしてた。初めから説明してくれるか?」

「いえ、そうじゃなくて……芽依さんのことなんですけど」

 俺と彼女の間に置かれた、空席の座布団を見る。その座布団の主は、ちょうどトイレに行っている最中だった。

「あいつがどうしたか?」

「清春さん、芽依さんと何かありませんでしたか」

 図星を突かれて、内心肝を冷やす。顔に出ていただろうか。

「何のことだ?」

「私の勘違いなら良いんですけど。芽依さん、さっきから様子が変じゃないですか」

 珍しいことに、琴葉としては本当に珍しいことに、疑問系ではなく断定的な口調だった。

「なんか元気がないというか、落ち込んでるというか……戻ってくるの、妙に遅かったし」

「それはお前の両親と話していたからだぞ。何でもないって」

「何か、父が変なことを言いましたか。それとも母が。包み隠さず言ってください」

「もっと自分の親のこと、信用してやれよ」

 隠し事をするつもりはなかった。だけど、彼女の訴えたことをそのまま説明する訳にはいかなかった。

 あいつ、本当はお前に謝りたいらしいよ。

 お前をクラスで孤立させてしまったことについて、ずっと後悔してるらしいよ。

 本当は洗いざらい、説明したかった。でも、それは俺のしていいことではないだろう。

「やっぱり、気のせいでしょうか」

「いいや、お前は聡いからな。だけどあいつは自分のことは自分で解決できる人間だし、大丈夫だって」

「そうでしょうけど……」

「その代わり、あいつが頼ってきたときは本当に困っているときだからな、全身全霊で何とかしてやろうな」

 それきり琴葉は何も言わず、自習を再開した。問題集の解答欄に直接回答を書き込んでいく。

 もう再利用なんか考えなくて良いのだろう、俺は改めて、学生生活の終わりが近づいていることを再認識するのだった。


 相変わらず彼女は一人で勉強していた。

 しばらくしてから芽依が戻ってくると、琴葉が入れ替わりに立ち上がる。

「おやつ、取ってきますね」

 親が準備してくれていたのだろうか、すぐに戻ってきた彼女が抱えたお盆の上には、紅茶とお茶菓子が乗っていた。透明なティーポットの中の緋色の液体は妙に透明度が高く、工夫して淹れたことが容易に想像できた。

「すみません、私は少し……」

 琴葉は自分の分の紅茶をティーカップに注がずに、どこからか仮眠用の小さな枕を取り出した。

 芽依が「ベッドじゃなくて良いの?」

「それだと夜まで寝ちゃいますから。少しだけ、ほんの五分だけです」

「そう……。頑張るね」

「ええ、頑張っちゃいますよ」

 彼女はどこまで自覚しているんだろう。才色兼備を地で行く芽依に、屈託なく「頑張る」って言ってみせるなんて。お前は劇的に変わりつつあるんだということを、指摘したい衝動にかられる。

「琴葉、おやすみなさい」

「ええ。おやすみなさい」

「おやすみ」

 やがて、その部屋は静かな寝息が聞こえてくるだけの、静かな空間へと姿を変えた。


 湯気の立つ紅茶が冷めるころまで、俺は琴葉をずっと見つめていた。

 不意にわけなく、彼女の後ろ側に立ってみる。ほっそりとした首元が、かすかに上下していた。

 前にもこんなことがあったっけ。あの晴れ渡った冬の朝、誰もいない進路指導室で、机に横向きで眠る琴葉。あれが初めて見た水橋琴葉の寝顔だった。あのとき彼女は目を覚ますや否や、恥ずかしがって慌てふためいていた。それを思うと、今はためらいなく寝顔を晒しているということは、その分だけ距離が縮まったと捉えても良いんだろうか。


 それでも、どうあがいても俺たちが恋人になることはないだろう。


 自分の中にあるそんな諦念が、短くも深い溝を作っていた。相手の心を揺さぶり揺さぶられる、そんな関係に陥るには、やはり出会ったのがあまりにも遅すぎたのだ。芽依は「あえて縁を切るような真似をするな」と言ったけど、俺だってわざと関係を絶つつもりは毛ほどもない。でも所詮彼女とは教え、教えられるだけの関係。一瞬かすめるように交錯しただけで、この先どこまで行っても交わることはない。

(だけど……)

 冷めた理屈とは別に、胸の奥に去来する感情があった。

 まぶたを閉じた彼女の横顔に、何とも言えない感覚がひっかかって見え隠れしている。それはあの部屋で彼女と会った直後からかすかに、だけど絶えず覚えていたものだった。

 恋でもなければ優越感もない、名状しがたい執着心。この鈍い衝動の源は、一体なんだというのだろう。


 水橋邸を後にしたのは、午後七時ごろだった。親子三人揃って、わざわざ玄関まで見送りに来てくれた。

「あら、もう帰っちゃうの?晩御飯も用意していたのに」

「私、まだやれます」

 ……いや、見送りと言うよりは、かなり本気のトーンの引きとめのようだ。

「言ったでしょ。私、明日模試なんだから」

「休むのも仕事っていうだろ。適当なところで切り上げなきゃ、トータルのパフォーマンスが悪くなる」

 なんのかんの言って、ざっと五時間近くは勉強しただろう。十分だ。何にせよ琴葉のモチベーションが絶えてないのは良いことだった。

「清春くんは明日も来るのかい?」

「ええ、差し支えなければ。逆に留年は難しいくらいの状況だと思うんで、もう流し気味で良いと思いますけどね」

 そう言って、フッとわざとらしく笑った。本当のところは良く分からなかった。でもネガティブな方向に思い込みの激しい彼女には、こうやってポジティブな思い込みをさせるのもアリのような気がした。

「今日は本当に楽しかったです。有意義な時間でした。芽依さん、寺田さんにもどうかよろしく伝えてください」

 俺たちは名残を惜しむかのように、ドアが閉まるまで手を振って、それから正面に向き直った。やたら家の中が明るかったから、余計に夜道が頼りなく見えた。

「さて、帰るか。つっても、道に自信がないけど」

「バスで帰るでしょ。途中まで一緒だから、ついてきて」

 そう言って、芽依は歩き出した。朝以上に冷え込みが厳しかったけど、彼女は相変わらずコート一枚だった。

「岩瀬さん、今ごろ何してるんだろうな」

 何の気なしにつぶやくと、先を行く少女は怪訝な顔でこちらを振り返った。

「どうしたの、急に」

「お前も分かってるだろ。琴葉の件だよ」

「ああ、そういう……」

 後にして思えば明らかに彼女の態度は不自然だったけど、考えごとをしていた俺はそこまで気が回らなかった。

「あいつはこの高校生活の土壇場で、良い方向に変わりかけている。コンプレックスを払底しかけている。だけど、所詮俺は岩瀬さんに面倒みろって言われて、それで引き受けただけだからな。正直及び腰になっている自分がいる。出来るべきことはやるつもりだけど、やっぱりあの人に相談したい」

「あまりあの人を頼らないほうが良いと思う」

「ああ、次いつ来るか分からないしな」

「そうじゃなくて」

 芽依は咳払いをする。

「仮に明後日、月曜の進路指導室に岩瀬さんが現れたとして、琴葉について相談するのは避けたほうが良い」

「どうして?」

「どうしても。まあ、もう来ないと思うけど」

「思う……ってどうしてお前が言い切れるんだ」

「どうしてもだって」

 要領を得ない返事に首をかしげていると、県道沿いのバス停に着いた。時刻表を見たところ、タイミング良く数分待ちで乗ることが出来そうだ。歩いても帰れる距離ではあるけど、定期券もあることだし、氷点下近いの道をとぼとぼ歩き続ける選択肢はなかった。

「それじゃ、私は向こう側だから」

 そう言って、芽依は道路の左右に軽く目をやると、車の流れの切れ目に向かって飛び出した。あぶねえぞ、とそう言いかける間もなく、彼女は二車線を渡りきる。確かに近くに信号も横断歩道もなく、彼女は慣れっこなのかもしれなかった。

「……清春!」

 彼女は大きな声を張り上げた。

「明日も頑張ってね!」

「え!?」

 すぐに車の波がやってきて、その音に彼女の声はほとんどかき消されてしまった。

「がんばれ!」

 まさか、明日模試の人間に励まされるとは。

「わかった!」

 俺が両手で大きくマルの字を作ると、芽依はなにか納得したような顔で、行き交う大小の車の白銀のヘッドライトや真っ赤なテールランプ、暖色を帯びた街灯に照らされながら、夜のとばりの向こうへと姿を消していった。

更新が遅くなり申し訳ありませんでした。

引越しで多忙につき、次回更新は7月29日、日曜とさせていただきます。


正直このペースだと終わるのが12月とかになりそうなので、

9月中に完成させることを目標とさせていただきます。頑張ります。

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