第十四話「お膳立て」
食卓テーブルについた俺たちは恐縮していた。机の上に並ぶそれは妙に品数が多く、その一つ一つがほど良い自己主張を放ち、仕切り越しに調和し、彩りを成していたからだ。
「これ、仕出し弁当ってやつだよな?」
こらえきれず、隣に座る琴葉にそっと耳打ちする。彼女は正面の両親と両隣の友人を交互に見ては、まさしくおろおろとしていた。俺たちと同じく戸惑う気持ちと、客として遠慮しないで欲しいという気持ちがせめぎあい、何と答えるべきか、どういう態度をとるべきなのか決めあぐねているようだった。
「普通の弁当よ?そういう高いところのは予約が必要なの」
琴葉母がこともなげに、ニコニコしながら言った。決して奮発したという感覚ではないようだ。
たまにポストに入っている、ファミリーレストランの宅配のチラシを思い出す。人件費が余計にかかる分、店で食べるより数割高くつく。価格競争とも無縁かつ、ブランド力が上乗せされているような店のものを宅配してもらったら、果たしていくらかかるのだろう。そのことを考えると、俺は感謝を大きく突き抜けた、深い申し訳なさに襲われていた。
「頭脳労働に励む君たちには足りないかもしれないけれど、まあ召し上がって」
「いえいえ、十分です!十二分です!」
「そもそも私たち、まだ何もしてないですし!」
始めて芽依と息があったような気がした。
結局、午前中は掃除と換気だけで終わってしまった。空気清浄機を探すのに手間取った上、結局匂いが染み付いたカーテンやカーペットも交換することになり、あっという間に三時間が経過していた。そういう事情も相まって、俺たちは目の前のごちそうに対して余計に遠慮があった。もっとも、ここで取るべきな選択肢は琴葉の両親の厚意に甘えることであり、つまりはおいしく完食することであるこということは、いかに愚かな俺でも分かることではあったけど。
ひとまず丁寧に手を合わせて、「いただきます」と言ってから箸をとる。真っ正面に座る琴葉父の視線のせいで気もそぞろだったけど――そんな注意散漫な状態でも、美味しいものはどうしようもないくらい美味しかった。
「それじゃ、暖房入れてきますね」
琴葉はそう言って、食休み中の俺たちを置いて自室へと向かった。
「そう言えばデザートがあったよな?」
「ああ、そういえば貰い物が……」
「いや、もう食べられないっす」
食い気味のタイミングで割り込んでおく。これははっきりお断りして良いやつだろう。あいまいな態度は満腹中枢が許してくれそうになかった。
俺たちはしばらくそのまま、沈黙を保ったままでいた。どこかにあるらしい水槽から、水を循環させる音が聞こえてくるだけだった。ゆっくりとした時間が自然に、さらさらと流れてゆく。
いつしか沈黙を破ったのは、琴葉の親父だった。
「しかし……君たちはあれだな、ウチには何度も来たことがあるのかい?僕は初対面だと思うんだけど」
「いえ、自分も初めてですね」
「私も二年ぶりです」
(えっ、二年……?)
驚いた。芽依は琴葉の家に以前来たことがあると言っていたけど、そんなに昔のことだったのか。
「承知のことだと思うけど、あの子は子どもの頃から、その……何かにつけて臆病でね。頭の中ではとても色々なことを考えたり感じているんだけど、どうもそれを表に出すのが苦手なんだ。きっと君たちのような聡明な人からすれば、もどかしく感じることもあると思う」
「聡明って……言うほど差なんてないっすよ。同級生なんだし。それに、琴葉とはごく最近知り合ったばかりですから」
「えっ…この時期に?」
琴葉母はかすかに戸惑ってみせる。
「てっきり、芽依ちゃんみたいに長い付き合いなのかと思っていたけど」
気づけばその芽依は、なにか観念したような態度に変わっていた。
「いえ……実は私も、つい最近まで琴葉とは縁が切れていたんです。ずっと」
「!」
琴葉の両親は声を出さずして、しかしはっきりと態度で驚きを露わにした。
「隠すつもりはなかったんです。あれからずっとクラスも一緒だったけど、どうしても……。今は清春と、寺田ってやつを加えて四人で勉強してるんですけど、それはここ二週間くらいのことなんです。それまではほとんどずっと、話すことすらなくて」
「あら……そうだったの」
「いえ、私こそ……あのときは本当にすみませんでした」
芽依は当然立ち上がって、正面の琴葉の母親に向かって頭を下げた。顔を上げたかと思えば、今度は父親に向かって深々とこうべを垂れる。
「何のことかな」
「二年前のことです。ずっとちゃんとお詫びしなくちゃいけないって思ってたんです。本当に」
そのときやっと、琴葉母はピンと来たという表情になった。
「ああ、あのこと?大したことないわよ、善意がすれ違っただけじゃない。何とも思ってない、ってあの時話したような気がするけど」
「でも琴葉を傷つけました。彼女は今でも引きずったままなんです、きっと」
琴葉の部屋に向かう途中で、足が止まった。先を歩いていた芽依が、スリッパの足音が途絶えたことに気づいて振り向く。
「聞かせてくれよ。二年前、何があったんだ?」
「元々、琴葉とは仲が良かったのよ。高校一年生のころはね」
遠くを見るような視線で芽衣は壁にもたれて語り始めた。薄暗い廊下に影が伸びた。
「何があったんだ?」
「高校一年生のとき、文化祭で何やったか覚えてる?」
「お前のクラスのことは分かんねえよ。俺のクラスは…お化け屋敷だったかな」
同じくお化け屋敷をやるクラスが三つも競合して、二日間、閑古鳥が鳴いていたことは痛切に覚えている。待機しているだけの時間があまりにも長すぎて、どいつもこいつもスマホをいじっているから、お化け屋敷なのに仕切り越しに明かりがいくつも見えるのだ。今となっては笑い話しだ。
「私のクラスは劇だったんだけど、衣装の準備が間に合わなくって。家庭科室は模擬店のクラスが持ち込んだ私物がいっぱいで使えなくて、それで琴葉の家を借りることになって。それで帰るのが遅くなったら、迎えに来た私の親が、琴葉のお母さんにすごい剣幕で……」
「ああ……そういうことか」
「本当に申し訳なかった。場所を提供してくれただけの水橋家の皆さんは何も悪くないのに」
つとめて平静を保っていたようだけれど、彼女の目は澱んでいた。
「どんくらい遅くなったんだ?」
「〇時ちょうど、とかだったかな」
「……県の条例にひっかかるかもな」
「私だって、好きで残ってたわけじゃなかったんだって。でも自分に矛先が向かうのが怖くて、私は怒り心頭に発する親を止めることさえ出来なかった。黙って見ていた。そんなことがあったせいで、次第に負い目を感じたようになった私は、琴葉を避けるようになった。彼女は私の親が怒鳴っているのを見てなかったし、何か自分に落ち度があったんじゃないか、と思ったでしょうね。あの頃は、自分のことしか見えていなかった」
いつの間にか彼女は、床にへたりこんでいた。だらりと垂れた手足はあたかも力が入らないかのようだった。それでも彼女は語り続けた。
「そんな苦い経験から、私は次第に変わり始めた。そもそもを言えば、文化祭の件はスケジュール管理をする人間がいなかったのが原因だった。大道具や小道具も、やっつけ仕事で当日完成させて……やる気どころか最低限の責任感すらもたない人間がいるんだなって、遅まきながら悟って。そういうのもあって、私がクラスの中心になるしかないんだって思った。それで自然とみんなから頼られるポジションに収まって、まんざらでもなくて。一方で、私にないがしろにされた琴葉がそのままクラスでどんどん孤立化していくのに気づいても、それでも何とも思わなくて。大切なものを見失ってた。あの頃は、本当に自分のことしか見えていなかった」
「お前……」
「あの日。私が初めて進路指導室に行ったあのときの、琴葉の顔、覚えてる?……怯えていたでしょ?」
そんなことはない、と言うのは簡単だった。でも、難しかった。
「怯えていたのは私もだった。今更どの面下げて恩を着せようとしてるんだって、思われても言われてもおかしくなかった。彼女は決してそんなことは感じないし口にしない、その優しさに甘えていることも嫌だった。私は……」
「もういい、芽依」
見ていられなかった。聞いていられなかった。
いつもハツラツとしていた彼女が、口元を歪めて自嘲する様を、俺は見ていられなかった。
「本当はすぐに分かっていた。私なんかよりよっぽど、清春が相応しいって。そばで見ているだけでも私はおこがましい存在なんだって。だから……」
言いかけて、彼女はこちらに背を向けながらすっくと立ち上がった。
「知ってる?明日、私は国公立二次の模試。寺田も明日は同じ会場で違う模試、だからやっぱり来れない」
「何が言いたい」
くるりと向き直った芽依は、俺に向かってガバリと頭を下げた。
「お願い、琴葉と一緒にいてあげて。出来るだけ長く」
次回更新は7月1日、日曜の予定です。




