第十三話「寒波至らず」
起きがけに入ったトイレの室温で、今朝がしゃれにならない冷え込みであることに気づいた。それでもテレビをつけると「来週最強寒波襲来か」とのテロップが現れて、今日は単にちょっと寒いだけのありふれた一日に過ぎないことを悟る。
寒い地方の人間というのは、逆に寒さに慣れていないことが往々にしてある。屋内では暖房を無遠慮に焚くし、外に出るときは十二単もかくやという程に重ね着をすることも少なくない。かくいう自分も、とうとう手袋を二重にはめることにした。薄手のものの上に分厚い皮製のものを装着すると、やっと指先の感覚が維持できる。ついでにフードもかぶらなくては、正気を保ってはいられないだろう。
バスの中では多少脱いだけれども、降りる直前に再び十二単を着込んだ。下車すると待ち構えていた芽依が、着膨れした俺を見てかすかにあきれたような顔をしていた。彼女はいつものダッフルコートを着ているだけで、指先も耳元もむき出しのまま。マフラーすらしていなかった。
「あんた、去年の真冬もそんな格好してたでしょ。なんとなーく見覚えがあるんだけど」
こうはっきり小バカにされると、大分親しくなったなと思わないでもない。
「去年って……。そんだけ記憶力良いと逆にしんどくないか?」
軽口には軽口で対抗する。
「別に?」
「むしろそっちこそ、そんな薄着で大丈夫なのか?見た目に気を使うのも結構だけど、やせ我慢は良くないぞ」
「一緒にしないでよ。私、二月生まれだから。寒いのは平気」
「俺も三月生まれだから、大差ないはずなんだけどなあ」
芽衣は小道に向かって歩き始めた。
「あれ、琴葉は?」
「家で待ってるって。私、彼女の家行ったことあるから」
土曜日の朝は、犬の散歩をしている中年男性や自転車で買い物に向かう中年女性などをちらほら見かけるだけで、閑静なもの……いや、どこからか閉め切った窓越しに、ハイテンションな音楽が聞こえてくる。パーティでもやっているのだろうか。
「あれだな、女子は教室にひざかけとか持ち込んでるやつもいるけど、お前はそうじゃないタイプか?」
「なくても平気だけど、周りに合わせて用意してるけどね……ってその話、まだ引っ張る?」
「そうじゃなかったら、昨日のアレ、続きを聞かせてくれよ」
「アレ?」
「ほら、バスん中で言いかけてただろ」
「……ああ」
スイッチが切れたかのように、重たい沈黙が始まった。なぜ進路指導室にいるのか、という何気ない質問は、彼女にとっては極めて真剣に答えなければならないものらしい。今は二人きり。こうして話す以外にすることもないし、何も差し障りもないはずだけど。
「…………」
芽依は黙っていた。口元に手をあてて、白い息を吐いたりなんかして間をつないで、それでも黙り続けた。
どうして執拗に追及しているのか、自分でも良く分からなくなっていた。それでも止められなかった。
「お前がバスを降りたあと、寺田と話したんだよ。芽依が言いかけてたのは、周囲との軋轢に嫌気が差してるってことじゃないかって。そういうことなら口にするのもはばかられるだろうし……」
「それは違う」
間髪いれず、明確な否定が入った。
「確かに、殺伐としてるところはあるけど。自分でいうのも変だけど、私、結構余裕あるし」
「センター試験の対策はまだ良いのか?国立なんだろ?」
どこで聞いたの、とは尋ねられなかった。彼女も慣れっこなのだろう。
「年が明けてからで十分かな。もちろんセンター利用で滑り止めを確保しとけば一層楽になるけど、そんなに比重ないし」
「そうか」
結局彼女の気持ちについて、俺は想像の糸口さえつかめなかった。
話が逸れたまま角を曲がると、その先に小さく琴葉の姿があった。俺たちの姿を認めた向こうから駆け寄ってくる。かなりの軽装だった。暖房をガンガンに焚いた部屋の部屋着に、一枚羽織っただけ、という格好だろう。
「おはようございます」
「出迎えなんか良いのに。風邪引くぞ?」
「いえ、私のワガママですから」
「何のことだ?」
「ですから、今日わざわざ来ていただいて……」
俺は芽依と顔を見合わせる。
「俺たちとしても場所を提供してくれてありがたい、ってところなんだけど」
「そうですか……?」
俺たちは、先ほどまで琴葉が立っていた場所の前で足を止める。
「にしても……大使館か?」
無論、そんなものが片田舎にあるわけがない。やたらいかめしい柵の向こうには立つクリーム色の大きな建物は、大きな窓からして天井が三メートルくらいありそうだった。窓枠が妙に自己出張が激しく出っ張っていたり、ところどころ高級感のある建材が埋め込まれていたり、ガレージが明らかに四台分あったりと、周囲の民家と比較しても明らかに浮いている。
「裏口から入っていただこうかと思ったんですけど、その……父と母が、お客さまは正門から上げなさいと……」
「え、ご両親がいらっしゃるの?」
「いないって言ってただろ。昨日言われたんだよな?」
「それは……」
琴葉の困った顔が、全てを物語っていた。
「急に予定が流れたとかで……」
「話が違うじゃん」
「おい、芽依」
たしなめる俺の方が語気が強くなっていた。
「別に怒ってないし、責めてないって。でも……」
「すみません、決してご迷惑はおかけしませんので。どうか上がっていただけますか?」
琴葉は目を伏せたまま、頭を下げた。
玄関から続く廊下からして、やたらと天井が高く広々としていた。どこからともなく、コーヒーの香ばしい匂いが漂っている。
建物の構造上、必ずリビングを通らなくてはどこにもいけないようだった。彼女の両親はそこでくつろいでいた。二人ともラフだけど、妙に品のある格好をしていた。
「お父さま、お母さま。ご友人です」
「あっ、ども……」
「お邪魔してます」
今度は芽依の方が大きな声だった。ちゃんと挨拶しろ、という意味を言外に込めているのだろう。
父親の方が会釈をする。
「娘がお世話になってるみたいだね」
「高岡さん、お久しぶりね」
「……ええ、ご無沙汰してすみません」
芽依は、母親と面識があるようだ。しかし、その口調はどことなくぎこちない。視線も逸らし気味だ。
"話が違うじゃん"
先ほどの彼女の冷たい口調を思い返す。琴葉の母親と顔を合わせることに抵抗があったのだろうか。
「あら、そちらは……?」
考え込んでいたところを急に振られて、柄にもなく緊張する。
「も、森本清春と申します。お初にお目にかかります」
「ハハハ、硬くなってるよ。リラックスリラックス」
琴葉父の朗らかな表情に、つられて笑みが出る。娘の引っ込み思案ぶりを見るからに高圧的な人物なのかもと思っていたけど、どうやら見当違いだったようだ。
「しっかし、琴葉が友達を連れてくるなんていつ以来だろうな?しかも高校最後のこの時期に……」
「あなた、勉強に来たんだから引き止めちゃダメでしょ」
「ハハ、そうだったそうだった。それじゃ頑張れよ」
なおも柔らかい笑みを浮かべる琴葉父に、俺たちは軽く頭を下げて去ったのだった。
リビングを突き抜けて、俺たちは水橋家の最奥に向かう。先頭を行く少女は、妙にゆったりとした足取りだった。学校ではもっと歩幅も短く、ちょこまかとした動きだったけど、自分の家ということでリラックスしているのだろうか。だとすると、学校では常に緊張しているということになるけど。
「親父さんは忙しい人なのか?」
「父は会社の役員を勤めてるんです。小さな会社なんですけど」
一拍置いてから、返事が返ってきた。
「役員……まだ若いだろ?」
「大きい会社じゃありませんから。でも、やっぱり休日は接待や出張で家を空けることが多くって。秘書の母もいつも同伴しているので、子どもの頃から一人でいる時間が多かったんです。なんだか今日は不思議な気分ですね」
突き当たりに、勝手口という感じの小さな玄関があった。そこのすぐ横にある階段を登ると、その先に琴葉の部屋があった。建物全体からするとずいぶんとつつましい空間だった。広々してるように感じられるけど、物が少なく片付いているだけで、俺の部屋よりせいぜい一回り大きいくらいだろう。天井の高さもいたって普通だ。
……と、ある異変に気づく。芽依も同様だったらしい。
「……なんか臭わない?」
バラか何かだろうか。部屋全体から香料の匂いが強烈に漂っていたたのだ。
「バラ……ですか?」
琴葉は「しまった」という顔をしていた。おそらく自分の部屋に人を招くことなど、久しくなかったのだろう。ふと部屋に染み付いているであろう匂いを何とかしようとして、スプレーを撒いた。どうやらそれが過剰だったようだ。
「暖房も入れてもらってるところ悪いけど、まずは換気しないか。窓開けて、あと出来れば空気清浄機回して」
「あっ……えっ……」
良かれと思ってやったことが思わぬ事態を招いてしまったことに、彼女はすっかりうろたえていた。
「す……すみません」
「謝るほどのことじゃないから」
やっと出てきた言葉を、芽依が打ち消した。
「ちょっと私たちが敏感なだけだから。でしょ、清春?」
「ああ、そうだな。大したことじゃない」
「そうでしょうか……」
それは、本当に心の底から申し訳なく思っている人の表情だった。笑って済ませれば良いことなのに。彼女のその優しさが、むしろ辛かった。
でも出会って間もない頃なら、とりつかれたかのようにペコペコ頭を下げていたことだろう。それを思えば、お互い慣れたものと言っても良いのかもしれなかった。
明日出かけるので1日早く仕上げました。
次回は6月24日、日曜更新予定です。




