第十二話「彼女のいない部屋」
ちゃんと聞いておかなくてはならないことのような気がした。
二人のたどる道は俺たちとは重ならないはずなのに、連帯感は未だに保たれていた。どこまでもありがたかったけど、冷静に考えてみると不思議な状況に思えてならない。なにせ、彼女たちには同じく入試を控えたライバルであり朋友が何十人もいるのだ。当然同じ大学を受験するやつだっているだろう。彼らと同じ空間にいたほうがよっぽど有益になるのでは、という俺の想像は見当違いではないだろう。
俺の質問に、二人は少なからず面食らったようだった。一拍置いてから、芽依は語った。
「別に。やっぱり琴葉のことが気になるからってだけで、取り立てて語ることもないかな」
「でも、お前だって教室や予備校に仲間がいるだろう。そいつらだって、急にお前がいなくなって張り合いをなくしてるんじゃないのか。それこそ、お前が琴葉がいなくなって心配したみたいに」
「……」
明らかに気まずい種類の沈黙が流れた。
「勘違いしないで欲しいんだけど、俺はもちろん、お前がいてくれて助かっている。琴葉もそうだろう。なんだかんだで相当アドバイスもらってるしな。ただ、やっぱり俺たちの存在がお前の足を引っ張ってやしないかと気がかりでならないんだよ」
「言うほどあんたたちに時間割いてないって。だけど……」
「どうした?」
なんとも歯切れの悪い言葉だった。言って良いものか、悪いものか……。彼女が何かを隠しているのは明白だった。
「私にも色々あるのよ」
明朗快活な少女が珍しく言葉を濁す様に、俺も戸惑う。
「無理して話さなくていいけどさ」
「…………ううん、清春には、ちゃんと話しておくべきかもしれない。ちゃんと」
芽依が意味深な言葉を発したのは、バスのアナウンスが、彼女の降りる停留所の名を告げた直後だった。誰かが降車ボタンを押す。車内の赤ランプが一斉に点る。琴葉が自然と目を覚ましていた。
「だけど、またの機会でいい?」
「ひとことで言えないことなのか」
「ちゃんと答えようと思ったらね。何かと考えるところがあるのよ、こんな私でもね」
明るい口調で語る彼女は、いつもの彼女だった。
高岡芽依は足早に駆け出していく。寝ぼけまなこの琴葉が、おぼつかない足取りで追いかけてゆく。後の空間には俺と寺田だけが残された。
「俺、そんなに変なこと聞いたかな」
「そんなことないと思うよ。むしろ当然の疑問だと思う。だけど……」
ここにきて気づく。彼もまた、微妙な表情を浮かべていることに。
「……どうした?」
「清春。なぜ進路指導室にいるのか、ということだけど、答える前に言っておかなくちゃいけないことがある」
「えっ……」
「僕はもう、部屋にはもう行かなくなる。いや、明日は琴葉の家か。申し訳ないけど、明日も顔を出すことはできない。彼女にはよろしく言っておいてくれないかな」
寺田との間にぽっかりと空いていた二人分の距離感が、いやに遠く感じられた。
その夜はうんと熱い風呂に入った。長風呂をしてしまうと、答えのない問答が頭の中を渦巻いておかしくなりそうな気がして、それを防ぐためにいつものぬるま湯を避けたのだった。だけど湯船で身体を延ばした瞬間、俺は無意識のうちに今日の出来事を反芻する体勢に入ってしまい、我に返ると浴槽の中で大汗をかいていた。慌てて飛び出ると、鏡にはまさしくゆでだこのように、上半身が赤く染まった自分が映っていた。のぼせる寸前までいっていたらしい。
ベッドにうつ伏せで倒れこむ。しとどに溢れて止まない汗がすぐにパジャマをぐずぐずにする。身体から熱が抜けなくて、なかなか寝付けそうになかった。
そんな塩梅の俺はまた、俺は今日あったことを振り返っていた。
相変わらず良く学び、良く眠る琴葉。
今までにない表情を見せた芽依。
一向に姿を現さない岩瀬さん。
そして。
「寺田……」
二人きりになった帰りのバスの中で彼は言った。もう一緒にはいられないと。
そんな唐突な、と嘆く俺に向かって、寺田は「しばらく前から考えていたんだ」と言った。
「そろそろセンター試験が近いだろ。これからしばらくは過去問を解くだけになるから、自分の家でやらせてもらう。そばに琴葉たちがいるのは確かに励みになるけど、どうしても物音や話し声が気になっちゃうからね。話しかけられても中断できないし」
「自分の家でやるのか?」
「自習室や予備校にいるのは切磋琢磨しあうライバルだけど、僕にとっちゃ嫉妬の対象でもあるからね。余裕もないことだし、あいつらと関わりあうのは最低限にしておきたいんだ」
「芽依も同じこと考えてんのかな」
「違うと思うよ?彼女の受ける学部を聞いたけど、二次試験がほぼ全て、センター試験なんて足切りされなきゃいい、って感じらしいし。彼女にとっちゃセンター試験は模試みたいなもんなんじゃないかな」
「学部まで把握してるのか。芽依から聞いたのか?」
「いや、噂でね」
「すごい情報網だな」
単純に褒めたつもりだったけど、彼にとっては皮肉だったらしく、目の前の少年は悔しさまじりの複雑な表情を浮かべる。
「一般受験組はお互い、監視社会ばりに意識し合ってるからね。クラスが違っても芽依みたいなエリート候補生は、いやがおうでも話のタネになるよ。赤本を持って歩いてるやつも少なくないし、『お前どこ受けんの?』なんてズケズケ聞いちゃうやつもいるからね。芽依もひた隠しにするようなタイプじゃないだろうし……。あいつらの、いや僕たちの眼中にないのは、それこそ大学進学しないやつくらいじゃないかな」
俺のあずかり知らない場所で、マウントポジションの奪い合いは熾烈を極めていたようだ。いつもニコニコしている寺田が余裕をなくしてしまっているのも、無理からぬことだろう。
「これは根拠のない推測だけど、芽依が進路指導室に入り浸っているのも、そういうやつらとのやり取りで消耗してるからじゃないかな。流石に彼女相手にやっかんだり、見下すような態度を露わにする奴は少数派だと思うけど」
「そうだな。……事情は分かったつもりだ。頑張れよ。俺には励ますくらいしか出来ないけど」
「その激励の言葉をかけてくれるやつがロクにいないんだよ。そのことにどれだけ救われるんだか……」
寺田はしみじみと口調でそう言った。
「岩瀬さんも相変わらずいないし、寺田も来ないとなると、あの部屋もたった三人か。持て余すな……」
「いやいや、テストは来週の木曜で終わりでしょ。あそこにいられるのも月・火・水の三日間じゃない?」
「ああ……」
我に返って、思わず黙り込む。
「もうそれだけしか残ってないのか」
「楽しかった?」
「楽しかったよ」
雑な質問に、俺ははっきりと答える。
「単に持て余していた時間を有効活用できたから、ってことじゃないよね」
「ああ、そんなもんじゃない。はぐれ者同士で居場所を見つけられた、ってことが何よりも嬉しかった。見返りもないのに誰かのために何かをしてあげることが、こんなに面白いとは思わなかった。それでいて感謝されるなんて、つくづく引き受けて良かったと思うね。でも、それもあと三日なんだよな」
「彼女が追試になったら、猶予は延びるけどね」
「ウチみたいな進学校に、追試はないぞ」
「え、そうなの?」
「そう言われたって、琴葉が言ってた」
「脅かしでしょ。成績はともかく授業態度は問題ないだろうからさ、それなりに便宜は図ってくれるって」
「だと良いんだけど」
話をしているうちに、俺の降りる停留所が近づいてきた。降車ボタンを押す。チャイムと共に、再び車内の赤いランプが滲む。
「ねえ、清春」
「なんだよ」
「岩瀬さん、もう来ないのかな」
「そうだな、なんかもういないのが当たり前になっちゃったな」
バスが止まる。ブザーと共にドアが開く。
「ボクと清春と芽依と琴葉と、そして岩瀬さん、五人があの部屋に揃ったのはたったの一回だったけど……思い返すと、なんだかすごくしっくり来るな。今日も、なんだか足りない気がして」
まったくの同感だった。
「岩瀬さんともう一回、会いてえな。会って色々、ちゃんと話しておきたい」
「そうだね。やっぱり寂しいよね」
「じゃ、またな」
そう言って懐から定期券を取り出した俺は、友人を残したバスに別れを告げる。一人で歩きながら、車中での会話を即座に思い出として蘇らせる。
何かざらりとした違和感があったような気がしたけど、それが何なのか改めて考えるほどのことではないような気がして、気にも留めなかった。
次回更新は6月17日、日曜の予定です。




