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ありがとう、そしてさよなら  作者: ミョー
第一章
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第十話「それから」

「……一理あるな」

 彼女の強い言葉を聞いて、そう答えるのがやっとだった。

「そう言ってもらえると幸いです。私も、清春さんを否定したいわけではないですけど」

「ちょっと、私たちのこと忘れてない?」

 俺たちを挟むようにして座っていた、芽依と寺田が立ち上がる。

「もちろんお前らにも感謝してるぞ。今俺がのん気にへらへらしてられるのも、寺田の協力があってこそだ。芽依に至っては過去問だけじゃなく、勉強も見てもらったわけだしな」

「そうじゃなくて、逆」

「僕たちもお礼を言わなくちゃなんだけど」

 二人は俺たちの前に仁王立ちする。少年のマフラーと少女の髪が、風にたなびく。彼らの顔が赤みを帯びているように見えたのは、果たして寒さのせいなのだろうか。

 高岡芽依は大きな瞳を閉じて言った。

「琴葉、ありがとう。ううん、本当は謝るべきなのかもしれないけど」

「謝るだなんて、そんな」

 目を開けて、芽依は下を向いたまま続ける。

「昼休み、あんたたちが部屋に来る前に琴葉と話した。私は他人の世話を焼かずにはいられない、そういう押し付けがましさに縛られた人間なんだ、って」

「それは」

 自覚してたのか、と喉元まで出かかる。驚くべきことだった。彼女にとって無類の長所であるはずの優しさを、彼女自身が否定的に解釈できるということ。そして、その優しさに戸惑うばかりで受け入れられない人間の気持ちさえ汲み取ることができるということ。彼女は正義をむやみやたらに振りかざすだけの優等生ではなかったのだ。

(琴葉が避けていたはずの芽依のことを受け入れたのには、そういう経緯があったのか)

「正直、偉いね、なんて言われることもたまにある。言われてもまんざらでもない自分もいる。でも、それは偽善ですらなくて。差し伸べた手をはねのけられたら、私の方が辛いだけだから。岩瀬さんが清春をあてがったのも、その辺のことまで考えてのことなのかもね」

「……それは行きがかり上のことだと思うがな」

 全て打ち明けたのか、芽依はゆっくりと元の座席に戻った。

「寺田、お前も何かあるのか」

「ぞんざいな扱いだね」

 彼は分厚いコートに包まれた腕を組んで苦笑する。

「やっぱり、自分も混ぜてくれてありがとう、ってことだよね」

「んん?」

「だってそうでしょ。岩瀬さんに、琴葉の勉強を見てやれって話されて……そこで他人を巻き込もうなんて発想には普通ならないんじゃない?」

「……寺田さんに話したのは、どういったいきさつでしたっけ」

 思い返す。帰りのバスで隣同士に座ったのを見咎められて、事情を話すことになったのだった。確かにあのとき、俺たちはお互いの仲をひた隠しにしようとは思わなかった。その気があったら下校のタイミングをずらすなりしただろう。何も考えてはいなかったし、琴葉もわざと俺の後ろについてきたわけでもないけれど。あえて言うなら、もはやこの関係を冷やかされることもないような、そんな時期に差し掛かっていたからだろうか。

「あの日、僕は担任と話し込んでいて……第一志望をあきらめた直後だったんだ。ずいぶん前からうすうす悟ってはいたけど、現役合格は無理だなって認めた瞬間だった。落ち込んだし、頭の中ではすっかり自暴自棄になっていて、でも物に当たることさえ出来なくて……そんな時に二人が現れたんだ」

 驚くべきことだった。あのときの寺田の顔は、いつもの穏やかそのもので……。内面ではそんな葛藤を抱えていたとは想像だにしなかった。

 でも考えてみれば当たり前のことだ。夢と現実の間にある溝を埋めようと必死にもがいて、そしてその末にあきらめざるを得なくなる。重たいようで、この時期には日常茶飯事のことだ。そういう意味では、そのありふれた通過儀礼と無縁だった俺と琴葉は、似たもの同士となのかもしれない。

「このままだとおかしくなるという感情は拭い去れなかった。すぐ自分の中で合理化できるに決まってる、そう思いつつも、このまま現実を受け留めることが到底出来る気がしなくて、そんな時に清春と琴葉が現れた。自分たちとは違うことで頑張っている二人に寄り添って、どうすればいいのか一緒に考えて……気がついたら、自分のことが軽くなっていた。救われたよね」

 そこまで一気に話したところで、お互いの言葉も途切れた。やがて寺田も座る。ひときわ大きな白い息が漏れた。何だかどっと疲れたみたいだった。

「お前、いい奴すぎるよ。芽依以上に底なしの善人じゃないか」

「そうかな」

「俺たち、何もしてないじゃん」

「違うって。変わらず接してくれる、それ自体が貴重なことなんだよ。周りを見渡してみてよ、誰も彼もが今までの付き合いが嘘みたいにすれ違うばかりで……」

 嘘のように共感できるセリフだった。こいつも同じことを考えていたのか。

「これから先、僕は琴葉たちに何かしてあげることは出来ない。それでも、あの部屋にいてもいいんだよね」

 俺たちの方を向かず、ひとりごとのようにそう言った。

 そこに、あえてはっきり返事をした。

「ああ、もちろんだとも。そうだよな、琴葉」

「進路指導室は私たちのものじゃありませんから、許可なんて必要ありません。でも……傍にいていただけるなら、きっと何らかの連帯感が生まれるんじゃないかと思います」

 寺田は顔を背けたまま、やがて「バス、なかなか来ないね」と呟くだけだった。


 バスは結局、それから十分近く遅れてやってきた。乗客は皆無で道路も空いているのに、何があったのだろうか。

 氷点下に迫る外気にさらされること、およそ二十分。芯まで冷えきった身体には、逆に車内の暖房がしんどかった。いつもの最後列に座って、防寒着の一切合切を脱ぎ去ってくつろぐ。

「お二人は、今日も予備校ですか?」

「……今日はいいかな」

「私も……」

 もはや多くを語らず、車内は沈黙を保ったままバスは夜道を行く。最初に琴葉と芽依が降り、そして俺が降りる。最後に残った寺田が眠そうな顔で手を振るのを見送って、家路に着く。

 空はいつの間にか垂れ込めていた灰色の雲に満ちていて、足元には車道との境界があいまいな、やたら幅広の歩道が続いていた。いつもならまだポツポツと人や自転車を見かける時間帯のはずだけど、今日は時折、犬の吠える声や街道を駆け行く大型トラックの音が遠く聞こえてくるばかりだった。

 暗がりの道をとぼとぼと歩き続けたせいか、家の明かりがいやにまぶしく感じられた。すっかりモグラの気分だ。夕飯を食べて、リビングでしばらくくつろいだのち長い風呂から上がると、スマホに通知があった。琴葉からだった。

『起きてますか』

『急がないので、明日でもいいのですが』

 返信の文章を打ち込み始めたところで、めんどくさくなって電話をかけてみる。明日は日曜。当然学校は開いていない。彼女に何をやってもらうか四人で相談したけど、その確認だろうか。

「もしもし、水橋です」

 他人行儀な口調に、首がガクッと前に倒れる。ラインの電話だから、誰がかけてきたのか丸分かりのはずなんだけど。

「悪いな、風呂に入ってたんだ。どうした?」

「あの、バス停で話したことなんですけど」

「ああ……」

 思い返してこっ恥ずかしくなってきた。凍てつく夜のベンチで黙ったままでいるのが辛くて、それで話したのが、感謝という体裁の自分語り。いや、皆乗ってくれたわけだけど。

「あのとき何だかひっかかったんですけど、私たち、岩瀬さんにも感謝しなくちゃいけないですよね」

「……ああ」

 話の腰を折らないために同意しておくけど、言われてみればそうだな、くらいの感覚だった。彼女らしい意見だった。

「なんてったって進路指導室の主なんだから。居場所を提供してくれたのも彼女、俺とお前を引き合わせてくれたのも彼女。結果で応えなくちゃならないな」

「はい、頑張ります」

 沈黙。

「……琴葉?」

「すみません、話したかったのはそれだけなんです。わざわざかけ直してもらうほどのことじゃなかったんです……すみません」

 心なしか、その口調はいつもと違って、単に照れているだけのように聞こえた。

「謝るほどのことじゃない。っていうか、だったらそれこそ『ありがとう』って言ってもらえた方が、俺としても嬉しいかな」

「分かりました。ありがとうございます。来週、岩瀬さんにもきっと……」

 心なしか、弾んだ口調で彼女はそう口にしたのだった。


 だけど、琴葉のその誓いは果たされなかった。

 休日を挟んで、月曜の朝。

 進路指導室は小柳先生が開けていた。岩瀬さんは姿を現さなかった。

 次の日も、そのまた次の日も、彼女はもう出勤することはなかった。

 今年も、そして俺たちの高校生活も残りわずかだった。

これで第一部は終わりです。ありがとうございました。

次回は6月3日、日曜日更新予定です。

更新ペースを上げて、出来れば7月中には完結させたいなと思っています。

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