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ありがとう、そしてさよなら  作者: ミョー
第一章
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プロローグ「十一月の進路指導室」

 目を覚ましたのは、新幹線の車内に軽やかなメロディが流れ始めたときだった。それはこの最終列車が間もなく駅に着くことを知らせるものだった。次いで車掌が、停車する駅名、開くドアの方向をアナウンスする。緩やかにスピードが落ちていく。夜の街並みが、次第にゆっくりと近づいてきた。

 ほんの三日ほど離れている間に、季節が一つ巡っていたかのようだった。辺りにはひんやりとした空気が漂っている。エスカレーターに乗っている間に防寒着を着込み、在来線のホームへと急ぐ。

(静かなもんだな)

 県内では屈指のターミナル駅に対し、思わずそのような印象を抱く。これがあと一時間早ければ大分違うのだけれど、数時間前までいた東京と比較すると、なんと夜の早いものかと嘆かずにはいられない。

 改札から見えた週末のロータリーには、珍しく行列が出来ていた。バスターミナルに向かって、キャリーケースを引っ張っていく人も散見される。きっと夜行バスで様々な地方に向かうところなのだろう。

在来線のホームでは、四両編成の列車が暇そうに待ち構えていた。車内は無人で、自宅まで二駅とはいえ遠慮なく腰を下ろす。やがてごろごろと音を立てて動き出した。


 もともと最上級生になった地点で、授業の過半数が選択制となり、クラスメイトと顔を合わせる機会は激減していた。

 そして最後の学校行事である文化祭が終わりを迎えたとき、自分たちの中に確かにあったはずの連帯感のような何かが、きれいさっぱり失われていった。どこかのファミレスで打ち上げをしたあの日、幹事の実行委員が去り際に流した涙と、一本締めの後に彼が繰り出した「解散!」という力強い言葉は、単なる挨拶以上の意味を持っていて。

 振り替え休日を経て教室に復帰した彼らは、もうどこか顔つきが違って見えた。グループラインも、ぴたりと止んだ。それぞれの進路に向けて、お互い違う方向に向かって歩き出していたのだ。

 でも俺は、自覚していた以上にまだ子どもで……そのことがどうにも寂しく、耐えがたかった。


「清春。森本清春」

 顔を上げると、今では担任以上に顔を合わせることの多い、白衣に身を包んだ人物が目の前に立っていた。

「岩瀬さん」

 それは、彼女が胸元につけた名札から知った名前だった。

「チャイム、聞こえなかった?もう下校時間だから」

「すいません……夢中になってて」

「逆でしょ?」

 進路指導室の主である彼女は、腕を組んであきれ返ったような表情を浮かべる。

「一時間前から全然ページ進んでないじゃない。背中越しにも心ここにあらず、って感じだった」

「いやあ……顔に書いてあるとは言うけれど、背中にも現れるとは……お恥ずかしい」

「大体なんなの、それ」

 岩瀬さんは俺の両手から「禁帯」と背表紙に描かれた本を取り上げる。ひと昔前に一世を風靡した、大学受験を題材にしたマンガだった。最近続編が始まったと聞いている。

「もう合格したんだから、そんなの関係ないじゃない」

「いよいよ佳境を迎えた一般入試組のみんなが、そこかしこで露骨にピリピリしているのを見ると、逆にこういうのが読みたくなるんですよ」

「それ、私以外には言わない方が懸命ね」

 言いながら、彼女はパソコンをシャットダウンする。そしてどこからともなく鍵を取り出した。

「暇ならこんなところで油売ってないで、教習所でも行ったら良いんじゃないかしら」

「俺、三月生まれなんで。免許を取るにはまだ早いんですよ」

「とにかくここで無為に時間を過ごすのは関心しないわ」

「善処します」

「最善を尽くす、と言って欲しいところね」

 その言葉が出てきたのと、俺たちが進路指導室を出たのは同時だった。既に廊下の明かりもほとんど落とされていて、非常口の緑の照明と、窓の向こうの白い月明かりだけが、遠く鈍く光を放っていた。


 進路指導室というのは、良く分からない部屋だ。猫の額ほどの空間に、古い赤本やら受験にまつわる雑多な資料が、所狭しと並べられている。「センター試験まで○○日」と大きく張り出された扉は目立つけど、一体何の部屋なのか、知る機会のない生徒も多いんじゃないだろうか。

 放課後ずっと部屋の中にいても、自分以外にやって来るのは古い赤本を借りたり、コピーしに来る生徒が一人か二人、と言ったところ。岩瀬さんが進路を指導しているところは見たことがない。今日のようにマンガを読んでいたところでどうということはなく、むしろ教室よりよっぽど居心地が良いくらいだ。

 岩瀬さんも、輪をかけて良く分からない人物だ。おととし、彼女は俺のクラスの副担任だった。去年いなくなって、もう異動したのかな、と思ったら、今年このような閑職に追いやられていた。

 まだ二十代だと思うけど、その雰囲気はどこか老成している。すっきりと目鼻立ちの割に、ご隠居のようにぼんやりと座っている。部屋が空いていても一日中いないこともしばしばあるなど、まさしく正体不明の人物だ。

何より不思議なのは、三年目になるにも関わらず、彼女の担当科目が分からないということだ。確か俺が一年生のときは、隣のクラスの副担任をしていた。学年集会で何度か姿を見かけたことはあるけど、彼女が教壇に立っているところは未だに見たことがない。そもそも今は授業を受け持っているんだろうか。準備をしているところは見たことないし、職員室で彼女の机や名札を見かけたこともなかった。

(でも、そんなあやふやな岩瀬さんに助けられたんだよな)

 漆黒のとばりが降りた、人気のない近道をつっきりながら思い出す。推薦入試を受けるにあたって、夏休み前から担任に様々な指導を受けたけれど、どうしても小論文がうまく書けなくて困り果てていた、ほんの二ヶ月前の自分を。

 一般入試に切り替えたいとまで思いつめる憂鬱な毎日の中で、不意に視界をよぎったのがこの部屋だった。一体どういう部屋なんだろう、話だけでも聞いてもらえないかな、と藁にもすがる思いで扉を叩いたこの俺に、救いの手を差し伸べてくれたのが彼女だった。

 志望する大学の名前と学部を伝えると、岩瀬さんはおもむろに立ち上がり、小論文の問題集が無造作に詰め込まれた棚から、ある一冊を取り出した。その薄い小冊子には、既に数箇所に付箋が貼られていた。

「下手に数を解くより、回答や解説が充実しているものに絞った方が良いんじゃないかしら」

 白衣を着ているのもあって、その時の俺には彼女が医者か何かのように見えた。

「とりあえず、問題を解く前に前書きを読んでおいて。一応言っておくけど、担任には私の名前は出さないでおくように」

「分かりました」

 直感した。まるで風邪の処方箋を出すような気軽さとそっけなさだけど、この人は間違いなく優秀な人で、彼女の渡してくれたこの本は特効薬なのだと。

 コツをつかむまで、時間はかからなかった。今まで迷走し続けてきたことを思えば、本当にあっという間だった。偶然と言っていいであろう出会いが明暗を分けたという事実に、俺は深い感謝と喜びを抱かずにはいられなかった。

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