クチナシの咲く季節から
拝啓、日が照りかえり蝉の声が身に降り注ぐ季節となりました。
あなた様は「死」というテーマについてどうお考えでしょうか?
人、植物、動物、フラクタル概念で見れば細胞一つ一つ、形のない文明に至るまで限らず考え方は水のように湧いてくるかと思うのです。
水というと例えば。元来、水とは生の象徴であると言われ、そこには命が芽吹き文化を開花させてきました。
第一幕
まず、私の近況はというもの父の通夜に出ておりました。
死因は心筋梗塞だそうです。煙草の臭いが常に付き纏う方でした。
あと、通夜お清めに出た旬の素材を生かした鮎の料理がおいしかったです。
あまりも冷静だって?
その理由の半分は、私は母の後ろにくっ付いて来るオマケのような存在であった私自身と父との間に溝があったこと、とは言っても多少の育ててもらった恩は当然抱いている。
でもそこには父としての厳しさや、ましてや愛情が感じられなかったからだ。
私ももう過ぎたことをとやかく言うつもりもない。と、一般的に悲しまない理由としてはさぞかし合理的だ。
では、非合理的な方を語るとします。
妄言胸を衝かれる様なもう半分の理由は、私には「死」が見えるからだ。
正確には「死」が近い人物の目を見ると予感めいたものが胸で騒ぐとでも言おうか。そして決まってその人物は一か月以内に何らかの理由で「死ぬ」。以上より私には父の「死」が見えていたと表現いたしましょう。
話を変えましょう。そう、あれはまだ二年前恋を知り青い春風の中に微睡み浸って「死」の感覚というものを忘れた頃でしょうか、この異能との出会いは。
はじめは家に飼っていた猫でした。つぎは朝のニューステレビに出ていた方、つぎは行きつけの本屋の老婆でしょうか。「死」を幾度となく見てしまうことを繰り返してまいりました。
何度も何度も何度も何度も何度も…
いつしか枯れ行く花弁を眺めているかの如く私の心は冷めて、目の前の「死」に関して悲嘆の感情を注ぐだけの気力はありませんでした。
第二幕
「死」について考えることをやめられなくなった私は何より、瞳に映っていた景色が徐々に色褪せていく実感がありました。幾度となく騒ぎ立てる胸の予感に私の胸は限界を迎えていた。ああ、また「死」か…と。どーせ、死んじゃうんだと。うんざりだ、見たくもないものを見せられている。
いや違います今ならわかる。
この異能が発現した時から世界の色彩に目を当てようとせず「死」ばかりを追っていたのは私自身。私にとって「死」の存在があまりにも世界から隔離できなくなってしまっていた。でも、不思議と色褪せる中それでもなお輝いていたのが私の恋でした。
恋をしている私の胸の奥の底トクントクンと鳴く声に安らぎを感じていました。
表現するならまさしく命の声です。
彼女は教えてくれました。春に咲く桜景色の中はじめて恋をすることがこんなにも輝くこと。
こんなにも大きな声を響かせてくれること。
人肌の温かさを感じ寄り添い歩いた秋の季節も、二人で越した一年間を「死」を知り初めて恋を知った私にこの胸の声を聞かせてくれたのです。
第三幕。今ではもう慣れたあなたと交わした口づけ。胸を締め付けんばかりの感情は今でも慣れません。あなたは、私の瞳を見ながら私もあなたの瞳を見ながら交わした最後の口づけ。このとき覗き込んだ瞳の奥映る私の姿、そして近づく瞳。
この瞬間、忘れていた「奴」が早鐘を打ちつけんばかりに騒ぎたてた。その時まで輝いていた世界に背後からその時を待っていたかのように
「何、腑抜けた面して忘れているんだよ。」とギラリと「死」は初めて私に刃を抜いた。
その瞬間、私が「死ぬ」のだと悟った。
今までの「死」とはやはり違う、結局は理解していたつもりでも自分に降りかかった途端に真摯に向き合えない自分がいる。恐怖、絶望、失望。どれをとってもあてはまる。
あの時の自分はあなたに悟られまいと必死でした。胸の奥ドロリとした嫌な予感が渦巻き輝きは徐々に失せていく。
帰ってからというものの「死」を待つだけ。時計の針の音、外で行きかう車の走行音、蝉の声一つ一つが重く降りかかるのです。今は私の口から溢れる弱音を書き綴っているだけにすぎません。
あなたがこれを読んでいる頃に私は「死」の中に飛び込む寸前でしょうか。口づけを交わした瞬間あなたの胸には命の声が鳴いていましたか?
もう二度と鳴くことのないあなたから貰った私の命の声は美しかったです。
ですが、その声を聞く事はもう叶わないでしょう。
最後まであなたの瞳を忘れられなくなってしまいました。こんな私は幸せ者だといえるでしょうか。
敬具
終幕
ニュース、騒然。母親とその息子とみられる焼身遺体確認。自殺の可能性とみて警察は自殺の原因と詳しい火元の捜査を続けている模様…
お手紙ありがとう。
灰色の空の下私は海岸まで来ていた。
もう蝉の声も聞こえない。ただ海がザーッと音を立てる。潮のにおいが鼻を通る。
「死ぬって何でしょう。あなたは水が生の象徴だといいました。その水が押し寄せては引いてゆく砂浜は生と死を行き交いする境目でしょう。花は咲けばそれは死に近づくこと。生と死は案外近くて美しい気がします。果たしてこんな景色を見てあなたを思い出す私は狂っているのでしょうか。」
声にならないようなか細い声で少女は誰かに訴える。
引き潮が少女を強く引きずりこもうとする。おいでおいで、無邪気に飲み込んでいく。
少女はゆっくりと波に身を預けていく。
「私の心にも命の声はきちんと響いていましたよ。」
やがて少女の声は静かに波音に掻き消され、端に腐敗したクチナシが一人静かにその花弁を散らしていた。
終