第一幕 岐路5
スラム街には食料を保存する共同の保管庫がある。家ごとに範囲を割り振られており、肉を干してあったり野菜の入った木箱を積んであったりと、場所の使い方はそれぞれだ。
目的の保管庫の入り口には二人の男がいた。彼らはこの街に住む人間で、保管庫の警備を任されている者である。
アルフォードは軽く会釈をしたあと、幾らか言葉を交わし、保管庫の扉を開けてもらった。ロープに吊るされた肉や積み上げられた木箱を避けながら、我が家に割り当てられた場所まで歩く。
狩猟で手に入れた肉はロープに吊るして保管する。明日になればアルシアと母が他の食材と一緒に持ち帰り、夕食に出されるのだ。
身長が足りずロープまで届かないミノリは、肉を吊るす作業をアルフォードに任せ、その間に彼が採取してきた山菜を片付けた。
今日の仕事をすべて終えて家に向かう。
「おかえり!」という少年の声が聞こえた。見ると、二人の足音を聞きつけたアルシアが窓から身を乗り出して、二人を手招いている。
早く早くと無邪気な少年に急かされて、木の板を継ぎ接ぎしただけのあばら家に入ると、綺麗な顔立ちの女性が二人を迎えた。
「おかえりなさい。ご飯の用意ができているから、手を洗ってきてくださいね」
彼女の名はユイシア。アルフォードの妻であり、アルシアとミノリの母親に当たる人物だ。言葉遣いや立ち居振る舞いがスラム出身のそれとは違う。服は簡素なものであるし、髪も一つに束ねているだけだが、どこか気品すら感じる。
彼女もザックと同じようにアルフォードと旅をしていた仲間の一人で、彼らと特に仲の良かった彼女もこの土地に留まることを決めた。
しかし、住み込みで働き口を見つけたザックと違い、仕事もない二人に住む場所はなかった。困った挙句、隣街のスラムを訪れ、二人はここで暮らすことになったという。
この街で、彼女は異質な存在だった。報酬も出ないのに街の美化に精を出し、質の良い服を汚しながら、掃除を続けた。
今ではこのスラム街に隣接する街の領主が後ろ盾に様々な人がこの美化活動に賛同し、段々と綺麗になってきている。
その貴族が治める街は旅人や冒険者に向けた宿や飲食店、娯楽施設などが立ち並んでいて、国内外問わず様々な客がやってくる。そんな観光地のすぐそばに劣悪な環境があると、大変困るそうだ。先代はそんなことに金を出せないと放置していて、代替わりしたらすぐに手を打つつもりだったらしい。
今では領家から賃金が支払われ、ティーファの美化活動もこの家の収入源になっている。 野菜や肉など自分たちでどうにかできるものもあるが、それだけでは十分な食事は摂れない。他にも生活用品も必要になってくる。貯金のことも考えると、収入源が増えたことは素直に助かっているとしか言いようがない。
「今日の獲物はなんだったんだ?」
四人で食卓を囲むと、アルシアがそう切り出した。狩りのあとの食事では決まってこの話になる。
今日はイノシシを仕留めたことを伝えると、「もしかして、畑荒らしの?」とユイシアが察したようだ。アルフォードとミノリにありがとう、と感謝を述べるとアルフォードは黙々と食べ、ミノリは謙遜する。すっかり蚊帳の外になったアルシアは不満そうだった。
「俺だってやれるし」
ツンと唇を尖らせ、アルフォードを睨みつけた。しかし、彼は素知らぬ顔でご飯を食べつづける。その視線には気づいていてなお、何も言わず黙々と手を休めないアルフォードに痺れを切らしたのか、アルシアが立ち上がった。
「いい加減、俺も森に連れてってくれよ!!!」
「だめだ」
「なんで、ミノリはよくて俺はダメなんだ!」
「未熟だからだ」
怒りの直訴も一蹴である。アルフォードが頑なに認めようとしない様子から、どうしても納得がいかないアルシアは「俺も俺も」とスプーンを持ったまま右手を振り回した。
「ねえ、アル。ちょっと落ち着いて」
「うるせえ、お前にはわかんねーよ!」
「でも、そんなことしたら――」
アルシアの腕が机を叩き、木製の器から白くとろみのあるスープがこぼれる。
刹那、鈍い音が鳴った。アルシアの頭にげんこつが振り下ろされたのだ。
「いってええ!!!」
元からたんこぶがあった位置を叩かれたようで、頭を押さえて悶える。笑顔で拳を握るユイシアに反抗の意思を向けると、急に表情を消し去った。
冒険者として剣士としての母の武勇伝を聞いたことのあるアルシアにとって、真顔のユイシアはとても恐ろしいものだった。
「ご飯中に行儀の悪いことしない約束でしょ」
「「ごめんなさい」」
アルシアはすぐさま謝った。過去に意地を張ってひどい目にあったことを思い出し、ここで謝罪するほかに手はないと思ったのだろう。
そのあと、なぜか一緒に謝っていたミノリを不思議そうに見ると、母への畏怖の念で思わず口にしてしまったとのことだ。
「ほら、せっかくの御馳走なんだから冷める前に食べちゃいなさい」
ミノリはスプーンで器一杯に満たされたクリームシチューをひと掬いし、口に含む。白色のソースが口内に満たされると、ミルクの風味がぶわっと広がった。もう一口、今度は中に沈められた野菜と大粒の肉片と一緒に放り込む。ほどよい塩気と甘みが肉や野菜の味をちょうどいい具合に引き立てている。
「おいしいですね、ユイシアさん」
そう言うと、アルシアと同じように唇を尖らせて不満そうにする。素直に料理を褒めただけのミノリは、なにかおかしなことを言っただろうかと不安になったが、そもそも彼女は怒ってあのような顔つきになったのではなかった。
「あ、だめよ。そろそろお母さんと呼んでくれなくちゃ困るわ」
予想外の申し出に驚き、今になって呼称を変えるということに動揺し、躊躇した。だが、
やはりアルシアの母、表情の変化だけではなく、意地っ張りなところもよく似ているようで、これは呼ばなければ終わらないのだ。
そう勘付いたミノリは、照れながらも「お母さん」と呼んだ。恥ずかしさで消え入りそうな小声だったが、それでも嬉しかったユイシアはまた笑みを浮かべ、見るからに喜んだ。
「そうでしょう! 今日は自信作だというのに、あなたたちは美味しいの一言も言えないのかしら。いつもいつも銃がどうの、害獣がこうの。今日のイノシシのことは嬉しいですけど、ちょっとはミノリを見習ってみたらどうですか!」
喜んだかと思えば、どうやらご立腹なご様子で。それもそのはず、この件は以前にも話されていることなのだ。
以前、ミノリとアルシアが狩りの話に夢中になっていたせいで、せっかくのご飯が冷めてしまったことがあった。そのとき、アルフォードが食事中に一切話さないことも言及した。長く続いた説教のあと、誰も一言も話さない気まずい中で冷え切ったご飯を食べることになったので、その日の夜は二人一緒に反省した。
はずだったが、あの反省を生かしたのはミノリだけで、アルフォードはもちろん、一緒に誓ったはずのアルシアまで、言われてもなお黙々と食べていた。
食器を片付けて部屋にこもった息子を見て、ユイシアはなにも言わずに一つため息をついた。アルフォードも食べ終えるとすぐに寝てしまい、彼女は寂しそうに食器を洗いはじめる。何も言わずとも隣に立って手伝ってくれたミノリをギュッと抱きしめ、ありがとうと一言つぶやいた。
次話は少しボリューム減る予感がしてる大預言者まゆずみ。