第一幕 岐路4
帰り道、ミノリは例の旅人のことを思い出していた。
「旅人さんこなかったな。指切りしたのに……」
約束は破ってはいけないものだ。それは前に住んでいたところでも、この街でも変わらないことである。ちゃんと言葉にして約束していれば、誰もが守ってくれると信じていた。
もしかすると、あの旅人の生まれ育ったところでは違うのかもしれない。その街、国ごとにルールはあるし、口約束は何の意味もない行為かもしれない。そんな風に思い始めた。
「疲れて寝ちゃったのかも。なんたって旅してきたんだもん」
いろんな街を訪れたと言っていたから、きっと長旅だろう。一日目はご飯を食べて、汗を流したらすぐに寝てしまうのかもしれない。
「きっとそうだ。だったら、明日はきてくれるよね」と自分を無理やり納得させ、人が好さそうなあの旅人を信じることにしたミノリだった。
そうして一人でぶつぶつと呟きながら歩いていると、タンクトップをきた筋骨隆々で大柄な男が見えてくる。彼も一人で何か喋っているようだった。
その男はいきなり後ろを振り返り、考え事をしながら歩くミノリをすぐに見つけた。
ミノリもちょうど納得がいったようで、俯いていた顔を上げて、その男を視界に捉えた。
「ただいま帰りました!」
ミノリは大きな声でそう言って、その男に駆け寄る。すると、その屈強な男には似合わない、少年のような可愛らしい声でミノリの名を呼んだ。
当たり前だが、その声の主は大男ではない。
「おかえりミノリ、早かったな!」
その陰からひょっこり顔を出したのは今朝の少年、アルシアだった。
アルシアは無邪気な笑みでミノリに手を振っているが、その頭には大きな大きなこぶがあり、心なしか瞳も潤っているように見える。
「大丈夫?」
「あ、これは気にすんな」
ミノリが頭を指さし、心配して聞くと、アルシアは微妙な面持ちでたんこぶを摩った。教えたくないらしい。と言っても、大体は想像がつく。
今朝、川に流してしまった桶は取り戻すことができなかったのか、それとも川に入っていく様子をアルフォードが見ていたか。どちらかが原因だろう。
「仕事はもういいのか?」
アルシアの前に立っていた男があごひげを弄りながら、聞いてきた。
このひげ面の厳つい男はアルシアの父であり、ミノリを拾って五年間、父親代わりに育ててくれたアルフォードというものだった。
彼は昔、世界中を旅していた冒険者だったという。
旅をしているならば旅人だったのではないか、と少し前に聞いたことがある。すると、どうやら旅人というのは金持ちが道楽としてやることで、冒険者は生きるためにたくさんの獣や悪人を退治してお金をもらう仕事、という明確な違いがあるらしい。
旅人は旅の基本も知らず、その一行に冒険者を雇って、彼らの知恵を頼っている者が多い。中には彼らにひどい扱いをされた経験のある冒険者もいて、仕事以外では関わらないことが基本だという。そんな旅人と一緒にされることが彼らは心底嫌っているそうだ。
旅人が冒険者や料理人を雇って一行を作るように、冒険者も同業者同士で一行を作る。旅に危険はつきもので、最低限の安全を確保するためにも複数人で行動することが基本の一つだ。
アルフォードも例外ではなかった。彼も仲間とともに冒険者業を営んでおり、そして同時期に一行を解散した。
その中に、ミノリもよく知る人物がいた。
アルフォードら一行があの街を訪れた時、皆はある宿屋で宴会を開く。その宿屋は夫婦で切り盛りしており、その娘も手伝いをしていた。
懸命に働くその娘の姿に一目惚れしたある男は、翌日には冒険者をやめることを決意し、宿屋の夫婦に頼んで住み込みで働かせてもらうことになったのだ。それから数年かけて娘を口説き落とし、結婚したあと、その男は冒険者として稼いだ金をもとでにパン屋を開いた。
そう、その男こそザック・バッカスである。
ミノリが彼のベーカリーで働いているのはアルフォードの紹介によるもの。そこで働いていることはもちろん知っていた。
「はい。森に行くときはザックさんの計らいで少し早めに上がらせてもらっているんです」
「そうだったか」
「準備してきますね。ほら、アルも一緒に行こう」
ミノリがアルシアの手を引こうとすると、彼は父さんに話があるからと言って手を放した。
まだ説教が途中だったのだろか、と考えながら家に向かって歩いていたが、すぐに追い返されていたので、そうではなかったのだろう。もしかして、また森に連れてってもらえるように頼んでいたのだろうか。
アルシアはミノリと同い年であるが、体が小さいからかまだ森には連れて行ってもらえない。というのも、森にはたくさんの獣がいて、食材を捕るために訪れている。
獣が危害を加える可能性はもちろん、狩りの手段に銃を使っていることも要因の一つだろう。アルシアはまだ父親であるアルフォードには認められず、家で留守を預かっている。
いずれ、彼も銃を持たせてもらえるだろうが、彼はそれまで我慢ができないらしく、よくアルフォードに直訴しているのだ。
しょぼくれたアルシアをおいて、ミノリは着替えて家を出た。先程までは素朴ながらも可愛らしい格好だったが、今はホワイトシャツに黒のベスト、その上に羽織っているジャケットとズボンは厚手で野暮ったい。そして、同じ色ばかりでアクセントもなく、見た目よりも丈夫さや動きやすさを優先している。右の腿にはホルスターがあり、拳銃が収められていた。
「準備はいいな」
「はい、行きましょう」
この二人が目指すのは森の奥。そこで銃の訓練を兼ねた狩りを行うのだ。家族全員が仕事をしていて、そこまで貧乏というわけではないが、いつか引っ越すときのためにとお金はなるべく節約している。そこで自給自足を心掛け、森で山菜を採ったり獣を狩ったり、畑では野菜を育てている。
「今日の獲物はなにですか?」
主な獲物はイノシシやシカ。たまにウサギも狩るが、害獣を優先して選んでいる。その日に何を仕留めるかはプロであるアルフォードの役目で、彼の指示通りに拳銃の引き金を引く。
「昨夜、どうやら畑を荒らされたらしい」
「ユイシアさんがぷりぷりしていましたね」
「ああ」
今朝、ユイシアが畑を見に行くと、掘り起こされて、踏み散らかされていた。ミノリはどんな動物によるものかは聞いておらず、畑の状況も確認していないので、足跡も見ていない。
一体何だっただろうかと思案していると、アルフォードが地面を指さした。注視すると、そこには足跡が残っていて、その形状はイノシシのものだった。
「イノシシですか?」、あそこにいる」
アルフォードの視線の先には地面に鼻を近づけながら、四足で歩く獣がいた。
「手順は覚えているか」
「はい、頑張ります!」
ホルスターから拳銃を引き抜き、構えながら静かに近づいていく。音を立てないように地面に落ちている小枝や落ち葉を避けて歩き、ある程度近づくと銃を正面に構え、アイアンサイトを覗いた。
イノシシを捉えた瞬間、ミノリの右手の人差し指が引き金を引いた。乾いた音が鳴り、イノシシは呻き声を上げる。
「ヒットです」
様子を窺いながら近寄っていく。拳銃をホルスターに収め、ナイフに持ち替えてさらに進む。警戒は怠らない。
絶命していることを確認すると、獲物をもって川にいき、そのまま水に浸けて冷やしてしっかり血抜きする。
イノシシの毛をむしり、綺麗になったら手に持っているナイフで腹を裂き、内臓を取り出し、と解体作業を進めていく。
「ちべたっ」
作業をすべて終え、手についた血を洗い流そうと川に手を突っ込むと、あまりの冷たさに反射的に手を引いてしまった。しかし、臭いが残ると困るから、とミノリは冷水に耐えながらも必死に洗った。
「できたか」
ミノリが川で手を洗っていると、アルフォードがやってきた。
ほら、と籠の中を見せると、アルフォードは頷いて、どこかへ歩いて行った。後ろをついていくと、そこには火が焚いてあった。
二人は焚き火を囲むようにして座る。
「暖かいのはいいけど、臭いがつくのは嫌だな」
聞こえないように呟いたつもりだったが、アルフォードはしっかり耳にしていたようで、我慢しろと言う。ミノリは黙って火に当たった。
続けて更新です。文章はまた読み返して少し変えると思いますが、ちょっとがんばりました!