第一幕 岐路3
今日は昼も朝と同様にたくさんの客がやってきて、またも完売した。やはり旅人が言っていたように弁当屋が休みだったのが原因らしく、そちらから流れ込んできたのだろう。
中には朝に並んでいたけれど買えずにいた人も何人かいて、無事にお昼ご飯は買えたらしく、満足そうに帰る姿もちらほらと見受けられた。
そうして昼の営業を終え、夕方になった。ミノリは焼きあがったパンを所定の位置に並べ、外に出る。
「旅人さん来るかな」
そう言って、軽く伸びをした後、看板の文字を営業中に書き換える。今回は朝昼と違って客は並んでおらず、店内まで人ごみに流されることもなく、実に穏やかなものだった。
開店してしばらくしてから数人お客さんがやってくる。それがこの店の日常。
カランカランと鈴の音が鳴った。来客の合図である。扉が開くと鳴る仕組みだ。
閑散とした時間に終わりは告げられず、やってきたのは中年の白髪交じりの女性が一人だけだった。
「どうもミュラーさん! いらっしゃいませ!」
ミノリは店に入ってきた女性を見るや否や立ち上がり、その女性の名前を口にして愛想よく挨拶をした。今夕の一人目のお客さんはミラー・ミュラーという女性だった。
「こんにちは。もう大丈夫みたいね」
ミュラーの第一声は、店員である二人以外の姿が見えないことに、安堵したかのような口ぶり。閑古鳥が鳴くほどの静かな店を訪れて、その様子では小馬鹿にしているようにも捉えられるが、この日ばかりは仕方のないことだった。
彼女の言葉の理由に気がついたティーファは申し訳なさそうに女性のもとへ近づく。
「もしかして、朝にいらしてましたか?」
「ええ、すごい人気で今朝は諦めて帰ったの」
でも、今度は買えそうでよかったわ、と朗らかに笑った。
ミュラーはこの店のパンを贔屓にしていて、毎朝ここで朝食のパンを買っている常連客である。故にティーファはもちろんのこと、ミノリもこのお客さんとは交流がある。
それまでカウンターの向こうで座り、退屈そうにしていたミノリだったが、彼女にそんな姿は見せられない。
「いつもありがとうございます!」
「こちらこそ。それで、今朝はなんであんなに人がいたのかしら」
「お弁当屋さんがお休みなんですって」
旅人から聞いた話をそのまま口にすると、二人は実に驚いた表情をしていた。ティーファには既に言ったつもりになっていたミノリだったが、その表情を見て、自分が知った理由も一緒に話すことにする。
サンドイッチの話をすると、ティーファは苦笑していた。ミノリは旅人のことを伝えたと言ったが、実は少し多めに作ってくれと頼んだだけで、その理由は話していなかったのだ。
ミノリが賄いとして食べているものは店に出せなくなった食材を使って作っているので、それをお客さんに食べさせるなんて注意しなければならないところなのだが、ミュラーの目の前で怒るわけにもいかないという理由からティーファは苦笑するだけだった。そして、なにより嬉しそうに話すこの姿をティーファは気に入っているということ。なんだかんだミノリに甘いのだ。
「まあ、それは置いといて、一体どうしたのかな」
「風邪でもひいたのかしら」
本来、仕事というものは大変な中にもやりがいを見つけて意欲的にやるべきことであるとされている。それに対して最近の若いものは、なにかと弱音を吐いては休んだり辞めたり。それに比べると、あの夫婦は実に若者らしくなく、とても勤勉なのだ。
やりたいことを仕事にしているからか休むことなく、二人一緒に季節の病に侵された場合はその限りではないが、一人でも無事なら店を開ける。食べ物を扱う以上、無理してまで店に出ることはないが、働く気分ではないだとか面倒くさいだとか。そんな理由で店を休むことはなかった。今年に入って初めての休みである。
「早く良くなるといいけれど……って、それだとあなたたちは困るわね」
「そんなことないですよ。そりゃあ店的には助かりますけど、毎日あんなに忙しかったら身が持ちませんよ」
ハハハ、と疲れ切った様子で乾いた笑いを漏らす。
ミュラーはしばらくティーファと世間話を交わした後、いくつかパンを買うと、また来るわと言って帰っていった。それから入れ替わるように客がやってきて、客足は少ないながらも絶えることはなく、ミノリもまじめに働いていた。
「今日はもう上がってもいいわよ」
ついに来客がなくなり、残りのパンもある程度減ってくると、ティーファは暇そうに机に突っ伏しているミノリにそう言った。
「え、あ、すみません! ちゃんと働きます!」
客が少ない時の自分の態度を思い出して、そう言うと、ティーファは首を横に振った。
「もうお客さんも少なくなってきたし、今日は森に行く日でしょう?」
「あ、そうでした!」
いつもはこれからもう一時間働くところだが、ミノリは幾日かに一度、早く仕事を切り上げる日がある。それが今日だったのだ。
すっかり旅人のことが頭の中を一杯にしているらしく、完全にそのことを忘れていたようだ。
ミノリは急いでエプロンとバンダナを片付けて、厨房で座っているザックに挨拶をした。
「ザックさん、今日はお先に失礼します!」
「ああ、気をつけろよ」
何か思い出したザックは店頭から茶色の紙袋を持ってきて、さきほど焼きあがったらしいパンを一つ、袋に入れてミノリに渡した。
「今度店に出そうと思っている新作のパンだ、家で食え」
「ありがとうございます!」
ミノリはもう一度ザックとティーファに挨拶をして店を出た。