第一幕 岐路1
少女は追われていた。冬が明けたばかりの日差しがやけに暖かく感じる季節の中、きっちりと黒スーツを着込んで男たちは少女を追いかける。その額には薄らと汗が浮かんでいる。
急いで駆ける靴音と荒い息づかい。バクバクと絶え間なく心臓が鼓動し、その音が余計に緊張感を募らせる。
「追え、絶対に見失うな」
まだ近くから聞こえるその声に焦燥感を掻き立てられ、少女は薄らと涙を浮かべた。
彼女は今、どこかも知らない路地裏を一人でひたすらに走り回っている。
体力は削られ、足の筋肉は痙攣している。もうこれ以上走れないという状態なのにそれでも尚、彼女の足を動かし続けているのは一体なんなのだろう。
答えは単純明快である。怖い、死にたくない。ただそれだけである。それだけで彼女は限界以上の力を発揮しているのだ。
少しでも遅れてしまえば捕まると恐怖を抱き、なにがあってもこの足を止めるわけにはいかないと脇目も振らずに走る。何かにぶつかって足を一瞬でも休めれば、追いつかれると常に周囲を警戒し、神経を研ぎ澄ましている。
ウサギのように耳を澄ませ、狩人の声と足音を集める。そして、まさに脱兎の如く駆けるのだ。
やがて男たちの声が聞こえないようになってくると、一度呼吸を整えるために足を止める。すると、さっきまで動き続けていた少女の足が、まるで地面に吸い込まれるかのように自然と膝から崩れ落ちた。
「ははっ、限界みたい」
それから意識を手放したのは、まもなくだった。
少女は嗅いだことのあるような無いような、異様な臭いで目を覚ました。
慌てて体を起こし、辺りを見回してその臭いの源を探す。
しかし、特に異臭の原因らしきものは見当たらない。その代わりに一番に目に入ったのは複数の人間だった。
この臭いはどこから、と疑問に思った少女だったが、目の前の彼らの貧相な姿を見てすぐに納得する。
「ここはどこですか?」
場所を尋ねると、彼らは目を丸くし、顔を見合わせてなにかを話し出した。
驚くべきことに彼らが話しているのは少女の国の言語ではなく、よくよく見れば顔の特徴も見たことのないものである。どうやら少女の祖国の人間ではないらしい。
少女が目を覚ました時、頭にあったのは追ってきていた男たちに捕まってしまった可能性ともう一つ。目の前の人たちに拾われて介抱された可能性である。
彼らが少女とは違う国の出身であると知った時、前者であると確信した。彼らは自分と同じ立場にあるのだと考えたのだ。
しかし、すぐにそうではないと知ることになる。
その違う言語を駆使する者たちがまた何かを話したあと、少女は外へ出るよう促された。最初は警戒したが、案内人だろう少年が両手を合わせ、必死になって何かを伝えようとしていたことで仕方がなく後ろを付いて行った。
天幕のある場所から出ると、見えたのは汚らしい〝街〟である。
それを街と呼んでいいのかどうかその時わからなかったが、それでも風景の中で人が生活している様子を見受けられたので彼女の中では街という認識になった。
それを見て、少女が先程まで思っていた場所とは違うことを知らされる。
彼らは誰かの所有物なんかではない。思い思いに毎日を過ごし、生活している。ちゃんとした人間だったのだ。
そして同時に、自分も追手に捕まったわけではないと知る。
それまで張り詰めていた緊張の糸が一気に解けていき、へなへなと座り込んだ。そして安心したのか、わんわんと大きな声を上げながら涙を流した。
案内人の少年が慌てていたが、少女は気にせず枯れるまで泣いた。
その日は少年の家で一緒に寝た。部屋は狭く、枕もなかったが、干し草のベッドが凄く温かく感じた。
翌日、目を覚ますなり、ここがどこか考えていた。
確かに彼女は行く先なんて気にせずに走って逃げていたのだが、それでも彼女の国は海の上で孤立した離島である。他の国と隣り合わせでもなんでもない。逃げているうちに他の国に入り込んでしまったなんてあるはずがないのだ。
それでも彼らと会話ができないことは変わらない。
これからどうする当てもなく、とにかく今は彼らとなんとかして話をしなければ。そう思った少女はここにしばらく滞在することに決めたのだった。