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EP1『我、戦列に並びたり  ―Thin Red Line―』

 ニルドリッヒ共和国首都、セント・ピーターズバーグの東に位置する丘陵地帯。

 そこは、まるで地獄がこの世に現れたような様相を呈していた。


 シュリーフェンとマリアネス連合の国境沿いにあった、中立国家。

 ニルドリッヒ共和国の望んできた国家平和への願いなど、そこには微塵たりとも感じず、すべてが焼き尽くされたように見える。すべてが炎につつまれ、燃え尽き、煤と灰になっている。

 草花は地面と共に抉られ、列を成していた桜並木は、火炎と爆発で跡形もない。

 動物たちは逃げ去り、今は人間の焼けた臭いと、爆薬の臭いが立ち込めている。

 丘から見下ろす共和国首都、セント・ピーターズバーグからは今もなお黒煙と火炎が上がっており、サイレンの音や爆発音、発砲音などが絶えず木霊して丘まで響いてきていた。


 混濁する意識の中、彼は一度ダウンした機体制御システムを再起動させる。

 彼は中枢の気密維持装置が稼働していることを願った。

 一度制御システムがダウンした。

 ということは、それだけの甚大な損傷を受けたと言う事だ。

 機体内部に有毒ガスや腐食などが入り込み、戦わずに死ぬのだけは嫌だった。

 そんな死に様じゃ死にきれないと彼は思った。


 彼は鉛のように重い思考状態を改善させようと思いついた。

 そのためにいくつかの回路をオーバーライドさせた。

 焦点が定まらないのは、脳震盪のせいか、それとも激痛のせいだろうか。



 ―――いいや、違う。



 そもそもそうした医学用語は彼には当てはまらないのだ。

 が、オーバーライドの弊害か、彼はそのことを気にとめずに思考を続けた。

 片目しか機能していないからだ。右目が見えない。

 なにかの破片で右目が破裂したようだった。保護用のバイザーも割れている。

 だがそれがどうした。戦闘に支障はない。遠近感が狂っただけだ。

 彼はセンサー系統の感度プリセットから、こうした状態に適当なものを選択して実行した。


 そして二脚歩行型自律支援兵器―――シミュラクラは、悲鳴をあげた。

 ひしゃげた装甲が可動部と干渉して擦れ合い、一度は自己診断プログラムが機体の異常な損傷状態に強制シャットダウンのプロセスを動かし始めたが、彼は手馴れた様子でその処理をオーバーライドさせ診断プログラムを黙らせた。

 耳障りな金属音を発しながら各種起動灯が点灯し、立ち上がった。


 まるで、死人が生き返ったようだ。

 左腕部は欠落し、結合部からは筋肉の筋のように太いパイプやコードが垂れ下がっている。あちこちでスパークが起き、どろっとしたオイルが漏れ出していたが、それもしばらくすると収まった。

 装甲も所どころが壊れ、被弾した後は幾千とあった。頭部のバイザーは破壊され、右側の多眼カメラがスクラップになっていた。

 まるでゾンビのようなシミュラクラのメインカメラが捉えたのは、戦場だ。

 数両の戦車型の新型兵器と、酷く損耗した三機の二脚型のシミュラクラが、発砲時の圧力だけで人間を殺傷可能な重火器を撃ち合い、猛禽類の如く、喰らい付くような肉弾戦を繰り広げている。

 戦車方の新型兵器は、シミュラクラとはなにもかもが違っていた。

 火力も装甲も上回っていたが、小回りがきかず操縦レスポンスが悪いようだった。

 友軍のシミュラクラは、その欠点に漬け込んでひらりひらりと砲撃を避けている。


「こちらS-175ZW1、再起動に成功。戦闘システムを再起動。戦闘を再開する」


『ジェミニ、こちらも再起動に成功。やっぱりオレは運が良い。まだやれる』


『リブラ、再起動。戦闘、続行可能。まだまだ殺せる。アクエリウス』


『キャンサー、両腕部破損。アクエリウス、指示を』



 蘇えったのは彼だけではなかった。

 左右のディスプレイを見れば、膝をついて沈黙していたシミュラクラが。

 地面に倒れ伏していたシミュラクラが。

 両腕部を破壊されたシミュラクラが。

 それぞれ再起動し、起動灯を光らせている。


 敵の戦車型の新型兵器はまだこちらに気付いていない。

 彼は自己診断プログラムが新たに表示した警告をさらにオーバーライドさせて無視し、戦闘モードを再起動させながら状況を確認した。

 武装は右腕部に保持している五十七ミリ低圧砲しかない。

 左腕部が損壊しているため、中距離からの精密射撃は不可能だ。

 であれば、至近距離まで接近し、機体の重量をもってして直接コクピットに蹴りでも鉄拳でも叩き込めば、戦車型とはいえ―――。



『アクエリウスより命ずる。リブラ、ジェミニは私の直掩へ付け。残りの機体は当領域より離脱せよ。これは最後の命令だ』



 湧き上がる戦意と戦闘シミュレーションを途切れさせたのは、シミュラクラ大隊の長の声だった。

 熱情とは無縁の淡々とした声は、枯れ果てた泉のように無味乾燥で、低い響きを持つ。

 ディスプレイの向こう側で彼女の乗る二脚型シミュラクラは、戦車型の乱射するオートキャノンの弾幕を流れるような動きで躱しながら、貫徹能力に優れたスナイパーライフルを撃ち放ち、戦車型の履帯を引き裂いた。

 横から別の戦車型が両手に持った榴弾砲から、低初速の大口径砲弾をばら撒くように投射するが、彼女の機体には当たらない。機体の背面で追加ブースターが光球を吐き出し、鋼鉄の兵器を左方向へと弾き飛ばしたからだ。


 大地を抉りながら二本の足で踏ん張った彼のシミュラクラは、左手のスナイパーライフルを投げ捨て、腰部のハンガーに吊るしていたプラズマブレードを持った。

 そして履帯を切断され機動力が大幅に低下したシミュラクラに向け、突撃した。


 履帯を切られた戦車型が迎撃に両手に持ったオートキャノンと肩部に埋め込み式で搭載された近接防護火器を乱射し、濃密な弾幕を張る。

 が、長にとってそれはただの障害物にしかならない。

 ブーストの煌めきが一度、そして不気味な暗紫色の炎が舞い上がり、終わった。

 高出力プラズマブレードである『アナザーレイ』により斬り裂かれた戦車型は、胴体と脚部の二つに割れ、数秒置いて火を噴き出す。

 コクピット近くにあるジェネレーターが致命的な損傷を受けたのだ。

 炎は、パイロットを生きながら焼き殺すだろう。



『諸君は西へ行くがいい。我らの目標は逆襲である。心せよ我が友よ。我らはこれより悪鬼となる』



 まるで部隊の滅びを謳うように、長は言った。

 スナイパーライフルを戦車型の胸部正面装甲に着弾させ、爆発反応装甲を剥ぎ取り、片手に黒炎を纏ったプラズマブレードを携えながら。

 長に続くように、両手に榴弾砲を持つ戦車型を屠ろうとリブラが突貫し、上下に無理矢理連結されたショットガンと連装ガトリングガンの猛射を叩き込む。

 弾幕に気圧され敵の戦車型は後進し、肩部から展開したロケットポッドからのロケット弾を放射し弾幕を張るが、リブラはそれを掻い潜るように回避する。

 しかし、その勢いのまま戦車型のコクピット目掛けて膝蹴りを叩き込もうとしたリブラは、ほぼ零距離で二門の榴弾砲の直撃を受け、跡形もなく爆散した。



『くそが―――』



 リブラの声と、反応が消えた。

 長はそれを見ながら言った。



『……見よ、復讐するは我にあり! 我らは死を司り、神罰を代行し、我らに背いた者に報復する! 往け我が同胞よ。往け我が家族よ。今ここで私に背を向け、為すべきことを為せ! 果たすべく義務を果たせ!!』



 彼は、他の隊員がそうしているように、ブースターを吹かし、長に背を向ける。

 その視線の先には、それまで守ってきた都市があった。

 破壊され燃え盛る、忌々しくとも逃れられぬ、苦悩と屈辱と葛藤と、細やかなる栄光と誇りを得た、セント・ピーターズバーグがあった。

 この胸に走る痛みは何だと、彼は悩む。



 ―――どうして胸が痛む。



 答えの出ない自問自答を繰り返しながら、彼は前傾姿勢を取る。

 一気にブースターを吹かし、巡航航行に入った。

 四機のシミュラクラは散開し、追跡を免れるために首都へと向う。

 夕焼けを受け赤く染まった丘から送られた最後の通信は、ニルドリッヒ最精鋭のシミュラクラ大隊の長は、自らに背を向け飛び立った四人の部下に向け、くすりと掠れた笑い声を上げながら、最後に言った。



『諸君らに、神の恵みのあらんことを―――』



 母のように優しく、父のように厳しく、姉のように身近で、家族の柱であった彼女は、

 ―――そして、なによりも掛け替えのない存在だった長は、ノイズを最後に沈黙した。


 彼は泣いた。

 祖国の終焉と。

 そして家族の崩壊に。


 彼自身、自分が機械であるということも忘れて。


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