2 歌声は懐疑の機
1話を執筆したのが高校入学直後だと言うのに、
もう今は高校卒業してしまいました、、、。
現在この作品を含む数作分の手書きプロットを
書いたノートを紛失しているので、
次回もいつになることやら汗
見つからないと諦めがついたらプロットを
立て直して完結させますので、
長い目で見ていただけると幸いです、、、。
寄り道したら 道に迷って どうしようもなく
俯いて ため息ひとつ 漏らした
灰色の中 一輪の花 力強く咲く
土もなく 孤独に輝いていた
どんなことも プラス思考で
ある日キミが教えてくれた
未知は新たな出会いのチャンス
不安を勇気で塗り替えて
走っていたよ 無意識のうちに
回る地球に 落とされないよう
自分から 踏み出して
歌っていたよ 気付かないうちに
元気をくれた キミに届くよう
空高く 響かせて
小さな声が 想いを乗せて
雲を越えたらいいな
次の日の朝。澄み渡る空の下でまた、歌声が響いた。時間は昨日とほぼ同じ。なのに明るく感じるのは、きっと気分のせいだろう。
アップテンポの流れに背中を押され、揺らぎながらも進んでいく。
音程の低いところから始まる冒頭部分は、一面もやもやとした霧に包まれながらも、とりあえず歩くしかないと、諦めているかのように感じる。それが中盤に入ると彷徨い始め、低音部と中音部を行き来しながら、だんだん高音部へと上がる旋律に合わせて気持ちが昂っていく。葛藤を超えると、纏わりついていた霧を振り払い、空に飛び出して、光が生み出した道を駆けていく様子が思い浮かぶ。高らかに響く音がとても心地いい。
半音だけ下がる部分が妙な胸騒ぎを引き起こす。そして、沸き上がったすべての気持ちが馴染んでいくように歌は止んだ。
僕はそれを窓辺で聞いていた。やわらかな朝日を浴びながらの読書中、歌は始まった。ちらりと目を向けると、昨日のポニーテールが踊っていた。その反面、表情は悲しげなものだった。校内合唱コンクールで見かける意図しないしかめっ面――例えば、無理に高い音を出したり大声を出したりして眉間に皺が寄り、困り顔や泣き顔に見える状態――であることも考えられたが、すぐに違うと判断する。決して高過ぎる音ではないし、歌声から予測するに地声が低いから高音が出しにくい、と言うわけでもなさそう。また叫ぶように歌っているわけでもない。その声自体も、落ち着いてるのか寂しいのか、曲にノリきれていないような印象を受けた。どうしてか分からないが、僕の心に揺らぎが生まれた。
休んでいた分、というわけではないが、大学が夏季休暇中ということもあり、週二だったバイトは週五日の仕事と二日の休みという、仕事と休みの日数が入れ替わる形になった。だからと言って、すべての日中を書店で過ごすことにはならないようで。
「んじゃ、今日はこの辺で終わりにするか」
「もうですか?」
「ああ、ちょっと用事がな。さすがに二日連続お前さんに任せるわけにはいかんから」
今はまだお茶をするような時間である。稼ぐのが目的ではないからと言っても、この後の需要がないわけではないのに。きっとまたあの件なのだろうけど、仕事の予定を動かしてまで優先させるようなことなのだろうか。自分にはまだよく分からない。
「世間的に昨日今日は休日だろ? ここに居たらその感覚も薄れてくるが向こうはそう言うわけにいかんからな。なに、今日過ぎれば五日間はないさ」
それはつまり来週末はある、ということでいいのだろうか。これまで――と言ってもしばらく休んでいたわけだけども――週末のみここへ来ていたが、その時閉店時間を待たずして店長がいなくなったり店仕舞いをしたりすることは、皆無とまでは言わずとも、ここまで頻繁にあることではなかった。最近からの事なのだろう。
「ほれ、手伝ってくれんかね」
入り口のシャッターを閉めようとしながら店長は言う。まったく、たとえ自由に営んでいると言えど限度があるだろうに。僕は少し、店長の緩み始めた自由さに疑問を覚えた。
突然空いた時間に予定があるはずもなく、僕は自転車を支えながら店の前に立っていた。今は大学生だからいいが、卒業したらどうすればいいのだろう。まだ高校にいるときも抱いたことのある不安。大学進学は、その決断を先延ばしにしたに過ぎなかった。学校を出たら一人になる。各自の意思ではなく外からの力によって集められた仲間と過ごせる高校までとは違い、大学は自ら動かなければ集団には入れない。いくら一人の時間が好きだからと言って孤独になりたいわけではないし、形式的ではなく実質的に、お互い認知し合える集団ないし関係にまったく所属できないのはとても怖く寂しいものだ。高校時に抱いていた大学への不安の一つは、今となってはこの本屋という居場所に落ち着けているが、それもあと数年の話。ずっとバイトを続けることもできるが、そう言うわけにはいかないだろう。曖昧ながらも決めていた願いはもう叶わない。時間は進んでいくだけで、待っていても何も変わらないことは分かっている。それでも……。
どうしていいか判らず顔を上げた先には、見慣れない道が伸びていた。ぽかんとして振り返るといつもの道。そう言えばあの時ここに立ち寄って、そこから先はまだ行ったことがなかった。丁度いいからと歩き出した僕の頭には、まだ見ぬ世界への期待や探求心のようなものはなく、ただただ疑念で溢れていた。店長はだらけ始めたのではなく、もしかしたら何かに誘惑されて我を失っているだけなのではないかと。献身的になり過ぎて自分の事を後回しにしているのではないかと。親しくしてもらっていたからこそ、疑念は不安や心配という気持ちに変わっていく。
「ちょっといいかしら」
考えながらでは聞き逃してしまいそうな声を掛けられ、少し間は空いたが、それが僕に向けられていることが判って声の主を探す。
「やっぱり、機屋君ね」
道に沿って置かれているベンチの一つにそっと座る女性。その容姿から上品さがうかがえ、悪や恐怖と言った黒い雰囲気はない。しかし名乗る前から向こうは僕の名前を知っていた。仮面を被っているのではないかと警戒しながら近づく。
「私はその、彼の――――君の言う店長を誘惑してる人よ」
お前が犯人かと口調を汚くしながら思ったが、その言葉と反面、女性はふんわりとしたオーラを放っている。
「冗談よ。彼とは仲良くさせてもらっているだけだわ」
曰く、前に僕を見かけたときも僕は警戒の目をしていたらしく、それを使ってからかってみただけだとか。そう言えばこの女性と店長とが話しているのを見たことがある気がする。そう思うと、どこか安心し始めた自分がいた。
「彼のことを聞こうと思ってね」
確か店長はこの女性に誘われて店を閉めたはずだ。にもかかわらず、なぜ当の女性はここに居るのだろう。もしかすると僕は勘違いしていたのかもしれない。店長は一言も、この女性との用事と言っていないのだ。これは店長に申し訳ないことをしてしまった。
「機屋君から見て、彼のこと、どう思う?」
そんな思いは露知らずと言った女性は僕に聞いてくる。どう思うか。それはつまり、店長の日常を暫く傍で見ていた僕から見て、店長はどう映っているかということなのだろう。
「そうですね……」
元気でお茶目な明るい店長は、その年齢を感じさせないほど若々しい。どうすればあのように生きれるか教えて欲しいほどだが、少し違和感を覚えることもある。浮いているような、空虚のある言葉たち。
「明るくて、優しくて。でも、」
「でも?」
「……不思議なんです。まるで嘘をつかれているようで」
「彼は嘘をつくというの?」
「いえ、とてもまじめで誠実なのですが不器用と言うかなんというか……」
いざ伝えようとすると上手くまとまらないが、一口に、見本とするべき人とは言い切れないところがある、気がする。まだ店長を解り切っていないのか、時折見せる不可解な言動は疑問を増やすばかりであった。
「なるほどね」
しかし女性は、僕のとりとめのない物言いに対し、納得した様子でいる。
「彼は昔、下宿を引き受けたことがあるのよ」
それからのことはほぼすべて、僕が初めて聞くことだった。もう十年以上も前のこと。もともと店長のご両親が営んでいたあの書店の二階には居住区があったのだが、二人が高齢者住宅に移り、店長も別に家を持っていたため、その場所は使われていなかった。その部屋を、下宿先として遠い親戚の子供に貸すことになった。高校生の男の子だったその子はとにかく寡黙であったらしく、店長が会話をしようとも一向に打ち解けられずにいたのだという。そのうち受験期に入り、関係はさらに薄れていく。やがて店長も諦め始め、春が近づいてきたころ、一本の電話が入った。内容は至って簡単。子供が落ちたからもう暫く住ませてほしい、と。
了解の意を示して会話を終え、独り立ち尽くす店長の心には、忽然としたどよめきが湧き上がった。確かに自分は何もしていない、でも、それは良くも悪くもであって、自分が何もできなかったからこのような結果になったのではないか。もし自分が諦めず、例えば毎日声を掛けたり、若者の流行りを聴き集めて話題を出したりすれば、未来はこうならなかったかもしれない。そんな反実仮想と、自身の気の弱さとが葛藤したまま数か月、男の子の祖母が病に臥し、彼の両親が世話に追われ、家計が苦しいからと、男の子は実家に帰ったのだという。
そんな過去がありながら、実は店長、この出来事を忘れていたらしい。それが僕と話すことで蘇り、だんだんと、僕に対して法螺を吹いているような、頼りがたい状態になっていたのだと女性は語った。
「そんなときに君がああなって、大変だったのよ?」
「…………」
「もっとも、元気に戻ってきてくれたって、彼、喜んでいたのだけれど」
男の子は現在、フリーターのような生活をしているらしい。価値観は人それぞれだから、僕にその良し悪しを決める権利はないのだけれど、店長はあまり納得していないのだとか。
「ごめんなさいね、まだ落ち着いていないだろうに。こんなおばさんが余計なこと言って」
「いえ、別に――」
別に、思い出したわけではないですから。そう言おうとして、やめた。僕はまだ現実を受け入れられないでいるから、理解はしていてもセンチメンタルにはなっていない。ぼんやりと、思考と一緒に体も浮かび上がるような感覚に囚われ、気を正した。そうでないからと優しさを否定するのは、違う気がする。だから言い切る前に言葉を飲んだ。
「そう言えば、店長は?」
代わりに、ずっと気になっていた疑問を伝える。
「彼ったら、用事を思い出して直ぐ帰っちゃったわ」
少し俯いた女性の目線を追うと、今更ながら手に花束が握られていることを見つけた。紅紫の芍薬。有名な慣用句に用いられる様に、芍薬は女性の美しい様子として比喩されるこの花だが、その花言葉には『はにかみ』『謙遜』と言うものがある。偶然だろうけど、女性と店長の関係を表しているかのようにも思えた。
「出版取次の人との約束を忘れちゃうなんて、あの人らしいわね」
「え、」
丁度その時、まるでこの場を見ていたかのような着信音。店長からだ。
「お助け依頼が来たようね。いってらっしゃい」
「すいません、ありがとうございました」
自転車に飛び乗り、漕ぎ出す。それを見送る視線の内側の思いを、僕が知ることはなかった。
「いたた……」
背中を伸ばすとぽきぽき音が鳴った。まさか力仕事が待ち受けていたとは。小さな店舗に不似合いな大荷物。運んだ先は“元”居住区、お店の二階だ。初めて入るその場所は、好奇心より先入観に囚われた。元は親父たちの住処だったんだよ、と軽く言う店長の口から、その後の経緯を聞くことはなかった。その顔に、哀愁の色は見られなかった。思い出していないのか、乗り越えられたのか。僕には判断できないけれど、態々聞くつもりもない。その後はただひたすら荷物運びに没頭した。今日は早く眠れそうだ。
翌早朝。案の定の早起き。思いついたかのように本棚を眺めて、首を傾げる。お気に入りの本が、ない。明らかに、そこに本があったことを語る隙間が、非情に存在した。どこかに置き忘れたのだろうと、『あの本』と言う物体自体に思い入れが無い分楽観的に考えた。持ち歩いていたあの本が鞄になかったため、てっきり仕舞ったのだと考えていたが、そうではなかったからだ。普段ならあり得ないこと。それでもあの時なら、不注意になっていたかもしれない。
仕方なく別の本を取り出し、いつもの窓辺へと向かっている途中、また、歌が聞こえてきた。昨日とは違うゆったりとした曲調に、のびやかな声が、温かさを膨らませていく。聞いているだけで心を思い出の中へと誘う様な優しい曲は、しかし、唐突に止まった。
「あっ…………」
少女と目が合った。お互い何をするでもなく、ただ見つめ合い、そのうち少女の顔が赤く染まると、慌てて頭を下げてから走り去っていった。僕はそのまま目で追って、見えなくなった後、余韻に浸るように空を眺めていた。薄雲が泳ぐ、静かな空を。