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1 歌声は朝日とともに

 お久しぶりです。

 

 この作品は、自分が所属している文芸団体『黄桃缶詰』の文集『桃缶』の4巻に寄稿した作品を少し編集したものです。

『黄桃缶詰』へのリンクは目次ページ下部にあります。



 今心の中にあるものは あの確かな記憶の光だけ――



 遠くて近いような不思議なものだった

 あの輝く星は夜空に昇った


 夢を見てたのかな 妄想だったのかな

 信じきれない気持ちが ごまかした


 泣き顔は嫌われるから 隠してみるけれど

 ぽっかり空いたその穴を 埋められはしないよ



 もう悲しみはしない だからせめて

 夢の中でいいから会いたいな


 この心が願うのは光だけ――




 まだ薄暗い街中を、ほのかな朝日が照らしていく。雲一つない青空が、だんだん薄くなっていく。窓を開けると、日中の猛暑を感じさせないほど涼しい空気が流れてくる。その風が、澄んだ歌声を運んできた。ゆったりとしたテンポで伸びのあるそれは、聴く人を()き込む不思議な力を持っていた。思わずうっとりとしてしまいそうな声の中に、どこか切なさが隠れ、聴いているだけで、体の中を渦巻く何かが内側から訴えてきているような気がする。フレーズの余韻が、果てしなく広い世界とそれに対する人間の(はかな)さを見せつけてくる。

 誰かを求めるかのように歌は紡がれる。その声には迷いがあった。もがき、苦しみ、自問自答を繰り返しても見つからない答え。受け入れようとしても素直になれない自分がいて、現実逃避しようとしても、すでに諦めている自分がいて。ただの歌であるはずなのに、演じるかのように、いや、まるで己を語るかのように響いていく。

 なぜここで歌っているのか、という疑問は覚えなかった。そんなことはどうでもよかった。ただこの声を聴いていたい、と心から望んでいる。

 しかし、気付くと歌は終わっていた。たった二分足らずの出来事なのに、何時間も過ぎてしまったような感覚。ついさっきまで僕はここにおらず、どこか別の世界を浮遊していたのではないか、という幻覚に囚われた。ふと我に返り窓の外を眺めると、遠くに揺れる小さなポニーテールがあった。無意識に、まるで子供の様に、腕を伸ばして追いかけようとしていた。このまま見ているだけでは遠くへ行ってしまうと。そして、二度と会えなくなるのではないかと。初めて会うはずの少女に誰かが重なったのか、僕の心に寂しさと懐かしさが残った。

「今日、行こうかな」

 誰に向けるでもなく、無意識に(つぶや)いていた。



 向かうのはアルバイト先である個人経営の書店。最後に来てから、すでに二週間以上訪れていなかった。事情が事情だからと得られた休みだが、まだ心が治らないからといって、いつまでも休んでいるのは申し訳ない、と感じてきた。それに、悲しんでいるだけでは何も変わらない気がする。くよくよしている間にも周りは歩いているのであって、自分はただ取り残されるだけの存在。自ら動けば気付いてもらえる石ころのような存在から、動いても気付かれない空気のような存在になるのが怖かった。親の家にいた昔と違って、大学進学を機に一人暮らしを始めてから、誰かと一緒に居る時間が少なくなった。外出しなければ誰かと話すことはない。学校も、クラスのようなものがないから友人をつくる機会が少なく、一人でいることが多い。それはつまり、誰か他人から刺激を受けようと思ったら、あの書店に行くしかないと言うことだ。

 ぱっと着替えて外に出る。今日は自転車でもいいだろう、と右手はすでに準備し終えた自転車のハンドルに添えられていた。目立った特徴もない、『ママチャリ』といわれる(たぐい)の自転車。かごに入れるほどの荷物もなく、そのまま()ぎ出していく。

 家の前を通る道には、付き添うように小川が流れている。小川は自然にできたものなのか、はたまた造られたものなのかは分からない。たとえ人工のものであっても、ゆったり流れる小川は、都会の住宅地に穏やかさをもたらしている。普段は気にもならない小川さえも意識してしまうのは、きっとあの歌のせいだろう。今でも心を震わせるそれは気持ちを高ぶらせ、灰色めいた景色に色を付けてくれた。暗く重い雨雲が、歌という風に吹き飛ばされたかのように。今日の僕の心は空に負けないくらい晴れ渡っている。

 そうこうするうちに目的地に着いた。五分少々といったところだろうか。運動というには短すぎる移動を終えて書店に入る。いつも通り、お世辞にも賑わっているとは言えない店内の中ほどに一人、少し細めの中年男性がレジスターの前に腰かけていた。

「店長?」

「――ん? 誰かと思えば機屋(はたや)君じゃないか」

 彼は読んでいた冊子を閉じ立ち上がる。自分が来たことに驚いた様子はなく、だからといって何も言わず素通りするというわけでもない。いつも通りの店長だった。

「二週間も休んでしまい申し訳ないです……」

「良いって良いって。お前さんが辛い思いしてるのは分かってるし、そもそもうちは月雇いみたいなもんだから、あと二週間休んだからって(とが)めたりしないっての」

 どうやら自分が休んでいたことに対し罰はないらしい。もちろんアルバイトの休みが有給休暇扱いになるわけもないが、それで解雇としないのは彼のやさしさ故だろう。

「あと、俺のことはおじさんとかおっさんとか、何ならおっちゃんでいいからな!」

 持ち前の陽気さには困ることもあるのだが。



 彼と出会ったのは三ヵ月ほど前。一人暮らしにも慣れ始め、なんだかんだ後回しにしてきた地域探索、もとい家周辺の散歩をしていた休日のことだった。決して寂れているわけではないのだが、こぢんまりとした住宅地は人影が少なかった。しかし言い方を変えれば長閑(のどか)となり、人混みを避けてきた自分にとってはとても落ち着く雰囲気だった。小川に沿われた道も生活道路ではあるが、人通りが少ないため大きな店ができることもなく、小さな個人経営のお店が所々点在しているだけだった。しかし、そのようなお店には入りにくさがある。人の多い店では『見ていくだけ』ができるのだが、自分しかいない状態で『見ていくだけ』ができるほど勇気は持っていない。だからといって、求めていない何かを買うほどお金があるわけでもなく、結果として、知らない個人経営のお店の入り口は大きな壁に阻まれてしまうのだ。それにもかかわらず、一軒だけ躊躇(ためら)わず入れたお店があった。それがこの書店、安らぎ書房だった。買うためではなく、安らぐために来店してほしいという店長の願いが詰まった書店は、この落ち着いた住宅地に似合うものだった。一冊盗まれたら十冊売らないと赤字になると言われるこの業界で、店員が店に一人しかいないのに精算場所が店の中ほどにあるというのはにわかに信じがたいが、きっとこの街ならそのようなことは起こらないだろう。そもそもこの彼は気が付かない気もするが。

 僕がこの店に入れたのは、書店なら必ず買う必要がないだとか、他に客がいたからという理由ではない。正直なところ、今でもなぜ入れたのか分からない。ただ無意識に、足が店内へと連れていったのである。これが運命というものなのかは知る由もないが、何かに()き寄せられるように店の中へと入って行った。

 毎日通うほどでもないが、書店は昔から好きだった。というのも、読書家であるからに他ならない。そしてたまに、行ったことの無い書店へ行くのも楽しみの一つだった。同じ書店でも新しい本は手に入るが、似たようなジャンルの本しか手に入らない。個人経営の小さな本屋は、所有冊数で客を呼び込むことができないため、経営者の好みに合わせた商品を集めるところも少なくない。それ(ゆえ)いつもと違う書店に行くということは、新しいジャンルに出会うチャンスをつくることである。このときも、そんな心で本棚を眺めていた。

「おや、見かけない顔だね」

 不意にかけられた声だが、悪事を働くつもりではないので動揺しない。

「一月ほど前に、近くへ引っ越してきたんです」

「なるほどな。いやなに、ここらに若いもんは少ないからね。目新しい子は気になるってもんさ」

 悪事を未然に防ぐための声かけと思われたが、声の抑揚を聞く限りそうでもないようだ。

「四月からってことは、大学生かい?」

「ええ、まあ……」

「もしかして一人暮らし?」

「そうですけど……」

 一人暮らしを始める以前からあまり人と話さなかった弊害(へいがい)が、ここにきて支障をきたした。押しの強い人はあまり得意ではないが、話題が途切れる心配がないという点では話していて気が楽だ。もちろん、今の場合は除くが。

「なら俺に雇われてくんないか? なに、本を好きな気持ちさえあれば十分さ」

 大体予想出来ていた誘いだが、いざ言われてしまうとすぐに返す言葉が出てこない。

「左手に持ってるその本、お前さん見る目あると思うんだわ。一人暮らしならお金欲しいだろ? それにうちなら本も従業員価格で買えるから一石二鳥だと思うんさ」

 口調がどこか詐欺めいた感じがある。それが彼の性格によるものなのか、何か隠し事をしているからなのかが分からず、怪しみをもって目を見る。

「そんな怖い顔しないでくれんかね。俺もそろそろ力仕事がきつくなってきてな、日中も暇やし、話し相手が欲しいと思ってたところなんさ」

 仕事中を『暇』というのはどうかとも思うが、彼が何か企みをもって誘っているわけではないということは分かった。本への出費を減らせるというのはとてもありがたいことだし、彼の言う一石二鳥もその通りである。別段勉学の方で困ってはいないし、サークルは入るつもりがないから、ここで働くのもありではないかと思えてくる。

「週末だけでよければ」

「雇われてくれるんかね。あんがとな」

 僕の出した答えは、土日の二日間だけならいいというものだった。たとえ授業の方に余裕があるとはいえ、平日に働くほど時間がつくれるかは微妙だったからだ。それにしても、『雇われてくれる』という表現は書店の店長としてどうかと思うが、彼の口調の一部として気にしないことにしよう。

「じゃあ今日はどうする? 突然だし帰ってもいいんだがね」

「何をすればいいのですか?」

「おっと、肝心のそれ考えてなかったわ。そんじゃあ明日までに仕事まとめておくし、明日からでいいかい?」

「わかりました」

 こうして、やはり趣味で開いたお店なんだと理解しながら、自分はここでアルバイトをすることになった。



「あ、そうそう。お前さんのあれ、見たがってる子がいてさ。またお願いできるかね」

「もちろんです」

 彼の言う『あれ』とは、本の紹介ポップの事である。アルバイト勧誘時に想像した通り、店番は座っているだけの時間が長かった。その時間を利用して作ったのが事の始まりである。小学校の授業でつくったことのある紹介ポップ。あれは子供の遊びのようなものだったが、その経験と有り余る時間を使い、ノートまとめの要領で作り上げたそれは、頭で描いていたものをほとんど再現できていた。しかしそれは仕事中に遊んでいたのと同じことで、完成に満足していたのが迂闊(うかつ)だったのだろう。丁度裏から顔を出した店長に見つかってしまい、その場をどう抜け出そうと慌てたことは記憶に新しい。結果として彼はそのポップを気に入ってくれた。怒るどころか褒めてくれた時の安堵感は、十八年の人生で大学の合格発表に次ぐ二位にランクインするほど大きいものだった。以降時間を見つけては、じっくり書いていたのだが、アルバイトを休み始めてから手が止まっていた。本は服や食べ物に比べて流行りの移り変わりはゆっくりだが、まったく変わらないということはない。そんな流行りや自分が新しく見つけた本を紹介するため、週に一つや二つほどのペースで書いている。それが数か月分とあればさぞかし店内が賑やかになっていると思われるが、店長が設けてくれた自分のスペースに過去四つ分までしか飾っていないので、アルバイトを始めた当初からあまり変化はない。

 そんな、ちょっとしたスペースしかない自分の棚を楽しんでくれる人がいるというのは初耳だった。確かに自分がこの店にいる時間は短いが、それでも休日二日の日中ほとんどはここに居る。その間に来る客は素通りするか、興味を持ってもポップには目をくれず、本を手にするだけだった。本音を言うと、ただでさえ心が暗い今、意味があるかもわからないポップを書く気はなかったのだが、好んでくれる人がいるというなら別だ。『しなければいけない』という義務感ではない。誰かの為になることをしたいという心と、存在を失いたくないという足掻(あが)きと、何よりこう、元気付けてくれたお礼として書きたいのだ。

 何もしなければ忘れられてしまう。でも何をしていいか分からない。そんな悩みをどうにかしようとここに来たのは、どうやら正解だったようだ。

「じゃあ今日はあと頼んでいいかね? ついさっきお誘いが来てな、断ろうと思ってたところにおまえさんが来たんさ」

 この曖昧(あいまい)なことに対し、『どんな』や『だれから』という質問をするほど自分も野暮(やぼ)ではない。あくまで雇い雇われる関係なのだし、それ以前に大体想像できるからだ。

「わかりました」

「何時になるかわからんし、このまま店しめていいからな」

「あの……っ」

 そのまま店の裏、いわゆるバックヤードへと姿を消した彼には、僕の声が届かなかった。店じまいまで任されるのは今まで何度か経験があり、そこに驚いたのではない。今の時刻は朝十時頃。この時間から、何の準備をしていない僕一人に任せるというのは、昼食抜きの宣告と同じ意味を示しているのだ。店内の様子をうかがいながらバックヤードを覗くが、すでに人影は残っていなかった。最近食欲がないから大丈夫と自分を納得させ、会計場所に腰かける。そして、これから書くポップの構図を考え始めたのだった。



 結果として、その判断は間違っていたといえよう。ここ最近食欲が減っていたのは、ただ動いていなかったからのようで、久しぶりに頭を働かせていたら空腹はすぐに訪れた。ただこの持ち場を離れることはできないため、辛くも長い時間、客を眺めるのに使っていた。

 一人、なぜか懐かしさを感じさせる子がいた。記憶はないけれど、まるで心の中に眠っている子のような。はじめましてのはずなのに、昔は仲が良かったような。眠気はまったく感じていないのに、体が揺らぐような幻覚に囚われて。

 その子は何も買わずに店を出て行った。それでよかったのだと思う。もし何かを買おうと自分のもとにきて、声を聞いたら、自分が自分を保てていなかったような気がする。

 依然として静かに流れる空気が乱れることなく、今日の営業時間は終わった。シャッターを下ろして、本の並びを少し直して、電気を消す。帰り際に目に映った店舗内に、今日見かけた子とは別の、ある少女の姿を感じた。慌てて歩みを戻し営業スペースを見直すが、もちろん誰もいない。安心し、でも寂しいような、不思議な気持ちの中で店を後にする。


 あの少女は誰だったのだろう。

 いや、誰かはもうわかっている。

 ならなおさら見間違えじゃないか。

 たとえ僕の気持ちが動いたとしても。

 彼女はもう、いないのだから――――。






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