表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アムスホルン大陸記  作者: EDA
第四章 滅びの御子
96/244

エピローグ 凶運

2018.2/10 更新分 1/1

「さ、こちらです! 暗いので、足を踏み外さぬようにお気をつけください!」


 グワラムの文官ベルタの先導で、リヴェルたちは牢獄を脱することになった。

 階上に上がると、青ざめた顔をした他の文官たちが駆け寄ってくる。その手には、鞘に収められた長剣が何本も抱えられていた。


「剣士の皆さまは、どうぞこの剣を!」


 ベルタに助けられた罪人は、リヴェルたちだけではなかった。イフィウスを筆頭に、数十名もの人間が牢獄から解き放たれたのだ。その内の過半数は、どうやら武官に類する身分であるようだった。

 それらの者たちが、我先にと剣を引っつかむ。ゼッドのもとにもそれは届けられたが、ナーニャは皮肉っぽく笑っていた。


「剣だけ与えられても困ってしまうよね。まあ、せっかくだから受け取っておくべきなんだろうけど」


 左手で剣を受け取ったゼッドは、無言でそれを腰帯に吊るしている。右腕に大きな火傷を負っているゼッドは、篭手か何かで指先を固定しない限り、まともに物をつかむことはかなわなかったのだった。


「ベ、ベルタ殿、こちらの北の民にも武器を渡してしまってよろしいのでしょうか……?」


 と、若い文官が震える声でそのように述べていた。

 彼が言っているのは、もちろんタウロ=ヨシュのことである。ベルタもタウロ=ヨシュを救うべきかどうか悩んでいたのだが、ナーニャが彼を同行させない限り牢獄を出るつもりはないと言い張っていたので、無事に自由を得ることがかなったのである。


「うむ、それは……お、王子殿下、いったいどうするべきでありましょう……?」


「王子殿下は勘弁してくれないかな。僕は風来坊のナーニャだと言っただろう? ……剣については、タウロ=ヨシュ自身の意思を尊重してほしいところだね」


 タウロ=ヨシュはしばし難しい顔で黙りこくっていたが、やがて文官の手から剣を受け取った。


「おれがマヒュドラのへいしをきることはできない。しかし、おまえたちをきることもないと、ここでやくそくしよう」


 文官は、青い顔でその場から消えていった。

 その背中を見送ってから、ナーニャはタウロ=ヨシュに笑いかける。


「タウロ=ヨシュは、ますます難しい立場に立たされてしまったね。でも、君の言う通り、僕たちの敵は彼らでもマヒュドラの兵でもないのだと思うよ」


「ああ。あのきょじんめがあらわれたとあっては、おれたちもかたながひつようなはずだ」


 このグワラムは現在、十体もの氷雪の巨人に急襲を受けているのである。

 その間隙をついて、ベルタは虜囚たちの解放に踏み切ったとの話であったが、確かにこれだけ騒がしくしていても、マヒュドラの兵士たちが寄ってくる気配はなかった。


「しかし、城門には兵士たちが詰めかけているはずですので、我々は裏の通用門から脱出を果たしたいと思います。そちらならば、兵士たちの警護も手薄なはずですので……」


 ベルタが慌ただしくそのように述べたてると、ナーニャは「ふうん?」と小首を傾げた。


「それじゃあ君たちは、グワラムを捨てて逃げるつもりなのかな? さっきはこのグワラムを北の民から取り戻してほしい、とか言っていたはずだけれども」


「それよりもまず、西の民を解放するのが先決でありましょう。城下の町には、荘園で働く民たちの家族が囚われているはずなのです」


「ああ、マヒュドラ軍はその人質を盾にして、今でもグワラムの民を荘園で働かせているという話だったね。その人質たちを解放しようというのかい?」


「はい。その人質たちが囚われている場所も、すでに調べあげております」


 ベルタというのは貧相な風体をした小男であったが、今その茶色い瞳には義憤の炎が燃えていた。


「それらの荘園で働く民たちを解放すれば、グワラムの兵糧も時を待たずして尽きることでしょう。あとはマヒュドラ本国との補給線さえ断ち切ってしまえば、グワラムの軍を無力化することも容易であるはずです」


「なるほど。それも道理だね。……だけどそれなら、今さら僕などを担ぎ出さなくても、勝利を手にすることはできるのじゃないかな?」


「え? いえ、ですが、わたしなどは非力な文官に過ぎませんし……どなたかに武官の方々を率いていただかなければ、人質たちを解放することもできません」


「その役割なら、彼が担ってくれるだろう? 僕などよりも、よほど適任だ」


 ナーニャが視線を差し向けたのは、十二獅子将の副官という立場にあったイフィウスであった。

 鼻の辺りを金属の器具で覆った、不気味な風体の男である。グワラム戦役の生き残りであるという彼は、シュコーシュコーと不気味な呼吸音を撒き散らしながら、ナーニャたちのほうに近づいてきた。


「ヴァルダヌズよ、わだじはまだざぎぼどのごだえをぎいでいない……どうじでおまえが、ガノンおうじどごうどうをどもにじでいるのだ……?」


 ゼッドは無言で、イフィウスを見返した。

 イフィウスは、切れ上がった双眸を静かに光らせている。鼻から上唇までを覆った奇妙な器具と、下顎にこびりついた無精髭さえ除けば、実に貴族らしい凛然とした風貌である。が、なまじ端整な顔立ちをしている分、鼻に金属のクチバシのような器具を装着したその姿が不気味であった。


「ガノンおうじは、エイラのじんでんにゆうべいざれでいだはずだ……まざがおまえは、おうめいにぞむいでおうじをにがじでじまっだのが……?」


「今はそのような話を取り沙汰している場合でもないんじゃないのかな? 僕たちが謀反人であろうとなかろうと、氷雪の巨人たちは攻撃の手をゆるめてはくれないだろうからね」


 ナーニャがゼッドをかばうような位置に立ち、イフィウスの顔を真紅の瞳でねめつけた。


「それに、ゼッドは顔の火傷のせいで、口をきくのが難しくなってしまったんだよ。あなたも何か鼻の辺りに傷を負っているようだけど、そんな二人が呑気に語らっている猶予はないと思うよ」


「ええ、その通りです、イフィウス殿。まずはこの城砦を脱出し、民たちを救うべきでありましょう。それには、イフィウス殿とヴァルダヌス殿のお力が必要です」


 ベルタも必死な声をあげると、イフィウスは感情の読めない面持ちで首を横に振った。

 ベルタはそれを心配そうに見やってから、ナーニャに向きなおる。


「それでは、参りましょう。城門付近の兵士たちに気取られぬよう、いったん二階に上がってから、通用門を目指そうと思います」


 そうしてその一団は、足音を忍ばせて階段を上がることになった。

 リヴェルのかたわらを歩きながら、ずっと黙り込んでいたチチアが「やれやれ」と溜息をこぼす。


「マヒュドラの兵士だけでも厄介だってのに、あの化け物どもが待ち受けてる外に出ようってのか。こいつら、自分がどれだけ危ない真似をしようとしているのかも、まるでわかっちゃいないんだろうね」


「そ、そうですね……でも、このままここに留まっていても、きっと処刑を待つだけでしょうから……」


「ああ。表に出たら、トトスをぶんどってでも逃げ出すしかないだろうね。王子様と将軍様が、こいつらにおかしな情けをかけなきゃいいんだけど」


 そう言って、チチアはべえっと舌を出した。

 いつも通りの、不敵で荒っぽいチチアである。それは、リヴェルの心を大いに慰めてくれた。


「その前に、まずはゼッドのために篭手と、僕のためにラナの葉を手に入れたいところだね。そうじゃなきゃ、十体もの巨人どもから逃げのびることなんてとうていできはしないはずだよ」


 ナーニャも悪戯小僧のように微笑みながら、顔を寄せてくる。

 やはり、グワラムの民を救おうなどという気持ちは、さらさらないようだった。ゼッドとタウロ=ヨシュは、そんなナーニャたちをはさみこむようにして足を急がせている。


 そうして一同は、ようやく二階に辿り着いた。

 石の回廊が、正面と右手側にのびている。先頭をいくベルタは、正面の道に足を踏み出した。


「突き当たりを右に進めば階段があり、それを下りれば通用門は目の前です。何名かは見張りの兵士がいるでしょうから、くれぐれもご用心ください」


 その言葉を聞いて、ナーニャの歩調が遅くなった。

 マヒュドラの兵士と刀を交える気持ちはない、ということなのだろう。それに、ゼッドが刀を扱えない現在、こちらの戦力はタウロ=ヨシュただひとりであるのだった。


 刀を手にした武官たちが、次々とナーニャたちのかたわらを追い抜いていく。誰もが苦しい虜囚としての扱いを受けていたのに、その面にはいずれも悲壮なまでの決意をみなぎらせているようだった。


「……外は日没が近いみたいだね。それなら、かがり火が燃えていることに期待できるかな」


 ナーニャが、低い声でそうつぶやいた。

 どうやらこの回廊は外壁に面しているらしく、高い位置に明かり取りの窓が切られていたのだ。そこから差し込む陽光は弱々しく、回廊は非常に薄暗かった。


「どうも巨人たちは、この壁のすぐ向こう側にまで迫っているみたいだ。こいつはよほど気を引きしめておかないと――」


 ナーニャがそのように言葉を重ねようとしたとき、凄まじい衝撃が回廊を揺るがした。

 リヴェルとチチアは転倒し、思わず悲鳴をあげてしまう。他の人々も、愕然としたように周囲を見回していた。


「な、何だ、今のは? 投石器か?」


「い、いや、氷雪の巨人などという妖魅がそのようなものを使うはずが――」


 そんな声も、再びの衝撃によってかき消される。

 地震いのように、世界が揺れていた。石の壁が軋みをあげて、ぱらぱらと砂塵をこぼしてくる。リヴェルは恐怖のあまり、立ち上がることもできなかった。


「大丈夫かい、リヴェル? さ、つかまって」


 片方の膝をついていたナーニャが、白い指先をのばしてくる。

 リヴェルが震える指先でそれをつかみ取った瞬間――世界が、崩落した。


 これまでとは比べ物にならない衝撃が走り抜けて、足もとが鳴動する。

 ナーニャの熱い腕に抱きすくめられながら、リヴェルは分厚い石の壁が崩れ落ちるさまを見た。


 崩れた石に圧し潰されたのか、耳をふさぎたくなるような断末魔があちこちから響きわたる。

 リヴェルはナーニャの熱い胸もとに取りすがりながら、ぎゅっとまぶたを閉ざしてしまった。


 それから、どれほどの時間が過ぎ去ったのか――

 世界の崩落する音色が止まると同時に、狂ったような哄笑が爆発した。


「ようやく見つけたよ! あんたは、こんなところに隠れていやがったんだね!」


 それは、幼い少女の声だった。

 幼い少女の声であるのに、そこにはおぞましい悪意と嘲弄の念が込められている。


 リヴェルは、おそるおそるまぶたを開いた。

 すると――信じ難いものが、リヴェルたちを見下ろしていた。


 氷雪の巨人である。

 城砦の壁が崩れ落ちて、その向こう側から、氷雪の巨人がリヴェルたちを見下ろしていたのだ。


 しかし、真なる悪夢は、その頭上にあった。

 青い鬼火のごとき双眸を燃やす、氷と雪でできた巨人の頭――その頭頂部から、幼い少女の上半身がにゅうっと生えのびていたのだ。


 年齢は、リヴェルとそう変わらないぐらいだろう。

 黄金色の渦巻く髪が、腰よりも長く垂れている。その肌は抜けるように白く、瞳は紫色をしており、西の言葉を使ってはいたが、北の生まれであることは明白であった。


 そのほっそりとした身体には、何ひとつ纏っていない。ただその豊かな黄金色の巻き毛だけが少女を彩っており、そして、その白い裸身もうっすらと氷雪に覆われているようだった。


 顔立ちは、作りもののように美しい。

 どこかナーニャとも通ずるところのある、人外じみた美しさである。

 その美しい白皙に、少女はまたとなく邪悪で残忍そうな笑みを浮かべていた。


 そしてもう一点、その少女には尋常ならざる部位が存在した。

 高く秀でた額の真ん中に、第三の瞳が瞬いていたのである。

 その少女は、氷雪の巨人の頭の上から、紫色に燃える三つの瞳で、リヴェルたちを傲然と見下ろしていたのだった。


「ついこの間、あたしの可愛い巨人をどろどろに溶かしてくれたのは、あんたなんだろう? あんたの他に、そんな真似をできるやつがいるわけはないもんねえ。あんたとあたしは同じ神に仕える身であるはずなのに、どうしてそんな真似をしてくれたのさ?」


 美しい顔を醜く歪めながら、少女はそのように言いつのった。

 リヴェルの身体を抱きすくめながら、ナーニャは低く笑い声をこぼす。


「君はいったい何を言っているのかな? 僕はどのような神にも仕えた覚えはないよ」


「ふざけたことを抜かしてるんじゃないよ! あんたとあたしは、同類さ! あんたにだって、それぐらいのことはとっくにわかってるんだろう?」


 少女は、再び哄笑を爆発させた。

 その間に、空気はどんどんと凍てついていく。巨人のもたらす冷気と少女のもたらす恐怖によって、リヴェルは歯の根も合わないほど震えることになった。


「まあ、同じ神っていうのは、ちょいとばっかり言葉が過ぎたかもしれないね。でも、あたしらの魂の行き着く先は、同じ場所だ。だったら、仲良く手を携えるべきなんじゃないのかねえ?」


「…………」


「あたしの名前は、メフィラ=ネロだ! 氷神の御子、メフィラ=ネロだよ! 火神の御子、あんたはなんて名前なんだい?」


 ナーニャは答えず、ただリヴェルの身体をいっそう強い力で抱きすくめてきた。

 その身体には、燃えさかる炎のような熱が宿っている。


「まあ、名前なんざどうでもいいか。とにかく、とっととこの忌々しい世界を滅ぼしちまおうよ。あたしらは、そのためにこそ存在するんだからさ。ねえ、火神の御子?」


 少女、メフィラ=ネロは白い咽喉をのけぞらして笑い声をあげた。

 その笑い声は、まるで底の見えない深淵から響き渡るかのように世界を震わせた。


 リヴェルは何をどのように考えるべきかもわからぬまま、ひたすらナーニャの胸に取りすがっている。

 ナーニャの身から感ぜられる熱だけが、リヴェルの正気をつなぎとめるよすがであった。


 だけどリヴェルは、虚ろになった頭の片隅で、確かに理解していた。

 ナーニャの言う凶運とは、この少女のことであったのだ。

 ナーニャにとって、この少女こそが運命そのものであった。

 ナーニャが人の子として生きるには、この恐ろしい運命を退けなければならなかったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ