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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第四章 滅びの御子
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Ⅳ-Ⅳ 決起の夜

2018.1/27 更新分 1/1

 ダリアスは、暗黒の中を歩いていた。

 目の頼りとなるのは、レィミアの掲げた燭台のかぼそい光のみである。


 そこは、ダーム公爵邸から外界へと通ずる地下の抜け道の途上であった。

 防衛兵団を名乗る兵士たちの手から逃れて、この暗黒の中に身を投じてより、すでにずいぶんな時間が過ぎている。それはまるで、終わりのない悪夢の中に足を踏み入れてしまったような心地であった。


「トレイアス殿、この道はどこまで続いているのです? これだけ歩けば、屋敷からはもうずいぶんと遠く離れているはずでしょう?」


「そうは言っても、真っ直ぐ外界に向かっているわけではないからな。もともと地下に眠っていた鍾乳洞を利用して作らせた抜け道なのだから、多少の遠回りは勘弁していただこう」


 レィミアのかたわらを歩きながら、トレイアスは笑っている。これだけの急変に見舞われたというのに、トレイアスはいっさい心を乱している様子もなかった。


 確かにその抜け道は、足もとが申し訳ていどに平たくならされているばかりで、その他は天然の鍾乳洞であるようだった。道はくねくねと折れ曲がり、時にはせまく、時には広くと様相を変えながら、果てしもなく続いている。天井からは冷たい水滴がしたたり落ち、空気はひんやりと頬を撫で回してきた。


 今のところ、追っ手が迫ってくる気配はない。三人が地下まで降りた後、トレイアスが壁に設置されていた装置を操作すると、秘密の入り口はまたぴったりと閉ざされてしまったのだ。あとはフゥライさえ口をつぐんでくれていれば、このような抜け道を発見することも難しいはずであった。


「それにしても、まさか俺にシーズ殿を殺した疑いをかけようなどとはな。さすがにここまで強引な手を打ってくるとは考えもしなかったわ」


 トレイアスの陽気な声が、鍾乳洞に響きわたる。

 周囲を油断なく警戒しながら、ダリアスは「ええ」と応じてみせた。


「もしかしたら、シーズが間諜であったということがトレイアス殿に露見したのだと疑ったのではないでしょうか。そうであれば、トレイアス殿の口を封じようと考えるのも不思議ではありません」


「ふむ。しかし、シーズ殿は死の間際にも、その何者かの正体は語ってくれなかったのであろう?」


「はい。その前に、あの使い魔という妖魅がシーズの生命を奪ってしまいましたので。俺たちが聞き取れたのは、『ジョ』という最初の一文字だけです」


 そこでダリアスは、自分の中に生じた思いもここで伝えておくことにした。


「今のところ、一番あやしく思えるのは十二獅子将のジョルアンめです。そして今日、あの防衛兵団の兵士たちを迎えたことによって、ますます疑いは深まったように思います。防衛兵団というのは、その半分がジョルアンのかつての部下たちなのですからね」


「ふむ。しかし、いかに兵団の長といっても、そこまで好きに兵士たちを動かせるわけではなかろう?」


「だからこそ、です。王都の兵団の中に、このような陰謀に加担する人間がそう多く存在するとは思えません。今日トレイアス殿を襲った連中も、かつて俺を襲った連中も、すべて同一の存在であるのではないでしょうか?」


「なるほど。まったく、剣呑な話だな」


 そのように述べたのち、トレイアスがふいに足を止めた。


「ようやく到着だな。ここが出口だ」


 鍾乳洞は、まだまだ際限なく続いているように感じられた。

 しかし、立ち止まったトレイアスの右手側に、細い横道がぽっかり穴を空けている。そして、その壁面の奥まった場所には最初に見たのと同じような金属製の取っ手が設置されていた。

 何も知らずにこの場所へと踏み込んだ人間は、きっとこんな横道など気にもかけずに歩を進めることだろう。そうしたら、この先にはいったい何が待ち受けているのか。もしも出口のない迷路が続いているばかりだとしたら、そんな恐ろしい話はなかった。


「では、開けるぞ。いちおう、用心しておくがいい」


 横道に入り込んだトレイアスは、無造作にその取っ手を下側に引き倒した。

 べつだん、何かが動いた気配もない。暗闇に閉ざされた横道の内部も、静まりかえったままであった。


「十を数える内に閉まってしまうからな。遅れるなよ、ダリアス殿」


 トレイアスとレィミアは、急ぎ足で横道に踏み入っていった。

 道は途中から不規則な高さの階段となり、そこを抜けると、これまでよりも確かな石の床の感触が感じられた。


「そら、うかうかしていると跳ね飛ばされるぞ、ダリアス殿。もっとこちらに身を寄せるがいい」


 トレイアスの声に従って燭台の明かりのほうに歩を進めると、背後から巨大な何かが迫ってくる気配がした。

 振り返ると、ダリアスよりも背の高い木造りの棚が、生あるもののようにすうっと床を滑っている。そうして足もとの抜け道を完全にふさいだところで、棚はぴたりと動かなくなかった。


「……ここは、どこなのだ?」


「港町との境にある、俺の別邸だ。ただし、この屋敷が俺の持ち物であるということは、ごく限られた人間にしか知らされてはおらんがな」


 そこはどうやら地下の部屋であるらしく、けっきょく一同は暗黒に包まれたままであった。燭台の光に照らされているのは、石造りの壁と床だ。隠し通路の入り口を隠した棚には酒瓶がぎっしりと詰め込まれており、部屋の壁際には酒壺がいくつも並べられている。


「この隠し通路が作られたのは俺の祖父の代だから、今ではこんなものが存在すると知る人間もいないことだろう。俺としても、自分が使う羽目になろうなどとは考えていなかったのだがな」


 そのようにつぶやきながら、トレイアスは奥のほうの壁に近づいていった。

 そこに設置されていたのは、頑丈そうな木造りの扉だ。トレイアスは、懐から取り出した鍵でその扉を開けた。


 扉の向こうはすぐに石段となっており、それを昇ると、また扉が待ちかまえている。その鍵も外して扉を開くと、今度は細長い通路であった。


 その通路の突き当たりに出現した扉を開くと、ようやく広々とした空間に出た。

 とはいえ、いっこうに明るくならないので、細部はわからない。ただ、床には絨毯が敷かれており、大きな卓や椅子の影なども見て取ることができた。


「この屋敷を出る前に、これからなすべきことの確認をしておこうか。さきほども言った通り、俺はダーム騎士団の副団長たるムンドル殿を頼るべきだと考えているが、どうだ?」


「ええ。ムンドル殿であれば、シーズの悪事に手を貸していたこともないとは思いますが……ムンドル殿を頼って、その後はどうするのです?」


「むろん、俺の屋敷を汚してくれた馬鹿どもを返り討ちにする。俺たちはすでにあやつらを手にかけてしまったのだから、そうする他に道はあるまい」


「それは同感ですが、ムンドル殿を頼るというのはダーム騎士団を頼るという意味でしょう? 王国の忠実なる騎士たちが、まがりなりにも防衛兵団と刃を交えようとするでしょうか?」


「だから、それを説得するのがおぬしの役目であろうよ、ダリアス殿。俺はあの堅物のご老人と折り合いがよくないので、何とかおぬしに説き伏せてもらいたい」


 暗がりの中で、ダリアスは溜息を噛み殺すことになった。


「俺とて、ムンドル殿とそこまで親しいわけではないのですが……しかし、そうする他ないのでしょうね。こうしている間にも、屋敷に残してきた者たちがどうなってしまうかもわからないのですから」


「よし。それでは、騎士団の兵舎に向かうか。こちらに外套の準備があるので、支度を整えるとしよう」


 三人はそれぞれ旅用の外套を纏って、頭巾まで引き下ろした。

 なおかつ、ダリアスは返り血に濡れた長剣をそこに残し、新たな長剣を拝借する。ダリアスが手にしていたのは兵士の一人から奪った刀であり、鞘もなかったので抜き身のままであったのだ。


「準備はいいな? では、出発だ」


 燭台を持ったレィミアを先頭に、屋敷を出る。

 その屋敷は郊外の奥まった場所にぽつんと建てられており、周囲は雑木林であった。

 しばらく歩くと、しっかり踏み固められた街道に出る。まだ日が沈んでそれほどの時間は経っていないはずであったが、辺りに人の気配はなかった。


「西に進めば港町で、東に進めば貴族の居住区だ。兵舎までは、東に歩いて四半刻といったところだな」


 三人は、なるべく身を寄せ合って街道を進んでいった。

 空を見やると、薄くたなびいた雲の向こうに青白い月が浮かんでいる。いざというときは月明かりだけでも道を進むことはできそうだった。


「……ずいぶん静かにしているが、何か俺に文句はないのか?」


 ダリアスが呼びかけると、レィミアは光の強い目でにらみつけてきた。


「あたしは主様の忠実な下僕だからね。あんたが裏切るようだったら、いつでもその首筋に毒針を突きたててやるから、覚悟しておきな」


「俺がトレイアス殿を裏切る理由はない。というか、ともに手を携えようと言い続けていたのは、俺のほうなのだぞ」


「ふん! あんたたちさえ現れなければ、こんな羽目にはなっていなかったんだ。あんたが疫病神だってことに変わりはないんだよ」


「いや、だから、俺が現れる前から、トレイアス殿は王都の何者かに見張られていたのだろう? 俺は、たまさかその場に居合わせただけのことだ」


「いーや、違うね! あのティートとかいう木っ端神官が現れるまでは、何もおかしなことは起きてなかったんだ。あいつが余計なことを嗅ぎ回っていたおかげで、あの男前の騎士団長様も悪党として働くことになっちまったんだろう? だからやっぱり、この騒ぎはみんなあんたたちのせいなのさ!」


 言われてみれば、それはその通りなのかもしれなかった。

 シーズはダームと王都の間を行き来する使者なども手にかけていたようだが、それ以外に悪さを働く様子はなかったのだ。そのままトレイアスが知らん顔をしてダームに引きこもっていれば、それ以上の騒ぎは起きなかったのかもしれない。


「……しかしそれでも、王都の何者かがトレイアス殿を見張っていたことに変わりはない。その何者かは、王都で起きた陰謀劇にトレイアス殿が介入することを危惧していたのだろう」


「だから、主様はそんな陰謀劇なんざに関わる気はなかったって、さんざん言ってたろうよ!」


「トレイアス殿は、五大公爵家の一翼を担う立場であろうが? 王都で異変が生じたのならば、我関せずを決め込むことなど許されないはずだ」


 レィミアはなおも何かわめきたてようとしたが、トレイアスが「もういい」と苦笑まじりにさえぎった。


「何にせよ、俺はもうぞんぶんに巻き込まれてしまったのだ。あとは力ずくでも、この窮地を脱する他ない。……それでその前に、ダリアス殿にひとつ確認しておきたいのだがな」


「ええ、何でしょうか?」


「……俺たちの敵は、誰なのだ?」


 ダリアスは、ひそかに息を呑むことになった。

 トレイアスは前方を向いたまま、普段と変わらぬ様子で笑みを浮かべている。


「今のところ、もっともあやしげであるのは十二獅子将のジョルアン殿であるようだ。しかし、すでに元帥の座にまでのぼりつめたあの御仁が、今さら俺の存在を取り沙汰する理由はないように思える。だいたい、あの御仁がどのように悪辣な手段をもちいて現在の地位を手に入れたとしても、俺には関わりのない話であるしな」


「ええ、まあ……それはそうなのかもしれません」


「シーズ殿を間諜に仕立てあげた何者かは、どうして俺を王都から遠ざけようとしたのだ? ダーム公爵たる俺に介入させたくない陰謀というのは、いったい何なのだ? おぬしとクリスフィア姫は、いったい誰と刃を交えようとしているのだ?」


 普段通りの明朗な声音であるのに、ダリアスはそれを受け流すことができなかった。

 ここで適当な返事を返せば、即座にレィミアへと穏やかならざる命令が下されるかもしれない。そんな危機感を、ダリアスは肌で感じ取ることになったのだった。


「それは……俺たちにもわかりません。わかっていれば、トレイアス殿にも正直にお話ししていたことでしょう」


「ふむ。その言葉を、俺に信じよと?」


「はい。ただ、ひとつだけ打ち明けていない話がありました。俺たちは……これが、赤の月の災厄にまつわる陰謀なのではないかと疑っています」


 迷った末に、ダリアスはそう告白した。

 暗い道をひたひたと進みながら、トレイアスは「ほう」と声をあげる。


「赤の月の災厄か。前王らの死までもが、ひとつながりの陰謀であると?」


「確かなことは、言えません。ただ、俺はあの災厄の夜に、王宮に向かおうとする途上で衛兵たちに襲われることになったのです。それに……俺を助けてくれた聖教団の人間も、これらはすべて同じ根を持つ陰謀なのではないかと疑っていました」


「なるほどな。では、おぬしたちは前王の死の真相を突き止めようと考えていたのか」


 トレイアスは、肉厚の肩をひょいっとすくめる。


「それでようやく、合点がいった。それほど大がかりな陰謀であれば、俺が介入しようとするのを恐れるのも当然だし、本来は無関係であるクリスフィア姫が躍起になるのもうなずける」


「……はい。これまで隠していたことは、申し訳なく思っています」


「ふふん。そんな大がかりな話では、ますます俺が臆病風に吹かれると危ぶんだのだろう。それも、当然の話だな」


 トレイアスの横顔は、まだ陽気に笑っている。

 いっぽう、レィミアはさりげなく外套の内側に片手を差し込みながら、ダリアスたちのやりとりを聞いていた。


「まあ、あれだけの災厄が立て続けに起きれば、その裏に何か悪巧みがあるのではないかと疑うのが当然だ。そうだからこそ、俺も使者を放って王都の様子を探らせようとしていたのだからな」


「そうですか。では――」


「とりあえず、込み入った話は後回しだ。騎士団の兵舎が見えてきたようだぞ」


 ダリアスも、視線を前方に差し向けた。

 暗がりの高い位置に、かがり火が燃えているのがわかる。兵舎を取り囲む石塀の上で、夜警のために明かりが灯されているのだろう。


「そして、何やら騒がしい気配がするな。レィミア、見つからぬ内に燭台の火を消しておけ」


 トレイアスの命令によって、辺りが暗闇に包まれた。

 しばらく目がなれるのを待ってから、再び兵舎に近づいていく。すると確かに、石塀の中から喧騒の気配が伝わってきていた。


「こいつはまずいな。敵に先手を打たれたのかもしれんぞ」


 三人は、なるべくかがり火に照らし出されないように街道の外にまではみだしながら、歩を進めていった。

 そうしてようやく兵舎の門にまで辿り着くと――トレイアスの言葉が事実であったことが知れた。


 門の脇には何台かの車がとめられて、その周囲に兵士たちが立ち並んでいる。ダームの騎士団ではなく、銀獅子の紋章を胸もとに掲げた王都の兵士たちだ。

 そして、門の内側には大勢の兵士たちがひしめき合っている。甲冑ではなく平時のお仕着せを纏った、騎士団の兵士たちだ。


 そんな中、両腕を背中の側でくくられて、王都の兵士たちに引っ立てられている人間がいた。

 長身で、筋張った体格をした老人である。毅然と頭をもたげて、王都の兵士たちを忌々しげに睥睨しているその人物は、ダーム騎士団の副団長ムンドルに他ならなかった。


「騎士団を制圧するために、ムンドル殿をも罪人として拘束しようというのだな。さて、どうしたものかな、ダリアス殿よ?」


「むろん、ムンドル殿をお救いするしかないでしょう。このような無法を許すわけにはいきません」


「しかし、敵の数は二十名にも及ぶようだぞ。いったんムンドル殿の身柄はあきらめて、兵士どもが姿を消してから騎士団の連中に協力を仰ぐというのも、ひとつの手なのではないかな」


 ダリアスはしばし考えを巡らせてから、「いえ」と答えてみせた。


「シーズばかりでなくムンドル殿をも失ってしまえば、騎士団の統率が取れません。また、それで騎士団を味方につけることができたとしても、ムンドル殿を人質にされてしまったら、彼らもうかつに動くことはできなくなるでしょう」


「では、二十名の兵士を相手取るのか。それで、勝算はあるのかな?」


「……それは、騎士団の力にかかっているでしょうね」


 トレイアスは、暗がりの中でにやりと笑った。


「戦にかけては、十二獅子将たるダリアス殿の采配に任せる他なかろうな。背中はレィミアに守らせるので、好きにやってみるがいい」


「承知しました」という言葉とともに、ダリアスは抜刀した。

 外套はその場に脱ぎ捨てて、長剣の柄を握りしめる。


 ひとたび呼吸を整えたのちに、ダリアスは地を蹴った。

 目指すは、ムンドルを引っ立てている兵士どもだ。


 門の内側にばかり気を取られていた見張りの兵士たちは、ダリアスが通りすぎるまで動くことはできなかった。

 ダリアスは、問答無用で兵士の一人を斬り捨てる。

 さらにもう一人の兵士も斬り捨てて、ムンドルの身柄を確保してから、ダリアスは渾身の力で咆哮をあげた。


「この者どもは、叛逆者だ! 罪もなきムンドル殿を処断して、ダーム騎士団を無力化しようと目論んでいる! ダームの騎士たちよ、叛逆者どもを一掃せよ!」


 戦場で鍛えあげた、ダリアスの声音である。その勢いに一瞬立ちすくんでから、騎士団の兵士たちはいっせいに抜刀した。

 誰もがムンドルを捕縛されたことに不審の念を抱いていたのだろう。その面にはたちまち怒りの形相が浮かびあがり、我先にと王都の兵士たちに立ち向かっていった。


「な、何をするか! 我々は、王命を受けているのだぞ!」


 小隊長の房飾りをつけた小男が、悲鳴のような声をあげていた。

 ダリアスは、さらなる咆哮でそれをかき消してみせる。


「騙されるな! こやつらは、ダーム公爵トレイアス殿をも手にかけようとしていたのだ! 国王陛下が、そのような命令を下すはずはない!」


 完全に虚を突かれた様子で、王都の兵士たちは逃げまどっていた。

 しかし、そうでなくとも騎士団の兵士たちは数百名ばかりも押し寄せていたのだ。怒れる騎士団の前で、彼らにあらがうすべはなかった。


「一兵たりとも逃がすなよ! そして、指揮官だけは殺さずに拘束せよ!」


 最後の命令を発してから、ダリアスはムンドルの腕のいましめを断ち切った。

 それと同時に、ムンドルが驚愕しきった眼差しを向けてくる。


「おぬし……おぬしはまさか、ダリアス殿なのか? おぬしは赤の月から行方知れずだと聞いていたのだが……」


「はい、ご無沙汰しておりました、ムンドル殿。事情はのちほど説明させていただきます」


 王都の兵士たちは、のきなみ掃討されたようだった。

 何名かは、生きたまま捕らえられたようである。おそらくは、自ら刀を捨てて投降したのだろう。


「見事な手際であったな、ダリアス殿。レィミアの出番もなかったようだ」


 と、二名の武官に付き添われたトレイアスとレィミアが近づいてくる。その姿を見て、ムンドルはまた目を丸くした。


「トレイアス殿か。では、さきほどの言葉も真実であったのだな」


「うむ。ダリアス殿のおかげで、おたがいに生命を拾ったようだな。まったく、とんでもない夜であったよ」


 トレイアスは、実に満足そうな顔で微笑んでいた。

 それを見届けてから、ダリアスは周囲の兵士たちに声をかける。


「叛逆者どもの指揮官をこちらに連行せよ! 俺とムンドル殿が、その罪を吟味する!」


 兵士たちが、小隊長の小男をこちらに引きずってきた。

 がっくりとうなだれていたその人物が、顔を上げるなり、蒼白となる。


「そ、そんな……どうしてお前が、こんなところに!」


「やはり、お前だったか。声を聞いて、そうではないかと思っていたのだ」


 ダリアスの胸に、煮えたつような激情がわきおこっていた。

 左右から兵士たちに腕をつかまれた、貧相な風貌をした小隊長の小男――それは、かつて城門の前でダリアスを襲撃し、そののちには鍛冶屋通りでギムとラナを連行しようとした一団の指揮官であったのである。


「ようやく尻尾を捕まえたぞ、悪党め。お前たちがどれほどの罪を犯そうとしていたのか、すべて白日のもとにさらしてやろう」


 小男は、恐怖の表情でがたがたと震えていた。

 ダリアスは、刀の血を払いつつ、ムンドルに向きなおる。


「ムンドル殿、事情を説明する前に、残りの叛逆者どもを片付けねばなりません。おそらくダーム公爵邸にも手勢が潜んでおりますので、どうかご命令をお願いいたします」


「ふむ。事情はわからんが、ここはダリアス殿に従う他あるまいな。……第一中隊は、武装を整えてトトスの準備をせよ! 残る敵は、ダーム公爵邸だ!」


 有事には、マヒュドラやゼラドの軍とも刃を交える、歴戦の勇士たちである。副団長の号令を受けて、数十名の兵士たちが兵舎のほうに駆け去っていった。


「捕らえた叛逆者どもは、第二中隊が連行し、拘束せよ! 残る敵を掃討したのちに、あらためて罪を吟味する!」


「ふむ。まるで戦場だな。いよいよ剣呑なことになったものだ」


 ダリアスが振り返ると、トレイアスはまだ同じ表情で笑っていた。

 これだけの騒ぎになったというのに、まったく臆している様子はない。そのふてぶてしさだけは、驚嘆に値するはずだった。


 ダームの騎士団が、王命で動いていると申したてている兵士たちと刃を交えてしまったのだ。もしもジョルアンの裏に新王ベイギルスが潜んでいるならば、これで王家と公爵家の間に大きな戦乱が生じてもおかしくはなかった。


(……いずれにせよ、俺は俺の敵を倒すだけだ)


 そのように念じながら、ダリアスは長剣を鞘に落とし込んだ。


(そして、それよりもまず、ラナたちを救わなければ……無事でいろよ、ラナ)


 ダリアスもまた、トトスを借り受けるために兵舎へと足を踏み出した。

 その身には、武人としての血が騒いでいる。これまで手負いの獣のように隠れ潜んでいたダリアスも、ついに真っ向から敵と相対する瞬間が差し迫っているはずだった。

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