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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第四章 滅びの御子
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Ⅲ-Ⅳ 狼煙

2018.1/20 更新分 1/1

 クリスフィアは、貴公子と貴婦人であふれかえった祝宴の場に足を踏み出した。

 追従するのは、フラウとレイフォンとティムトの三名だ。行動を別にしたディラーム老とロア=ファムの姿は、すぐに人混みにまぎれて見えなくなってしまった。


「ええい、なんという人の数だ。どいつもこいつも、呑気そうな顔で酒杯など傾けおって」


 クリスフィアが小声で不平を述べたてると、すぐかたわらを歩いていたレイフォンがにこやかな笑顔を差し向けてくる。


「それはまあ、戴冠式の前祝いだからね。このような場で呑気にしていないのは私たちぐらいなのだろうと思うよ」


「……失礼ながら、レイフォン殿はいつでも呑気そうにしておられるように見えてしまうがな」


「うん。私などは、しょせんお飾りに過ぎないからね。……ああいや、もちろんこのたびの話には、私だって憂慮しているよ」


 知略の源が従者のティムトであると明かして以来、レイフォンは生来の呑気さを隠そうともしなくなったようだった。

 しかしこう見えて、レイフォンは媚薬で凶暴化したロネックを素手で取り押さえることもできる力量を有しているのだ。クリスフィアは、まだこの見目麗しい貴公子にどのような評価を下すべきか、思案している最中であった。


「そういえば、トレイアス殿は調査隊に協力するためにこの祝宴を欠席するという話であったけれど、その裏にはあんな陰謀が隠されていたということなのだね」


「うむ。まさか、すでに罪人として処断されてしまった、などということはあるまいな?」


 クリスフィアが小声で問うと、ティムトが「はい」と応じてきた。


「さすがに五大公爵家の当主を審問もなく処断することはできないはずです。しかし、シーズ様を謀殺した疑いをかけられて、身柄を拘束されている可能性は否めないでしょうね」


「それで、その後はどうするのだ? 審問など開いても、トレイアス殿を罪人に仕立てあげることはかなうまい?」


「そうですね。もしも僕が、トレイアス様を亡き者にしようと考えるなら……トレイアス様が逃亡をはかったという体で、王都に連れ帰る前に斬り捨てるしかないように思います」


 そのようにつぶやきながら、ティムトがじっとクリスフィアを見上げてくる。


「ですが、今のところはそういった報告が王都に届いた様子もありません。ダームではいったいどのような騒ぎになっているのか、想像することすら難しい状況であるようですね」


「ふん。ダリアス殿とトレイアス殿が手を取り合い、その兵士どもを返り討ちにしたと願いたいところだな」


 そうして四名は広間の中心にまで進み出たが、どこにもジョルアンの姿を発見することはできなかった。


「ああ、あれはルアドラ公爵家の第一子息だね。ディラーム老がお声をかけられたようだ」


 レイフォンの声で振り返ってみると、確かにディラーム老が若い貴公子と酒杯を酌み交わしている姿が見えた。ロア=ファムは、そのかたわらにひっそりと控えている。


「ルアドラというのは、ダリアス殿が騎士団長をつとめておられた公爵家だな?」


「ああ。それに、ルイドの件もあるからね。ディラーム老も、その辺りの話から探りを入れているのだろう」


 ルイドというのは、ギムやデンの隣で幽閉されていた武官である。その人物はダリアスの副官であり、シムの毒草で心身を痛めつけられてしまっていたのだった。


「騎士団長であったダリアスが失踪し、副官であったルイドはあのような姿で見つかり、ルアドラの人々もさぞ胸を痛めておられることだろう。なんとかこちら陣営に引き込みたいところだけど、どうなのかな」


「確かに五大公爵家をすべて味方に引き入れることができれば、勝ちの目も出てくるのであろう。それで、レイフォン殿の家は頼りにさせてもらってもよろしいのであろうかな?」


「ううん、それはどうかなあ。私の父君は慎重かつ保守的な気性であられるから、他の公爵家の情勢次第といったところだと思うよ」


 それはまた、なんとも頼りない話であった。

 敵はすでに、ダーム公爵家とバンズ公爵家の騎士団長を手にかけているのである。ダーム公爵家に対するやり口から見て、バンズ公爵家にもすでに敵の手が入っているのだと考えざるを得なかった。


(王都の主力部隊が敵の手に落ちた以上、五大公爵家を味方につけなければ武力で圧倒されてしまうことだろう。……まあ、不利な戦ほど心はたぎるものであるがな)


 クリスフィアがそのように考えたとき、華やかな色彩を纏った貴婦人がふわりと眼前に出現した。

 足を止めたクリスフィアに、あまり好意的でない視線が突きつけられてくる。


「これは失礼。ええと、あなたは……」


「こんなところで何をやっているの、レイフォン? まさか、わたしから逃げ隠れしていたのではないでしょうね?」


 その貴婦人は、クリスフィアを黙殺してレイフォンのほうに視線を移動させた。

 その高慢なる態度で、クリスフィアは彼女の正体を思い出すことになった。新王ベイギルスの嫡子たる、ユリエラ姫である。


「ああ、これはユリエラ姫。どうして私がユリエラ姫から逃げ隠れしなくてはならないのです?」


「知らないわよ。わたしだって、好きであなたを探していたのではないのだから」


 前回の舞踏会でも、クリスフィアはこの幼き姫君と対面していた。なおかつ、そのときも、クリスフィアはこうしてとげのある目つきでにらまれることになったのである。


(新王は、レイフォン殿をこの姫君に娶らせようとしているのかもしれない、という話であったな。まったく、酔狂な話だ)


 その話は、つい先日にティムトから打ち明けられることになった。初耳であったクリスフィアとディラーム老は、たいそう驚かされたものである。


(もしもそのような話になったら、レイフォン殿が次代の王ということになってしまうではないか。レイフォン殿の知略はすべて従者からの借り物であるというのに、新王というのは浅はかな男だな)


 しかしまた、そのような話が持ち上がっても、レイフォンが志を変えることはなかった。というか、自分が次代の王などとはとんでもない、とたいそう辟易していたのである。とりあえず、レイフォンは権勢欲に目がくらむ人間ではないようだった。


(ともあれ、新王が大罪人であるかどうかを見極めぬ内に、婚儀の話など進めさせるわけにはいかん。レイフォン殿には、せいぜいのらりくらりと逃げ回ってもらう他あるまい)


 ユリエラ姫は、なおもレイフォンに不満げな言葉をぶつけている。彼女は彼女で父親の言いつけに従っているだけなので、ことさらレイフォンに好意を抱いているわけではないのだろう。

 このような戯れ事にかまいつけている場合ではなかったので、クリスフィアは退去の挨拶をしようとした。その瞬間、ユリエラ姫の目が再びクリスフィアをねめつけてきた。


「……ずいぶんと品のない宴衣装ね」


「うむ? そうなのであろうかな?」


「うら若い貴婦人がそのように胸もとをあらわにするなんて、はしたないわ。あなたはもう少し恥を知るべきよ」


 確かにユリエラ姫は、大きな襟のある宴衣装で、胴体を咽喉もとまでぴったりと隠していた。あらわにされているのは、肩と腕だけだ。

 しかし、そこかしこで祝宴を楽しんでいる貴婦人のほとんどは、クリスフィアと同じように胸もとを際どい部分まであらわにした宴衣装に身を包んでいる。ことさらクリスフィアばかりが誹謗されるいわれはないはずだった。


「わたしとて、好きこのんでこのような衣装を纏っているのではない。言っては何だが、これを準備してくださったのは、あなたの父君であられる新王陛下なのだぞ、ユリエラ姫」


「ふん。あなただって、喜んで自分の身をひけらかしているのでしょう? だったら、同じことよ」


 ユリエラは、つんとそっぽを向いてしまった。

 国王の息女でなければ、頭を張り飛ばしてやりたくなるような態度である。


「さ、それでは行きましょう、レイフォン。まもなく舞踏の時間になるはずよ。あなたと最初に踊るというのは父様の言いつけなのだから、文句があるのなら父様に言いなさい」


「恐れ多いことです」などと述べながら、レイフォンは優雅な仕草でユリエラ姫の手を取った。内心はどうあれ、貴婦人に礼を尽くすのはお手のものであるらしい。

 そうして両者が遠ざかっていくのを見送ってから、クリスフィアは溜息をついてみせた。


「まったく、何なのだ、あの姫君は。わたしはどこかで恨みでも買ってしまったのかな」


「恨みというか、姫様のことを羨望されてらっしゃるのではないでしょうか。姫様は、これほどまでに麗しい見目をしてらっしゃるのですから」


 侍女ではなく幼馴染の悪戯っぽい表情で、フラウがそのように述べたてた。

「何だそれは」と、クリスフィアは唇をとがらせてみせる。


「わたしなど、武人が貴婦人のふりをしているようなものではないか。どこに羨む理由がある?」


「だって、姫様はこれほどまでに艶やかなお姿をしていますもの」


 笑いを含んだ声で言いながら、フラウはクリスフィアの胸もとに目をやっている。

 クリスフィアは頬に血がのぼるのを感じながら、あらわになった胸もとを手で隠すことになった。


「よせ。そのような目で見られると、むやみに恥ずかしくなってしまうではないか。子がいるわけでもないのに乳など張っても、無用の長物であろう」


「でも、殿方というのは、そういった無用の長物に魅了されるようですからね。年頃のユリエラ姫が羨んでもしかたのないことなのでしょう」


 クリスフィアはフラウをにらみつけてから、その横合いに視線を差し向けた。


「……それで、お前は主人の後を追わなくてよいのか、ティムトよ?」


「ええ。僕としては、ユリエラ姫よりもジョルアン将軍の動向を重んじたいと思います」


「そうか。それでは、その目的を達さねばな」


 とはいえ、これだけ賑わっている祝宴の場でひとりの人間を探すというのは、なかなか難しいものである。

 クリスフィアたちが目当ての相手を発見できたのは、それから四半刻も経過したのちのことだった。


 新王ベイギルスは、周囲に大勢の臣下を侍らせながら、酒杯を傾けている。その輪から少し離れたところで、ジョルアンはひとりの貴公子と言葉を交わしている様子だった。


「ようやく見つけたぞ。しかし、ジョルアン将軍と語らっているのは――」


「ええ。ジェノス侯爵家のメルセウス様であるようですね」


 クリスフィアは、いっそう気を引きしめてそちらに突入することにした。

 クリスフィアの姿に気づいたメルセウスが、「ああ」と笑顔で酒杯を掲げてくる。


「またお会いしましたね、クリスフィア姫。ジョルアン殿は、姫ともすでにご挨拶を?」


「ええ。姫が王都に到着された際、わたしも謁見の間でご挨拶をさせていただきました」


 ジョルアンも、武人らしからぬ優雅な仕草で酒杯を掲げてくる。痩せぎすで、生白い顔をしており、気取った口髭をたくわえた、壮年の男である。これがアルグラッド全軍を束ねる元帥の片割れとは思えぬような、柔弱なる風貌であった。


(ふん。数々の陰謀に手を染めながら、いけしゃあしゃあとしおって)


 形ばかり貴婦人の礼を返してから、クリスフィアはさっそくジョルアンの姿を検分した。

 そしてすぐに、常とは異なる気配を察知する。人をそらさぬ笑みを浮かべつつ、ジョルアンの目の下には暗い陰が落ちており、肌にはいっそう血の気がないように感じられる。体調がすぐれぬか、あるいは大きな懸念を抱えているように見えた。


(このジェノスの若君……は、関係ないようだな)


 メルセウスは、ジョルアンの変調をいぶかる様子もなく、にこにこと笑っている。そのかたわらでは、野生の獣のごとき迫力を持つ従者が、気配を殺してひっそりと立ちつくしていた。


「メルセウス殿は、ジョルアン殿と旧知の間柄であられたのか?」


「はい。以前の祝宴で、ご挨拶をさせていただきました。あれはたしか、立太子の祝典でありましたか」


「そうですな。メルセウス殿は、見るたびに健やかなる成長を遂げておられるようです」


 やはり、ジョルアンとメルセウスのやりとりに不審なものは感じられない。彼はたまたま、ジョルアンと談笑していただけなのだろう。


(この森辺の狩人を敵に回すのは、きわめて厄介だからな。さっさとジェノスにお帰り願いたいものだ)


 そんな風に考えながら、クリスフィアはジョルアンに視線を固定させた。


「それにしても、トレイアス殿は残念だったことだ。今頃は、ダームで無聊をかこつているのであろうな」


「ト、トレイアス殿が、何ですと?」


「あの御仁はこういった祝宴を好んでおられるようだったので、さぞかし無念であったろうと思い至ったのだ。わたしもつい先日まで、ダーム公爵家でお世話になっていた身であるのでな」


 ジョルアンの笑顔が、はっきりと強ばっていた。

 このていどの言葉で心を乱すということは、やはり何らかの心労を負っているのだろう。これは、わざわざ出向いてきた甲斐があるようだった。


「トレイアス殿というのは、ダーム公爵家のご当主であられますよね。そういえば、お姿を見ないようですが」


 メルセウスが乗ってきたので、クリスフィアは「ええ」と微笑んでみせた。


「つい先日、ダーム公爵騎士団長のシーズという御方が、賊に襲われて魂を返すことになってしまったのだ。現在はその捜査をするために王都から調査隊というものが派遣されて、トレイアス殿もそちらのお相手をされているとのことだ」


「公爵家の騎士団長ということは、十二獅子将ですか。赤の月には五名もの十二獅子将を失ったばかりであるというのに……なんとも痛ましい話でありますね」


 メルセウスは気の毒そうに眉尻を下げており、ジョルアンは無言で酒杯をあおっている。酒杯を支えるその指先は、わずかに震えているように感じられた。


「……実はその事件の夜、わたしもダーム公爵邸に滞在させていただいていたのだ」


「え、そうなのですか?」


「うむ。シーズ殿が賊に襲われたのは別邸であり、わたしは本邸に腰を据えていたので、何の力にもなれはしなかったが……シーズ殿とも前夜まで顔をあわせていたので、忸怩たる思いを抱え込むことになってしまった」


 これは、クリスフィアが無関係を装うためにこしらえた虚言である。クリスフィアがシーズと賊を追って別邸に踏み込む姿は大勢の人間に見られていたが、それらはすべてトレイアスの子飼いの兵士たちであったので、口裏を合わせることも難しくはなかった。


「シーズ殿は、実に立派な武官であられた。それに、王都に残した妹君のことを、ずいぶん思いやられているご様子だったな」


「妹君がいらしたのですか。シーズ殿というのは、まだお若かったのですか?」


「ああ。行方不明になられたダリアス殿と同じく、二十四歳の若さで十二獅子将の座を賜ったそうだ」


「行方不明?」と、メルセウスは可愛らしく小首を傾げている。

 ジョルアンを追い込むのに、この若者はなかなか有用であるようだった。


「メルセウス殿は、ご存じでなかったか。ルアドラ騎士団長であられたダリアス殿は、あの災厄の日に行方をくらましてしまったという話であったのだ。アルグラッドの失った十二獅子将は、シーズ殿も含めて七名にも及んでしまうということだな」


「半数以上の十二獅子将が身罷られてしまったのですか! それは、由々しき事態でありますね」


 そう言って、メルセウスはジョルアンのほうに視線を戻した。


「残された方々のご苦労もお察しいたします。でも、ジョルアン殿やディラーム殿がご壮健であられたのは僥倖でありました」


「は……これも、セルヴァのご加護でありましょう」


 ひきつった笑みを浮かべながら、ジョルアンは酒杯を傾けた。

 クリスフィアは、厳しい検分の目でそれを見つめ続けている。


(こやつは、つくづく小心者なのだな。シーズ殿を手にかけたのも、ダリアス殿に兵士をけしかけたのも、やはりこやつであったのだろう)


 クリスフィアは、それを確信することができた。

 そして、それと同時にもうひとつの思いにも確信を得ることができた。


(だが、このような小心者に前王や王太子を暗殺する気概があるとは、とうてい思えん。こやつもまた、裏に潜む何者かの手下に過ぎないのだろう。その正体を暴くまでは……やはり、うかつに糾弾することもかなわぬか)


 ティムトのほうに目をやると、強い視線が返されてきた。

 これ以上、この場でジョルアンを追い詰めても得るものはない、とティムトも考えたのだろう。クリスフィアも、それは同感であった。


「で、では、わたしはこれにて失礼いたします。どうぞ祝宴をお楽しみください」


 わずかに言葉の途切れた隙を突いて、ジョルアンはそそくさと立ち去っていった。

 その先にいるのは、ベイギルスだ。ジョルアンの姿は、貴公子や貴婦人の集団にまぎれてすぐに見えなくなってしまった。


「クリスフィア姫は、ずいぶん王都の情勢にお詳しいのですね。いったいいつこちらに到着されたのですか?」


 と、ジョルアンが消えてもなお、メルセウスが語りかけてきた。

 この若君のことも検分しておく必要があるように思えたので、クリスフィアも応じることにする。


「わたしが王都に到着したのは、たしか朱の月の十一日だ。あと数日でひと月といったところだな」


「朱の月の十一日? ずいぶん早く到着されたのですね。アブーフは、ジェノスと同じぐらい遠方にあるのでしょう?」


「うむ。荷車を引かせずにトトスを走らせたので、二十日ていどで到着することができた」


「荷車を引かせずに? 自らトトスにまたがって、この王都にまで出向かれたのですか? どうしてそのようなことを?」


「どうしてと言われてもな……車に乗るよりも、トトスにまたがるほうが好きなのだとしか言いようはない」


 メルセウスは、とても朗らかな顔で微笑んだ。

 クリスフィアと年齢はそう変わらないぐらいなのであろうが、そういう表情をするといっそう幼げに見えてしまう。


「すごいですね! クリスフィア姫も、僕と同じく侯爵家の嫡子なのでしょう? それなのに、そんな奔放な真似が許されるのですか?」


「べつだん、許されてはいない。アブーフに戻れば、父君に大目玉をくらうはずだ」


「それを、奔放というのです。もちろん、いい意味で言っているのですよ?」


 楽しそうに笑いながら、メルセウスは自分の従者を振り返る。


「聞いたかい、ジェイ=シン。クリスフィア姫というのは、豪気な御方だね! 僕はすっかり、羨ましくなってしまったよ」


「お前とて、自由気ままに暮らしているではないか。勝手に宿場町に下りては、親に小言をくらっているのだろう?」


「そんなのは、二十日間の長旅に比べたらお遊びのようなものだよ。ジェイ=シンと二人で長旅などできたら、さぞかし楽しいだろうねえ」


「そんなもの、面倒見切れるか。俺は朝から晩まで護衛役として気を張ることになってしまうではないか」


 ジェイ=シンの態度は、どう考えても従者にありうべからざる気安さであった。やはり彼はロア=ファムと同じように、本来とは異なる立場に身を置いているのだろう。


「お二人は、親の代からの友人であられるという話であったな。仲睦まじくて、けっこうなことだ」


「ああ、これは失礼いたしました。僕も堅苦しい作法は苦手なほうなので、彼を説き伏せて同行してもらったのです」


「よいと思うぞ。わたしも侍女のフラウとは幼馴染であり、大切な友人同士であるからな」


 貴き身分ならぬ従者を友と呼ぶメルセウスの行いは、クリスフィアにとってとても好ましいものであった。また、貴族にへつらわないジェイ=シンの態度も、クリスフィアには好ましく感じられる。


「わたしこそ、堅苦しい作法など薬にしたくともないからな。だから、正直に言うと、ジョルアン殿のような御方はいささか苦手であるのだ」


「そうなのですか。確かに、ジョルアン殿は武人であられるのに、とても立派な貴族としての作法を身につけておられますよね」


 そう言って、メルセウスは灰色の瞳を明るく輝かせた。


「でも、それで納得がいきました。クリスフィア姫は、ジョルアン殿のことが苦手であるゆえに、あのように厳しい眼差しを向けておられたのですね」


「厳しい眼差し……であっただろうか?」


「はい。それをジョルアン殿に気取られぬように苦心されていたでしょう? お二人には何か確執でもあるのかと、僕は少々心配しておりました」


 クリスフィアは、内心で息を呑むことになった。

 クリスフィアがジョルアンを観察していた間に、メルセウスはクリスフィアを観察していたのである。


(少しばかり、この若君を見くびっていたようだな。従者のほうにばかり気を取られすぎたか)


 クリスフィアの中に、これまでにはなかった気持ちがむくむくとわきあがっていった。

 それは、この若君と従者を味方陣営に引き込んでみてはどうか――という、いささかならず唐突な思いであった。


 ジェノスはアブーフと同じぐらい王都から離れているために、もともと王家にへつらう気風が薄い。なおかつ、シムともジャガルとも強い絆を結んでおり、それらとの交易でまたとない豊かさを得ているために、いずれゼラドのように独立を目論むのではないかと懸念されているほどであるのだ。


 アブーフも似たような条件ではあるのだが、こちらは敵対国であるマヒュドラと隣接しているために、うかうかと独立を宣言しようものなら、王都の庇護もなく滅んでしまいかねない。よって、王国内においてもっとも王家に強気の姿勢でいられるのは、ジェノスであるはずだった。


(むろん、ジェノスは今のままでも十分に豊かであるのだから、ことさら独立を目論むこともないだろう。しかし、王家の権威に屈せずに済むというのは、かなりの強みであるに違いない)


 それに加えて、メルセウスはなかなか非凡な人物であるようだし、ジェイ=シンは言わずもがなだ。ジェノスそのものでなく、この両名を味方につけるだけで、クリスフィアたちは大いに力づけられる気がした。


(あとで、ティムトとディラーム老にも相談してみるか。わたしよりは、この若君について多くを知っているはずだしな)


 クリスフィアがそのように考えたとき、異様なざわめきが後方から伝わってきた。

 目をやると、貴き人々の間をぬうようにして、ひとりの武官がこちらに近づいてきている。それは、礼装ならぬお仕着せの平服を纏った武官であり、青ざめた顔でベイギルスのほうを目指しているようだった。


「おい、ティムト」


「はい。何かただならぬことが生じたようですね」


 クリスフィアはティムトとフラウを率いて、自分もさりげなくベイギルスのほうに近づくことにした。

 メルセウスも、ジェイ=シンとともに後からついてくる。その目には、好奇心の光がきらめいているように感じられた。


「しゅ、祝宴の最中に失礼いたします。ベイギルス陛下に、つつしんでご報告させていただきたく思います」


「何事だ。あまりに無粋であるぞ」


 酒気で顔を赤くしたベイギルスが、苦々しげに武官を見下ろす。

 毛足の長い絨毯に膝をついた武官は、頭を垂れながら言葉を重ねた。


「も、物見の塔から火急の報告が届けられたのです。せ、戦乱勃発の狼煙があげられた、と……」


「なに!? ゼラドめが、もう進軍を始めたと申すか!?」


「い、いえ、それは北方からの狼煙であり……すでに夕刻でありますため、判別も難しいところであったのですが……」


「えい、御託はいい! ゼラドでないなら、どこで戦乱などが生じたというのだ!?」


「グ、グワラムです。グワラムが戦火に包まれている、と……そのような知らせであったようです」


 クリスフィアは、愕然と立ちすくむことになった。

 グワラムといえば、茶の月から赤の月にかけても大きな戦が行われた要所である。マヒュドラに占拠されたグワラムを取り戻すために、セルヴァの各地から大軍が派遣されて――その末に、王都の軍は二名の十二獅子将を、アブーフの軍は連隊長を失うことになったのだ。


「国王たる余の許しなく、グワラムを攻めることは許されておらぬはずだ! いったいどこのうつけものが、勝手に軍を動かしたのだ!?」


「そ、それはまだ何とも……王都やアブーフの助けなくして、グワラムに攻め入る力を持つ領土も存在はしないはずですし……」


「……まさか、アブーフ侯爵が独断で動いたのではあるまいな?」


 脂ぎった眼光が、クリスフィアのほうに突きつけられてくる。

 クリスフィアは内心の驚きを押し隠しつつ、丁寧に一礼してみせた。


「わたしの父、アブーフ侯爵デリオンは、決して王家をないがしろにするような人間ではありません。また、先の戦役ではアブーフの軍も大きな痛手を負ったため、十分な戦力をそろえることさえ難しいはずです」


「その言葉を信じたいものだな。余の存在を軽んずるものは、誰であろうと容赦はせぬ」


 普段はにやにやと笑ってばかりいるベイギルスが、このときばかりは激しい怒りをあらわにしていた。

 その目が、再び足もとの武官をねめつける。


「追って、報告せよ。不埒者の名が知れた際には、すぐに知らせるのだ!」


 武官は「は――」といっそう深く頭を垂れてから、消えていった。

 ざわざわとどよめく広間の中で、ベイギルスから遠ざかりつつ、クリスフィアはティムトに耳打ちする。


「ティムトよ、これはどういうことなのだ? 独断でグワラムに戦を仕掛けることのできる領地など存在しないはずだぞ」


「僕にもまったくわけがわかりません。唯一考えられるとすれば、グワラムに駐屯しているマヒュドラ軍が自分からセルヴァの領地に戦を仕掛けて、その末にグワラムまで戦火が及んだ、というぐらいですが……」


「いや、それもありえぬ話だ。たとえマヒュドラ軍が敗走しようとも、それを追撃できるほどの余力を持つ領地はグワラムの近在には存在しない」


「クリスフィア姫がそう仰るのなら、その通りなのでしょうね。各領地の軍事力など書面上の数字でしか知らない僕にも、そのように思えます」


 ティムトは形のよい眉をひそめて、見えざる敵を見据えるかのように視線を走らせた。


「そうなると……セルヴァとは異なる勢力が、グワラムに戦を仕掛けたという結論になってしまいますね」


「なに? しかし、マヒュドラと敵対しているのは、セルヴァを置いて他にないはずだぞ。仮にシムがマヒュドラを裏切ったとしても、トトスでふた月もかかるグワラムに侵攻することなどありえぬであろう。それに、シムからグワラムに向かうには、アブーフやタンティの眼前を通る必要があるのだから、そのような変事が生じれば、それこそ狼煙で伝えられるはずだ」


「わかっています。ですから、それは……四大王国とは異なる勢力、ということになるのでしょうね」


 クリスフィアには、さっぱりわけがわからなかった。

 グワラムは、大陸の北西寄りに位置する領土である。北側はマヒュドラで、西側は辺境の樹海、東と南にはセルヴァの領地が広がっているのだから、大陸の外より外敵を迎えるような場所でもない。


「何にせよ、わかっているのはグワラムが戦火に包まれたという話だけです。いずれはグワラムの近在の領地から使者が届けられるでしょうから、その報告を待つしかありません」


「なるほど。いったいどのような報告が届けられるのか、楽しみなことですね」


 クリスフィアは、ぎょっとして背後を振り返ることになった。

 にこにこと笑顔でたたずんでいたメルセウスが、悪びれた様子もなく一礼する。


「お話に割り込んでしまい、申し訳ありません。それに、楽しみという言葉も不謹慎に過ぎましたね。グワラムには多くの西の民が捕らわれているはずなのですから、その安否が気になるところです」


「……話に割り込んだことよりも、まず盗み聞きしていたことを詫びてほしいものだな、メルセウス殿よ」


「あ、申し訳ありません。僕はただ、もう少しクリスフィア姫と言葉を交わしたいなと思って追従していただけなのです」


 クリスフィアは、髪飾りをよけて頭をかきながら溜息をついてみせた。


「よかろう。わたしもあなたと喋り足りなかったところだ。よければ、あちらの席でゆるりと言葉を交わさせていただこうか」


「本当ですか? それは嬉しい申し出です」


 メルセウスの無邪気な笑顔と、ジェイ=シンの仏頂面を見比べながら、クリスフィアはひそかに気を引きしめることになった。


(このような際だ。こやつらが味方たりうる人間かどうか、まずはわたしがぞんぶんに見極めさせていただこう)


 クリスフィアたちの敵はこの王宮内にあり、西方のダーム公爵領にもその波紋は広がっている。そして、南方のゼラド大公国からは、いずれ偽王子を旗頭にした大軍が侵攻を始めるはずだ。


 そんな中、北方においてはグワラムが謎の勢力の攻撃を受けた。その正体はまったく知れぬままであったが、いずれはこの騒ぎもクリスフィアたちの運命に大きく関わってくるに違いない。クリスフィアは、直感でそのように確信していたのだった。

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