Ⅲ-Ⅱ クリスフィアの帰還
2017.11/4 更新分 1/1
クリスフィアがその部屋に入室すると、そこには三名の人物が待ちかまえていた。
ヴェヘイム公爵家の第一子息レイフォンと、その従者ティムト、そして見覚えのないあやしげな小男である。
「やあやあ、よく戻られたね、クリスフィア姫。ご無事なようで何よりだ」
まずはレイフォンが、そのように述べたてた。
すらりとした体格の、見目のいい貴公子である。立ち居振る舞いが優雅すぎて、いささか鼻につくところもなくはないが、クリスフィアにとっては貴重な協力者である。
ティムトのほうは、無言で目礼をしている。これまた見目は秀麗で、とても大人びた眼差しを持つ、十四、五歳の少年である。女官に化けられるぐらい華奢な体格をしており、少女のように可愛らしい面立ちをした少年であるが、実は彼こそがレイフォンに知恵を与えているのではないかと、クリスフィアはそのように信じていた。
そして最後は、あやしげな小男だ。
小柄なティムトよりも、頭半分以上は小さい。しかも、室内でも外套を纏っており、深々と頭巾をかたむけているために、胡散臭いことこの上ない。呪術にでも使いそうな首飾りや腕飾りを外套の上からじゃらじゃらと下げているのも、いかにもあやしげであった。
これは、まったく面識のない人物である。
しかしクリスフィアには、その見当をつけることができていた。
「失礼だが、ひょっとしてあなたは祓魔官のゼラ殿であられるのかな?」
クリスフィアがそのように呼びかけると、本人ではなくレイフォンが飛び上がった。
「ク、クリスフィア姫、君はゼラ殿を見知っていたのかな?」
「いや、まったく。しかし、ダームでその名を聞くことになったのだ」
フラウを引き連れて部屋の中央に進みながら、クリスフィアはそのように答えてみせた。
「ここであなたと会えるとは話が早い。察するに、こちらでも祝福するべき絆が結ばれたということなのだな」
「クリスフィア姫、それはいったいどういう――」
「わたしはダームで、十二獅子将のダリアス殿と巡りあうことになったのだ」
レイフォンは、愕然と目を見開いていた。
しかし小癪なことに、ティムトは眉ひとつ動かしていない。
「ゼラ殿、あなたの従者であるティートという人物は、シーズ殿に斬られて生死の境をさまよっている。だから、あなたと連絡をつけることもできなくなっていたのだ」
「シ、シーズがゼラ殿の従者を斬った? それはいったい――」
「ああ、実は、シーズ殿こそが敵方の送り込んできた間諜でな。ゼラ殿の命令でダーム公爵家の内情を探っていたというティート殿は、それで斬られることになってしまった。今はダーム公爵邸で医術師に看護されているさなかであるのだ」
ゼラは、静かに一礼した。
「そうでございましたか……わたしのことは、ダリアス様からお聞きになられたのですね……?」
「うむ。ダリアス殿もあなたと連絡を取る手段を失ってしまって、たいそう難渋することになった。しかし、これでようやくダリアス殿が無事であることを告げることができたな」
そうしてクリスフィアは、レイフォンのほうに視線を転じた。
「そうだ、レイフォン殿、ダリアス殿の生存を知る者を救出したという話であったが、それはギムにデンという者たちであったのか? ダリアス殿とラナは、それを一番に知りたがっていたのだ」
「ああ、うん、それは……」
「まったく、最初から名前を告げておいてくれれば、ダリアス殿らをあの場で安心させることがかなったのにな。わたしがダリアス殿と遭遇するとまでは考えていなかったのであろうが、いささか不親切な処置であったぞ、レイフォン殿よ」
「ちょっとお待ちください」と、そこでティムトが声をあげた。
「クリスフィア姫、その者たちの名前については、二度目の使者が伝えていたはずです。やはり、その使者はあなたのもとに届いていなかったのでしょうか?」
「ああ、その使者もまたシーズ殿に斬り捨てられてしまったようなのだ。どうもあの御仁は、ダームと王都で余計な話が行き来しないように見張る役目であったらしくてな」
そう言って、クリスフィアはティムトの秀麗な面をねめつけてみせた。
「お前は何を聞かされても顔色ひとつ変えないのだな。頼もしいことこの上ないが、いささかならず悔しくも思うぞ」
「いえ、十分に驚かされています。ただ、あまり心の動きが外に出ない気質でありますもので」
「ふん、どうだかな」と、クリスフィアは肩をすくめた。
すると、フラウがひかえめにクリスフィアの袖を引いてくる。
「あの、姫様、もう少々、筋道だってお話をされたほうがよろしいのではないでしょうか? レイフォン様などは、たいそう面食らってしまわれているようです」
「うむ? まあ、そうか。確かに入り組んだ話であるし、一から説明したほうが間違いもないだろうな。それでは、腰を据えて聞いていただこう」
クリスフィアは断りもなく長椅子に座して、ダーム公爵邸における騒動の顛末を話して聞かせた。
エイラの神殿でたまたまダリアスらと遭遇したこと。ダリアスの要請でダーム公爵邸に向かうとティートが何者かに斬られていたこと。それはシーズの仕業であり、彼こそが敵方の送り込んだ間諜であったこと――そうして話がシーズの死にまで至ると、レイフォンが驚きの声をあげた。
「それじゃあ、シーズは口封じのために殺されてしまったのか。それも、シムに伝わる使い魔の秘術だって……? ゼラ殿、そのようなものに心当たりはあるかな?」
「そうですな……シムにそういった秘術が伝わるということは耳にした覚えがございます。ただし、四大神の法からは外れた、いにしえの邪法でありましょう」
シムはもともと魔術師の王国と呼ばれていたが、現在に伝わるのは薬草や毒草の取り扱いに、後は占星の術ぐらいであると言われている。文明国としての発展を遂げていく内に、いにしえのあやしげな術は少しずつ失われていったのだろう。
「そうだ、それで確認しておきたいことがあったのだ。シーズ殿の妹御というのは、この王都で暮らしているのであろうか?」
「シーズの妹? たしか彼女は、メルス男爵家に嫁いだはずだね?」
レイフォンが目を向けると、ティムトは「はい」とうなずいた。
「メルス男爵家は、王都の武門貴族です。シーズ将軍の一家はヴェヘイム公爵家の傍流でありましたが、妹御はそちらに嫁がれて、王都で暮らしています」
「シーズ殿が魂を返してもうずいぶんな日が経ってしまったが、妹御は無事であるのだな?」
「はい。何も異変があった様子はありません」
「そうか」と、クリスフィアは安堵の息をつくことになった。
シーズは、家族を守るために魂を返したようなものなのである。これで妹の身まで害されていたら、死んでも死にきれないことだろう。
「シーズが魂を返した以上、人質とされていた妹御を害したところで、誰の得にもなりはしないからね。この先も、危険はないだろうと思うよ」
そう言って、レイフォンは痛ましげに首を振っていた。
「それにしても、まさかシーズがそのような悪事に手を染めていたとは……家族を守るためとはいえ、本当に信じ難いことだ」
「……しかし、シーズ将軍は賊に害されたという話になっております。いったいどのような経緯で、真相が隠されることになったのでしょうか?」
ゼラが、ぼそぼそとした声で問うてきた。
クリスフィアは、眉をひそめてそちらを振り返る。
「それはもちろん、敵方にこちらの動きを悟らせまいとしたためだ。こちらの動きを隠すのは、兵法の基本であろう?」
「ですが、ダーム公爵家の方々にはどのような説明をされたのですか?」
ティムトも、いぶかしげに目を細めていた。
クリスフィアは、「ああ」と手を打つ。
「まだその話をしていなかったな。実は、トレイアス殿にはすべての事情を打ち明けることになったのだ」
「ほう。トレイアス殿は信用に足る、と姫君は判断されたのだね」
レイフォンがそのように述べてきたので、クリスフィアは「いや」と首を振ってみせる。
「信用できるかどうかは、いまだに五分だ。だから、ダリアス殿があちらに居残って、説得に当たっている」
「……信用できない人物に、すべてを打ち明けてしまったのですか?」
ティムトは、ますます目を細くする。
それにも、クリスフィアは「いや」と答えてみせた。
「すべてを打ち明けたというのは、言葉のあやだ。わたしもダリアス殿も、そこまで迂闊ではない。赤の月の災厄に関しては、いっさい語っておらんぞ」
瞬時に、空気が凍りついた。
クリスフィアは、「うむ?」と首を傾げてみせる。
「トレイアス殿のほうも、なかなか心情を打ち明けてくれなかったのでな。だから、わたしたちも赤の月の災厄に何か裏があるのではないか、とまでは打ち明ける気持ちになれなかった。ましてや、新王が前王を謀殺したのではないか、などという話はまだ証もないのだし――」
「ちょ、ちょっとお待ちを、クリスフィア姫!」
惑乱した声をあげたのは、レイフォンである。
クリスフィアは、いっそうの疑念にとらわれる。
「何をそのように慌てふためいているのだ、レイフォン殿? この場には同じ疑いを持つ人間しかいないのだから、明け透けに語っても問題はなかろう?」
「いや、しかし……」と、レイフォンはゼラのほうに目を向けた。
座りもせずに立ちつくしたゼラは、うつむいたまま不動である。
「ゼラ殿がどうしたのだ? この御仁とて、ダリアス殿とともに赤の月の災厄の真相を探ろうとしている身ではないか」
「ええ? そ、そうなのかい?」
「そうなのかいって……そうであるからこそ、この場で密談していたのではないのか?」
全員が、言葉を失っていた。
レイフォンはひとりであたふたとしており、ティムトは食い入るようにゼラを見つめている。ゼラは頭巾で表情を隠しつつ、ひたすら沈思している様子だった。
「呆れたな。そんな根幹の部分を隠したまま、あなたがたは密談をしていたのか?」
その場にたちこめた重苦しい静寂を、クリスフィアはおもいきり粉砕してみせた。
「だったら、とっとと心情を打ち明け合うがいい。わたしとダリアス殿はもうあらいざらい自分の心情を打ち明け合ってしまったのだから、その同志たるあなたがたが腹の探り合いをしたって詮無きことであるぞ」
「なるほど、そうか。姫とダリアスだったら、そうするほうが自然であるように思えるね。ダリアスも、どちらかといえば実直な武人肌の人柄であったし」
ようやく我を取り戻したらしく、レイフォンがひさびさに笑みをひろげた。
「うん、姫の言う通りだ。こうなったら腹の探り合いなんて意味はないのだから、我々もおたがいの心情を打ち明け合おうじゃないか」
「……レイフォン様」
「それに、私とティムトのことも、クリスフィア姫には打ち明けてしまおうよ。もう姫には勘づかれてしまっているのだしさ」
「レイフォン様!」と、ティムトは大きな声をあげた。
この沈着な少年がここまで感情をあらわにするのは、非常に珍しいことである。
「レイフォン殿と従者殿のことというのは? ひょっとしたら、あなたに知恵を授けているのは従者殿である、ということか? そんなのは、今さら取り沙汰する必要もなかろうに。わたしはこう見えて口が固いのだから、何も案ずることはないぞ」
ティムトは前髪をかきあげながら、深々と嘆息した。
その年齢相応の少年らしい仕草に、フラウがくすりと口もとをほころばせる。
やがてティムトは、形のよい眉をひそめながら、クリスフィアのことをねめつけてきた。
「それでは言わせてもらいますが、あなたはずいぶん早計でしたね、クリスフィア姫」
「うむ? 確かにわたしはせっかちな性分であるが、それは何について責められているのであろうかな?」
「トレイアス殿に秘密を打ち明けてしまったという話に関してです。あなたがたは、何をどこまで話されてしまったのですか?」
「だからそれは、ダリアス殿を巡る一件に関してだな。赤の月の災厄に関しては口をつぐむとしても、ダリアス殿が城下町の衛兵に襲われて、王都を出奔したという話は取り沙汰することができる。というか、実際にダリアス殿がその場にいたのだから、それを説明せずにやりすごすことはできなかろう」
ダーム公爵邸におけるやりとりを思い出しながら、クリスフィアはそう答えてみせた。
「そしてトレイアス殿は、シーズ殿に動向を監視されている身であった。王都の何者かが、トレイアス殿の動きを警戒していることに疑いはない。だから手を組んで苦難を退けようと提案したのだが、あの御仁はなかなか応じてくれなくてな」
「それはそうでしょう。あの御方は、用心深いことで有名なのです」
「しかし、シーズ殿が魂を返した以上、トレイアス殿とて安穏とはしていられまい。シーズ殿を害したのは賊であると言い張ったものの、敵方がそれを信用するとは限らぬだろうからな。正体の露見したシーズ殿が謀殺されたのだと考えれば、今度こそトレイアス殿に刀を向けてくるやもしれんぞ」
「……そうですね。僕が敵方の人間でも、そう考えるかもしれません」
「まあ、あちらはダリアス殿にまかせておけばいい。我々には我々の為すべきことがあるはずだ」
そう言って、クリスフィアは身を乗り出した。
「わたしはまず、薬師のオロルという男を締め上げようと考えている。シムの使い魔というのがあの男の手管であったとしたら、シーズ殿の仇であるしな!」
「薬師のオロル? 何故その人物が、使い魔の主であると?」
「あの男はシムで薬草の扱いを学んだと述べているのであろう? だったら、毒草や使い魔の扱いも、そのときに学んだのかもしれぬではないか」
「あはは」と、レイフォンが笑い声をあげた。
「例の媚薬に関しても、クリスフィア姫はあの薬師殿をあやしんでおられたね。まあ、あやしげな人物であることは確かであるけれども」
「笑い事ではない」と応じつつ、クリスフィアは頬が熱くなるのを感じた。
「現在の王都に、シムの手管を知る人間はあまりいないはずだとダリアス殿から聞いているぞ。何でも、前王がそういった手管を嫌う人柄であったという話ではないか」
「そうですね」とうなずいたのは、ティムトであった。
「薬の調合に関しては、いまやシムの知識を抜きにして語ることはできませんが、それ以外のあやしげな秘術に関しては、ひどく忌み嫌っている様子であられましたね。占星師の類いも、決して王宮内に招き入れようとはしませんでしたし」
「ならばやはり、一番疑わしいのはオロルという男ではないか。とうてい放っておくことはできん」
そしてクリスフィアは、かつてダリアスが語っていた言葉を説明することになった。
すなわち、赤の月に毒殺されたウェンダという十二獅子将も、シーズと同じ手管で害されたのではないか、という疑念である。
「ウェンダ様の傷口を確認したのは、わたしでございます……シーズ様の傷口を目にすることができれば、比較のしようもあるのですが……それは難しいのでしょうな」
「ああ。シーズ殿の亡骸はダーム公爵家の霊廟に葬られた。弔いも済ませてしまったし、今さら王都やヴェヘイムに移されることもないだろう」
怒りの情念を胸の奥に抱えながら、クリスフィアは立ち上がった。
「では、オロルという男を捜しに向かいたいと思う。どなたか、案内をしてはもらえぬか?」
「お待ちください、クリスフィア姫。あなたの話は終わったようですが、僕たちはまだ何も語っていませんよ。この十日ばかりで何が起きたのかも聞かぬまま、あなたは部屋を飛び出されるおつもりですか?」
ティムトが、子を叱る母のような目つきでそのように述べたてた。
クリスフィアは、しかたなく長椅子に腰を落とす。
「そうか。まあ、そういえばギムやデンという者たちについても、いまだ確かな話は聞いていなかったな。できれば手短に聞かせていただきたい」
そちらの説明役は、ティムトが担うことになった。
もう凡庸な従者のふりをすることは諦めたのだろう。実に理路整然とした話し口調である。そしてレイフォンは、そんなティムトの姿を妙に満足げな面持ちで見守っていた。
ギムにデンという者たちは、《裁きの塔》という牢獄に、人知れず幽閉されていたということ。その場には、ダリアスの副官たるルイドという人物も幽閉されていたということ。そして、ギムたちの口からダリアスの生存とゼラについての話が明かされて、今日の事態に至ったということ。
そしてゼラの捜査によって、ダリアスを襲った衛兵たちの正体が知れたということ。
その一件が、とりわけクリスフィアを昂揚させた。
「何だ、それならばもうジョルアン将軍は敵方と確定したのではないか! オロルという男ともども、ジョルアン将軍も締め上げねばならんな!」
「いえ、お待ちください……しょせんは証のある話ではないのです。ここでジョルアン将軍を告発したとしても、すべては配下の者たちが勝手にしでかしたことであると言い抜けてしまうことでしょう」
陰気な声で、ゼラがそう言った。
「そうですね」と、ティムトもうなずいている。
「それに、たとえジョルアン将軍の罪を暴くことができたとしても、他に共謀している者たちの正体は不明なままです。下手に動けば、ジョルアン将軍にすべての罪がかぶせられてしまうかもしれません」
「しかし、シーズ殿も『ジョ――』と言い残して魂を返したのだ! あれはきっと、ジョルアン将軍の名を告げようとしていたのであろう。ここまで罪の確定している男を野放しにしてよいものであろうか?」
「そのジョルアン将軍さえもが、敵の手足に過ぎないのかもしれないです。真相を突き止めるためには、慎重を期す必要があるでしょう」
そのように述べてから、ティムトは別の話題に切り替えた。
今度は、偽王子の一行についてである。その討伐に出向いたロネックの部下たちは、ゼラド大公国の軍に偽王子の身柄を強奪されてしまったのだという話であった。
「では、偽王子たちはゼラド大公国にかくまわれることになってしまったのか。それは考え得る限りで、最悪の結末だな」
「ええ。近日中に、ゼラドは王都への侵攻を始めることでしょうね。……もしかしたら、先発部隊はすでにゼラドを出立しているかもしれません」
「ふん。もしも戦になるのならば、わたしにも働き場所を与えてもらいたいものだ」
クリスフィアの、武人としての血が騒いだ。
そんなクリスフィアを冷ややかに見やりつつ、ティムトはさらに言葉を重ねる。
「……ところでクリスフィア姫は、アブーフから王都に向かう際に、シャーリの川辺に立ち寄られたそうですね」
「うむ? どうしてお前がそのようなことを知っているのだ?」
「小姓や侍女たちの噂話を耳にしたまでです。そういえばクリスフィア姫は、シャーリの大鰐の鱗で作られた短剣の鞘を、いつもそうして腰に下げておられましたしね」
そう言って、ティムトは何かを探るように目を細めた。
「それで、いちおうおうかがいしておきたいのですが……クリスフィア姫はシャーリの集落に立ち寄った際、メナ=ファムやロア=ファムといった者たちと縁を結んだりはしておられませんか?」
「なんだと?」と、クリスフィアは心から驚くことになった。
「た、確かにわたしはロア=ファムと縁を結んでいる。この短剣の鞘は、そのロア=ファムから買いつけたものであるのだ!」
「そうですか。それはお尋ねした甲斐がありました」
ティムトは、涼しい顔をしている。
いっぽう、レイフォンは呆れた顔をしていた。
「すごいな、まるで千里眼だ。しかし、自由開拓民の集落といっても、数百人ぐらいはそこで生活しているのだろう? その中でクリスフィア姫がロア=ファムと縁を結んでいたなんて……ティムトには、そこまで予測できていたのかい?」
「いえ。僕はむしろ、姉君であるメナ=ファムという人物と縁を結んでいるのではないかと期待していました。そのメナ=ファムという人物は集落でも珍しい女狩人であり、クリスフィア姫はおそらくセルヴァで唯一の女騎士であられるのですから、顔をあわせれば意気投合するのではないかと考えたまでです」
「ふん。すべてがお前の予想通りでなくて、幸いだ」
クリスフィアはついつい悔しくなってしまい、憎まれ口を叩いてしまった。
「確かにロア=ファムには姉がいるという話であった。しかし、どうしてお前たちがロア=ファムなどの名前を知っているのだ?」
「それは、彼がいま王都の客人となっているからです」
クリスフィアは、再び仰天することになった。
ティムトは、こともなげにそこまでの経緯を説明し始める。
「そうか……ロア=ファムの姉が偽王子に加担しているという話は、わたしも聞いていた。しかし、そのせいでロア=ファムが罪人扱いされてしまうとは……」
「罪人としての身分は解かれたから、もう何も案ずることはないよ。今はギムやデンと一緒に、ディラーム老に身柄を預けられているんだ」
レイフォンが、笑顔でそう述べた。
「そうか」と、クリスフィアは頭を下げてみせる。
「あなたがたが、ロア=ファムの窮地を救ってくれたのだな。わたしからも、礼を言わせてもらいたい」
「いやあ、すべてを取り計らったのはティムトだからね。……でも、クリスフィア姫が頭を下げる理由があるのかな?」
「うむ。あの者は、とても好ましい気性をしていたのだ。それが罪人として処断されてしまっていたら、わたしはこの身をつらぬかれるような痛みを覚えたことだろう」
「そうか。ディラーム老も彼のことはたいそうお気に召した様子であられたのだよね。薬師の行方を捜す前に、まずはそちらに挨拶をしていくといいよ」
レイフォンは、にこやかに微笑んでいる。
それは珍しく、クリスフィアを苛立たせない笑い方であった。
「それでは、ディラーム老のもとをお訪ねしたのち、オロルという薬師を捜すことにしよう。どなたか、オロルという薬師の居場所に心当たりはないであろうか?」
「普通に考えれば、新王陛下のおそばか、あるいは『賢者の塔』でしょうね。……しかし、その者のもとを訪れて、いったいどうされるおつもりなのですか? 証もなしに罪を問うても、その者が口を割ることはないでしょう」
「ふん! わたしは粗野で短絡なアブーフの民だからな! その評判に違わぬ乱暴さで締め上げてやるさ」
そう言って、クリスフィアは挑発するように笑ってみせた。
「むろん、シーズ殿を害した使い魔というものについては、しばらく伏せておく必要があろう。だから、わたしの寝所でおかしな真似をしたのはお前なのではないかと締め上げてやるつもりだ」
「それはあまりに乱暴だ」と、レイフォンは眉尻を下げていた。
しかしティムトは、「なるほど」と考え深げな眼差しになっている。
「策としては、悪くないかもしれませんね。粗野を装って人を問い詰めるというのは、王都の人間にはなかなか難しい行いです。そんなやり方でも、相手の動揺を誘うことができれば、何か有益な話を引き出すことができるかもしれません」
「そうであろう。粗野で短絡なのは、べつだん演技でもないがな」
「いえ。本当に粗野で短絡な人間は、そこまで自分のことを省みることもかなわないのだと思います」
「……ほめられているのか、けなされているのか、いささか判断の難しいところだな」
「ほめてもいないし、けなしてもいませんよ。ただ事実を申し述べているのみです」
ティムトのすました顔を見つめながら、クリスフィアは思わず笑ってしまった。
「従者の皮を脱ぎ捨てると、お前はそのように遠慮のない物言いになるのだな。わたしとしては、そちらのほうが好ましく思うぞ」
ティムトは不機嫌そうに黙ってしまった。
笑いながら、クリスフィアは立ち上がる。
「では、ディラーム老の部屋に参ろうか。ギムやデンやロア=ファムたちと対面できるのも楽しみだ。これでこそ、王都に戻った甲斐もあるというものだな」