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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第三章 紡がれる運命
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エピローグ 虜囚

2017.9/2 更新分 1/1

 リヴェルは絶望に押し潰されそうになりながら、ナーニャの額に浮かぶ汗をぬぐっていた。

 タウロ=ヨシュの住まっていた集落の、とある家屋の内である。マヒュドラの兵士たちに囲まれたリヴェルらは、すべての荷物を奪い去られたのちに、この家屋に幽閉されることになったのだ。


 戸板の向こうからは、北の民たちの蛮声がうっすらと聞こえてくる。

 意識を取り戻したタウロ=ヨシュが、懸命に事情を説明してくれているのである。

 もしもタウロ=ヨシュが目をさまさなかったら、リヴェルたちはあの場で斬り捨てられていたに違いない。それぐらい、マヒュドラの兵士たちは怒りと疑念に凝り固まっていたのだった。


「あーあ。あたしらの悪運も、ついにここまでかね」


 暖炉の前に陣取ったチチアが、ぶつぶつとつぶやいている。

 この家に閉じ込められたのは、ナーニャとチチアとリヴェルのみだった。剣士であるゼッドは腕を縛られたあげく、別の家に連れていかれてしまったのだ。


 ゼッドは最後に「ナーニャを頼む」と言い置いて、兵士たちに引きたてられていった。

 その言葉に報いなければ、という一心で、リヴェルはナーニャの看護に努めているのだった。


 ナーニャはまた、深い眠りに落ちてしまっている。

 そのほっそりとした身体は火のように熱く、ぬぐってもぬぐっても汗がしたたり落ちてくる。常人であれば、とっくに絶命しているような高熱であった。


「ま、あんな化け物が集落の住民を皆殺しにしただなんて、そうそう信じられる話じゃないもんね。あいつらは、あたしらが住民を焼き殺して回ったんだと疑ってるんだろうさ」


 自分の膝を抱え込み、そこに顔の下半分をうずめながら、チチアは深々と溜息をついた。


「そもそも、北の民が西の民に温情をかけるわけがないもんね。まさかこんなところで北の民に嬲り殺しにされるなんて……これじゃあ、氷の化け物に踏み潰されたほうがまだマシだったかもしれないよ」


「だ、大丈夫ですよ。きっとタウロ=ヨシュが、なんとか説得してくれるはずです」


「説得って、どうやって? 口から氷の息を吐く巨人が現れて、百人の住民をみーんな氷漬けにしちまったって? あげく、その住民が魔物になって襲いかかってきたなんて、どんな頭をしてたら信じられるのさ」


 チチアは、いつになく暗い眼差しでリヴェルを見つめてきた。


「ねえ、あんたってやっぱり、生娘なの?」


「い、いきなり何を言っているのですか、チチア?」


「だってあいつら、首を刎ねる前にあたしらを嬲りたおそうって魂胆かもしれないじゃん。……ああ、嫌だ嫌だ! あいつら、百人以上はいたよね? 半分ずつ受け持ったって、ひとり五十人以上だよ? そんなの、生娘のあたしらに耐えられるわけないよ! 北の民って、こーんな図太いもんをぶら下げてるんだから!」


「や、やめてくださいってば、チチア!」


「赤くなってる場合じゃないっての! ……あーあ、やっぱりあたしが真っ当に生きていくなんて許されるわけがなかったんだなあ。これまでさんざん他の連中を見殺しにしてきた報いなんだよ、きっと」


 チチアは右の手の甲に巻かれた包帯をちらりと見やってから、膝の間に顔をうずめてしまった。

 その肩が小さく震えているのに気づいて、リヴェルは胸をつかれてしまう。


「大丈夫です。決してそんなことにはなりませんよ。タウロ=ヨシュは、きっと彼らを説得できるはずです。……だって、こんなのおかしいじゃないですか?」


「……おかしいって、何が? 何から何までおかしいと思うけど」


「はい。こんなおかしなことを、人間であるわたしたちに為せるわけがないのです。たった五人の人間が百人の住民を焼き殺すなんて、普通では考えられないことでしょう? ましてや、相手は屈強の北の民だったのですから」


「それはそうかもしれないけど……」


「それに、住民たちの亡骸はみんな焼けてしまいましたが、家や周辺の樹木などは、まだ凍りついたままです。こんなの、妖魔の存在を認めないことにはありえない話なのですから、きっと信じてもらえるはずです」


「…………」


「だから、大丈夫です。ここは辺境でマヒュドラの領土でもないのですから、彼らだって理由もなく西の民を害したりはしないでしょう」


 リヴェルがそのように述べたてたとき、なんの前触れもなく戸板が引き開けられた。

 そこから現れたマヒュドラの兵士たちの姿に、チチアはぎゅっと身体をすくませる。


 兵士の数は、五名であった。

 あまり立派ではない革の甲冑と外套を纏い、腰には巨大な戦斧を下げている。それで、いずれも天をつくような大男である。


 そのぎらぎらと輝く瞳でにらみすえられると、リヴェルも悲鳴をあげそうになってしまった。

 リヴェルが西の民であるということは、最初の時点で露見してしまっている。たとえ彼らと同じ金褐色の髪と紫色の瞳をしていても、北の言葉を解することができなければ誤魔化しようもなかったのだった。


「……だいじょうぶか、おまえたち」


 と、その兵士たちをかきわけて、タウロ=ヨシュも室内に踏み込んでくる。

 それだけで、リヴェルは心から安堵することができた。


「ああ、タウロ=ヨシュ……彼らを説得してくださったのですね?」


「……いまのところは、くびをはねられずにすみそうだ」


 いくぶん苦々しげな面持ちで言い捨てるタウロ=ヨシュに、兵士のひとりが北の言葉で呼びかける。

 タウロ=ヨシュはひとつうなずき、チチアのほうに向きなおった。


「おい。ひのまえから、はなれろ。そこには、こいつらがねむる」


「ね、眠るって? まさか、そいつらと同じ場所で寝ろっての?」


 チチアは、たちまち蒼白になった。

 タウロ=ヨシュは、仏頂面で頭をかいている。


「そのようにふあんそうなかおをしなくとも、おまえたちをおんなとみなすようなまひゅどらのたみはいない。いくらちちがはっていようが、おまえたちのようなむすめはこどもにしかみえぬのだ」


「だ、誰が子供さ! あたしはもう十五だよ!?」


「……では、こいつらにおんなとみなされたいのか?」


 チチアは唇を噛み、罪もないタウロ=ヨシュに険悪な視線をくれてから、リヴェルたちのいた壁際のほうに引き下がってきた。

 それで空いた場所に兵士たちが腰を下ろして、暖炉に薪を追加していく。彼らはいかにもうろんげな顔つきをしていたが、さきほどのように敵意に満ちた目を向けてこようとはしなかった。


「こいつらは、おまえたちをみはるためにおなじばしょでねむるのだ。にげだそうとすればそのばでくびをはねられるだろうから、けっしてばかなまねはするなよ」


「ど、どうしてわたしたちを見張るのですか? 彼らは、まだわたしたちがこの集落の住民たちを害したのだと疑っているのでしょうか?」


「そうともいえるし、そうでないともいえる。どうも、おれたちがおもっていたいじょうに、ふくざつなはなしであるようなのだ」


「複雑ってどういうことさ? あんたの説明がまずかっただけなんじゃないの?」


 ふてくされた口調でチチアがまぜっかえすと、タウロ=ヨシュはうるさげにそちらをにらみつけた。


「どうやら、こおりのきょじんにおそわれたのは、このしゅうらくだけではないらしい。このきんぺんのまちやしゅうらくが、すでにみっつもほろぼされているのだそうだ」


「ええ? そ、それは、どういうことですか?」


「おれにだって、わからない。とにかく、じゆうかいたくみんのしゅうらくばかりでなく、おうこくのりょうどであるまちもおそわれたということで、こいつらはそのはんにんをさがしていたのだそうだ」


 それは確かに、リヴェルたちの想像を絶する話であった。

 王国の領土である町ならば、住民の数も百ではきかないだろう。そんな大勢の人間が、のきなみ害されてしまったというのだろうか。


「……だからこいつらも、こおりづけになったしかばねがにんげんをおそうということをしっていたのだ。まだじぶんたちのめでみたことはないといっていたがな」


「ふん! だったら、あたしらの言い分だって信じられるんじゃないの? これ以上、何を疑おうっていうのさ?」


「……だからいまは、おまえたちがあやかしのちからをつかってまひゅどらのたみをあやめているのではないかとうたがっているのだ」


「あたしらが!? どうしてさ!?」


「それは……なーにゃがまもののようにうつくしいせいかもしれん。それに、きたのたみをがいするのはにしのたみであるとおもっているのだろう」


 そのようにつぶやきながら、タウロ=ヨシュはぎらりと双眸を光らせた。


「なーにゃは、おれのどうほうのたましいをきよめてくれた、おんじんだ。けっしてあいつらにてだしはさせん。……だからおまえたちも、ごかいがとけるまではおとなしくしていろ」


「誤解が解けるのは、いつなのさ? あたしらは、いつまでこんな連中と同じ屋根の下で眠らなきゃいけないわけ?」


「……こいつらはしたっぱのへいしなので、うえのにんげんがしんぎをはかるといっている。まずは、こいつらのほんたいがじんどっているばしょにむかうしかない」


「わ、わたしたちはマヒュドラに連れていかれてしまうのですか?」


 思わずリヴェルも口を出してしまうと、タウロ=ヨシュは「いや」と首を振った。


「こいつらのほんたいは、ぐわらむというばしょにあるらしい。もともとはにしのりょうどであったが、いまはこいつらのりょうどであるそうだ」


「グ、グワラム!?」


 リヴェルが大きな声を出してしまうと、暖炉の前の兵士たちがじろりとにらみつけてきた。

 リヴェルは声をひそめながら、タウロ=ヨシュのほうに身を寄せる。


「グ、グワラムというのは、確かに数年前までセルヴァの領土でした。それを取り返すために、ちょっと前にも大きな戦争があったはずですよ?」


「そうか。じゆうかいたくみんのおれには、えんのないはなしだ」


「そ、そんな場所に向かうのは危険ではないですか? またいつセルヴァの軍が攻めてくるかもわかりませんし……」


「しかたあるまい。このばでくびをはねられるよりはましだ」


 リヴェルは途方に暮れながら、ナーニャの寝顔に視線を落とした。

 白い額に汗を浮かべて、形のよい眉を悩ましげにひそめながら、ナーニャは苦悶の眠りに落ちている。


(確かに今のグワラムはマヒュドラの領土だけど……でも、そこに住まっていた西の民たちが皆殺しにされたわけじゃない。農民たちは奴隷として働かされて……もしかしたら、貴族や軍人たちだって、何人かは人質として生かされているかもしれない)


 そんな場所にナーニャとゼッドが連れていかれたら、いったいどうなってしまうのだろう。

 もしも、彼らの前身を知る人間がひとりでも生き残っていたら、ついに彼らの正体が露見してしまうかもしれなかった。


 そして、敵対国であるマヒュドラにその事実が知れてしまったら、いったいどうなってしまうのか。セルヴァ王家の正統な血筋であるナーニャ――第四王子カノンの身柄を、マヒュドラが手中にすることになったら、いったいどうなってしまうのか。リヴェルには、最悪な未来しか思い描くことはできなかった。


(ナーニャ……早く目を覚ましてください)


 リヴェルは、火のように熱いナーニャの指先をつかみとった。

 しかし、その真紅の瞳はまぶたに隠されたまま、決して開かれることはなかった。

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