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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第三章 紡がれる運命
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Ⅴ-Ⅴ 二つの秘密

2017.8/26 更新分 1/1

 その日、メナ=ファムたちは中天の食事を終えるなり、ベアルズ大公の待つ謁見の間へと招集されることになった。

 いよいよ首でも刎ねられるのではないかと、メナ=ファムはいつでも暴れられるように心がまえをしていたが、その心配は杞憂に終わった。玉座で待ち受けていたベアルズ大公は、最初に顔をあわせたときよりも遥かに上機嫌である様子であった。


「よくぞ参られたな、カノン王子。そして、元・千獅子長エルヴィルよ。さきほどアルグラッドから、調査の報告が届いたのだ」


 上機嫌といっても、それは獲物を見つけた肉食獣のごとき笑顔であった。

 シルファもエルヴィルも、無言で大公の言葉を聞いている。


「おぬしの言葉は、すべて真実であったと認められたぞ、エルヴィルよ。おぬしの素性も、王都を追放された理由も――そして、おぬしがどれほどヴァルダヌスという若き将軍に心酔していたかも、すべておぬしの言葉の通りであった。なおかつ、人相風体についても、アルグラッドで知られているものとまったく違わぬという話であったな」


「……それは、幸いでございました」


 エルヴィルは、静かに頭を垂れる。

 そのかたわらで、メナ=ファムはいささか驚かされることになった。


(なんだ、王都とこの城は行き来に半月もかかるって話だったのに、十日やそこらでもう話がついちまったってのかい)


 ということは、ゼラドはトトスを走らせるよりも迅速に通信を交わす手段を有している、ということである。生まれてからシャーリの集落と近在の町ぐらいにしか足をのばしたことのないメナ=ファムには、それがどのような手段であるのかも想像することはできなかった。


 だが、そのようなことに驚いている場合でもない。ついにエルヴィルは、その前身が王都の軍の隊長格であったということを、ゼラドの人間たちに認めさせることがかなったのだ。ラギスの言葉を信じるならば、これで大きく話は移り変わっていくはずであった。


「己の忠誠を捧げた相手をあのような災厄で失ってしまい、さぞかし無念であったろうな、エルヴィルよ。しかもヴァルダヌスという男には、第四王子カノンに加担して前王や王太子を弑したなどという疑いがかけられてしまっている。そのような汚名にまみれながら魂を召されたのでは、ヴァルダヌスという男も浮かばれまい。まったく、痛ましい話だ」


「…………」


「それで、おぬしは――恩人にして剣の主たるヴァルダヌスがそのような謀反を起こすわけはない、と奮起して、そちらのカノン王子とともに身の潔白を証し立てようという算段であるのだな?」


「……はい」とエルヴィルはうなずいた。

 口調は静かだが、その目には復讐の炎が燃え始めている。


「では、おぬしはどのような手段でもって、それを証し立てようという心づもりであるのかな?」


「……このたびの陰謀は、すべて王弟ベイギルスの企てによるものと考えております。ならば、まずはあの僭王めを偽りの玉座から引きずりおろすしかありますまい」


「ふむ。新王ベイギルスが兄たる前王や王太子たちを滅ぼし、その罪をカノン王子とヴァルダヌスになすりつけたのだと、おぬしはそのように主張しているそうだな。……その話に、証はあるのか?」


「証は、ありません。しかし、前王に忠実であった者たちばかりが魂を返し、前王に排斥されていた者たちばかりが栄華を誇っている、この状況そのものが真実を示しているのだと考えております」


 そのように述べながら、エルヴィルはいっそう激しく双眸を燃やした。


「何にせよ、前王の直系であるカノン王子がこうして生き永らえている以上、ベイギルスめに玉座に座る資格はありません。自分は、正統なる王を玉座につかせるために、この身のすべてを捧げるべきだと決断したのです」


「その心意気は、見事なものだ。しかし、五十や百の軍勢では、とうていその悲願を達成することもかなうまいなあ」


 ベアルズ大公は、喜悦の極みにある様子であった。

 その足もとには、本日も十日前と同じ顔ぶれがそろっている。双子のようによく似たふとっちょの公子たちはくすくすと笑い声をあげており、南の血が混じった将軍は不機嫌そうにエルヴィルの姿をにらみつけていた。


「アルグラッドを守る獅子の軍は、およそ十万。我がゼラドの軍が数十年をかけても討ち倒すことのできなかった、忌々しき軍勢だ。……まあ、おぬしもほんの数ヶ月前までは、その獅子の軍の一員であったわけだがな」


「…………」


「しかし、今のおぬしにその責を問うつもりはない。アルグラッドを追放され、剣の主をも謀殺されてしまったおぬしにとっては、いまやあの獅子の軍こそが仇敵なのであろう。敵の敵は、友たりうる。……タラムスも、異存はなかろうな?」


「はっ」と将軍はふてくされた顔で一礼をする。

 南の民は直情的であると聞くが、この将軍にもぞんぶんにその気質が受け継がれているようだった。


「では、あらためて、おぬしたちを客人として歓待しよう。夜にはささやかな祝宴を開く予定であるので、それまでは身を休めておくがいい。……客人たちを、部屋に」


 後方に控えていた衛兵たちが、左右からメナ=ファムたちを取り囲む。

 けっきょく言葉をかけられたのはエルヴィルばかりで、偽王子たるシルファには一言もなかった。


(やっぱりラギスの言う通り、王子が本物であるか偽物であるかは二の次ってことかい。まったく、なんて馬鹿馬鹿しい話だろう)


 要するに、エルヴィルにとってもベアルズ大公にとっても、シルファの存在は王都に攻め込むための口実にすぎないということだ。

 かたや復讐心のため、かたや野心のため、現在の王を打倒したいだけなのである。そんなもののために偽王子などを演じる羽目になっているシルファこそ、いい面の皮であった。


(いったいあんたは、どうしてこんなしょうもない運命を諾々と受け入れちまってるんだろうね。あたしには、それが一番解せないよ)


 石造りの回廊を歩きながら、メナ=ファムはこっそりシルファの様子をうかがった。

 無言で歩を進めているシルファは、本物の王子さながらに毅然と頭をもたげている。その血の色を透かせた青灰色の瞳からは、いかなる感情も読み取れなかった。


「おや。お帰り、早かったですね」


 もとの寝所に戻されると、そこで待ち受けていた四人目の仲間がそのように呼びかけてきた。

 数日前から同じ部屋で過ごすことになった、シムの商人ラムルエルである。メナ=ファムはラギスから間諜の役目を引き受ける代わりに、この奇妙な東の若者も手もとに取り戻すことがかなったのだ。


「ご無事、何よりです。茶、いれますか?」


「いや、気づかいは無用だ。ラムルエルもくつろいでいるといい」


 シルファがそのように答えるまでもなく、ラムルエルはくつろいでいるように見えた。

 東の草原の生まれである民は、あまり椅子を使う習わしに馴染みがないらしく、床に敷物を敷いてあぐらをかいている。大事な荷車や相棒の黒豹からは遠ざけられて、財産である飾り物や毒の武器をすべて剥ぎ取られても、ラムルエルは泰然とした態度をまったく崩していなかった。


 また、東の民は感情をあらわにすることを恥と考えているため、外見からは何を考えているかを察することも難しいのだ。炭を塗ったように黒いその顔には、今日も何ひとつ感情らしい感情は浮かべられていなかった。


「今日の夜は祝宴だと聞かされたが、やはりラムルエルは参席を許されないのであろうか。……まあ、ラムルエルも祝宴を楽しめるような心境ではないだろうが」


「すべて、シムの御心です。いずれ、よき風、吹くことでしょう」


 シルファは、こらえかねたように微笑した。


「本当に、このような騒ぎに巻き込んでしまって申し訳ないと思っている。いずれその身が自由になるまで、どうかこらえてもらいたい」


「いえ。王子殿下、おそば、あること、光栄、思っています。私、苦痛、ありません」


 盗み聞きの細工がされているというこの部屋で、ラムルエルはきちんと偽王子の芝居につきあってくれていた。

 それでもこの人物は、偽王子の正体を知る数少ない人間だ。いつでも真面目くさった顔をしている東の民は、どこかしらとぼけていて愛嬌を感じなくもないので、少しはシルファの心を癒す役にもなってくれていることだろう。


「それにしても、祝宴なんて、ずいぶん呑気な話じゃないか。あたしは今日にでも王都に攻めのぼることになるんじゃないかと、ひやひやしちまったよ」


 メナ=ファムがぼやくと、長椅子に腰を落としたエルヴィルがじろりとにらみつけてきた。


「数万から成る軍勢を、そんな簡単に動かせるものか。それに、王子殿下が加わったところで、ゼラドの軍勢がいきなり力を増すわけでもない。六百年以上にも渡って外敵を退けてきた王都アルグラッドをどのように陥落させるべきか、軍議に継ぐ軍議が必要だろうさ」


「ていうか、戦の話なんてこれっぽっちも持ちかけられなかったじゃないか。本当にあのお人らに、王都を攻めるつもりなんてあるのかね?」


「なければ、王子殿下を歓待する理由もあるまい。いずれは、この俺も軍議に招かれるはずだ。かつて千獅子長であった俺は、王都周辺の情勢について、ゼラドの人間たち以上の知識をたくわえているのだからな」


 きっと、盗み聞きされていることを期待しているのだろう。エルヴィルは、ことさら力強い口調でそのように述べたてた。

 メナ=ファムはがりがりと頭をかいてから、シルファの可憐な耳もとに口を寄せた。


「ね、ちょいとエルヴィルと内緒話をしたいんだ。盗み聞きしてる連中の耳をくらませるために、ラムルエルと適当に話でもしていておくれよ」


 シルファは気がかりそうにメナ=ファムを見つめ返してきたが、すぐにうなずいてラムルエルのほうに向きなおった。


「夜までは、何も為すべきことはないようだな。ラムルエルよ、また何か異郷での話を聞かせてはくれまいか?」


「はい。それでは、セルヴァ最北の都市、アブーフでの逸話、お聞かせしましょう」


 そうしてラムルエルが淡々と語り始めるのを待ち、メナ=ファムはエルヴィルの隣に荒っぽく腰を落とした。


「エルヴィル、ようやくあんたと腹を割って話ができるよ。ちょいと長くなるけど、聞いておくれ」


 エルヴィルは、疑惑と不審に目を細めながら、メナ=ファムを横目でにらみつけてきた。

 メナ=ファムが、どうしてラギスの言いつけに従って、毎夜のように寝所へと通っているのか。それをこのエルヴィルがあやしく思わないわけはなかった。その疑念を、ようやく解き明かすことができるのである。


「ずいぶん長いこと、あんたをやきもきさせちまったけどさ。あちらさんの本音が知れるまでは、あんたに打ち明ける意味もないだろうと思ってたんだよ」


 そうしてメナ=ファムは、可能な限り声を潜めながら、ここ数日の出来事をすべて語ってみせた。

 ラギスがメナ=ファムに間諜役を申しつけたこと。その成果を報告するために、寝所へと呼びつけられていたこと。そして、ラギスが語ったゼラド大公国の裏事情――ベアルズ大公の思惑と、ラギスの思惑、そのすべてである。


 話を聞く内に、エルヴィルの顔はどんどん険しく引きつっていった。

 その目は爛々と燃えさかり、左頬の古傷にも血の色が浮かび始める。


「そうか……あのラギスという男は、ベアルズ大公の落胤であったのか」


「ああ。母親が侍女だから、まったく貴族としては扱われてないって話だけどね」


「……それで、自分に正当な地位を与えようとしない父親を憎んでいる、と?」


「憎んでいるかはわからないね。もちろん今の状況には納得がいってないし、性根のほうもねじくれるだけねじくれちまったみたいだけど……なんていうか、自分の力だけで将軍にでも成り上がって、父親や兄貴どもを見返してやろうとでも考えてるんじゃないのかね」


 メナ=ファムの目から見たって、あの女子供のようにさえずるふとっちょの公子たちよりも、ラギスのほうがよっぽど才覚あふれる若者に見えた。だからきっと、ラギスはその才覚に見合った立場を強引にでも手中にしようとしているように感じられる。


「そんなに納得がいかないなら、こんなけったくそ悪い故郷は捨てちまえばいいのにね。そうできないのは、きっと――父親たちに目にものを見せてやろうっていう執着が捨てきれないからなんだろうと思うよ」


「……なるほどな。あいつがどうして飢えた獣のような目つきをしているのか、ようやくそれを理解することができた」


 エルヴィルは腕を組み、長椅子の背もたれにもたれかかった。

 その横顔を眺めながら、メナ=ファムはこっそりと溜息をつく。


(飢えた獣みたいな目つきをしてるのは、おたがいさまだろ。まったく、嫌になっちまうよ)


 しかし、エルヴィルに伝えるべき話はまだ終わっていなかった。

 メナ=ファムとしては、むしろこの話を伝えたいがために、一刻も早くエルヴィルに事情を打ち明けたくなってしまったのだ。


「それでさ、ちょいと気になったんだけど……あの大公ってのがいきなり祝宴だなんて言いだしたのは、どっかのお姫様を王子に目合わせようっていう魂胆なんじゃないのかねえ?」


「…………」


「大公がセルヴァ王家の乗っ取りを企んでる、なんていうのはラギスの憶測にすぎないけどさ。それぐらいのうまみがなければ、大公が王子に手を貸す理由もないように思えちまうし……あんたは、どんな風に考えてるんだい?」


「それは、ラギスという男の言う通りだろう。もとよりゼラドの大公家は、セルヴァの支配者の座を欲して王都に戦いを挑み続けているのだ。ならば、カノン王子という格好の餌に食いつかぬはずがない」


「だったら、どうするのさ? そのお姫様が寝所にでも潜り込んできたら、シルファの正体がばれちまうんだよ?」


 エルヴィルは、面倒くさげに首を振って、何も答えようとしなかった。

 その目は、いよいよ熾火のように燃えている。

 それは、昨晩ラギスが見せた眼光にも劣らぬ熾烈な激情の炎であった。


「それで……」


「うん、何だい?」


「あのラギスという男は、それらの話を俺に打ち明けることを許していたのか?」


 メナ=ファムはいったんエルヴィルから身を離し、ひとしきり頭をかいてから、またその耳もとに口を寄せた。


「あんたの素性が確かなものだと大公たちに認められたときに、打ち明けろと言われてたよ。だけど別に、あたしはそれだけが理由で今日まで隠してたわけじゃ――」


「そうか」と言い捨てて、エルヴィルはおもむろに立ち上がった。

 その激情くるめく瞳が、ラムルエルと語らっていたシルファに向けられる。


「王子殿下、自分とメナ=ファムは少々席を外します。自分の素性が確かめられた以上、もはや危険なことはありませんでしょうから、どうかこの場でお待ちください」


 シルファはとても切なげな目でエルヴィルを見つめてから、「わかった」という偽王子としての言葉で答えていた。


「それでは、失礼いたします。……行くぞ、メナ=ファム」


「行くって、どこにだい? あんた、人でも殺しそうな目つきをしてるよ?」


「そんな物騒な話ではない。ラギス殿に、俺の部下たちを返していただけるように嘆願するだけだ」


「部下たちを? どうして今さら?」


「言うまでもない。俺の素性が確かめられた以上、決戦の時は近いのだ。王子殿下の旗本隊として働けるように、あの者たちを鍛えなおさねばなるまい」


 いったい何の話なのかとメナ=ファムは混乱しかけたが、すぐにそれは盗み聞きしている連中に聞かせるための言葉なのだと察することができた。

 しかしそれならば、エルヴィルは何か別の理由でラギスに面会を求めている、ということになる。

 それがどういう理由であるのか、メナ=ファムは不穏に感じなくもなかったが、この場ではあらがうすべもないように思われた。


「……お前はラギス殿のお気に入りなのだろう、メナ=ファムよ? 王子殿下の今後のために、どうか口添えをしてもらいたい」


「わかったよ。あのお人が、そう簡単に言うことを聞いてくれるとは思えないけどね」


 メナ=ファムはシルファを安心させるために笑いかけてから、エルヴィルとともに客間の出口へと向かった。

 その扉を乱暴に殴りつけると、小姓が慌ただしく声を返してくる。


「い、いかがなさいましたか? ご用事でしたら、その場でお申しつけください」


「第一連隊長ラギス殿に面会を願いたい。ラギス殿は、本日登城されているだろうか?」


「ラ、ラギス様ですか? 少々お待ちくださいませ」


 それから、しばらくは音沙汰がなかった。

 ラギスにあてがわれた部屋に行って戻るだけであれば、これほど時間がかかることもなかっただろう。おそらくは、立場のある人間にこの行いが許されるかどうか、おうかがいを立てているのだと思われた。


(それで駄目なら、エルヴィルもあきらめがつくだろ。なんとなく、今はこいつらを会わしちゃいけない気がするよ)


 しかし、エルヴィルとラギスが言葉を交わすことで、シルファの安全が守られるということもありうるかもしれない。そのように考えると、メナ=ファムもむやみに邪魔だてすることはできなかった。


 シルファもラムルエルと言葉を交わしつつ、不安そうにこちらを見やっている。

 それからたっぷり四半刻は経過してから、ようやく扉は開かれることになった。


「ラギス様のもとまでご案内いたします。ただし、カノン王子は部屋を出ることを許されていないのですが……」


「出向くのは、俺とメナ=ファムだけで十分だ」


「では、こちらにどうぞ……」


 次の間を出ると、守衛とは別に四名もの衛兵が待ち受けていた。

 その四名に左右と前後を囲まれつつ、回廊を歩く。メナ=ファムには、すでに歩きなれた道行きだ。


「ふん。今日は男連れか。なかなか俺の胸を騒がせてくれるではないか、メナ=ファムよ」


 扉を開けるなり、ラギスはそのように述べたててきた。

 同行してきた衛兵たちに聞かせるための、戯れ言である。


「まあいい。話があるというのなら、聞いてやろう。俺もひまな身ではないので、手短にな」


 メナ=ファムとエルヴィルだけを招き入れて、ラギスは客間の扉を閉めた。

 さらに閂まで掛けてから、二人に奥の長椅子を指し示す。


「この部屋に伝声管はないが、扉の外で兵士どもが耳をそばだてていないとも限らんのでな。話は、あちらで聞かせてもらおう」


「……了解した」


 ラギスを先頭にして、長椅子に向かう。

 本日のラギスは、演習用の簡素な鎧を身につけていた。


「話は聞いたぞ。お前が自分で語っていた通りの身分であったと、大公閣下たちに認められたそうだな。これで即座に首を刎ねられることもなかろう。まずは、めでたきことだ」


 鎧を纏ったまま長椅子に座したラギスは、口もとを歪めながらそのように言い放った。

 その正面に腰をおろしながら、エルヴィルは小さくうなずく。


「で、お前の部下どもを手もとに返してほしいと? 気持ちはわかるが、それはなかなか無茶な申し出だな」


 メナ=ファムはぎょっとして、ラギスに笑われることになった。


「お前たちの会話は筒抜けだと言ってあったろうが? その要求を承諾することはならじと、あらかじめ申しつけられることになったのだ。それが本当にお前たちの用事であったのなら、早々にもといた場所に戻るがいいぞ」


「いや、俺の用事は別にある。……その前に、この部屋は本当に安全であるのだろうか?」


「ああ。なんとか伝声管のない部屋をあてがわれるぐらいの武勲をあげることがかなったのだ。……で、お前はさっそくこの御仁にすべてを打ち明けることになったようだな、メナ=ファムよ」


「ああ、まあね」と適当に応じながら、メナ=ファムはエルヴィルの様子を観察していた。

 エルヴィルは、差し迫った目つきでラギスをにらみつけている。


「ラギスよ、あなたは大公の野望から王子殿下を守っていただけると語っていたそうだが、それは真情からの言葉であるのだろうか?」


「うむ? 守るとまでは言っていないはずだな。ただ、ゼラドが最後の最後で敗北する道筋は作ってやるから、あとは好きにしろと言ったまでだ」


「あなたは、自分だけが勝利すればいい。ゼラドの繁栄は二の次であると――つまりは、そのように考えているのだろうか?」


 ラギスの目にも、じわりと暗い炎が宿った。


「俺は、ゼラドの人間だ。その繁栄を願わぬわけがない。ただ、武勲をあげるのは俺ひとりで十分だと――俺はそのように言ったはずだぞ、メナ=ファムよ」


「ああ。あたしもそんな風に伝えたつもりだよ」


「しかし、あなたは現在の境遇に不服なのだろう? どれほどの武勲をあげたとしても、けっきょくは父たる大公の繁栄を支えることにしかならない。あなたは、それで満足なのだろうか?」


 ラギスは、手負いの獣じみた形相で笑った。


「言葉に気をつけろよ、千獅子長。お前は丸腰で、俺は剣をたずさえている」


「俺は、あなたの本心を知りたいのだ。自分たちの命運を託すに足る人間かどうか、それを知りたいと願っている」


 エルヴィルの目にも、業火が燃えている。

 復讐に燃える目と、野心に燃える目が、ばちばちと火花を散らしているかのようだった。


「あなたが俺たちの命運を担ってくれるのであれば、俺たちもあなたの恩義に報いよう。俺たちには、あなたの野心を満たす準備がある」


「俺の野心だと? ……なるほど、見えてきたぞ。お前は俺に、ゼラド大公の座という餌をぶらさげようとしているのだな」


 白い歯を剥き出しにして、ラギスが笑う。


「お笑い種だ。お前は、大公閣下を暗殺でもする気か? しかし、大公閣下を弑逆するだけでは用事が足りん。あの醜い公子たちや、大公閣下の姉君や妹君、その一族郎党を皆殺しにでもしない限り、俺のもとに大公の座が転がり落ちてくることはないのだ」


「……俺は、前王と王太子たちを弑した叛逆者どもに復讐を果たそうと考えている。そんな俺が、そのように浅ましい取り引きを持ちかけるとお考えか?」


 エルヴィルが身を乗り出し、火竜の息じみた囁き声を吐きかけた。


「また、あなたが父親たる大公や兄たちの死を願っているとは思えない。あなたはその身に相応しい立場を手に入れて、愚鈍なる家族たちを見返したいと考えているのではないのか?」


「……言葉に気をつけろという俺の言葉が聞こえなかったようだな」


 ラギスは獰猛に笑いながら、長剣の柄に手をかけた。

 メナ=ファムは、エルヴィルを黙らせるべきかと身がまえる。

 そんな中、エルヴィルは静かに熱く語り続けた。


「俺たちには、その野心を満たす準備があると言っているのだ。ゼラドが滅びることもなく、大公や公子たちを害することなく、あなたが彼ら以上の立場と力を手に入れることができれば、それこそが至上の結果ではないだろうか?」


「あいつら以上の立場と力だと? お前はいったい、どのような妄言を俺に吐きかけるつもりであるのだ?」


「俺は――俺たちは、あなたにセルヴァの王位を与えよう」


 長剣の柄を握ったまま、ラギスがすべての動きを止めた。

 メナ=ファムは、正体の知れない悪寒に見舞われ――次の瞬間、そのおぞましい悪寒の正体を知ることになった。


「あなたを信頼し、秘密を打ち明けさせていただく。我らと行動をともにしている、あのカノン王子殿下は――女人であるのだ」


「な――」


「ゆえに、カノン王子を――いや、カノン姫を伴侶に迎えた人間こそが、セルヴァの玉座を得ることになる。これが、あなたに準備した報酬だ」


「あんた! いったい何を抜かしてるんだい、エルヴィル!」


 発作的な怒りに見舞われて、メナ=ファムはエルヴィルの胸ぐらをつかんでしまった。

 しかしエルヴィルは首をねじ曲げて、ラギスのことだけを見つめている。


「どうだろう? あなたがセルヴァの王となれば、父親や兄たちを支配下に置くことができる。あなたにとって、それよりも望ましい行く末というものは存在するだろうか?」


「……戯れ言もほどほどにしておけよ、エルヴィル。仮に、お前の準備したあの王子が女人であったとしても、そんなものは王子の偽物であったという証にしかならん。それぐらいのことが、何故わからんのだ?」


 強ばった笑みを口もとにへばりつかせたまま、ラギスはそう述べた。

 メナ=ファムに胸ぐらをつかまれたまま、エルヴィルは首を振る。


「確かに、馬鹿げた話に聞こえるかもしれん。しかし、カノン王子が男子であると証し立てることのできる人間はいないのだから、女人であることが偽物の証にはならないはずだ」


「ハッ! 気が触れたとしか思えぬ戯れ言だな! 忌み子としてエイラの神殿に幽閉されていたのは、姫ではなく王子だ! たとえその姿を見た人間がすでに一人も生き残っていなくとも、風聞で王子とされている以上、女に肩代わりさせることなどできん!」


「それは違う。エイラの神殿には、王子のことを知る人間が一人だけ生き残っているのだ。名前は知らぬが年老いた修道女で、その老女が幼い頃から王子の面倒を見ていたのだと――俺はヴァルダヌス将軍から、そのように聞いている」


 そのように述べてから、エルヴィルはメナ=ファムの手を振り払ってきた。

 そして、中央の卓に手をついて、ラギスの顔を間近から覗き込む。


「少なくとも、俺が王都を追放されるまで、その修道女は生きながらえていたはずだ。今もその修道女が生きていれば、きっと真実を語ってくれよう」


「なに……? それではまさか……カノン王子は本当に女人であったのだと言い張るつもりなのか?」


「違う。カノン王子は男でもあり女でもある、半陰陽という存在であったのだ。俺はヴァルダヌス将軍から、そのように聞いていた」


 今度こそ、メナ=ファムは打ちのめされることになった。

 ラギスも強ばった笑みを消し、呆然とエルヴィルの姿を見返している。


「そうでなければ、俺も女人であるあいつにカノン王子を名乗らせたりはしなかっただろう。真の王子は半陰陽であったが、年齢を重ねる内に女人としての成長を遂げたのだと言い張ることもできようと思ってな」


「では……では、やはりあいつは、偽物の王子であるのだな? そしてあいつは、半陰陽ではなく、ただの女人……」


「そうだ。だから、あいつを伴侶にすることもできるし、子を生すこともできる。あいつには何の野心もないので、あなたがセルヴァの王として君臨すればいい。その先も、あなたの子がセルヴァを支配し続けるのだ。……ゼラド大公家には、三代前の王家の血が流れているのだから、西方神も怒りの雷を落とすことはなかろう」


「……あの偽王子は、いったい何者なのだ?」


 ラギスが、まだ心ここにあらずといった調子で問いかけた。

 メナ=ファムもまた、エルヴィルの言葉によって受けた衝撃から立ち直れずにいる。

 そんな中、エルヴィルは感情の欠落した声で言い捨てた。


「あいつは、俺の妹だ。俺の復讐を成就させるために、あいつはすべてを投げうってくれた。どうか俺たちと、命運をともにしていただきたい。……大公家の人間で、俺たちに相応しいと思えたのはあなたなのだ、ラギスよ」

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