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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第三章 紡がれる運命
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Ⅳ-Ⅴ 告白

2017.8/19 更新分 1/1

「ふむ。まさかシーズ殿が、俺の館にまぎれこんだ暗殺者であったとはな。にわかには信じ難い……というか、信じたくない話だ」


 ダーム公爵家の本邸にて、当主のトレイアスは深々と溜息をついていた。

 同席しているのはダリアスとクリスフィア、それにさきほどの侍女のみである。トトスの車に居残っていたラナたちは、別室で武官たちに守られていた。


「でも、シーズ様の部下である騎士様たちがよからぬ動きを見せていたということは、前々からご報告していたでしょう? ああいった悪さも、きっとすべてはシーズ様のご命令だったということなのですわ、主様」


 トレイアスに寄り添った女が、妖艶に微笑みながら、そのように応じる。さきほどまでの悪女めいた顔ではなく、優美で慎ましやかな侍女の顔だ。


「それで、この館の守衛たちには、どのように説明をしたのだ? 最初はお前が賊として追われていたのであろう、レィミアよ?」


「わたくしの姿をはっきりと見たのはシーズ様たちのみであったので、何も問題はございません。シーズ様とお供の騎士様たちは、館に忍び込んだ賊と相討ちになったのだとお伝えしておきましたわ。……あと、蔵のほうは賊の撒き散らした毒が危ないので、明日まで足を踏み入れないように言いつけておきましたの」


 女――レィミアは、顔つきばかりでなく言葉づかいまで変わっていた。公爵家の当主の侍女に相応しいたたずまいである。

 しかしこの女がさまざまな意味で只者ではないということは、もうダリアスには痛いほど理解できていた。シーズの最期を見届けて、蔵の外に脱した後、この女はさきほど述べたような言葉でてきぱきと守衛たちに指示を飛ばしていたのである。


「あとは朝方になったら、信用の置ける人間だけを使って、シーズ様たちの亡骸を運ばせましょう。賊の亡骸がないことに関しては、くれぐれも口止めをしておく必要があるでしょうねえ」


「では、シーズ本人が賊であったという事実は、まだ伏せておくべきだというのだな?」


「ええ。シーズ様を操っていたのがどこの誰であるのか、それを突き止めるまでは何もおおっぴらにするべきではないと思いますわ。シーズ様と三名の騎士様は、あくまで賊の手にかかったのだとしておくのが利口なのではないでしょうか。……もちろん、お決めになるのは主様ですけれど」


「いや、お前の言う通りにしよう。お前のように頭の回る女をそばに置くことができて、俺はとても嬉しく思っているぞ、レィミアよ」


 トレイアスは満足そうに笑い、レィミアの手を取って口づけをした。

 レィミアは妖艶に微笑みながら、しなを作っている。


「で、シーズ殿に襲われたティートとやらは、けっきょくどうなったのかな?」


「ええ。幸い一命は取りとめたようですので、今は医術師に面倒を見てもらっております。医術師によると、長剣で肩口を叩き斬られたようだという話でありました」


 そのように答えたのは、クリスフィアであった。

 その灰色の瞳は、さきほどまでと変わらず炯々と光っている。


「やはりシーズ殿は、何者かの送り込んだ間諜であり暗殺者であったのでしょう。妹君の生命を盾にされて、そのように悪辣な真似に手を染めることになってしまったようです」


「まったく、痛ましいことだ。この俺などを見張ったところで、何も面白いことなどはなかろうになあ」


「……ですが、シーズ殿を操っていた何者かは、トレイアス殿の動向を見逃せなかったわけです」


 クリスフィアは、同じ目つきのまま、長椅子から身を乗り出した。


「シーズ殿は、トレイアス殿が王都に向けて放とうとした使者を殺めたのだというお話でありましたね。それは、何のための使者であられたのでしょうか?」


「さて……ずいぶん昔の話であるので、忘れてしまったな」


「昔ですか。それはひょっとして、先の赤の月だったのではないでしょうか?」


 トレイアスは口をつぐみ、レィミアのほうを見た。

 レィミアはうなずき、両者の間に置かれた卓の上に手をのばす。そのなよやかな指先がシムの薬酒の瓶を取り、硝子の酒杯に黒褐色の液体を注いだ。


「……その赤の月というのは、どこから出てきた話であるのかな?」


 酒杯の薬酒で唇を湿してから、トレイアスはゆったりと問うた。

 クリスフィアは、焦れたように眉を吊り上げる。


「言わずと知れた、赤の月の災厄でありますよ。王都で銀獅子宮が炎に包まれて、王も王太子たちも魂を返したとあっては、いったい何事かと使者を飛ばすのが当然でありましょう? その使者を、シーズ殿の配下に斬り捨てられたのではないのですか?」


「ふむ。使者を飛ばすのが当然であれば、ことさらそれを害される理由もないように思えるが」


「そうは考えなかった人間が敵方にいる、ということでしょう。トレイアス殿には、何か心当たりはあられないのですか?」


 トレイアスは、また酒杯を口に運んだ。

 外見は、ダームに集まる商人の元締めみたいな風貌である。恰幅がよくて、異国風の装束を纏っており、肌も船乗りのように焼けている。形のいい口髭をたくわえたその顔は、クリスフィアが何を言いたてても涼しげに微笑んでいた。


 祝典などではよく見た姿であるが、ダリアスが言葉を交わしたことは数えるほどしかない。印象としては、大らかで人あたりもよく、それでいて腹の底が読めない男、というものであった。


 むしろダリアスが親しくしていたのは、さきほど魂を返すことになったシーズのほうなのである。

 シーズは三番目に若い十二獅子将であり、ダリアスは二番目に若い十二獅子将であった。そこに一番若いヴァルダヌスも加えて、アルグラッドの若獅子衆などと呼ばれることも多かったのだ。


 個人的な交遊が多かったわけではない。貴婦人を惑わす伊達男などと称されていたシーズであるので、気性などはダリアスの正反対に近かった。しかしそれでも話していて嫌な気持ちになる相手ではなかったし、女遊びにかまけて仲間をないがしろにするような人間でもなかった。祝宴などでは、あまり楽しみ方をわきまえていないダリアスをかまってくれることも多かったように記憶していた。


 そのシーズが、悪党どもの手先に成り下がり、汚れ仕事に手を染めてしまった。

 しかもそれは、大事な妹を人質に取られた上での決断であり――そしてシーズは、裏切りの代償として生命を落とすことになってしまったのだ。

 クリスフィアたちの会話を聞きながら、ダリアスの気持ちはまだ千々に乱れたままであった。


「……それに、こちらのアッカム殿とティートなる人物は、ダーム公爵家に潜む謀反人を捜し出すために暗躍されていたという話なのですよ」


 と、ふいにそんな言葉が耳に飛び込んできて、ダリアスは面を上げることになった。

 クリスフィアの白い指先が、自分のほうを指し示している。


「その謀反人というのが、シーズ殿であったのでしょう。こうなったからには、すべてをつまびらかにして、王都の判断を仰ぐべきなのではないでしょうか?」


「ふむ……」


「それとも、それをつまびらかにできない事情でもお抱えになられているのでしょうか?」


 それこそ若い獅子のように瞳を光らせつつ、クリスフィアはそう言いつのった。


「トレイアス殿、わたしは王都の人々とも深い縁をもたない、言わば余所者の身です。だけどその分、余計なしがらみとも無縁な立場であると言えるでしょう。そんなわたしであるからこそ、何かトレイアス殿のお力になれることもあるのではないでしょうか?」


 トレイアスは、けげんそうに首をひねっていた。


「それは、どういう意味であろうかな? 何にせよ、謀反人たるシーズ殿はその生命で罪を贖うことになったのだ。これ以上は、何も騒ぎたてる理由はないように思えるな」


「果たして、そうでありましょうか? この先、第二第三の暗殺者が送り込まれないとも限りますまい。しかも相手は、使い魔などという妖しを使役する者たちなのですよ」


「ふむ。俺の存在を邪魔だと思うなら、その使い魔とやらで殺してしまえば一番簡単であろうにな」


 そう言って、トレイアスはまた侍女のほうを振り返った。

 主人の椅子のかたわらに侍ったレィミアは、うっすらと笑いながら首を横に振る。


「使い魔というのは、それほど簡単に扱えるものではないのですわ、主様。ひとつ間違えば術者のほうが生命を落とすことになる、とても危険な術であるのです。……シーズ様はおそらく、長い時間をかけて呪術をほどこされたのでしょう。自分が何をされたかも知らされぬまま、あのおぞましい存在を憑依させられることになったのですわ」


「ふむ。まことに痛ましい話であるな」


「……それに、主様の御身を害したところで、爵位はご子息様に継承されるだけのことですわ。主様が害されれば、ご子息様も魂にかけてその犯人を捜し出そうとするでしょうから……たとえ主様を邪魔者あつかいする輩が存在したとしても、迂闊に事を荒立てようとは考えないことでしょう」


 そのように述べてから、レィミアは色っぽく主人の肩にしなだれかかった。


「もっとも、誰が主様の敵であれ、このわたくしが髪の毛の一本も傷つけさせたりはいたしませんけどねえ……主様は憂いなく、ご自分のなさりたいようになさってくださいませ」


「うむ。お前さえいてくれれば、十人の騎士に守られているようなものだからな」


「あら、たったの十人ぽっちですの? 意地悪な主様……」


 レィミアはシムに住む猫みたいに目を細めながら、主人の肩に頬をすりつけた。

 トレイアスは、目尻を下げながらその髪を撫でている。

 そんな主従のあられもない姿に、クリスフィアはまた眉を吊り上げた。


「何にせよ、ここまで手の込んだ策謀を仕掛けてきた相手が、これですべてをあきらめることにはなりますまい。ご自身の安全をはかるためにも、トレイアス殿は味方を増やすべきなのではないでしょうか?」


「その味方に、姫が名乗りをあげておられるのかな? わずか数日の滞在を許したぐらいで、そこまでの恩義を感じる必要はないように思うのだが」


「……わたしは、曲がったことを好かぬのです。シーズ殿の一件だけを見ても、このように悪辣な陰謀を捨てては置けぬと考えます」


 クリスフィアは、この部屋を訪れたときから真剣そのものであった。

 いっぽうトライアスは、それをのらりくらりとかわしている様子である。この老獪なる当主が相手では、いささか姫には分が悪いように感じられた。


「それよりも、俺にとってはこの御仁のほうが気になってしまうな」


 と、トレイアスがダリアスのほうを見た。


「おぬしは、アッカムと申したか? ティートなる男と組んで、俺の屋敷を嗅ぎ回っていたそうだが、それは誰の指示であったのだ?」


「…………」


「シーズ殿は、確かに俺の敵であったようだが、おぬしもまた別の敵であるという可能性はぬぐえん。そんな人間の前で、うかうかと心情をさらすわけにはいかんな」


 すると、レィミアもねっとりと光る目でダリアスを見つめてきた。


「そういえば、シーズ様がセルヴァに魂を返されたとき、あなた様はとても心を乱されていたご様子でしたわねえ。シーズ様のことを、まるで積年の友のようにお呼びになられていたし……まさか、あなた様もティートなるお方もみんなシーズ様のお仲間で、ただ仲間割れをしただけというお話ではないでしょうねえ?」


「それは、わたしも気になっていた。あなたは本当にシーズ殿と見知らぬ仲であったのか、アッカムよ?」


 クリスフィアまでもが、強い眼差しを向けてくる。

 ダリアスは、心から苦悩することになった。


 ティートは、いまだに生死の境をさまよっている。このままティートが魂を返してしまったら、もう手詰まりだ。王都に居残っているゼラとも連絡を取り合う手段を失って、ダリアスとラナは孤立してしまう。


 最悪、それでも身を立て直すすべはあるのかもしれないが――ギムとデンの生命は、ゼラに預けられているようなものなのである。瀕死のティートをこの場に捨て置いて、ダリアスとラナだけが逃げ出すわけにもいかなかった。


「アッカムよ、どうか心を決めていただきたい。わたしは――シーズ殿の無念を晴らしたいのだ」


 と、クリスフィアがかすかに震える声で言った。


「家族を人質に取り、罪もなき人間を手足のように扱うなど、決して許されることではない。わたしはどのような手段を使ってでも、シーズ殿にあのような運命をもたらした何者かを糾弾する心づもりだ。そのために、あなたが何か有益な情報をたずさえているならば、どうかわたしに打ち明けてはくれぬだろうか?」


 シーズの死に顔が、ダリアスの脳裏によみがえった。

 右目のふちから血を流し、顔面を鼻汁とよだれまみれにして、苦悶の形相を浮かべたシーズの死に顔――闘技会や舞踏会で気取った笑みを浮かべていたあのシーズが、大罪人としてぶざまな最期を遂げることになった。それに対する怒りと無念が、今さらのように胸の奥底からつきあげてくる心地であった。


(ラナ、俺は決めたぞ。この判断が間違っていたとしても、お前の身だけは必ず守ってやるからな)


 ダリアスはクリスフィアにうなずきかけてから、トライアスのほうに視線を向けた。


「トライアス殿。バンズ公爵騎士団団長にして十二獅子将たるウェンダ殿が、赤き月に身罷られたことはご存じでありましょう?」


「うむ?」とトライアスが太い眉をひそめた。


「それはむろん聞き及んでいるが、それがいったい何だというのだ? ウェンダ殿は、病魔で身罷られたのであろうが?」


「いえ。あれは、毒殺されたのです。俺の仲間が確かめたところ、髪に隠された頭の皮膚に、毒の針で刺された痕があったのだという話でありました」


 クリスフィアも、緊迫した面持ちでダリアスを見つめていた。

 レィミアは、うろんげに目を細めている。


「そして俺は、さきほどシーズの死に立ちあいました。その際に、使い魔というものからどのような害を為されたのかと確認してみたのですが……右のこめかみの後ろのほうに、針で突いたような傷痕がありました。それほど深い傷でもなく、血が噴き出すこともなかったので、それは毛髪をかきわけないと確認できないほどでした」


「なに? つまりそれは……ウェンダ殿もまた、使い魔という妖魅によって生命を奪われたということか?」


「俺はウェンダ殿の傷痕を確認していないので、確かなことは言えません。だけど、もしかしたら……ウェンダ殿もシーズと同じように、何者かを裏切ろうとした末に暗殺されたのではないかと、そのような考えが頭をよぎりました」


 ダリアスは、ここしばらくの鬱屈を解き放つかのように、それらの言葉を口にした。


「赤の月には、大勢の人間が魂を返すことになりました。十二獅子将も、五人までもが身罷られています。その内の二人はグワラムの戦役で、もう二人は銀獅子宮もろとも滅びの炎に包まれたわけですが……ただひとり、ウェンダ殿だけは暗殺でありました。また、五大公爵騎士団団長の座にあった十二獅子将で生命を落としたのは、ウェンダ殿ただひとりであります。そのウェンダ殿と同じ立場にあったシーズが同じような死に様をさらしたのですから、それは同じ理由で死ぬことになったのだと考えるべきなのかもしれません」


「……おぬしはいったい、何者であるのだ?」


 と、トレイアスがふいに険しい声で言った。

 その声に反応したように、レィミアがそっと懐に指先をもぐり込ませる。


「おぬしの声には、聞き覚えがある。それほど近しい人間ではないが、俺は確かにどこかでおぬしの声を聞いたはずだ」


「はい。最後にお顔をあわせたのは、立太子の祝典であったでしょうか。それとも、闘技会の祝宴であったでしょうか」


 ダリアスは意を決し、顔に巻かれていた包帯に手をかけた。

 それをすべて取り去ると、トレイアスだけが驚愕の表情を浮かべた。


「おぬし……おぬしは、生きておったのか!」


「はい。生命冥加に生き永らえておりました。十二獅子将のダリアスです。俺はこの身の潔白を晴らすために、王都を出奔して参りました。どうか俺にお力添えを願えませんでしょうか、トレイアス殿?」


 重苦しい沈黙がたちこめた。

 しかしそれは、すぐに明るい笑い声によって叩き壊されることになった。


「なんと! お前が十二獅子将のダリアスであったのか! すっかり騙されてしまったぞ、アッカムよ! 生半ならぬ剣士であるとは思っていたが、まさかその正体が十二獅子将とは――まったく、うまく騙されたものだ!」


 ダリアスが振り返ると、長椅子から立ち上がったクリスフィアが笑顔でこちらに近づいてきていた。

 そしてその手が、膝の上に置かれていたダリアスの右手を強引にひっつかんでくる。


「あらためて、アブーフ侯爵家の嫡子、クリスフィアだ。トレイアス殿はどうか知らぬが、わたしはお前の力になると約束しよう! わけのわからぬ陰謀を、わたしたちの手で木っ端微塵に打ち砕いてみせようではないか!」


 クリスフィアは、勇猛なる面持ちで笑っていた。

 それはまるで、戦場で生き別れた同胞をようやく見いだせたかのような、そんな笑い方であった。

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