Ⅳ-Ⅳ 夜の襲撃者
2017.7/15 更新分 1/1
「いきなり何を言っているのだ、アッカムよ。確かな素性もわからぬあなたを公爵邸で自由にさせるわけにはいくまい」
クリスフィア姫は、凛然とした態度でそのように応じてきた。
ダリアスは、包帯の下で奥歯を軋らせる。
「だが、この場において、あなたの他に頼れる人間はない。俺はティートを斬り捨てた曲者を、みすみす逃がすわけにはいかんのだ!」
「うむ。ゆかりの深い人間を斬られたのだから、取り乱す気持ちはよくわかる。しかし、邸内には山ほどの武官たちがいるのだ。まだ曲者めが逃げおおせていないならば、いずれは捕らえることができよう」
そのように述べながら、若き姫騎士は灰色の瞳に闘志の炎を燃やしていた。
これだけ若く、しかも女性の身でありながら、凄まじいばかりの気迫である。さすがは猛きアブーフの民といったところであった。
(やはりこのクリスフィア姫というのは、なまなかならぬ剣士であるようだ。今の俺では、果たして五分の戦いもできるかどうか……)
これがもしも敵陣の人間であったら――と考えると、迂闊なことは口に出せない。
しかし、王都のゼラと連絡を取り合っていたのは、ティートなのである。このままティートが絶命してしまったら、ダリアスとラナは不案内なダームの地で完全に孤立することになりかねないのだった。
そして何より、ダーム公爵邸で諜報活動をしていたティートが斬られたのであるから、その凶刃をふるったのはダリアスにこのような運命をもたらした一味の刺客であるに違いない。そのような輩を、みすみす逃してしまうわけにもいかなかった。
ダリアスは、歯噛みをしながらクリスフィア姫を見つめ返す。
この勇猛なる姫君は、敵か味方か――半ば西方神に命運を託す気持ちで、ダリアスは言葉を振り絞った。
「クリスフィア姫、俺は……俺は、その公爵邸の武官たちというやつを信用することができん。何故なら、ティートは……この公爵邸に謀反人がいるのではないかと怪しみ、内偵を進めているさなかであったのだ」
「なに?」とクリスフィア姫はいっそう激しく眼光を燃やす。
貴公子さながらの美しさはそのままに、クリスフィア姫は歴戦の勇士の様相に成り果てていた。
「いったいそれは、何の話だ? ダーム公爵邸に謀反人……? どうして聖教団の神官などが、そのような役目を負うことになったのだ?」
「ティートは神官ではなく、神官お付きの従者だ。しかしこのたびは、王都より特命を受けてダーム公爵家の内情を探っていたのだ」
「王都の神官の、お付きの従者……? では、神官長バウファという人物の配下なのか?」
クリスフィア姫の口から意想外な名前が飛び出し、ダリアスはギクリとした。
「な、なぜアブーフ侯爵家のあなたが神官長などの名を知っているのだ、クリスフィア姫よ?」
「なに、噂で聞いただけのことだ。実際に顔をあわせたことはない」
ダリアスは、クリスフィア姫の真情を探ろうと、その白皙をじっとねめつけた。
そして、あちらも同じような眼差しを自分に向けていることに気づき、また少なからず動揺してしまった。
(まさか、この姫君もこたびの陰謀に関わっているのか? だとしたら……俺は、取り返しのつかない失態を演じたのかもしれん)
半ば無意識に、ダリアスはラナの肩を引き寄せた。
その姿を、クリスフィア姫はくいいるように見つめている。
「……それでは、あなたも王都の聖教団に連なる御方であったのかな、アッカムよ?」
「いや、俺は……一介の剣士として、ティートに協力していたに過ぎん。協力せざるを得ないような立場であったのだ」
「ふむ。大事な人間の命運が、そのティートという人物の思惑で左右されてしまうという話であったな。……どうもこれは、なかなか入り組んだ話であるようだ」
クリスフィア姫も侍女と学士を背中にかばうような位置取りをしながら、考え深げにそうつぶやいた。
「それでさきほど、気になることを言っていたな。公爵邸の武官たちは信用ならない、と?」
「ああ。誰が敵であるかもわからないのだから、信用できないのは当然であろう?」
ティートは、ダーム公爵家の当主トレイアスか、あるいは十二獅子将シーズのどちらかが背信者であると述べていた。ならば、ティートを斬り捨てたのはそのどちらかの勢力に与する人間であることに疑いはないだろう。そうでなければ、よりにもよって公爵邸の敷地内でこんな無法な真似に及ぶとは思えなかった。
「周囲の人間は、全員敵か。なかなか面白いことになってきたものだ」
クリスフィア姫は、戦いの女神さながらの笑みを浮かべた。
「よかろう。あなたにも同行していただく。ただし、虚言を吐くのは性に合わぬし、そもそも気のきいた虚言などすぐには浮かばん。あなたはティートなる人物の知人として触れ回ることになるが、それでよろしいか?」
「……ああ、それでかまわない」
毒を食らわばという心境で、ダリアスはうないてみせた。
不安そうに取りすがってくるラナの肩を、壊さないていどに強くつかむ。
(大丈夫だ。いざとなったら、トレイアス殿やシーズに正体を明かす。その上で剣を向けてくるならば……俺も自分の剣で切り抜けるだけだ)
ただし、このクリスフィア姫とシーズに二人がかりでかかってこられたときは、さしものダリアスも魂を返すことになるだろう。
もう一ヶ月ぐらいもまともに鍛錬できていないこの身では、クリスフィア姫ひとりが相手でも危ういかもしれなかった。
そのとき、荷車の外から「裏の蔵だ!」という声が聞こえてきた。
クリスフィア姫は、開け放しであった小窓のほうに呼びかける。
「おい、今のは曲者の所在の話であろうか?」
「はい。武官の皆さまは本邸の裏側に向かっておられる様子です。そちらに蔵があるのでしょう」
「では、我々もそちらへ!」
御者台の男は、すみやかにトトスへと鞭をいれたようだった。
動きだした荷車の中で、ダリアスはラナに「大丈夫だ」と囁きかける。
ほどなくして、荷車は停止した。
前側の小窓から、御者台の男が「到着いたしました」と告げてくる。
「では、参ろう。フラウとリッサとレミはここに残り、内側から閂を掛けておくといい。あと、窓は決して開かぬようにな」
「かしこまりました。お気をつけください、姫様」
「あーあ、いつになったら晩餐を口にできるのでしょうね」
侍女と学士は、このような際にもまったく気持ちを乱していない様子であった。
ひとり震えていたラナは意を決した様子でダリアスから身を離す。
「どうかご無事で……セルヴァに祈りを捧げます」
「ああ、頼む」
半身をもがれるような心地で、ダリアスは荷車の外に身を投じた。
とっぷりと日は暮れて、世界は濃密な闇に支配されてしまっている。その中で、右往左往する松明の明かりがあちこちで揺れていた。
「ひどい有り様だな。統率も何もあったものではない」
悠揚せまらず、クリスフィア姫も降りてくる。
そうして姫君は扉に閂が掛けられるのを確認してから、御者台のほうに回り込んだ。
「では、わたしとこちらの御仁は騒ぎの正体を探ってくる。もしも危険が迫ったときは、荷台に居残っている娘たちの安全を優先してくれ」
「承りました。どうぞお気をつけて」
周囲は暗いが、松明を掲げた武官たちが急ぎ足でダリアスたちを追い越していくので、歩くのに不自由はなかった。
行先には黒い巨大な建物の影がわだかまっており、その入り口と思しきあたりにはたくさんの松明がゆらめいていた。
「失礼する。こちらに曲者が逃げ込んだと聞いてきたのだが」
クリスフィア姫がよく通る声で呼びかけると、武官のひとりがぎょっとした様子で振り返った。
「あ、これはアブーフの……そちらは、どなた様で?」
「こちらは、さきほど曲者に害されたティートなる人物のご友人だ。霊廟のほうで引き合わせようと思い、港町から連れて戻ったら、この騒ぎでな」
「はあ。左用ですか……」
武官の男は不審の念を隠そうともせずに、ダリアスをじろじろとねめつけてきた。
顔中に包帯を巻きつけて、おまけに外套の頭巾までおろした姿であるのだ。それで体格はたいていの人間よりも逞しく、腰には立派な長剣など下げているのだから、不審に思われるのも当然なところであった。
「曲者は、この建物の中なのか? 貴官たちは何をしているのだ?」
「はっ! 入り口のところで騎士団の団員が斬り捨てられていたため、応急の手当てをしていたところであります」
「騎士団の団員? シーズ殿のお連れか?」
「はっ、どうやらシーズ将軍は、三名の供と曲者を追っておられた様子で……その内の一名が、斬り捨てられていたのです」
人垣の内を覗き込んでみると、確かに血まみれの若者が介抱されていた。
咽喉の近くを斬りつけられたらしく、出血がひどい。甲冑ではなく瀟洒な平服姿であったが、それも真っ赤に染まってしまっている。
「こちらの蔵は、完全に包囲しております。たとえ賊めが階上の窓から身を投じようとも、逃がす恐れはないでしょう」
「蔵の内部には、何名が追っているのだ?」
「シーズ将軍と、二人のお連れのみであります。大人数で詰めかけると混乱に乗じられる恐れがあるとのことで、我々は待機を命じられました」
この武官たちは、騎士団とは別にトレイアスが雇った守衛たちであろう。それならば、シーズに命令をされるいわれもないはずであったが、十二獅子将にしてダーム騎士団の長たる人物の命令に背こうという頭はないようだった。
「では、我々もご助力いたそう。入り口は、あちらだな?」
「え? あ、いや、シーズ将軍は、加勢は不要と申されておりましたので……」
「こちらは斬り捨てられた客人のご友人であられるのだ。また、シーズ殿にも劣らぬ立派な剣士であられるのだから、何も心配はいらん」
クリスフィア姫は武官のひとりから松明をもぎ取ると、力強い足取りで玄関口に向かっていった。
ダリアスは目礼だけして、後を追う。
「なかなか強引なやり口だな。後でとがめられてしまうのではないか?」
「そんなものは、頭を下げれば済むことだ。今はそのようなことにかかずらっている場合ではあるまい」
玄関口にはさらに大人数の武官たちがひしめいていたが、クリスフィア姫はかまわずに突き進んでいった。
誰何されれば、「こちらは霊廟で斬り捨てられた客人のご友人だ!」と一喝して済ませてしまう。
ご友人だから何だという話であるが、誰もが姫君の気迫に気圧されて、それ以上は押しとどめることもかなわなかった。
(無茶苦茶だな。横暴な貴族というよりは、町のならずものだ)
そのように思いつつ、ダリアスは自分が昂揚しているのを感じてもいた。
王都でもダームでも、ダリアスはひたすら雌伏の日々を強いられていたのだ。そんなダリアスにとって、余人の追及を許さないクリスフィア姫の強引さは、いっそすがすがしいほどであった。
(本当は俺も、傷が癒えた時点で真っ直ぐ王宮の正門に向かうべきだったのかもしれん。そうすれば、ラナやギムたちを危険な目にあわせることにもならなかったのだ)
そのように考えながら、ダリアスはクリスフィア姫に続いてその建物の内に足を踏み入れた。
蔵と呼ばれていたようであるが、普通の立派な貴族の邸宅としか思えない。ただ、一歩足を踏み入れるなり、内部には巨大な木箱や石像などが置かれているのが目についた。
「どうやらここは、美術品を収めておく場所であるようだな。本邸のほうだって壺やら石像やらで埋め尽くされていたのに、まったく呆れたものだ」
それらの陰に曲者が潜んでいないかを松明の火で確認しながら、クリスフィア姫は慎重に歩を進めていく。邸内に明かりは灯されていなかったので、目の頼りになるのはその松明ばかりであったのだった。
「姫よ、さきほどから少し気になっていたことがあるのだが……」
「うむ、何であろうか?」
「心なし、姫はこの騒ぎを楽しんだりはしておらぬか?」
するとクリスフィア姫は、ダリアスのほうを見て子供っぽく微笑んだ。
「これは痛いところをつかれてしまったな。この数日は町を歩き回るばかりで剣をふるうこともできず、いささか鬱屈してしまっていたのだ。戦場を離れてひさしいので、なおさらそのように感じてしまうのだろうな」
「そうか。ならば、俺も一緒だ」
自然に、そんな言葉がすべり出てしまった。
すると、クリスフィア姫はいっそう愉快げに笑い声をたてた。
「それは奇遇であったな。察するところ、あなたも戦場にしか身の置きどころのない武人であられるか」
「ああ。それ以外には、芸もないのでな」
「うむ。ようやくあなたの本心を聞けたような心地だぞ、アッカムよ」
クリスフィア姫は前方に向き直り、また歩を進め始める。
「誓って言うが、わたしはティートなる人物を斬り捨てた曲者とはいっさい関わりがない。この騒ぎが落ち着いたら、酒でも酌み交わしながらあなたの真情をうかがいたいところだ」
「……あなたと真情を打ち明け合えるような関係になれれば、俺も嬉しく思う」
「わたしは最初から打ち明けているぞ。真情を隠しているのはあなただけ――」
と、そこでクリスフィア姫の言葉が不自然に途切れた。
その足が、いっそう慎重に絨毯を踏んでいく。
「これは……シーズ殿の、お連れだな」
松明の差し向けられた方向を見ると、咽喉もとをかき切られた若者が無残な骸をさらしていた。この暗がりでも、ひと目で絶命していると知れる有り様である。
「では、残りはシーズ殿ともう一人のお連れだけか。このように広い建物であるのに、心もとないことだな」
クリスフィア姫の声にはわずかな怒りがにじんでいたが、必要以上に心を乱したりはしていなかった。
ダリアスも、ほんの一瞬だけセルヴァに安らかな眠りを願ってから、その屍のかたわらを通りすぎる。
それからすぐに、大きな階段が出現した。
階上は、完全なる闇に閉ざされている。
「一階に喧騒の気配はないし、上であろうな」
迷うそぶりも見せずに、クリスフィア姫は階段に足をかけた。
ダリアスも、剣の柄に手を添えてそれを追う。
そのとき、あわれげな悲鳴が闇の向こうから聞こえてきた。
瞬時に、クリスフィア姫は足を速める。
目の頼りを失ってしまわないように、ダリアスもそれに追いすがった。
「こちらの通路だな!」
階段を駆け上がると、すぐさま右方向に進路を取る。
世界は、再び静まりかえっていた。
通路にまであふれた収集品を避けながら、二人はひたすら突き進む。
そうして、ひとつ角を曲がると――いきなり赤い光が閃いた。
床に落ちた松明が、ぶすぶすとくすぶっていたのだ。
また、片面の壁にはいくつもの窓が切られており、格子の間から月光りも差し込んでいるようである。
そうした光に上下から照らされつつ、そこには二つの人影が立ちはだかっていた。
こちらに背を向けているのは、美々しい白装束を纏った、すらりとした体格の若い剣士――シーズである。その足もとには、同じような装束を纏った別の若者が朱に染まって倒れ伏している。
そして、長剣をかまえたシーズと相対しているのは――肉感的な肢体にシム風の装束を纏った、若い娘であった。
褐色の長い髪を綺麗に結いあげて、首や手足にはいくつもの飾り物を下げている。目は切れ長で、鼻は高く、その肌は浅黒い。妖艶なまでに美しい女だ。
その妖艶なる女が、獣じみた眼光でシーズのほうをにらみすえている。
さらにそのたおやかな指先には、真っ赤に染まった短剣が握りしめられていた。
「……シーズ殿、曲者というのは、その女のことであったのか」
その場に張り詰めた空気を乱さぬようにクリスフィア姫が小声で尋ねると、シーズはわずかに剣先を揺らした。
「その声は、アブーフの姫君ですか。どうしてあなたが、このような場に?」
「その曲者が斬り捨てた客人のご友人をお連れしたのだ。できればその曲者は、生かしたまま捕らえていただきたい」
「それはわたしも同じ気持ちであるのですが、なかなか難しいやもしれませんね。ご覧の通り、お供として連れてきた団員もすべて討ち倒されてしまいましたので」
こちらの会話は筒抜けであろうに、女はシーズから目を離そうとしなかった。
おそらくは、シーズがそれだけの圧力を与えているのだろう。
「三対一なら、何も難しいことはなかろう。どうあっても、お前には口を割ってもらうぞ、女よ。お前が何故、聖教団の人間などを殺めようと考えたのだ?」
その言葉が、ダリアスにはいささか引っかかった。
シーズに正体を悟られないように、くぐもらせた声でクリスフィア姫に問う。
「クリスフィア姫、あなたはこの女を見知っていたのか?」
その返答は、「うむ」であった。
「こやつは、ダーム公爵トレイアス殿のそばにべったりとはべっていた侍女だ。よもや、トレイアス殿の命令でこのような騒ぎを起こしたのではあるまいな、女よ」
クリスフィア姫がそのように問い詰めても、短剣をかまえた女は何も答えようとしなかった。