Ⅱ-Ⅳ 回答
2017.7/1 更新分 1/1
「要するに、あのロア=ファムという自由開拓民の少年は、何の罪も犯していないのに生贄として引っ立てられてきたというわけだね」
白牛宮の執務室に戻るなり、レイフォンはそのように述べたててみせた。
「叛逆者の一団は誰ひとり捕らえることができなかったものだから、わざわざシャーリの川辺まで足をのばし、叛逆者の家族を罪人扱いで連行してきたわけだ。まったく、気の毒な話だね」
「レイフォン様は、いつになく気分を害されているようですね」
ティムトの言葉に、レイフォンは「当たり前さ」と応じてみせる。
「べつだん、シャーリの自由開拓民がこぞって叛乱を起こしたわけでもない。たったひとりの人間が叛逆者の一団に加担したというだけで、どうしてその家族まで罪人扱いされなきゃいけないんだい? そんなの、あまりに無法じゃないか」
「ですが、あの者もカノン王子を名乗る一行の姿を見たという話なのですから、何か有益な情報を携えているかもしれません。ならば、話を聞く甲斐はあるでしょう」
「話を聞くだけならいいけどね。ロネック殿のあの剣幕では、話を聞く前に処刑でもしかねないよ」
レイフォンは大きく息をつき、ティムトの取りすました顔を見つめ返した。
「ねえ、ティムト、なんとか彼を救い出すことはできないかな?」
「救い出す? 何のためにです?」
「何のためって! 罪もなき人間が罪人として処断されるなんて、とうてい見過ごせない話だろう?」
するとティムトも息をつき、呆れたように首を振った。
「何も初めて顔をあわせた人間にまでそこまでの温情をかける必要はないでしょう。宮廷内で罪もない人間が処断されることなど、珍しい話でもないでしょうし」
「ひどいことを言うのだね! 救える生命をみすみす見殺しにして、ティムトの心は痛まないのかい?」
「僕にあの者の生命を救う力などありませんよ」
「そんなことはないはずだ。ティムトはセルヴァで一番の策謀家なのだからね」
ティムトは長椅子に腰をおろすと、細い指先で栗色の前髪をかきあげた。
「わかりましたよ。僕だって、あの者からはもう少し話を聞き出したいところではありましたからね。ロネック将軍の憂さ晴らしで責め殺されてしまわないように、何か手を打っておこうと思います」
「え、本当かい!?」
「王や将軍たちは、あの者にどうでもいいようなことばかり問い質していましたからね。あれだけの話しか聞き出せないまま処断されてしまったら、何のために王都まで連れ帰ったのかもわからなくなってしまいますよ」
確かにさきほどの審問では、大した事実も判明していなかった。
レイフォンにとって少しでも重要と思えたのは、第四王子を名乗る人物が、白い髪に白い肌と、血の色を透かせた不思議な瞳をしていた、というぐらいのことであった。
「カノン王子は、白膚症という珍しい病であられたという噂だったよね。まさか、ゼラドに亡命してしまったその人物は、本物のカノン王子だったんだろうか?」
「そうとは限らないでしょう。たとえ珍しい病だとしても、数万人か数十万人に一人ぐらいはいるのでしょうから、ただ白膚症であるからといってカノン王子本人であるという証にはなりません」
「それじゃあ、たまたま同じ病であった人間が、カノン王子の名を騙っているというのかい?」
「順番が逆ですよ。たまたま同じ病であったから、カノン王子の名を騙ることを思いついたのでしょう」
「そうか」とレイフォンは納得する。
が、当のティムトは少し難しげな面持ちになっていた。
「だけどそれは、ひとつの事実を示唆しています。少なくとも、王宮に出入りしている人間でなければ、カノン王子が白膚症であることなど知るすべはないのですよね」
「ああ、確かにその通りだね。ということは――?」
「王宮に出入りできるぐらいの身分の者が、協力者として存在するのかもしれません」
そう言って、ティムトは長椅子の背もたれに頭をもたせかけた。
「そういう大事な話を問い質してほしかったのに、あの国王や将軍たちときたら……あれが現在のセルヴァの中枢を担う人間たちなのかと思うと、それだけで僕は頭が痛くなってしまいますよ」
「ふむ。ティムトの苦労は尽きないねえ」
ついつい他人事のように述べてしまい、レイフォンはじろりとにらみつけられることになった。
追撃を受ける前に、レイフォンは席を立って茶をいれるための湯をわかすことにする。
「とにかく、第四王子を名乗る人物の風貌以外は、とりたてて大事そうな話もあがらなかったね。それより何より、ゼラド大公国に身柄を奪われてしまったというのが、大ごとだ」
ティムトの前に茶を置きながら、レイフォンはそのように述べてみせた。
シムの香草にラマムの皮をあわせた、特別な茶である。ラマムの甘酸っぱい芳香が、執務室の空間を心地好く満たしていく。
「ゼラド大公国は、さぞかし活気づくことだろうね。大きな戦にならないといいのだけれど、どうだろう?」
「その人物が真のカノン王子と認められれば、戦は避けられないでしょう。正統なる王位継承権を主張して、この王都にまで責めのぼってくるに違いありません。……まあ、あくまで真のカノン王子と認められれば、ですが」
「でも、彼らにそれを確かめるすべはないだろう? そもそもカノン王子の顔を知る人間なんて、この王宮内でも数えるぐらいしか存在しないのだろうからさ」
「そうですね。でも、ただ白膚症であるというだけで、その人物が真の王子に認められてしまう可能性はあると思います。重要なのは、周辺の諸国にそれを主張できるかどうか、というただ一点なのですから」
ティムトは卓に手をのばし、ラマムの皮の茶をひと口だけすすった。
その少女めいた唇が満足そうな吐息をつくのを確認して、レイフォンも満足する。
だが、会話の内容はいよいよ物騒な方向に転がってしまっていた。
「まあ、戦になったら戦になったで、その状況を利用するしかありません」
「利用? いったい何をどう利用するっていうんだい?」
「ゼラド大公国がカノン王子の継承権を主張するには、現在の王が不当な手段で王位を簒奪した、という筋書きが必要になるはずです。そうすれば、宮廷内にも現王への疑念が高まるでしょうから、そこに便乗するのですよ」
「そ、それはものすごい策謀だね。まさかティムトは、ゼラド大公国と手を組むなどと言い出したりはしないだろうね?」
「それでヴェヘイム公爵家の未来が守られるのであれば、考えなくもありませんけれどね。しかし、ゼラド大公国はセルヴァ王家もろとも五大公爵家をも滅亡させてしまいたいと願っているでしょうから、まあ難しいところだと思います」
そのように述べてから、ティムトはきらりと瞳を光らせた。
「ただし――第四王子の名を騙っている人物に対しては、僕たちもこれまで以上に注意しておくべきでしょうね」
「うん? というと?」
「ゼラド大公国と手を組むことは難しいですが、その人物と手を組むことはできるかもしれない、ということです。その人物は最初から、現王が不当な手段で王位を簒奪したと主張しているのですから、言ってみれば僕たちにとっても同志であるわけですよ」
「同志? でも、ティムトはその人物が偽物であると推測しているのだよね?」
「ええ。ですが、同じ目的のために動いているのなら、協力することはできるはずです。もちろん偽物の王子に玉座を与えるわけにはいきませんけれどね」
ティムトは考え深げな面持ちで、また茶をすすった。
「レイフォン様。また少し銀貨を用立てしていただけますか?」
「うん。それは別にかまわないけれど、いったい何につかうのかな?」
「人を動かすには、銀貨が必要です。ゼラド大公国が本格的に侵攻を始める前に、先手を打っておこうと思います」
よくわからなかったが、レイフォンに反対する理由はなかった。
下手をしたら、セルヴァの行く末はティムトの策謀ひとつに左右されてしまうかもしれないのだ。ティムトの策謀が成功するように、レイフォンとしては全力で支援する他なかった。
そこで、また執務室の扉が叩かれる。
小姓は、再びゼラが来訪してきたことを告げてきた。
「これはこれは。もう少し遅い時間に参上するのではないかと思っていたよ」
日没までには、まだずいぶんと時間が残されている。というか、さきほどゼラが退去してから、まだ一刻とは経過していないはずであった。
ゼラは無言のまま、ひたひたと入室してくる。ティムトは長椅子から立ち上がり、さきほどと同じようにレイフォンの隣に並んだ。
「レイフォン様が黒羊宮から戻られたとお聞きしましたので……さきほどの答えをお伝えしたく思います」
「うん。早急に聞かせてもらえるなら、ありがたいね」
「……わたしは確かに、ダリアス様を城下町でおかくまいしておりました」
ぼそぼそとした声ながらも、ゼラはそのように明言した。
半信半疑であったレイフォンも、思わず背筋をのばしてしまう。
「では……ギムたちが述べていた言葉は、すべて真実であったのだね?」
「はい……レイフォン様の仰る通り、ダリアス様は誰か貴き立場の方々にお生命を狙われているのではないかと危ぶみ……なかなか王宮内で真実を告げる決断ができなかったのでございます……」
レイフォンは気持ちを落ち着けるために、ラマムの香り高い茶を口にした。
ティムトは、ゼラの小さな姿をじっと見据えている。
「その話を、バウファ殿は承知しておられるのかな?」
「いえ……すべてわたしひとりの考えでございます……」
「それで、ダリウスは今どこに?」
「それが……わたしにも、皆目見当がつかないのでございます……というのも、鍛冶屋の前でダリアス様をお救いになった後、わたしもたもとを分かつてしまったもので……」
レイフォンは、頭の中で言葉を探した。
ティムトはあらゆる事態を想定していたが、それを代弁するのはレイフォンの役割なのである。ゼラがこのような返答をした際に、こちらはどのような言葉を返すべきか、それもあらかじめ決められているはずであった。
「ええと……つまりゼラ殿は、いまだに私のことを信用しきれていない、ということなのかな?」
「は……それはいったい、どういったお話でありましょう……?」
「ゼラ殿は、ダリアスを守るために力を貸しておられたのだろう? なおかつ、王宮内の何者かがダリアスをつけ狙っているのだと考えている。この私が、ダリアスを狙っている張本人であると疑っておられるのではないのかな?」
ゼラはうつむき、その素顔をいっそう頭巾の下に隠してしまう。
「決して、そのようなことはありませぬ……ダリアス様を襲ったのは城下町の衛兵たちでありますが、ヴェヘイム公爵家の第一子息たるレイフォン様にも、城下町の衛兵を自由に動かすことなどは不可能でありましょう?」
「でも、衛兵を動かせる何者かと、私が通じ合っている可能性はある。また、その衛兵が本物であるという保証もないしね」
「いえ……城下町において、偽物の衛兵が自由に動き回ることは難しいでしょう……本物の衛兵と出くわしてしまえば、たちまち偽物と見破られてしまうのですから……」
「では、その衛兵たちは本物であると、ゼラ殿は考えておられるのだね。そうすると、ますます貴き身分の人間が裏で糸を引いていると考える他ない。城下町の衛兵を自由に動かせるのは……防衛兵団の、最低でも千獅子長ぐらいの身分は必要になるだろうね」
ゼラは、答えようとしなかった。
しかたないので、レイフォンは続きの言葉を述べることにする。
「でも、たしかダリアスは逃げる際に、何名かの衛兵を返り討ちにしていたのだよね。あと、災厄の夜にも何名かの衛兵を討ち倒したはずだ、とギムたちは述べていた。それなのに、城下町では衛兵殺しの謀反人が現れたという触れが回ることもなかったので、ダリアスはたいそう怪しく思っていたそうだよ」
「…………」
「しかし、死者まで出たとなると、千獅子長ぐらいの裁量で何とかなるものなのかな? しかも、鍛冶屋の前で行われた騒乱については、多くの目撃者もあったはずなんだ。それを完全にもみ消すには、城下町全域の衛兵に指示を出す必要が出てくると思うのだよね」
「…………」
「実際に命令を下していたのは、千獅子長なのかもしれない。でも、それだけ大がかりな話であるなら、防衛兵団の団長をあざむくことは難しいはずだ。となると――防衛兵団の団長を担う十二獅子将までもが、王陛下のあずかり知らぬところでダリアスをつけ狙っている、ということになってしまうね」
やはりゼラは答えなかった。
ティムトの指示通りに語っているだけであるのに、レイフォンはむやみに胸が騒いでしまう。ひょっとしたら敵方かもしれない人間に、ここまで踏み込んだ話をして大丈夫なのか、レイフォンには見当もつかなかったのだった。
「現在の団長は、いずれも新しく十二獅子将に任じられた者たちだ。第一防衛兵団団長は亡きアローン将軍の副官、第二防衛兵団団長はジョルアン元帥の副官であった人物であるはずだね」
「…………」
「だけど、現在の団長などは関係ない。ダリアスは災厄の夜に襲われているのだから、その当時、団長の座にあった人物こそが黒幕であるはずだ。……そして、第一防衛兵団の団長たるアローン将軍は、前王らとともに銀獅子宮で魂を返してしまっている」
「…………」
「ということは……現在の元帥であるジョルアン殿が裏で糸を引いていた、というのが、唯一の答えであるように思えてしまうね」
ゼラは、微動だにしなかった。
レイフォンはこっそり呼吸を整えてから、言葉を重ねる。
「むろん、何の証がある話でもない。千獅子長の誰かがジョルアン殿の目を盗んで悪事を働いているという可能性も残されている。この段階で、ジョルアン殿に叛逆者を汚名をかぶせることは許されないだろう」
「…………」
「ゼラ殿も、そこまでの事態を想定して、動いておられたのかな?」
「いえ……わたし風情には、そこまで考えを巡らせることもかないませんでした……」
「そうか。それなら、ゼラ殿に是非お願いしたいことがある」
せいぜい勿体ぶって聞こえるように、レイフォンはゆっくりと述べた。
「ゼラ殿のお力で、ジョルアン殿の動向を探ってもらえないだろうか?」
「は……わたしが、でございますか……?」
「うん。何せ私は従者をひとり連れているだけの寄る辺ない身であるからね。元帥の立場にあるジョルアン殿の動向など探りようもない。……しかし、バウファ殿の代理人として聖教団の管理を任されているゼラ殿であれば、神官やその従者たちをあるていど動かすこともできるだろう? それらを使って、ジョルアン殿の動向を探っていただきたいのだよ」
「……レイフォン様は、ディラーム様と懇意にされておられるのでしょう? それでしたら、わたしなどを頼る必要もないのではないでしょうか……?」
「このように証のない話に、ディラーム老を巻き込むことなどできないよ。それに、ディラーム老はあくまで武人だ。戦場で敵と戦うことに関しては無類の存在であられるが、このような陰謀劇においてはいささか心もとない。……というか、私がこのような話を打ち明けてしまったら、ディラーム老は刀を取ってジョルアン殿のもとに馳せ参じてしまいそうじゃないか?」
実際のディラーム老は、そこまで短慮な人物ではない。これはあくまで、ゼラの真意をはかるための方便なのである。
心の中でディラーム老におわびの言葉を申しのべつつ、レイフォンはさらに言いつのった。
「誓って言うが、私はダリアスを陥れる策謀などには加担していない。それに加えて、私はジョルアン将軍を疑ってしまっている。……もしもゼラ殿も私と同じようにダリアスの身を案じているのなら、ひとつ手を携えてはもらえないものだろうか?」
「…………」
「まずは、ジョルアン将軍の動向を探ってもらいたい。これは私の真情を疑いながらでも果たすことができるはずだ。私とて、ギムたちの証言を余人には広めないと約束したのだから、これぐらいは力を貸してほしいものだね」
しばらくの沈黙の後、ゼラは「了承いたしました……」とつぶやいた。
「わたしなどに、どこまでつとめられるかはわかりませぬが……お言いつけ通り、ジョルアン様の身辺をそれとなく探ってみることにいたしましょう……」
「それは助かるね。……そして、もしも私を信用することができたのなら、どうかダリアスの居場所を教えていただきたいものだ」
その言葉には返事をせず、ゼラは執務室を出ていった。
レイフォンは、「やれやれ」と卓に両肘をつく。
「ああもう頭が疲れてしまったよ。……これで本当によかったのかい、ティムト?」
「ええ。本当にあの御方が善意からダリアス様をかくまっていたのなら、僕たちの代わりにジョルアン将軍の罪を暴いてくれるかもしれません」
「もしもギムたちに話した内容がすべて虚言で、彼こそが敵方の一味であった場合はどうなるのかな?」
「そのときは、レイフォン様がジョルアン将軍を疑っているという話が筒抜けになるだけです。でも、状況的にそこを疑うのは自然なことなので、前王らの死にまで疑念を抱いているということまで露見することはないでしょう」
ティムトがそう言うなら、レイフォンも信用する他なかった。
ただ、胸にわだかまっている事柄がひとつだけある。
「でも、ダリアスの居場所をもっとしつこく問い質さなくてよかったのかい? 本当にダリアスとたもとを分かつたのなら、彼がわざわざギムたちに助言をしたり救出に手を貸したりはしないように思うのだけれど」
「ええ。十中八九、あの御方はダリアス様の居場所も知っていることでしょう。……というか、それぐらいのことは僕にも見当がついていますけれどね」
「ええ? それは本当かい? そんな大事なことを、どうして話してくれなかったのさ?」
「十中八九は真実であると思えても、残りの一つで外してしまうかもしれないからですよ。あのギムにデンという御方たちの言葉がすべて虚言であった場合は、僕の推論もすべて崩れ去ってしまうのです」
レイフォンは、また溜息をつくことになった。
「ギムたちの言葉が虚言であるなどとは、私にはとうてい思えないよ。それで、ティムトの推測によると、ダリアスはどこにいるんだい?」
「……鍛冶屋の前で騒乱があった日の翌日、セルヴァ聖教団の人間がダーム公爵領に出立しています。名目は、祭壇を築くための石材を届けるというものでしたが、その荷車に潜んで王都を脱出したのではないでしょうか」
レイフォンは、呆れかえることになった。
ダーム公爵領といえば、クリスフィア姫が滞在している地なのである。
「だ、だったらクリスフィア姫にも連絡を入れるべきじゃないか? 彼女にダリアスを捜してもらえばいいんだよ!」
「何を慌てておられるのですか? 使者でしたら、とっくにダームに向かわせていますよ」
ティムトにきょとんとした顔でそのように言われてしまい、レイフォンは脱力することになった。
「ああそうか。まあ、ティムトがそんな大事なことを忘れるわけがないものな。慌てたわたしが馬鹿だったよ」
「はい。クリスフィア姫には、四日前と二日前に使者を飛ばしています。ギムという御方たちを《裁きの塔》で発見した際と、ゼラという御方の話を打ち明けられたときですね」
そのように述べてから、ティムトは少しだけ物思わしげな面持ちをした。
「ただ……四日前には一日半で戻った使者が、今回はまだ戻りません。トトスの早駆けであれば、もう戻ってもいい頃なのですが……クリスフィア姫にきちんと話が伝わったかのかどうか、少し心配です」
「王都とダームを行き来するだけでは楽しくも何ともないからね。港のほうにまで足をのばして、魚料理でも楽しんでいるんじゃないのかな」
レイフォンは頭がくたびれきっていたので、そんな軽口を返すことしかできなかった。
そうしてレイフォンたちが語らっていた、朱の月の二十五日の夕暮れどき――ちょうどその頃、クリスフィアがダリアス本人と邂逅し、ともにダーム公爵邸を目指していたなどということは、さしものティムトにも知るすべはなかったのだった。