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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第一章 災厄の赤き月
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Ⅰ-Ⅱ 火神の刻印

2016.12/19 更新分 1/1

 その日も三人の放浪者は、暗き森の中を歩んでいた。

 美しき巡礼者ナーニャ、比類なき剣士ゼッド、北の血を引く娘リヴェルの三名連れである。


 リヴェルが彼らと邂逅を果たして、すでに三日が経過している。

 その間に森を出れば、二つか三つの宿場町に向かうことができただろう。

 しかしリヴェルはその道を選ばずに、彼らと行動をともにしていた。


 今のところ、最初の日のように野盗などと出くわしたりもしていない。日中はひたすら道なき道を北上し、夜になれば火を焚いて、交代で番をしながら眠りを取る。幸いこのあたりには危険な獣もそれほどは多くないようで、ときおり闇の中に光る緑色の眼光やあやしい息づかいに脅かされるぐらいで、生命に危険が迫ることはなかった。


 それに、ナーニャとゼッドはこのような辺境でも生き抜くすべを備え持っていた。道すがら、毒を持たない山菜や香草を収穫し、水気を含んだ蔓草を見つけては咽喉を潤し、太陽や星の位置から正しい道を読み取って、北へと向かっている。とりわけゼッドは博識であるようで、野草を摘む際にもナーニャはいちいち彼に確認を取っていた。


 本当に不思議な両名である。

 ナーニャもゼッドも貴族か王族を思わせる秀麗な容姿をしているのに、野生の獣のように強靭で、したたかなのだ。一度、森の中で開拓民の集落に行き当たったときなどは、ナーニャが顔の下半分に襟巻きを巻きつけ、その目立つ容貌を隠した上で、山菜や香草をポイタンや干し肉などと交換していた。警戒心の強い開拓民たちも、ナーニャを巡礼者と信じてたいそう親切にしてくれたようだった。


(いったい彼らは何者なんだろう。身寄りもない風来坊だなんて言っているけれど、もとはわたしなんかよりもよほど身分の高い人間だったんじゃないだろうか)


 リヴェルはそのように思ってやまなかったが、ついにそれを問い質す勇気を振り絞ることはできなかった。

 あまり詮索してしまったら、行動をともにすることを許されなくなってしまうかもしれない。それだけは、何としてでも避けたかったのだ。


 むろんそこには、彼らの力に守られたいという打算もある。

 しかしそれ以上に、リヴェルは彼らの存在に魅了されてしまっていたのだった。


 それは、精霊のように美しいナーニャや闘神のように逞しいゼッドに恋心を抱いてしまった、などという話ではない。むしろリヴェルは、たがいを慈しむ彼らの関係性に心をひかれてしまっていたのである。


 ナーニャはとても気まぐれであるし、ゼッドなどはこの三日間で一度として口をきいていない。ナーニャはリヴェルにばかり話しかけてきて、ゼッドはずっと素知らぬ顔をしている。それでいて、彼らは何よりもおたがいの身を案じており、信頼しあっていた。一生の愛を誓った伴侶でもなかなかこうはいかないだろう、というぐらい、彼らはおたがいの存在をかけがえのないものと思っている、という気配がまざまざと感じられるのだった。


 うまく言葉にはできないが、リヴェルはそんな二人を愛おしい、と思ってしまっているのだ。

 こんな二人が不幸に見舞われるのは間違っている。その幸福な行く末を見届けたい――自分自身が明日をも知れぬ身でありながら、リヴェルはそんな思いにとらわれてしまっていた。ナーニャがたびたび口にする凶運というやつが、彼ら自身を滅ぼしてはしまわないか、そのように考えると心臓をしめつけられるような心地になってしまうのである。


 一言で言って、彼らは危うかったのだ。

 何となく彼らには、この世の摂理に背を向けてしまっているような気配があった。ナーニャは巡礼者の格好をしているにも拘わらず、たびたび西方神をないがしろにするような発言を繰り返していたし、それに、北の民の血を引くリヴェルを蔑むような真似もしなかった。


 不幸なことに、本来は西方神への帰依の心が強ければ強いほど、北の民を忌むものなのだ。この大陸を支配する四大王国の中で、西のセルヴァと北のマヒュドラはともに天を戴くことのかなわない仇敵とされていたのである。東のシムと南のジャガルが数百年の昔から相争っているのと同じように、セルヴァとマヒュドラはいまだにおたがいを憎み合っていたのだった。


 しかしナーニャは、決してリヴェルを蔑もうとはしない。西の民には忌み嫌われる金色の髪や紫色の瞳を美しいと述べ、無邪気に笑いかけてくる。リヴェルはいまだ十五年しか生きていなかったが、ロセッドの町で平和に暮らしていたときでも、父親の他にそのような笑顔を向けてくれる人間は一人として存在しなかった。


(もっとも、ゼッドのほうはそれをどう思っているのかもわからないけれど……)


 そのように思ってこっそり視線を上のほうに向けてみると、寡黙なる青年はやはり猛禽のごとく瞳を光らせながら、無言で獣道を歩いていた。

 彼にとってはナーニャの安全だけが唯一の関心事であり、それ以外のことには一切心を動かす様子もなかった。リヴェルのことなどは、ナーニャが気まぐれで拾った手負いの小鳥ぐらいのものに思っているのだろうか。ナーニャが命じれば、顔色のひとつも変えずにリヴェルの首を刎ねることだってできるに違いない。それぐらい、彼はナーニャの忠実なる刀なのだった。


「んー? どうしたのさ、リヴェル? ゼッドの姿に見とれているの?」


 と、いきなりナーニャが横合いからリヴェルの顔を覗き込んできた。

 その不思議な赤い瞳に見つめられるだけで、リヴェルはいつも動揺してしまう。今回も頬のあたりに熱を感じながら、リヴェルは「何でもありません」と首を振ってみせた。


「そうなの? でも、ずいぶん真剣な目つきだったように思うけど。……もしもゼッドとまぐわりたいんだったら、僕が眠っている間にお願いね?」


「ま、まぐ……い、いったい何を仰っているのですか!」


「だって、年頃の人間はそういう情欲に身を焦がすものなんじゃないの? 僕にはよくわからないけど」


「ナ、ナーニャだって、わたしと同じぐらいの年齢なのではないのですか?」


「僕は十六歳だよ。数え間違えていなければね」


 それではリヴェルと一歳しか変わらないことになる。

 しかし今は、それどころではなかった。


「じょ、冗談でもあまり滅多なことを言わないでください。わたしはともかく、ゼッドを不愉快にさせてしまうでしょう?」


「不愉快かなあ。ゼッド、不愉快だった?」


 しかしゼッドは周囲に鋭い眼光を差し向けたまま、こちらを振り返ろうともしなかった。

 ナーニャはつまらなそうに肩をすくめる。


「まあ、ゼッドもまだ身体が本調子じゃないだろうからね。そういうことは、ゼッドがもっと元気になるのを待ったほうがいいかもよ?」


「だから、やめてくださいってば!」


 リヴェルがそのように叫んだとき、ふいにゼッドが足を止めた。

 ついに沈着なる彼も嫌気がさしてしまったのか、とリヴェルは思わず身体を縮める。

 しかしゼッドは彫像のごとき無表情で、あらぬ方向をにらみつけているばかりであった。


「どうしたの? ひさびさに野盗でも現れたのかな?」


 ゼッドは首を横に振り、そのまま左手側の茂みの向こうへと分け入っていった。

 リヴェルとナーニャも目を見交わしてから、ゼッドの後を追いかける。そこは獣道から外れた茂みの中で、下生えの草はリヴェルの腰に達するほど深かった。


「何か美味しい果実でも実っているのかな? ゼッドは猟犬みたいに鼻がきくからねぇ」


「猟犬? というのは、あの、ジャガルに住む犬という獣のことですか?」


「うん、そうだよ。それで猟のために訓練された犬は、人間の命令に従って獣や鳥を狩ることができるんだ」


 ジャガルの犬などというものは、リヴェルの住んでいた辺りではまったく姿を見ることのない獣であった。南の王国からそのようなものを買い付けることができるのは、よほど豊かな貴族ぐらいのものであろう。


(やっぱりナーニャたちは、貴族の家から出奔した身なのかな……)


 リヴェルがそのようなことを考えたとき、突如として視界が開けた。

 それと同時に、ナーニャが「うわあ」とはしゃいだ声をあげる。


 森の中に、川が流れていた。

 それも、あまり土で汚れていない、ほとんど透明な水の流れである。辺境の地でこれほど澄みわたった川に出くわそうなどとは思いも寄らぬことであった。


「すごいすごい。辺りには人間が暮らしている様子もないし、こんなに綺麗な川が誰にも気づかれずに残されていたのかなぁ」


 川がなければ、町を作ることは難しい。逆に言うと、この地が切り開かれずに放置されているのは、こうした川が発見されずにいるためであるはずであった。


 川は、北から南へと流れている。下生えの草を踏み越えると、足もとは岩場に変じていた。気の遠くなるような年月を経て、この岩場に水の流れが通ったのだろう。その水面は木漏れ日に照らされて美しくきらめいており、さらさらと水の流れる音色が心地好く耳をくすぐってきた。


「これでしばらく水には困らないね! 干し肉やアリアをふやかすには、どうしたって水が必要だからなぁ」


 弾んだ声で言いながら、ナーニャがその川に近づこうとする。

 すると、ゼッドが分厚い篭手に包まれた右腕でそれを制した。


「うん? どうしたの?」


 ゼッドは無言で屈み込み、左の手の平で川の水をすくった。

 その水の匂いを嗅ぎ、舌の先で味を確かめ、しばらく動きを止めてから、今度は不自由な口でそれをすすり込む。

 そうしてまた動きを止め、小鍋に張った水が煮立つぐらいの時間が経過してから、ゼッドはようやく口の中に含んだ水を飲みくだした。


「慎重だなぁ! まあ、ゼッドがそれぐらい慎重だから、僕たちもこうして魂を召されずに済んでるんだろうけど」


 ナーニャは皮肉っぽく笑い、背中の荷袋を岩場に下ろした。


「で、大丈夫なんだよね? まさかこれだけ期待させといて、毒が混じってるなんて言わないでよ?」


 ゼッドも無言で荷袋を下ろす。どうやらそれが、この水は安全であるという返答であるようだった。


「よし、それじゃあ、ありったけの水筒に水を汲んでいこう! それはリヴェルにお願いしてもいいかな?」


「はい、もちろん」


 リヴェルはそのように応じたが、どうしても我慢できずに、まずは自分の咽喉を潤すことにした。

 水筒の水は夜の食事に必要であったので、日中は水気の豊かな蔓草をしがむぐらいしか許されていなかったのだ。いざ手にすくうとその水にはやはりこまかい砂や木屑が混じっていたが、それでもリヴェルは極上の果実酒を飲み干したかのように深い喜びを得ることができた。


「それじゃあ、ゼッドは傷の手当をしないとね。こんな好機はそうそうないんだから」


 ナーニャがそのように述べると、ゼッドは軽く眉をひそめた。そんなていどのごくわずかな動きでも、この彫像みたいに無表情な青年には珍しいことであった。


「何を不満そうな顔をしてるのさ。レイノスの町までまだ六日か七日はかかるんだろうから、これは必要なことでしょ?」


 ナーニャは幼子のように唇をとがらせて、ゼッドの纏った外套の裾を引っ張った。

 ゼッドは小さく息をつき、左手で外套の留め具を外す。


 外套の下に纏っているのは、ごく尋常な西の装束である。布の上衣の上に袖のない革の胴衣を纏っており、腰には頑丈そうな帯を巻いている。やはり、妙に厳めしい右腕の篭手を除けば、どこにもおかしい点は見られなかった。


 ナーニャはゼッドの前に立ち、その胴衣の革紐を解いていく。

 胴衣の後は革の篭手、その次は布の上衣だ。

 瞬く間に、ゼッドは上半身の衣服をすべて剥ぎ取られてしまっていた。

 しかし、それでもゼッドの裸身がさらされることはなかった。

 ゼッドはその鍛え抜かれた肉体を、灰色の包帯でぐるぐる巻きにされていたのである。


(そんなにひどい怪我を負っていたの……?)


 水筒に川の水を汲みながらその様子を見守っていたリヴェルは、内心で驚かされていた。

 ゼッドは岩場に座らされて、その包帯までもがナーニャの手によって解かれていく。

 風下に陣取っていたリヴェルは、それで鋭い異臭に鼻を刺されることになった。それは、包帯の下でゼッドの身体に塗られていた薬草か何かの香りであるようだった。


 そうしてついにゼッドの上半身はあますことなく外気にさらされることになり――リヴェルは愕然と息を呑むことになった。


 ゼッドはその半身を火傷に蝕まれてしまっていた。

 頬から首にかけての火傷など、その一部に過ぎなかったのだ。

 首の火傷は右肩から右胸にまで続いており、一面が赤黒く焼けただれてしまっている。筋肉の凄まじい上腕や、引き締まった腹部のあちこちにも、奇怪な紋様のように炎の烙印が刻まれていた。


 それで、とりわけひどいのは、篭手と包帯で隠されていた右腕であった。

 肘から先がすべて変色し、ほとんど肉が剥き出しになってしまっているのだ。

 しかも、親指を除く四本の指は肉が溶け崩れて、ひとつに繋がってしまっている。拳を半分握りかけた形で固まっており、それ以上は広げることもかなわないようだった。


(あんな手で、ゼッドは刀を振り回していたのか……)


 確かに親指は無事であるので、あれなら刀を握ることはできるのかもしれない。しかし、あんな傷ついた手で刀を握ったら、それだけで激痛が走るに違いない。それは古傷と呼ぶにはあまりに生々しい傷痕であり、剥がされた包帯にもべったりと血膿がしみついているぐらいであったのだった。


「まずは傷口を洗わないとね。痛いだろうけど、我慢してよ?」


 ナーニャは荷袋から取り出した布を川下で洗い、それでゼッドの傷痕を丹念にぬぐい始めた。

 血膿と薬草で、その布もすぐに赤黒く汚れてしまう。そのたびにナーニャは布を洗い、リヴェルがすべての水筒を水で満たすまで、ずっとゼッドの身体をぬぐっていた。


「あの……こちらは終わったので、わたしも手伝います」


 震える声で呼びかけると、ナーニャは「ありがとう」と微笑んだ。


「それじゃあ、そちらの小袋に入っている薬草を、潰して水で溶いてくれるかな? あまり水を入れすぎないようにね」


「はい、わかりました」


 ナーニャに言われた小袋に収められていたのは、深い緑色をした大きな葉であった。水気は抜けているが肉厚で、潰すと青臭い刺激臭が鼻を刺してくる。リヴェルはそれを木皿の中で水と合わせて、入念にすり潰した。


「ありがとう。レイノスまで行けば、もっと上等な薬が手に入ると思うんだけどね」


 リヴェルから受け取った薬草の汁を、ナーニャはゼッドの傷痕に塗り込んでいく。これで痛くないわけはないのに、ゼッドは最初から最後まで完璧なまでに無表情のままであった。


「あの……ここまでひどい手傷であったら、町の医者にかかるべきではないでしょうか……?」


「うん、そうだろうね」


 新しい包帯をゼッドの身体に巻きつけつつ、ナーニャは口もとだけでうっすらと笑う。


「何故そうしないのか、という質問は控えておいてね? 知ってもリヴェルの得にはならないだろうからさ」


 リヴェルは「はい」と応じたが、胸中にふくらむ不安感を抑えることはかなわなかった。

 そうまでして人目を避けるというのは、尋常な話ではない。そもそも宿場町を利用せずに森の中で夜を明かすというところからして、まともではないのだ。彼らは無法者ばかりでなく、もっと他の何者かに見とがめられることを一番に警戒している――リヴェルには、そうとしか考えられなかった。


「はい、おしまい。よく我慢できたね、ゼッド」


 ナーニャは冷笑をひっこめると、今度は慈愛に満ちみちた面持ちでゼッドの黒褐色の髪を撫で始めた。

 ゼッドはそっぽを向いたまま、ぴくりとも動かない。


「さて、それじゃあ僕も身を清めさせてもらおうかな。リヴェルはどうする?」


「ああ、そうですね。何か身体をぬぐえる布でも貸していただけたら嬉しいです」


 この辺りは気候も穏やかで、森の中は少し肌寒いぐらいであったが、これで三日も歩きづめであるのだから、身体中が汗と砂塵で汚れている。実のところ、三日も身を清めないというのは、リヴェルにとっても初めての経験なのだった。


「布だったら、僕の荷袋にいくらでも入っているよ。ゼッドの手当でも必要だから、たくさん準備しているんだ。本当に、こんな水場と巡りあえたのは僥倖だったねぇ」


 そのように述べながら、ナーニャは革の外套を足もとに放り捨てる。そのほっそりとした指先が巡礼服の紐を解き始めたところで、リヴェルは惑乱気味の声をあげることになった。


「あ、あの、わたしはあちらの木陰で待っていますので……」


「どうして? 日中でもあまりゼッドから離れると危ないよ?」


 ナーニャは無邪気そうに笑い、ついには巡礼服と脚衣までをも脱ぎ捨ててしまった。

 腰を覆った下帯ひとつの、あられもない姿である。

 慌てて目をそらそうとしたリヴェルは、それもかなわずに立ちすくんでしまう。


 ナーニャはその面と同様に、きわめて美しい肢体を有していた。

 肌の白さが、その美しさに拍車をかけている。その透き通るように白い肌には傷痕やしみのひとつも見当たらず、生ある人間の肉体であるということが信じ難いほどに、完璧なまでの調和と輝きをたずさえていた。


 だが、リヴェルを戦慄させたのは、その美しさゆえではなかった。

 そうして裸身を目にしてさえ、リヴェルはナーニャの性別を知ることができなかったのだ。


 肩幅はせまく、腕も胴体も貴婦人のようにほっそりとしている。特に腰まわりなどは小柄なリヴェルと同じぐらい細く、背中からの流れるような曲線は、溜息が出るほど優美であった。

 ただ細いばかりでなく、必要な場所には必要な肉がついて、その美しい曲線を生み出しているのだ。すらりとした腕も胴体も、棒のように真っ直ぐな形はしておらず、つくりもののように精緻でありながら、人間らしい肉感をも備えていた。


 そんな細部まで見て取っても、男であるのか女であるのかが判然としない。

 これはいったいどういうことなのだろう、とリヴェルは陶然としながら打ちのめされていた。


 乳房がふくらんだりはしていないのだ。

 それだけ考えれば、これは男性の肉体である。

 しかし、そうとは言いきれない奇妙な艶めかしさが、その肉体には宿っていた。


 きわめて美しい少年の肉体であるようにも思えるし、これから成熟を迎えようとしている少女の肉体であるようにも思えるし――これは性別を持たない精霊であるのだと言われるのが一番しっくりくるような、そんな不思議な美しさを持つ肢体であったのだった。


「そんなにじっくり見つめられると、さすがの僕でも照れくさくなっちゃうなぁ」


 ナーニャはその優美な腰に両手をあてて、リヴェルをからかうように微笑んでいた。


「下帯も外して洗うつもりなんだけど、やっぱりリヴェルはそうして見つめ続けるつもりなのかな? ま、それならそれでかまわないけどね」


 そうしてナーニャが下帯にまで手をかけ始めたので、リヴェルは慌てふためいて後ろを向くことになった。

 心臓が、痛いぐらいに暴れ回っている。羞恥心で顔が燃えてしまいそうであった。

 そんな中、ぱしゃりと水のはねる音色が響く。


「ああ、気持ちいい。これは岩清水みたいなものなのかな。魚なんかは全然いないみたいだ」


「…………」


「ねえ、もしかしたら、リヴェルは僕が男なのか女なのかを判じかねているのかな?」


 リヴェルは川のほうに背を向けたまま、自分の足の先だけをじっと見つめた。

 ナーニャは、くすくすと笑っている。


「今、振り返れば、その答えを知ることはできるよ? 何せ僕は、生まれたままの姿で水浴びをしてるんだからねぇ」


「…………」


「そんなに気になるなら、自分の目で確かめてみればいいじゃないか? 何だったら、リヴェルも一緒に水浴びをしない?」


「い、いえ! けっこうです!」


 ぱしゃぱしゃと水のはねる音色とともに、ナーニャが楽しげに笑う声が聞こえてくる。

 そんな中、ゼッドはナーニャのほうを見るでもなしに見やりつつ、普段通りの無表情で、何か危険なものが近づいてこないかを警戒し続けている様子であった。

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