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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第三章 紡がれる運命
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Ⅱ-Ⅲ 祓魔官の思惑

2017.5/27 更新分 1/1

 朱の月の二十五日。

 その日にようやく、レイフォンは祓魔官ゼラを白牛宮に呼びつけることができた。


 デンから驚くべき告白を聞いてから、すでに二日が経過している。貴き身分であるレイフォンが呼びつけているにも拘らず、ゼラは何やかんやと理由をつけて対面の日を引きのばしていたのだった。


「まことに申し訳ありませんでした……わたしはご多忙なるバウファ様の代理人として、聖教団を取り仕切っている立場でありますため……なかなか思うように時間を作ることもかないませんでした……」


「ほう。祓魔官の身で聖教団の神官たちを取りまとめなくてはならないのか。それは何とも、大変な仕事を背負わされてしまったものだね」


 執務の席に陣取ったレイフォンは、そのように述べながらゼラの姿を観察していた。


 やはり、あやしげな風体をした男である。室内でも暗灰色の外套を纏っており、頭巾で顔を隠してしまっている。身体は幼子のように小さく、腕や胸もとには奇怪な飾り物をじゃらじゃらと下げており、頭巾の陰からこぼれる声は陰気にくぐもっていた。


「しかし、レイフォン様のように貴き身分であられる方が、わたしなどにどういったご用事なのでしょう……? 戴冠式における、大聖堂の取り扱いに関してのお話でしょうか……?」


「いや。それとは別件だ。実は、奇妙な話を耳にしてしまったものでね」


 まずは言葉を飾らずに直截的に問い質すべし、とティムトに言われていたので、レイフォンはそのように言ってみせた。

 もちろんそのような指示を出したティムトも、レイフォンのかたわらからゼラの挙動を見守っている。


「現在、金狼宮に逗留している客人らについては、ゼラ殿もご存じであろう? ダリアスの副官たるルイドとともに《裁きの塔》で幽閉されていた城下町の民だ。名前は、ギムにデンという」


「はい……理由までは聞いておりませぬが、ディラーム様のご寝所で静養させているのだとか……」


「うん。その両名が、ゼラ殿の名を口にしたのだよね」


 ゼラはけげんそうに小首を傾げた。

 ゼラは卓の前で立ったままであったが、頭の位置があまりに低いため、その表情は頭巾に隠されてしまっている。


「その者たちは、ゼラ殿が城下町においてダリアスをかくまい、その逃亡を助けることになった、と言いたてているのだよ。それは、事実であるのかな?」


「さて……実に面妖な話でありますな……わたしは、その両名こそがダリアス様をかくまっていたのだと聞き及んでいたのですが……」


「最初にかくまっていたのがギムという人物で、途中からその役をゼラ殿が受け持った、という話であるようだね。何でも、ダリアスが宮殿内に忍び込もうと計略を立てていたところに、ゼラ殿が現れて、その無謀な行いをたしなめたのだとか」


 ゼラは、答えようとしなかった。

 レイフォンは、あらかじめ自分でいれておいた茶に口をつける。


「どうだろう。それは事実なのかな?」


「いえ……そのように大それた真似をした覚えは、一切ございません……」


「そうか。そののちに、ゼラ殿は《裁きの塔》にまで現れて、彼らに助言をしてくれたそうだよ。生命が惜しくば、何も隠しだてせずに、すべてを打ち明けるのだ、と。……そして、ダリアスは王都から脱出するつもりなので、それも正直に述べていい、と言い添えたそうだね」


「…………」


「身に覚えはないのかな?」


「……一切ございません……」


 レイフォンは、動物か何かと喋っているような気分であった。

 デンの話が真実であったにせよ虚言であったにせよ、このような話を打ち明けられれば、普通はもう少し大きな反応を見せるものではないのだろうか。動物というか、魔法で喋る力を与えられた泥人形のように手応えがない。


「それならば、どうして彼らはゼラ殿の名や風貌を知っていたのかな。城下町の鍛冶屋と革細工屋に、ゼラ殿の存在を知るすべなどないように思えるのだけれども」


「……面妖な話でございますね……」


 レイフォンは、こっそりティムトのほうを見た。

 ティムトは、目だけでうなずいてくる。次の段階に進むべし、という合図である。


「面妖の一言で済ませられる話ではないだろう。それが事実であるとしたら、ゼラ殿はダリアスの行方を知りながら、それを隠匿していたことになる。それは王陛下と王国に対する重大な叛逆行為ではないのかな?」


「と、申されましても……まったく身に覚えのないことでありますので……」


「では、この話をしかるべき筋に申し立ててもかまわない、というのかな? おそらくゼラ殿は、審議の場に引きずり出されることになると思うけれども」


「その城下町の民たちがそのように述べたてているというのでしたら、わたしの側には否やもございません……審議の場でも、わたしはわたしの真実を語るのみです……」


「そうか」とレイフォンは座りなおした。

 まだまだティムトの想定内の段階である。

 ここからは、さらなる駆け引きが必要となるのだった。


「しかしね、私もいぶかしくは思っているのだよ。彼らの言葉が真実であるとすると、ひとつだけ筋の通らないことがある。それが何か、ゼラ殿にはおわかりかな?」


「……いえ、皆目……」


「それはね、《裁きの塔》に向かうべしという言葉を我々に告げてきたのが、ゼラ殿自身に他ならないという点だよ」


 ゼラは心を乱した様子もなく、レイフォンの言葉を聞いている。

 その頭巾の下には、いったいどのような表情が隠されているのだろう。


「ルイド殿は《裁きの塔》に幽閉されている恐れがある……それを我々に告げてきたのは、ゼラ殿であったよね」


「はい……わたしはバウファ様の言葉をお届けしたに過ぎませぬが……」


「しかしその時点で、ゼラ殿は我々が《裁きの塔》に向かうことを知ることができた。ならば、我々に先んじて口封じをすることも容易かったはずなのだよね。何せゼラ殿は、固く守られた《裁きの塔》にも忍び込む手段を持っているという話であったのだから」


「…………」


「しかしゼラ殿は何の手段も講じようとはせず、我々にバウファ殿の言葉を届けた。これは単に、あの両名が秘密を守ると信じていた、というだけのことなのかな? それとも……ゼラ殿自身も、あの両名を《裁きの塔》から解放したかった、ということなのかな?」


「…………」


「あの二人を解放してしまうと、自分がダリアスをかくまっていたという事実が露見してしまうかもしれない。だけど、そんな危険と引き換えにしてでも、あの二人を解放してやりたかった――何かそういう、切羽詰った事情でもあったのではないかと思ってしまってね」


 ゼラは、やはり答えようとしない。

 本当に身に覚えがなければ、何も答えようはなかったであろうが――そうでないとしたら、いったいどのような気分でレイフォンの言葉を聞いているのだろう。


「たとえば、ルイド殿は非常に危険な状態にあった。知っていることをすべて語らせるために、シムの危険な薬を飲まされていたんだ。もしもあの二人に同じ薬を使われてしまったら、ゼラ殿の秘密が悪党どもに露見してしまう。それを回避するために、我々を《裁きの塔》に向かわせた。……つまりは、そういうことだったんじゃないのかな?」


「しかし……こうしてわたしは、レイフォン様にあらぬ疑いをかけられてしまっております。本当に守るべき秘密などがあったのなら、やはりバウファ様の言葉をお届けする前に、口封じをするべきだったのではないでしょうか……?」


「だけどゼラ殿は、あの二人を殺してしまうわけにはいかなかった。本当にゼラ殿がダリアスをかくまっていたというのなら、あの二人は味方の立場になるわけだからね。それに、ダリアスだってギムという人物を見殺しにすることは許さないだろう。ダリアスは、非常に真っ直ぐな気性をした男であるので、恩人を見殺しにすることなどは絶対にできないはずだ」


「…………」


「それに、シムの薬を使われてしまったら、知らぬ存ぜぬで押し通すこともできなくなる。それだったら、多少の危険を犯してでも《裁きの塔》から救出したほうが、まだ言い逃れようもあるということさ。今のゼラ殿がそうしているようにね」


「…………」


「なおかつ、彼らをあのような場所に幽閉するような輩は、悪党であるに違いない。それならば、私やディラーム老といった身分の確かな人間に救出されたほうがまだ望ましい、と考えたのではないのかな?」


 ゼラがあまり口をきこうとしないので、レイフォンはティムトから授けられた言葉をすみやかに述べたてることができた。

 しかし、本番はこれからである。

 このあやしい小男は敵であるのか味方であるのか、それを確認しなければならなかったのだった。


「ゼラ殿、あなたには二つの道のいずれかを選んでいただきたい」


「……二つの道……?」


「ああ、そうだ。何も難しい話ではないけどね。これまでの話を真実と認めるか、認めないか、というだけのことさ」


 ゼラが何か答えようとしたので、レイフォンは慌てて言葉を重ねた。


「あくまで彼らの言葉が虚言である、と言い張るのなら、さきほど言った通り、これまでの話はすべて王陛下や審議官に伝えさせていただく。セルヴァの神聖なる審議の場で、己の潔白を証しだてていただきたい」


「…………」


「しかし、もしも彼らの言葉が真実であり、ゼラ殿がダリアスをかくまっていたというのなら――私もその秘密を守るために、協力しよう」


 ゼラが、ぴくりと肩を揺らした。

 それは、彼がこの部屋で初めて見せる感情のゆらぎであった。


「……レイフォン様は、何故にそのような申し出を……?」


「それはもちろん、その秘密をあばくことが危険だと思えるからさ。彼らを幽閉し、ダリアスの行方を追っている何者かは、まだゼラ殿がこの一件に関わっていることを知らないのだろう? しかし、私がデンたちの証言を王陛下や審議官に伝えてしまえば、その事実は宮廷中に知れ渡ることになる。それでは、ゼラ殿の身が危うくなり、結果として、ダリアスの身も危うくなってしまうからね」


「…………」


「今のところ、彼らがそのような証言をしたということを知る人間は、私とディラーム老のみだ。秘密は、いまだに守られているのだよ。この秘密を守り通したいと考えているのなら――私たちだけには、真実を語ってもらえないだろうか?」


「レイフォン様は……ダリアス様の身を案じているゆえに、そのような申し出をされている、ということでしょうか……?」


「もちろんさ。デンたちの話によると、ダリアスは衛兵のなりをした者たちに二度までも襲われたという話なのだからね。どうしてそのような事態に至ってしまったのか、明らかにせずにはおけないよ」


 それは王国の忠臣として、何らおかしなところのない言い分であるはずだった。

 この言葉だけで、前王の死について不審に思っている、と疑われることはないだろう。万が一、ゼラが敵方の人間であったとしても、こちらの真意を悟られる恐れはない――というのが、ティムトの考えであった。


(ダリアスをかくまっていたというのが真実であったとしても、その裏に邪心がないという保証はないからな)


 それを危ぶんだからこそ、デンもレイフォンたちに真実を告げる気持ちになったのである。

 邪心があるならば、協力するふりをしてその内情を探る。邪心がないならば、手をたずさえてダリアスを救えばいい。それが、ティムトの示唆した道であった。


「さあ、いかがかな? ゼラ殿が正しいと思う道を選んでいただきたい」


「…………」


「仮に、ゼラ殿がダリアスをかくまい、それを隠匿していたのだとしても、私はそれを責めるつもりはないよ。衛兵などがからんでいる以上、宮廷内の人間を疑うのは当然だ。ダリアスの安全をはかるため、秘密裡にかくまっていたということなら、叛逆の罪にはあたらないだろう」


「…………」


「それともやっぱり、彼らの証言は虚言であったのかな? そうだとすると、何者かがゼラ殿を陥れるために、彼らに虚言を吹き込んだことになる。そのときは、私もゼラ殿の無実を証明するために力をお貸ししよう」


「…………」


「さ、お答えは、如何に?」


「わたしは……」とゼラが答えようとした。

 そのとき、執務室の戸が慌ただしく叩かれた。


「失礼いたします。レイフォン様、王陛下が謁見の間に至急参上せよとのことです」


 次の間に控えていた小姓の声である。

 レイフォンは深々と嘆息した。


「至急参上とは穏やかでないね。いったい何があったのかな?」


「は。どうやら、第四王子を名乗る叛逆者の討伐に向かっていた部隊が帰還したようです」


 これには、レイフォンも息を呑むことになった。

 そういえば、討伐部隊が王都を発ってから、すでに二十日以上が経っているのである。任務が成功したにせよ失敗したにせよ、そろそろ帰還して然るべき頃合いであるのだった。


「わざわざ私が立ちあう必要はないと思うけどな。……などと言っている場合でもないか」


 かたわらに目をやると、ティムトもしかたなさそうにうなずいていた。


「それではゼラ殿、ご返答はまたのちほどということで。……本日の日没までに答えをお聞かせ願えるかな?」


「……それでよろしいので?」


「ああ。ゼラ殿の一存では答えられない部分もあるかもしれないからね」


 ゼラは、頭巾に包まれた頭をぺこりと下げた。


「それでは、六の刻までにまた参上いたします……わたしなどのために貴重な時間を割いていただき、申し訳ありませんでした……」


「ゼラ殿ばかりでなく、ダリアスの安否にもまつわる話であるのかもしれないのだからね。わびの言葉など不要だよ」


 ゼラは、足音もたてずに退出していった。

 レイフォンも、溜息をこらえながら立ち上がる。


「それでは、我々も謁見の間に急ごうか。第四王子を名乗る人物はいったいどうなったのかな」


「それをうかがうために出向くのでしょう? 何かややこしい話になっていないといいのですけれどね」


 二人は最低限の身だしなみだけを整えて、執務室を出た。

 小姓の先導で回廊を急ぎつつ、レイフォンはティムトにこっそり呼びかける。


「それで、ティムトとしては手応えはどうだったのかな? あの祓魔官殿は、本当にダリアスをかくまっていたんだろうか?」


「七割方は、そうであろうと思っていますよ。でも、確証がない内は何とも言えません」


「ううん。仮にそれが真実であった場合、やっぱりバウファ殿の指示だったのかなあ。言っては悪いけど、祓魔官の身に過ぎないゼラ殿が、単独でそんな大それたことをしでかすとも思えないし」


「どうでしょうね。身分が低くとも、聖教団を取り仕切れるというのはかなりの強みですよ。そちらの人間を使えれば、城下町でダリアス様をかくまったり、王都から脱出させることも難しくはないでしょう」


 ともあれ、推論でこれ以上語り合っても詮無きことであった。

 日没の前にはゼラの答えを聞くことができるのだから、まずはそのときを待つしかないだろう。


 そうしてレイフォンたちは、黒羊宮の謁見の間に辿り着いた。

 槍を掲げた衛兵たちが、触れの声をあげてから扉を開く。


 謁見の間には、いつもの顔ぶれがそろっていた。

 ロネックとジョルアンの両元帥と、神官長のバウファ。そして、国王ベイギルスである。

 さらにその正面に、三名の武官と見慣れぬ少年がひざまずいている。少年は腕を縄でくくられており、その端を武官の一人に握られていた。


(何だ、この子供は? まさか、この子供がカノン王子の名を騙っていたわけではないだろうな?)


 べつだん髪も白くはないし、肌も嫌というほど日に焼けている。それに、身に纏っているのもひどく粗末な布の服だ。これで王子だと言い張っても、信じる人間はいないだろう。


「来たか、レイフォンよ。ちょうどこれから、審問を始めるところだ」


 玉座に収まったベイギルスは、珍しく不愉快そうな面持ちをしていた。王位の継承以来、ずっとご機嫌であった新王には珍しいことである。


 しかしレイフォンは、身の置きどころに困ってしまった。王の足もと、控えの段に立つことは許されていないし、その正面には少年と兵士たちがひざまずいている。本来であれば、家臣は左右に立ち並ぶべきであるが、その場所は何十名という衛兵たちに陣取られてしまっているのだった。


「よい。ジョルアンらの下に控えよ。ともにこやつらの言葉を聞くがいい」


「承知いたしました、国王陛下」


 ジョルアンたちの視界をさまたげぬように気をつけながら、レイフォンは控えの段のすぐ下に自分の居場所を定めた。本来は従者が立つべき場所ではなかったが、王も頓着する様子は見せなかったので、ティムトもこっそりその横に立ち並んだ。


「では、報告せよ。……第四王子を名乗る痴れ者めは、まんまと取り逃がしてしまったわけであるな?」


「……まことに面目もございません」


 ひざまずいた兵士の一人――いや、千獅子長の美々しい鎧を纏った男が、悄然とうなだれる。たしか討伐部隊の指揮官を任されていた、ゲイムなる人物である。

 ティムトやディラーム老によると、彼は昔からロネックの腹心で、もとは大隊長の身であったが、上官にあたる人物が十二獅子将に昇格したため、新たな千獅子長に任じられたのだという話であった。


「痴れ者一匹を捕らえるのに、五百の兵でも足りなかったということか。アルグラッドの誇る獅子の軍の名も地に落ちたものだ」


「は……で、ですが敵方は、我々に倍する軍勢であったのです。あと一歩というところまでは追い詰めたのですが……思いも寄らぬ奇襲を受けて、叛逆者の身を奪われてしまいました」


「敵は、千名にも及んでいたというのか? せいぜい百か二百の盗賊団にも等しい存在という話であったはずであるが」


「た、確かに最初は百名ていどのものでありました。それを挟撃して、討ち取ろうとした矢先に……ゼ、ゼラドの軍勢が突如として現れたのです」


 レイフォンは、また息を呑むことになってしまった。

 ベイギルスは、不愉快そうに鼻を鳴らしている。


「叛逆者どもめは、セルヴァの中央区域に陣取っていたのであろうが? そのような場所にまで、ゼラドの軍が侵攻してきたと申すか?」


「は、はい……旗や紋章は確認できませんでしたが、確かにあの甲冑はゼラドの黒蛇どものものでありました」


「甲冑などは、いくらでも準備することがかないましょう。その一点のみでゼラドの軍と判ずるのは、いささか早計でありましょうな」


 笑いを含んだ声で、ジョルアンがそのように述べたてた。

 ロネックの部下の失態は、ジョルアンにとって喜ばしいものであるらしい。ロネックなどは、怒髪天をついた様子でぎらぎらと両目を燃やしている。


「それで? 第四王子を名乗る痴れ者めを奪ったその者たちは、何処に消えたのだ?」


「は……ブスマの山麓を抜けて、南方に下ったようであります。そこからさらに南下すれば、ゼラドの領土も目の前でありますため……」


「それでおぬしたちは、おめおめと王都にまで舞い戻ってきたというわけだな」


 ゲイムは、さらに悄然と頭を垂れた。

 ロネックほどではないがかなりの大男であるのに、一回りも小さく縮んでしまったかのようである。


「それが真実、ゼラドめの軍であったとすると……これは由々しき事態であろう。あやつらは、いったい何のために第四王子を名乗る痴れ者めを己の領土に引き入れたのだ?」


「それはもちろん、アルグラッドに侵攻する旗印にするためでありましょう。王国を支配せんと目論むゼラドの黒蛇らにしてみれば、それほどうってつけの存在はありませんでしょうからな」


 ほとんど舌なめずりでもしそうな口調で、ジョルアンはそう答えた。

 ロネックは、御前であることも忘れてしまったかのように、どんと床を踏む。


「そのようなものは、俺が返り討ちにしてくれるわ! 陛下、お許しをいただけるのであれば、俺が遠征兵団を率いて黒蛇もろともその痴れ者めを討ち取ってみせましょう!」


「我らはマヒュドラとの戦いを終えたばかりであるぞ。しかも戴冠の儀を目前に控えたこの時期に、そのような大軍を動かすわけにはいくまい」


 ベイギルスは、ぶすっとした顔で肥えた身体をゆすっていた。

 神官長バウファは、お行儀のいい微笑をたたえたまま、王や元帥たちの挙動を見守っている。


「レイフォンよ、おぬしならば、どのように考える?」


「はい……その前に、ひとつ気にかかることがあるのですが。そちらに控えている少年は何者なのでしょう?」


「それは、痴れ者に加担した叛逆者の一人だそうだ」


 ベイギルスがそう言うと、少年がうろんげに頭をもたげた。


「俺は王国に叛逆した覚えなどない。得体の知れない集団に身を投じてしまったのは、俺の馬鹿な姉だ」


「貴様! 御前であるぞ!」


 縄をつかんでいた兵士が、顔色を変えてわめきたてる。

 少年は、怒りをはらんだ目でそちらをにらみつけた。

 黄色みがかった、獣のような瞳である。


「ならば、お前たちがきちんと事情を語るべきだろうが? 馬鹿な家族を野放しにした罪を問われるならば是非もないが、やってもいない罪で首を刎ねられるのは御免だ」


「き、貴様……!」


「恐れを知らぬ子供だな。そやつは、自由開拓民か?」


 あまり興味もなさげに、ベイギルスはそう述べた。

 少年は、目もとにまで垂れた赤褐色の髪を邪魔くさそうに振り払ってから、「ああ」と応じる。


「俺はシャーリの川を母とするグレン族の狩人、ロア=ファムだ。俺の姉がそれほどの大罪を犯したというのなら、この生命で償おう。……その代わりに、集落の同胞は許してもらいたい。あくまでも、馬鹿なのは俺の姉ひとりであったのだ」


 シャーリの川辺というのは、たしか大鰐という獣の生息する危険な区域だ。

 そういえば、ダーム領に発ったクリスフィアは、いつも大鰐の鱗でこしらえた革鞘に護身用の短剣を収めていたな――と、レイフォンはそんなささやかな記憶を思い出すことになった。

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