Ⅱ-Ⅱ 金狼宮の客人
2017.4/22 更新分 1/1
「おお、よく来たな、レイフォンよ」
レイフォンとティムトが入室すると、執務の席に掛けていたディラーム老が鷹揚に笑いかけてきた。
金狼宮の、ディラーム老にあてがわれた執務室である。ディラーム老は卓の上に武官の名簿を広げて、今日も新しい兵団の再編成について頭を悩ませていた様子であった。
「もう武官や兵士たちの移動についてはひと段落したはずですが、まだ何かお悩みなのですか?」
「うむ。何せわたしの部隊は、他の将軍どもに食い荒らされた穴だらけの状態であるからな。新しい傭兵を招き入れるにしても、事前に土台を固めておかなければ十全な力を発揮させることもかなうまい」
元帥から、言わば連隊長の座に降格することになったディラーム老は、手ずから第三遠征兵団の立て直しに取り組まなくてはならないのである。
ちなみに第三遠征兵団というのは、かつてヴァルダヌスが率いていた部隊であった。その部隊はここ最近任務から外されていたので、本来は無傷であったのだが、グワラム戦役で傷ついた第一・第二遠征兵団の補充という名目で数千もの将兵を奪われてしまったのである。
「それでも何とか第一遠征兵団のイリテウスをこちらに招くことはかなったからな。かの者には予定通り、千獅子長の座を与えることにしたぞ」
「それは何よりです。セルヴァに魂を返されたアローン将軍も、ご子息を盟友たるディラーム老に預けることができて、安堵の息をついていることでしょう」
「うむ。あのように前途ある勇士を叛逆者どものもとには置いておけぬからな」
その第一遠征兵団は、かつてロネックの下で千獅子長として働いて人物に率いられることになっていた。まだ確証の取れた話ではなかったが、ディラーム老はロネックとジョルアンの両名が叛逆者という前提で立ち振る舞っている。
しかしそうなると、アルグラッド軍における敵方との戦力比というのは、かなり不利な状況であった。
第二遠征兵団はもともとロネックの率いていた部隊で、それは副官の人物に引き継がれていたし、ジョルアンの率いていた第二防衛兵団もまた然りなのだ。それは、五つの兵団の三つまでもが敵方の配下であるという事実を示していた。
「しかし、ルイドの復帰にはまだしばらくの時間がかかってしまうだろう。できればあやつにも千獅子長の座を与えてやりたかったのだが……こちらもそう長くは待っておられぬしな」
「ルイド殿は、まだ寝所で臥せっておられるのですか?」
「うむ。思うにあれは、シムの毒草でも与えられていたのではないのかな。ただ幽閉されていたというだけではなく、あやしげな毒草で頭や心を蝕まれてしまったのだ」
卓の上で、ディラーム老がぎゅっと拳を握り込む。
二日前に《裁きの塔》から救ったルイドは、そのまま《賢者の塔》の医療施設に運び込まれることになってしまったのである。医術師の弁によると、ルイドはここひと月ばかりの記憶が曖昧であり、自分が誰の手によって幽閉されたのかも覚えてはいないのだという話なのだった。
「ダリアス将軍の行方を聞き出すために、シムの毒草を使ったのかもしれませんね。シムには心の中の秘密を吐き出させるための危険な毒草が存在するのだと聞いたことがあります。それを使うと頭の中身を傷つけられて、記憶が混濁してしまうそうですよ」
ティムトがそのように発言すると、ディラーム老はいよいよ物騒な感じに両目を光らせた。
「いったいどれだけ卑劣な真似を繰り返せば気が済むのだ。罪もなき人間にそのような真似をした者どもは、誓って全員、首を刎ねてくれる」
「それでも、ルイド殿と一緒にあの両名を救い出すことができたのは僥倖でありましたね。……彼らは、寝所ですか?」
「うむ。さぞかし窮屈な思いであろうが、身の安全をはかるためには致し方あるまい」
それは、ルイドとともに幽閉されていた城下町の民たちのことだった。
デンにギムと名乗ったその両名は、最終的に金狼宮でかくまわれることになったのである。
理由はひとつ。ここならば、ディラーム老の信頼の置ける武官たちに、朝から晩まで護衛を頼むことが可能であるからであった。
「ひょっとして、またあの者たちと言葉を交わすためにやってきたのか? もはや聞きもらしていることはないように思うのだが」
「ええ。ですが、ダリアス将軍に関してもっとも深く知るのは彼らですからね。念には念を入れて、話を聞いてみたいと思います」
むろん、それを提案してきたのはティムトであった。
ティムトはどうも、レイフォンがいぶかしく思うぐらい、彼らに執着している様子なのである。
「わたしはまだ仕事が残っているので遠慮させてもらおう。何か新しい事実が判明したら、のちほど聞かせてくれ」
「了解いたしました。それでは失礼します」
レイフォンは一礼して、執務室の右側に設えられた扉のほうに足を向けた。
そこが寝所の扉であり、扉の前には帯刀した武官が立ちはだかっている。会話の内容が聞こえていたらしい武官は、無言のままに扉を叩いてくれた。
「は、はい!」という怯えた声が返ってくる。
武官は、「ヴェヘイム公爵家の第一子息、レイフォン様のおいでです」と告げて、扉を引き開けた。
レイフォンは武官に目礼をして、寝所に足を踏み入れる。
それに追従するティムトも入室を果たしてから、扉は静かに閉ざされた。
やはり質実で、余計な装飾のない寝所である。レイフォンの使っている部屋よりも一回り大きくて、寝台は二つ置かれている。その片方に壮年の男が寝かされており、もう片方の若者は青い顔で直立していた。
「あ、あの、このたびは大変お世話になってしまって……え、ええと、膝をついて礼をすればよいのでしょうか? た、貴き身分のお人にどのような挨拶をすればいいのかもわからなくって……」
「礼など不要だよ。君たちはこの部屋に招かれた客人なのだからね」
「と、とんでもないことです!」
温かい食事と快適な寝所を与えられて、若者のほうはすっかり元気になった様子である。そのおかげで、現在の環境に対する気後れや不安などが自覚できるようになってきてしまったのだろう。二日前や昨日などは、ずっと半泣きでおろおろするばかりであったのだ。
これといって特筆するべきこともない、ごく凡庸な若者である。
年齢は十八歳、名前はデン、生まれは城下町で革細工屋の息子。それが、彼の素性であった。
「お連れの容態はいかがかな? 医術師によると、安静にしていれば危険はないという話であったけれども」
「は、はい! 今は眠っていますが、食事なんかも綺麗にたいらげられるようになりました! これもみんな、あなた様たちのおかげです!」
ぺこぺこと頭を下げながら、その目にうっすらと涙を溜めている。根っから善良で気の優しい若者なのである。このような若者が宮廷の陰謀劇に巻き込まれて幽閉されてしまったなどというのは、実に気の毒な話であった。
そしてもう片方の人物は、その身に深い傷を負うことにもなってしまっていた。
こちらの人物は城下町の鍛冶屋の主人で、名前はギム。年齢は、四十前後であろう。がっしりとした体格で、顔の下半分に不精髭を生やした、いかにも職人といった風貌だ。今は静かにまぶたを閉ざして、安らかな寝息をたてている。
「まあ、そこに座るがいいよ。今日もちょっと、君たちに話を聞かせてもらいたくてね」
「は、はい……」
とたんに不安そうな顔になりながら、デンは木造りの椅子に腰かけた。
レイフォンは空いている寝台に腰をおろし、ティムトはそのかたわらに立ちつくす。
「まずは、朗報だ。昨日の晩、城下町の酒場で、ようやくそのギムという人物のお弟子の一人を見つけだすことができたのだよ」
「あ、そ、それじゃあ、俺の話が嘘じゃないってこともわかってもらえたんですね……?」
「うん。おおむね確認は取れた。ダリアスと思しき人物が、町で何名もの衛兵を斬り捨てたあげく、トトスの車で逃走した、なんてね。そんな報告はまったく入っていなかったので、どうしても裏を取る必要があったのだよ」
それが、デンのもたらした驚くべき事実の一つであった。
しかし、そんな報告はまったく宮廷内には届いていない。防衛兵団の長たる二名、およびジョルアンにも確認をしてみたが、「そのような事件が隠蔽されるなどありえない」の一点張りであったのだ。
「その光景を眺めていた城下町の民たちも、厄介事に巻き込まれるのを嫌って、みんな口を閉ざしてしまっていたのだろうね。まあ、そんな大事件が起きたにも拘らず、城下町においても罪人を手配する触れが回されなかったのだから、町の民たちも只事ではないと察したのだろう。その人物のお弟子たちも、ほとぼりが冷めるまではと身を隠していたようだね」
「そうですか……あ、あの、俺たちはいつ町に返してもらえるのでしょうか……?」
「そうだねえ。まずはその、正体の知れぬ衛兵どもを捜し出して、捕縛する必要があるだろうね。そうしないと、また君たちに危害を加えないとも限らないからさ」
「ええ? だって俺たちは、もう知っていることをすべて白状したんですよ? この上、俺たちを追い回して、いったい何になるっていうんですか?」
「それはわからない。でも、君たちに用事がなかったら、あんな場所に閉じ込めておく理由もないはずだろう? そうすれば、こんな風に宮廷内で騒ぎになることもなかったんだからさ」
いくぶんの罪悪感を覚えつつ、レイフォンは自分に課せられた仕事を果たすことにした。
「そこで、君たちに質問させてほしい。君たちは、本当に知っていることのすべてを話してくれたのかな?」
「え、ええ? なんにも隠しちゃいないですよ! ど、どうしてそんな風に俺たちを疑うんですか?」
「だからそれは、君たちが解放されずに幽閉されたままであったからさ。君たちを捕らえた何者かは、まだ君たちに聞きたいことが残されていたから、ずっとあのような場所に幽閉していたということなんじゃないのかな?」
デンは緊迫しきった面持ちで、ごくりと生唾を飲み下す。
レイフォンは、ティムトから告げられていた言葉をそのまま口にすることにした。
「そのギムという人物は、ひと月近くもダリアスをかくまっていた。そうして衛兵たちに踏み込まれて、あのような騒ぎになってしまった。ダリアスは衛兵たちをなぎ倒して、なんとか逃走することができた。そうして行方をくらます前に、ダリアスはアルグラッドを出る、と言い残していた。……それが、君たちのもたらしてくれた、驚くべき事実だよね」
「は、はい。なんにも嘘は言っちゃいません。ダリアス様をかくまっていたことが罪になるっていうんなら……そのことだけは、言い逃れできませんけど……」
「ダリアスは罪人として追われていたわけではないのだから、それをかくまっても罪になどならないよ。なおかつ、ダリアスが斬り捨てた衛兵たちだって、本物の衛兵なのかどうか知れたものではないのだからね」
「ええ? あれは偽物の衛兵だったって言うんですか!?」
「わからないよ。でも少なくとも、衛兵の長である二人の十二獅子将は、そんな事件など起きていないと言い張っているんだ。だったら、偽物の衛兵か、あるいは防衛兵団の職務とは関係なしに城下町を闊歩している部隊が存在する、ということになるのだろうね」
さらにもうひとつ、十二獅子将のどちらかが嘘をついている、という可能性も残されている。何せ防衛兵団の片方は、長年ジョルアンの支配下にあったのである。
「君の話は、大筋では真実であったのだろうと思う。だから私はね、何か言いもらしていることがあるのではないかと問うているんだよ。何せ昨日までの君は取り乱していて会話もおぼつかなかったし、そちらのギムという人物は口をきくのもつらそうな状態であったからね」
「はあ……で、でも、それ以上に話すことなんて……」
「ダリアスは本当に、どの町に向かうかまでは明かしていなかったのかな? ダリアスの行方を捜す何者かにとっては、それが一番の関心事だと思うのだけれども」
「は、はい。それは本当に聞いていません。ただ、城下町を離れる、としか……セ、セルヴァに誓って、それは真実です!」
「そうか。それなら、その他の話もすべて真実であると、セルヴァに誓えるかな?」
デンは、ハッと息を呑むことになった。
その純朴そうな面から、見る見る血の気が引いていく。
「ちょ、ちょっと待ってくださいね。確かに昨日までは混乱していたから、何か言い間違いとかはあったかも……そ、そんな言い間違いで魂を砕かれたりはしたくないので、セルヴァへの誓いは勘弁していただけませんか……?」
「ああ、もちろん。それなら、どこに言い間違いがあったのかを思い出してもらえるかな?」
デンは唇を噛んで考え込んでしまった。
その間に、レイフォンはちらりとティムトの様子を盗み見る。
ティムトはほんの少しだけ目を細めながら、若者の様子を観察していた。
「す、すみません。やっぱりそんな、大きな部分で言い間違いはしていないと思うんですが……お、俺たちの言葉で、どこか疑わしいところがありましたか?」
「うん。昨晩、その人物のお弟子さんを発見したと言っただろう? その人物から聞いた話と、一点だけ食い違う部分があったのだよね」
デンは、小さく肩を震わせ始めていた。
それを気の毒に思いながら、レイフォンは答えを示してみせる。
「その人物はね、ダリアスが――いや、外套をかぶっていたので正体はわからなかったけれど、とにかく大きな身体をした剣士がどこからともなくやってきて、衛兵たちをなぎ倒したのだ、と言っていたのだよ。ダリアスはその鍛冶屋でかくまわれていたという話だったのに、その剣士は街路の向こうから飛び出してきた、という話だったのだよね」
「ああ、なんだ……そんなことですか。びっくりしたなあ、もう!」
と、いきなりデンが大きな声をあげたので、レイフォンのほうこそ驚いてしまった。
デンは安堵の息をついてから、勢い込んで語り始める。
「そうか。俺の言葉が足りていなかったんですね。ダリアス様は確かにギムの店でかくまわれていましたけれど、衛兵たちに踏み込まれたときには、もう店を出ていたんです。それで、衛兵たちがギムを引っ立てようとしているのに気づいて、慌てて引き返してきてくれたんですよ!」
「ああ、そうなのか。私はてっきり、ダリアスもその御仁も一緒に店から引き立てられたのかと思っていたよ」
「はい、俺の説明が下手だったからですね。ご心配をおかけしてしまって、本当に申し訳ありません。ダリアス様はギムたちに強い恩義を感じていたので、自分の危険もかえりみずに、助けに戻ってくれたのですよ」
「ふむ。かつてダリアスの父君が、そちらの御仁の妹を侍女として使っていたそうだね。それじゃあダリアスとその御仁も、そんな昔からのつきあいであったのかな?」
「いえいえ。ダリアス様のほうは事情を知らずに、ギムのほうが一方的に恩義を感じていたそうです。ですから、街路で倒れていたダリアス様を自分の店に引き込んで、何日もかくまってさしあげることになったそうですよ」
聞いてみれば、どうということのない話であった。ダリアスは善良である上に、いくぶん短絡的な気性もしているので、恩人を見捨てることができなかったというのも不自然な話ではない。
ちなみに、ダリアスの父親とギムの妹の件については、ティムトも最初からわきまえていた。それゆえに、デンが《裁きの塔で》「ギム」という名前を発したときに、過敏に反応したのである。
(だけどそれは、十数年も昔の話なのだと言っていたな。ダリアスとギム本人には面識がなかったので、これまではティムトも重要視していなかったということか)
また、それは敵方の人間にしても同じだったに違いない。だからこそ、ギムのもとに捜索の手をのばすのにひと月近くもかかったのだ。その間にダリアスは背中の傷を癒せたのだという話であったのだから、セルヴァのもたらした幸いと思うべきなのだろう。
そのようなことを考えながら、レイフォンがティムトのほうをうかがってみると、何故か彼はいっそう鋭い目つきでデンのことを凝視していた。
「……それではこれで、言い間違いの恐れもなくなった、ということでしょうか?」
ティムトの言葉に、デンは「え?」と小首を傾げる。
おそらく、《裁きの塔》から救出されて以来、デンがティムトから声をかけられるのは、これが初めてのことであった。
「自分は何も嘘などついていないし、隠し事もしていない。自信をもって、そのように言いきれるのでしたら、あらためてセルヴァに誓いを立てていただけますか?」
「え……ど、どうしてそんな……」
「さきほどのあなたの怯えようは、ちょっと尋常ではありませんでした。いったいどの嘘が露見したのか――あるいは、どの隠し事が露見したのか――それが心配でたまらない、というご様子でしたよ」
デンの顔から、再び血の気が引いていく。
ティムトは普段通りの静かな口調で、さらに言いつのった。
「今は、『隠し事』という言葉に怯えた様子をお見せになりましたね。嘘をついていたのではなく、隠し事をされていたのですか?」
「お、俺は別に、隠し事なんて……」
「では、セルヴァに誓いを立てていただけますか? あなたは僕たちに何ひとつ隠し事などしていない、と」
デンはもう、気の毒なぐらい真っ青になってしまっていた。
見るに見かねて、レイフォンも声をあげることにする。
「ティムト、君はいったい、何を疑っているんだい? 彼らはそんな悪辣なことを企む人間だとは思えないのだけれども」
「悪辣な人間でなくとも、隠し事ぐらいはするでしょう」
「そうだとしても、彼らがダリアスを思いやる気持ちに嘘はないだろう。それなら、ダリアスの不利益になるような真似はしないのではないのかな」
「ダリアス様の不利益にはならなくとも、レイフォン様の不利益にはなるかもしれません」
ティムトを説得することはあきらめて、レイフォンはデンを振り返った。
「デン、君がダリアスを思いやる気持ちに、嘘はないよね?」
「は、はい、もちろん……」
「私だって、それは同様だ。私は彼と、友人と呼べるほど親密な関係は築いていないが、今後のアルグラッドに必要な人間だと考えている。だから、得体の知れない勢力に追われるダリアスのことを、心から案じているんだ。その心情には、一片の偽りもない。そのことを、この場でセルヴァに誓わせていただこう」
「…………」
「だから君も、同じように誓ってくれ。ダリアスのことを、心から案じていると。……その心情に偽りがないのなら、隠し事のひとつやふたつはかまわないさ」
後でティムトに叱られてしまうかな、と思いつつ、レイフォンは自分を止めることができなかった。ティムトの弁舌は鋭すぎて、悪漢でも無法者でもない人間に向けられるのは、あまりに痛々しいのである。
「俺は……お、俺は、心の底から、ダリアス様の身を案じています。その心情に偽りがないことを、ここでセルヴァに誓います……」
そのように述べてから、いきなりデンは床の上に身を投げ出した。
やわらかい敷物に膝をつき、その手でレイフォンの足もとに取りすがってくる。そのように振る舞いながら、彼はぽろぽろと大粒の涙をこぼしてしまっていた。
「だ、だけど、俺の行動が正しいかどうかは、自分でもわかりません! 俺はあんまり頭がよくないので……ダリアス様のために自分がどうするべきなのかがわからないんです!」
「ちょ、ちょっと落ち着きたまえ。どうしてそのように取り乱しているんだい?」
「お、俺は確かに、隠し事をしています……それが正しいことなのかどうか、自分で判断することができないんです! 俺が余計なことを言ってしまうと、ダリアス様とラナが危険な目にあってしまうかもしれないし……」
「ラナ? ラナというのは、そのギムという御仁の娘さんであったね。ダリアスと一緒に荷車で逃げる羽目になってしまったんだろう?」
「は、はい……ラナは俺の、幼馴染なんです……」
なんだかさっぱり意味がわからなかった。
どうして彼の隠し事が、そのラナやダリアスの安全に関わってくるのだろうか。
「レ、レイフォン様は、ダリアス様のお味方なんですよね……? そ、それなら、ダリアス様と一緒にいるラナのことも、救っていただけますよね……?」
「救う? ますますわからないな。ダリアスたちは、今でも危険な境遇にある、ということなのかな?」
「そ、それが俺にもわからないんです……何せあのお人は、見るからにあやしいお人でしたから……」
「あのお人?」
デンはぐしぐしと鼻をすすりながら、必死な目つきでレイフォンを見上げてきた。
「あ、あのお人が本当にダリアス様のお味方なら、レイフォン様とも手をたずさえられるということですよね? それでもって、もしもあのお人が悪人だったら……レイフォン様が、あのお人からダリアス様とラナをお救いしてくださいますよね……?」
「よくわからないけれど、ダリアスが危険な境遇にあるというのなら、私はそれを救うために全力を尽くさせていただくよ」
「はい。レイフォン様はダリアス様の身を案じていると、さきほどセルヴァに誓ってくださいました。そのお言葉を、俺は信じます」
そうしてデンは手の甲で涙をぬぐってから、言った。
「ダ、ダリアス様はギムの家を出た後、三日ばかりは別のお人にかくまわれていたんです。衛兵に囲まれたダリアス様を荷車で連れて逃げたのも、そのお人だったんです。それでそのお人は……一度だけあの牢屋に現れて、『何を尋問されても素直に答えろ。そうすれば、いつかは無事に解放される』と助言してくれました……」
「《裁きの塔》に、その人物が現れたと?」
「は、はい……『ただし、自分の名前だけは決して表に出すな』とも言っていました……そんなことをしたら、ダリアス様の行方も敵方に突き止められてしまうから、と……」
「そ、その人物は、いったい何者なのかな?」
デンはしばし呼吸を整えてから、さらに言葉を重ねた。
「祓魔官の、ゼラと名乗っていました。幼い子供みたいに小さな身体をした、あやしげなお人です……外套の頭巾を深くかぶっていたので、どんなお顔をしているかはわかりませんでしたが……」
レイフォンは、心から打ちのめされることになった。
半ば呆然としてかたわらを振り返ると、ティムトはほっそりとした顎に手をやって沈思の表情を浮かべていた。
「お願いします。どうかダリアス様とラナをお救いください。ギムとラナは、本当に心の正しい真っ当な人間なんです。こんなことで二人の人生が台無しになっちまうなんて、俺には耐えられません……どうか、どうかお願いいたします……」
「……わかったよ。よく話してくれたね、デン。ダリアスとそのラナという娘に危険が及ばぬよう、私たちも力を尽くしてみせよう」
そのように答えながら、レイフォンはデンの肩に手を置いた。
デンは再び泣き崩れてしまう。
(……これはいったい、どういうことなんだ?)
祓魔官のゼラは、敵方と見なしている神官長バウファの従者である。
しかし、ルイドのみならず、デンとギムが幽閉されている《裁きの塔》にレイフォンたちを向かわせたのも、そのバウファであったのだ。なおかつ、その言葉を届けてきた使者は、他ならぬゼラであった。
いったい彼らは敵であるのか味方であるのか。レイフォンは心から混乱することになってしまった。
(いや……よく考えたら、バウファは最初から、私たちには友好的だった。ディラーム老に再起をうながしたのも、バウファの言葉に従ってのことだった。前王と敵対していたからと言って、最初からバウファのことを敵と決めつけていたけれど、実はそれこそが見当違いだったということなのか?)
やっぱりレイフォンにはわからなかった。
ティムトには、真実の絵図が見えているのだろうか?
しかしティムトは黙して語らず、ひたすら自分の想念に打ち沈むばかりであった。