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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第三章 紡がれる運命
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プロローグ 最後の戦い

2017.3/19 更新分 2/2 ・3/20 8/15 誤字を修正

 ヴァルダヌスが天幕で眠れぬ夜を過ごしていると、従士が来客の旨を告げてきた。


「こんな刻限に来客だと? いったい何者だ?」


「はい。千獅子長のエルヴィル殿であります」


 ヴァルダヌスはほんの少しだけ迷ってから「通せ」と応じた。

 やがて天幕の帳が開かれ、ガージェの豹のように鋭い目つきをした若者が果実酒の土瓶を片手に足を踏み入れてくる。


「やっぱりまだ起きていたんですね。明日はついに大決戦の日だというのに、お元気なことで」


 ヴァルダヌスたちは、南方から攻め込んできたゼラド大公国の軍を迎え撃つために、レーベの森の手前で陣を張っているさなかであった。総指揮官はディラーム元帥であり、総勢二万五千の軍勢である。あちらが夜襲などを企まない限りは、明日こそが決戦の時となるはずだった。


「お前こそ、こんな夜更けにどうしたのだ、エルヴィルよ?」


「なに、仲間と騒いだ帰り道にぷらぷら散策していたら、天幕から明かりがもれているのが見えたんで、ちょいと寄らせてもらっただけですよ。……これも千獅子長の特権てやつですかね」


 にやりと皮肉っぽく笑いながら、エルヴィルはヴァルダヌスの正面に腰を下ろしてきた。

 十二獅子将のための天幕であるので、足もとには分厚い毛皮の敷物が敷かれている。そこにあぐらをかいたエルヴィルは、同じ表情のままその手の土瓶を差し出してきた。


「よかったら、将軍殿も一杯どうです? 眠れない夜には、こいつが一番です」


「いや。戦の間は飲まないことにしている。……それぐらいのことは、お前だって知っているだろう?」


「本当に変わったお人だね! こんな場所だからこそ、酒と博打ぐらいしか楽しみはないでしょうにさ」


 そう言って、エルヴィルは土瓶に直接口をつけて果実酒を飲んだ。


「で、そんな難しい顔をして何を思い悩んでいるんです? 故郷の愛しい姫君のことでも思い出してたんですか?」


「馬鹿を言うな。俺とアイリア姫はそのような間柄では――」


「おやおや。別に俺はどこの誰とも言ってはいないんですがね」


 ヴァルダヌスは、頬が熱くなるのを感じた。

 エルヴィルは、愉快そうに笑い声をあげている。


「いいかげんに腹をくくって、求婚でも何でもしてやってくださいよ。いまやあなたはアルグラッドで一番の勇士様なんだ。旧家の姫君だか何だか知らないが、その求婚をはねのけるような女はどこにもいませんって!」


「いや、だから俺は――」


「……それともまさか、例の王子ってやつが引っかかってるわけじゃないんでしょうね?」


 ヴァルダヌスは、きょとんとしてしまった。


「どうしてそこで、カノン王子の名が出るのだ? まさかお前まで、俺と王子がいかがわしい関係であるなどと疑っているのか?」


「俺は何も疑っちゃいませんし、宮廷の雀どもが何をさえずろうが気にしちゃいませんよ。……ただ最近は、兵士の間でもおかしな噂が流れちまってるんでね」


「王家や貴族の醜聞などは、誰にとっても面白おかしいものなのだろう。しかし、俺に後ろめたいところはない」


「だからそいつもわかってますがね。でも、天下の十二獅子将ヴァルダヌス様が、よりにもよって王位継承権を剥奪された忌み子の王子なんかに骨抜きにされてるらしい! なんて噂がまかり通っちまうと、士気にも影響が出てきちまうんですよ」


「だから――決してそのような話ではないのだ」


 王都に残してきたカノン王子の姿を思い浮かべ、ヴァルダヌスはふっと息をついた。

「それですよ」とエルヴィルは顔をしかめている。


「姫君のことをからかうと真っ赤になるだけなのに、王子の話になるとその顔だ。それじゃあ姫君より王子にご執心って思われても文句は言えないんじゃないですかね?」


「それでも俺には、後ろめたいことなど何もない。ただ……カノン王子の身の上を思えば、心を曇らされるのも当然の話だろう?」


「将軍殿が心を曇らせる理由なんてひとつもないでしょうよ? もともとは縁もゆかりもない相手なんだからさ!」


「……それでも俺たちは、出会ってしまったのだ」


 カノン王子と初めて顔をあわせてから、すでに五年近い歳月が経っていた。次に訪れる銀の月で、十一歳であった王子は十六歳になってしまうのだ。人と人との縁が紡がれるのに、それは決して短い時間ではないはずだった。


「わっかんねえなあ! どんなにつきあいが古くったって、指一本触れられない間柄なんでしょう? 姫君よりも抱き心地がよかったってえ話なら、俺だってちっとは理解できるんですがね!」


「エルヴィル、冗談でもそのようなことを口にするのは――」


「いちいち顔を赤らめんでくださいよ! 初心な小僧っ子じゃあるまいし!」


 エルヴィルは頭をかきむしってから、やけくそのように果実酒をあおった。

 それから表情をあらためて、ヴァルダヌスのほうに顔を寄せてくる。


「俺はね、心配してるんですよ、将軍殿。カノン王子を神殿なんかに幽閉したのは、他ならぬ国王様だ。そんな相手と縁を深めるのは、将軍殿にとって損にしかならないんじゃないですかね?」


「……そこまで噂話とやらが広まっているならば、陛下の耳にだって届いておられるのだろうが、それを諫められたことは一度としてないぞ」


「内心でどう思ってるかはわからないじゃないですか! このまま行けば、将軍殿はアルグラッド全軍を率いる元帥の座まで手に入れられるってのに、そんなつまんないことでしくじったらどうするんです?」


「俺は十二獅子将の勲を賜ったばかりの若輩者だ。このような身で元帥の座など望むべくもないし……それに、そのようなもののために人との縁をないがしろにするつもりはない」


「……本気で言ってるんですかい?」と、エルヴィルは少し物騒な感じに目を光らせた。


「将軍殿、あんたはセルヴァで一番の勇士ってばかりじゃなく、ちょっと珍しいぐらい公明正大な御方だ。俺みたいな貧民窟育ちの傭兵なんざを千獅子長として迎え入れるなんて、なかなかできるもんじゃない。俺は本当に、心の底から、あんたに感謝しているんですよ、ヴァルダヌス殿」


「お前は千獅子長に相応しい働きを見せていた。お前は自身の力量を誇るべきで、俺などに感謝をする必要はない」


「どんなに腕の立つ傭兵でも、貴族様を押しのけて千獅子長に取り立てられることなんてありゃしないでしょうが? セルヴァに誓って、あんたは俺の大恩人なんですよ、ヴァルダヌス殿。……だからこそ、あんたの身を案じているんです」


 エルヴィルの瞳には、これ以上もないぐらい真剣な光が宿っていた。

 冷笑的な皮肉屋ぶっているが、この若者は誰よりも真っ直ぐな熱情を持っているのだ。


「つまらないことで、自分の運命を台無しにしないでください。あんたはこの先、セルヴァの行く末を背負って立つお人なんだ。神殿に幽閉された廃王子なんてもんにはすっぱり見切りをつけて、もっと自分の御身を大事に――」


「どうもお前はカノン王子のことになると冷静さを忘れてしまうようだな、エルヴィル。それには何か、理由でもあるのか?」


 エルヴィルは、ふてくされたように口もとをねじ曲げる。


「俺はいつだって冷静ですよ。ただ……弱い人間に心をとらわれたときの厄介さってやつを知ってるだけです。助けたい人間を助けられないってのは、自分の無力さを思い知らされるばっかりで、そりゃあ苦しいもんでしょうよ?」


「まさしくな。カノン王子のことを思うたびに、俺は自分の無力さを思い知らされてしまう」


 そのように述べながら、今度はヴァルダヌスのほうが身を乗り出すことになった。


「しかし、お前にそのような相手があったとは初耳だ。それはいったい、どういう間柄の相手なのだ?」


「な、何ですよ? どうしてそんな子供みたいに目を輝かせてるんです?」


「だって、お前とはもう二年来のつきあいであるのに、そういった話はいっさい聞かせてくれなかったではないか。お前に聞かされるのは傭兵仲間の話ばかりで、俺はお前がどこの生まれであるのかすら知らんのだぞ?」


「生まれは、バルド内海のそばにあるちっぽけな町ですよ。言ったでしょう? 話す価値もない貧民窟です」


「では、その相手とは何者なのだ? 家族か? 想い人か?」


 エルヴィルは、嫌そうな顔をして身を引いてしまう。


「だから、どうしてそんな俺のことなんかを聞きほじるんです? 将軍殿には関係のないこってしょう?」


「関係のないことがあるか。お前は俺の旗下にある千獅子長だし、二年来の友人だ」


「ゆ、友人? 馬鹿なことを言わないでくださいよ。貴族と平民で友人なんて――」


「俺などは家名も絶えた下級騎士の生まれに過ぎぬよ。王宮で口にする花の香りのついた酒などより、町の酒場でお前たちと飲む果実酒のほうがよっぽど美味いと感じられるしな」


 そう言ってヴァルダヌスが笑ってみせると、エルヴィルは困り果てたように眉尻を下げてしまった。


「将軍殿、あんたねえ……」


「それで、お前の心をとらえているというのは何者なのだ? 俺で力になれることなら、いくらでも力を貸すぞ」


「……お気づかいはご無用ですよ。こればっかりは、俺がどうにかしないと何にもならないんです。いつか俺が、平和に暮らせる家のひとつでも持てるようになったら――そのときこそ、今まで不幸だった分の埋め合わせをしてやりますよ」


「そうか。そうだな。お前には、そういう思いがあるからこそ、戦いの場で誰よりも勇敢になれるのかもしれん」


 ヴァルダヌスは、エルヴィルのほうに手を差し出してみせた。


「すまんが、俺にも一口もらえるか?」


「え? ええ、そりゃもちろん!」


 エルヴィルは目を丸くしながら、果実酒の土瓶を手渡してきた。

 それを一口だけ飲み干してから、ヴァルダヌスはエルヴィルの顔を見つめ返す。


「エルヴィル。実は俺にも、これまでは誰にも明かしていなかった目的があるのだ。それを聞いてもらえるか?」


「は、はい。何です?」


「俺は――カノン王子に、自由な生活というものを差し上げたいのだ」


 今度はエルヴィルも、茶化したり怒ろうとしたりはしなかった。

 ただ真剣な眼差しで、ヴァルダヌスの言葉を待ってくれている。


「どうしてカノン王子があのように不自由な生を送らなければならないのか。俺はそれすら知らないし、また、それを陛下に問い質せるような身分でもない。だけど、いつかもっと力をつけて、陛下と王子の間にある確執や問題を取り除いて差し上げたいと、ずっとそのように考えていたのだ」


「でも……王様の前でカノン王子について取り沙汰するのは、打ち首ものの禁忌なんでしょう?」


「だから、打ち首にされないような力と信頼を勝ち取りたいのだ。俺が今以上に武勲をあげて、それこそ元帥の座でも手にすることができれば――もしかしたら、陛下に進言をしても許されるようになるかもしれない。その一心で、俺は騎士としてのつとめに励んでいるのだ」


「……はい」


「だから、無力な自分に憤って、さらなる力を欲したいと願っているのは、俺もお前も一緒なのだと思うのだ。どんなに苦しくとも、かけがえのない相手に出会えたからこそ、俺たちは本来以上の力を出せているのではないだろうか?」


 そう言って、ヴァルダヌスはもう一口だけ果実酒を飲んだ。


「だから俺は、カノン王子との出会いを不幸なものだとは考えていない。お前もその相手との出会いを不幸と思うべきではない。……と、俺には思えてならないのだ」


 エルヴィルは、「ああもう!」とわめき声をあげた。


「けっきょく、それが言いたかったんですかい? 俺はあんたの話をしているのに、どうしてあんたは俺のことなんか……」


「友とは、そういうものであろう」


「あんたは卑怯ですよ、将軍殿! これじゃあもう、俺が王子のことにとやかく文句をつけられねえじゃないですか!」


 怒った声で言いながら、エルヴィルはヴァルダヌスから土瓶を奪い取った。

 がぶがぶと果実酒をあおるエルヴィルの姿に、ヴァルダヌスはまた笑ってしまう。


「それで、お前を奮起させるその相手とは何者なのだ? どうも、想い人などではないように思えるが」


「そんな気のきいたもんじゃありゃしませんよ。あいつはただの――」


 エルヴィルがそのように言いかけたとき、「敵襲!」の声が響きわたった。

 二人は瞬時に戦士の顔になり、長剣を引っつかむ。


「何事だ! 報告せよ!」


「ゼ、ゼラド軍の夜襲です! 東と西から同時に攻撃を仕掛けられた模様です!」


「明日までも待てぬのか、ゼラドの野犬どもめ。……エルヴィル! 西の陣に向かえ! ディラーム元帥の指示を仰いだのち、俺も向かう!」


「了解! ……話の続きは、野犬どもを叩き潰した後で」


「ああ、必ずな」


 エルヴィルは勇猛な顔で笑い、天幕を飛び出していった。

 ヴァルダヌスは従士を呼びつけて、十二獅子将の甲冑を身に纏う。


 レーベの森の付近で開かれた、ゼラド大公国との大きな戦役。

 それに勝利して凱旋した後、エルヴィルは祝勝の宴で名のある貴族と悶着を起こし、王都を追放されることになる。

 よって、ヴァルダヌスとエルヴィルにとっては、それが同じ軍の戦友としてともに戦う最後の機会になったのだった。

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