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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第二章 ねじれゆく世界
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Ⅳ-Ⅳ 脱出

2017.3/7 更新分 1/1

 ダリアスは、暗がりの中に横たわり、じっと息を潜めていた。

 そのすぐかたわらにはラナも控えているはずであったが、目の頼りになるものはいっさいなかったので、その姿を見て取ることはできない。


 ここは、トトスの引く荷車の中であった。

 ただし、荷台ではない。荷台の床が二重底になっており、ダリアスたちはその狭苦しい空間に押し込まれる格好で身を隠していたのだ。


 身体の下には敷布が敷かれているが、その下は固い木の板であるし、荷車の振動が身体の内にまで響いてくる。ダリアスは背中の傷が疼き始めていたし、特別に身体を鍛えてもいないラナなどはもっと苦しい思いをしているはずであった。


 これが祓魔官ゼラの準備した、王都を脱出するための手段であったのである。

 本当は夜に出立するはずであったが、鍛冶屋通りであのような騒乱を起こしてしまったために、期日は翌朝に持ち越された。昨晩はもとの隠れ家で、衛兵たちに踏み込まれることを用心しながら眠れぬ一夜を過ごしたのだった。


 そうして夜が明けてすぐに、ダリアスたちはこの荷車へと案内された。

 外見上は、何のへんてつもない荷車である。トトスの二頭引きで、木造りの荷台は四角い箱の形をしている。

 その荷台の横側に、秘密の出入り口が造られていた。

 普通はこのような場所に物入れなどはないので、完全に人目をあざむく用途で造られた隠し部屋である。


 もちろん床下の空間であるのだから、高さなどはほとんどない。小柄なラナはまだしも、ダリアスでは寝返りを打つことさえ難しいほどの狭苦しさだった。

 その狭苦しい空間に押し込まれて、出入り口にまたぴったりと木の板を嵌め込まれると、世界は暗黒に閉ざされた。


 言うまでもなく、居心地は最悪である。

 空気穴は底のほうに空けられていたが、じっとしているだけで息が詰まってくる。また、完全な暗がりというのは人間を不安にさせるものであるし、ほんの半刻ばかりが過ぎただけで、熱気までもがこもってきていた。ダリアスの身体はじっとりと汗に濡れ、顔のほうにまで垂れてくる汗が不快でならなかった。


(……ラナはいったい、どのような気持ちでこんな時間に耐えているのだろう)


 そんな考えが、余計にダリアスを重苦しい心地にさせていた。

 昨晩はほとんどラナと言葉を交わしていない。「ダリアス様は何もお気になさる必要はありません」と言われてしまうと、もはやダリアスにはかける言葉も見つけられなくなってしまった。


 ダリアスをかくまったせいで、ラナとギムはこのような苦難に見舞われることになってしまったのだ。

 気にする必要はないと言われても、それを承諾する気持ちになれるはずがなかった。


 ギムがあれ以上のひどい目にあわないように、ゼラにはしっかりと頼み込んだが、その結果がどう転ぶかはわからない。また、それ以前にギムは衛兵の槍で肩を刺されているのだ。悪くすれば、あれだけで生命を失っていてもおかしくはなかった。


 そんなギムを王都に残して、ダリアスたちは逃亡しようとしているのだ。

 ひとたび城下町を離れてしまえば、身の潔白を明かさない限り、もはや戻ることも許されない。自分の決断は本当に正しかったのかと、ダリアスは一晩中思い悩むことになってしまった。


 ギムの助けがなければなかった生命であるのに、今はそのギムの身を犠牲にして城下町から逃げようとしている。このような恥辱は、他に考えられなかった。どうして大いなるセルヴァはこのような運命を自分たちにもたらしたのかと、大声でわめいてやりたいほどであった。


 それにダリアスは、この期に及んでもゼラのことを信頼しきれずにいた。

 あの小男が第四王子に強い思い入れを抱いているというのは、きっと真実であろう。その無念を晴らすためにダリアスが必要であるというのも、まあ納得のいく話だ。


 しかし、そこから先の考えが読み取れない。有り体に言って、自分の復讐心だか何だかを満たすためにダリアスを利用しようとしているのではないか、とも思えてしまう。ギムやラナに危険が迫っていることを知りながら放置していたゼラの行動が、またダリアスの猜疑心を強くしてしまっていた。


 そんな相手に頼らなければ、ギムの身に救いの手を差しのべることもままならないという現在の状況が、歯痒くてたまらない。

 この上は、一刻も早くダーム公爵領までおもむいて、身の潔白を明かす他なかった。ゼラにどのような魂胆があろうとも、今度こそ自分で納得のいく結果をつかみとってやろうと、ダリアスは固く決意していた。


『……居住区域を抜けました。まもなく第一の門に到着いたします』


 と、いきなりティートの声が響いてきたので、ダリアスはびくりと肩を震わせてしまった。

 御者台で手綱を握っているのはゼラの従者たるティートであり、彼は伝声管によってダリアスたちに言葉を届けてきているのだった。


 もちろん、ダリアスたちの側からは声が漏れないような造りになっている。それでもダリアスは呼吸を潜め、万事に備えて胸もとの長剣を抱え込むことになった。


 第一の門とは、城下町から外界へと出るための門である。セルヴァ王家の宮殿をその内に抱く城下町は、町そのものも堅固なる石塀と門によって外敵から守られているのだった。

 城下町には商人や旅人の行き来が許されているが、無法者や罪人を招き入れてしまわないように、この第一の門も衛兵たちによって厳重に警護されている。まずはこの門を突破しない限り、アルグラッドの外に逃げ出すことはかなわなかったのだった。


『止まれ! 名前と身分を名乗られよ!』


 伝声管を通じて、衛兵の声が聞こえてきた。

 ゆるゆると進んでいた荷車が停止し、ようやく静寂が戻ってくる。

 しかし、ダリアスの気持ちは安息とはほど遠かった。本来、衛兵たちは町にやってくる人間を検問するのが役割であり、町を出ていこうとする人間を見とがめることもないはずだった。


 むろん、ダリアスは何名もの衛兵を斬り捨ててしまったのだから、このように取り締まられるのも当然の話である。ダリアスは自らの正しさを証明できない限り、衛兵殺しの罪まで問われる身分に成り下がってしまったのだった。


『は……わたしはセルヴァ聖教団の末席に名を連ねます、ティートという者ですが……いったい如何されたのでしょうか……?』


『布告は回されているだろうが? 昨晩、城下町の鍛冶屋通りで無法者が騒ぎを起こしたのだ』


『城下町で、無法者が……? それは何とも恐ろしいお話で……こちらが聖教団の証となります……』


『ふん。聖教団の人間が、このような早朝からどこに向かおうと言うのだ?』


『は……ダーム公爵領まで、石材を届けに参るところです……荷台には、その石材と身の回りのものしか積んではおりません……』


『ダーム公爵領に、石材だと? 聖教団で石材などをどうするつもりだ?』


『ダーム公爵領のエイラ神殿にて、新たな祭壇をお作りになられるとのことです……銀獅子宮の再建のために集められた石材から、不要と見なされたものを聖教団でもらい受けたのだというお話でありました……』


 ティートは身分を偽っていなかったし、その言葉もすべて真実であるのだと聞かされていた。敵方はまだゼラがダリアスに与しているとは知らぬはずであるから、真実を語ることが一番安全であるはずだ、とのことであった。


(……しかし、もしもその事実が、すでに敵方に知られていたときは? この荷車に俺が潜んでいると白状しているようなものではないか)


 まだ名も知れぬ敵方は、ダリアスの父親とギムの妹の関係性までをも突き止めてみせたのだ。それはゼラとて同じことであるが、自分ですら知らなかった過去の出来事を他者に見通されていたという事実が、ダリアスには不気味でしかたがなかった。


『聖教団の証は本物であるようだな。念のために、荷台の中を改めさせてもらうぞ』


『どうぞご随意に……』


 かつかつと石畳を踏む音色がダリアスのかたわらを横切っていった。

 荷台の背部にある扉が開かれる気配がする。そこには巨大な石材と、ちょっとした食料などが積まれているはずであった。


 ぎしりと頭上で床のきしむ音がする。

 衛兵が、荷台の中にまで上がり込んできたらしい。

 板一枚を隔てて、衛兵が自分の上を歩いているのだ。知らず内、ダリアスは痛いぐらいに奥歯を噛みしめてしまっていた。


 と――そのとき、やわらかい温もりがダリアスの肩に触れてきた。

 姿は見えないが、ラナが手を差しのばしてきたのだ。

 その指先は、はっきりわかるぐらい震えてしまっていた。

 ダリアスは物音をたてないように細心の注意を払いながら、その指先をしっかりとつかみ取ってみせた。


 床板はぎしぎしときしみ、それに硬質の音色が重なる。石材を、槍か何かでつついているのだろうか。

 さらに、床板が激しくきしむ。足を踏ん張って、石材を押しているのかもしれない。それは、大の男でも三人ぐらいでかからなければ動かせないぐらいの重量であるはずだった。


 やがて、「ふん」と鼻を鳴らす音が板ごしに聞こえてくる。

 それから衛兵は荷台を降り、大きな音をたてて扉を閉めた。


『ずいぶん巨大な石材だな。あのようなものを引かされるトトスが気の毒だ』


『はい……ですから、わたしも連れはともなわず、少しでも荷物を軽くしてやろうと努めました……』


『ダームから戻るときは、せいぜい聖教団の証を失くさぬことだな。しばらくは、証のない者は城下町への出入りを禁じられることだろう』


『は……それでは、商人や旅人も出入りを許されなくなる、ということで……?』


『貴き身分の方々から通行証を授かっていない限りは、そうなるだろうな。アルグラッドは間もなく新王陛下の戴冠式を迎えるので、警護を強化することに定められたのだ』


 その布告は、すでに町にも回されていた。来月の半ばに、ついにベイギルスが大々的な戴冠の祝宴を開催させようとしているのである。

 王位の継承そのものはすでに為されていたが、地方領主までをも呼びつけて、己の権勢を見せつけようと目論んでいるのだ。もしもベイギルスこそが前王殺害の大罪人であるならば、その前にすべてを明るみにするべきなのではないかと思えてならなかった。


『では、通るがいい。……開門!』


 半刻も前に日は出ていたというのに、第二の門は閉ざされたままであったらしい。それもまた、衛兵殺しの罪人を逃がすまいという措置なのかもしれなかった。


 荷車は、再びゆるゆると動き始める。

 その間、ダリアスはずっと暗がりの中でラナの指先を握りしめていた。

 ティートの声が聞こえてきたのは、それから四半刻ばかりも経ってからのことだった。


『ようやく第二の門が見えなくなりました。衛兵が追ってくる様子はありませんし、荘園ものどかなものです。しばらくはおくつろぎください』


 城壁の外には、アルグラッドに恵みをもたらす田畑が広がっているのだ。それを管理するのは小作の農民たちであり、彼らも地方の人間からは王都の民と見なされていた。


 荘園では、さまざまな作物が作られている。各種の野菜と穀物に、果実酒の原料となるママリア、紙の原料となるパプラ、それにカロンの大牛やキミュスの鳥までもが育てられているのだ。これだけ肥沃な大地が広がっているからこそ、この場所が王都と定められたのだろう。


 その反面、ほとんどが平地であるために守るのが難しい場所でもあるが、建国以来の数百年、敵兵がこの地を踏みにじったことは一度としてない。広大なる王都の版図は、ほとんどそれと同じぐらいの規模を持つ五大公爵家の領地に囲まれて、さらに守られているのである。


 西はダーム、東はルアドラ、南はヴェヘイム、北東はマルラン、北西はバンズ――まずはそれらの領地を踏み越えない限り、王都の土を踏むことはかなわない。地方の人間は、それらの五大公爵領までをもひっくるめて王都と称することが多かった。


 五大公爵家はそれぞれの領土に豊かな荘園や商業の場を築き、それを守るための城壁や軍事力を備え持っている。セルヴァの王を害するには、まず五大公爵家の領土を突破して、さらに城下町を守る第二の門、王宮を守る第一の門を乗り越えない限り、決して果たすことはかなわないのである。


 そうしてそれを守るのは、王都の防衛兵団と五大公爵家の騎士団だ。さらに遠征兵団をも合わせれば、それは十万にも及ぶ大軍となる。それだけの備えがあるからこそ、王都アルグラッドは数百年もの安寧を保つことがかなったのだろう。


(それなのに、セルヴァ王家の象徴たる銀獅子宮は燃え落ちて、カイロス陛下は三人の王子もろとも魂を返すことになってしまった……王家を脅かす凶刃は、外界ではなくその内側に潜んでいたということだ)


 暗がりの中で、ダリアスは深く息をついた。

 すると、その苦悩を思いやるように、ラナの指が強い力を込めてきた。

 その指先を同じ力で握り返しながら、こらえようもなくダリアスは囁いた。


「ラナ、本当にすまなかった。この身にかえても、ギムは必ず救ってみせる」


「……ギムもわたしも自分の意思で自分の運命を選んだのですから、ダリアス様がお気になさる必要はありません。ダリアス様がお救いになるべきは、わたしたちなどではなく、王国の行く末です」


「そんなことはない。俺にとっては、お前たちの存在だって同じぐらい重要なものであるのだ」


「……それでもダリアス様のお力は、王国の行く末のためにふるわれるべきなのです」


 ダリアスは闇の中できつく目を閉ざし、その手のほっそりとした指先を自分の額にあてがった。


「わかった。それでは、言葉を変えよう。俺は必ず、王国の行く末もラナたちの行く末も救ってみせる。神聖なる大神セルヴァに、それを誓おう」


 ラナは、答えようとしなかった。

 ただ、必死に嗚咽をこらえようとしている気配だけが伝わってくる。ガラゴロと音をたてる荷車の中でも、ダリアスがそれを聞き違えることはなかった。


『このまま一日トトスを走らせれば、夜にはダーム公爵領に辿り着けるはずです。どこかで人気のなさそうな場所を見つけたら小休止を入れますので、それまではどうぞご辛抱ください』


 ティートの声が、低く響きわたってくる。

 その声を聞きながら、ダリアスは闇の中でいつまでもラナの手を握り続けた。

 ラナはずっと無言であったが、数刻が経って荷車が止められるまで、その手をダリアスのもとから離そうとはしなかった。

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