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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第二章 ねじれゆく世界
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Ⅲ-Ⅲ 絢爛の下の陰謀劇

2017.2/11 更新分 1/1

「やあ、ティムト。こんなところにいたのか。すっかり捜してしまったじゃないか」


 レイフォンは、さきほどユリエラ姫からかけられた言葉をそのまま繰り返すことになった。

 銀色の盆に酒杯を載せて、卓から卓に渡り歩いていたティムトは、気のない表情で目礼を返してくる。


「何をそんな忙しそうに立ち働いているのだい? まるで王宮付きの給仕みたいじゃないか」


「そのように見えたのなら幸いです。僕はまさしくそう見られるように振る舞っていたつもりですので」


「給仕として見られたかった? どうしてまたそんなことを」


「……貴族の人々というのは給仕や小姓というものを道具としてしか見ていないので、そういうものが近づいても警戒して行いを改めようとはしないものなのです」


 つまり、人々の本音や思惑を正しく観察できるように、自分の存在を押し殺しているということなのだろう。このような宴のさなかにそのような振る舞いに及んでいるティムトに対して、レイフォンは実に複雑な気持ちを抱え込むことになった。


「ねえ、ティムト。君にとって、一番心が安らぐのはどういうときなのかな?」


「はい? いきなり何ですか?」


「いや、ここ最近のティムトはあまりに自分の身を削りすぎているから、少しでも心を安らがせてあげることはできないものかと思ってね」


 ティムトは珍しくきょとんとした顔になり、「そうですね……」と視線をさまよわせた。


「僕が一番心を落ち着けることができるのは……僕のことを知る人間が一人もいない場所で、のんびりくつろぎながら本でも読むことでしょうか」


「そうか。それはなかなか難しい話というか……これまでに、そんな機会を得られたこともなかったように思えてしまうけれど」


「そんなことはありません。昨年、レイフォン様の気まぐれでダーム公爵領の郊外まで旅行に出かけたことがあったでしょう? そのときのことを思い出して口にしたまでです」


「ああ、なるほど」とレイフォンも記憶を辿り寄せる。

 確かにあのときはダーム公爵家にも来訪の連絡を告げることなく、場末の宿屋で数日を過ごしていたのである。ティムトが静かに読書を楽しんでいる姿も、レイフォンは容易に思い出すことができた。


「確かにあのときのティムトは、心からくつろいでいる様子だったね。……でも、けっきょく私とはずっと行動をともにしていたのだから、『自分を知る人間がいないところで』という条件にはあてはまらないように思えてしまうね」


「……ああ、レイフォン様のことは頭数に入れていませんでした。大変失礼いたしましたね」


 ティムトはすました表情を取り戻して、ほっそりとした肩を軽くすくめた。

 レイフォンは苦笑しつつ、その盆から酒杯のひとつを取り上げる。


「それじゃあこの騒ぎが落ち着いたら、またどこかの町にでも出かけてみようか。……で、ティムトは自分の望むものをこの宴で得られることができたのかな?」


「ええ。今のところ驚きに値するようなことは起きていませんが、自分の考えを裏付ける役には立っていると思います」


 そのように言いながら、ティムトは絢爛たる舞踏の間に視線を走らせた。


「あそこでジョルアン将軍と語らっているのは、ルアドラ公爵家の第二子息ですね。ルアドラにはジョルアン将軍の旗下であった千獅子長が新たな十二獅子将として正式に赴任することになったので、ああして親睦を深めておられるのでしょう」


「ふむふむ」


「ベイギルス国王と語らっているのは、バウファ神官長の姪御にあたる人物です。彼女は神職につかず、先々代の王妹の家に嫁いで、王家とセルヴァ聖教団との縁を細々と繋いでいた人物であるはずです。カイロス先王の御世では不遇をかこつていましたが、今後はあちらの家も表舞台に引き上げられることでしょう」


「本当に、ひとつの時代が終わってしまった感があるね。まあ、国王ばかりか数十名の家臣までもがいちどきに失われてしまったのだから、それが当然なのだろうけれども」


「ええ、すべては予測の範囲内のことです。しかし、確証を得られるまでは予測も予測に過ぎませんからね」


 そのように述べてから、ティムトはきろりとレイフォンをにらみつけてきた。


「そういえば、僕の予測をわずかながらに外れる事態も生じていました。どうしてレイフォン様は、わざわざクリスフィア姫に救いの手を差しのべられたのですか?」


「ああ、やっぱり見られていたのか。それはもう、美しい貴婦人が困っておられたら、私はいつでも手を差しのべるように心がけているよ。それぐらいはティムトも承知の上だろう?」


「ですがレイフォン様は、気丈な姫君というのを苦手にされておられましたよね」


「苦手な相手でも貴婦人は貴婦人さ。ロネック殿というのは、宴の場でたびたび騒ぎを起こすような御仁でもあるしねえ」


 ティムトは溜息をついてから、もう一度レイフォンをにらみつけてきた。


「念のためにおうかがいしておきますが、何も余計なことは口にしておられないでしょうね?」


「うん、けっこう際どかったんだよ。あなたは何のために『賢者の塔』を訪れたのかと、今さらながらに問われてしまってね」


「…………」


「いや、何も余計なことは言ってないってば! ……たぶん」


 ティムトは酒杯の盆を卓の上に置き、華奢な指先で栗色の前髪をかきあげた。


「お願いですから、これ以上はクリスフィア姫に近づかないでください。僕の目の届かないところで余計な真似をされてしまったら、何か取り返しのつかないことになってしまいかねません」


「うん、私も彼女は苦手だからね。今宵はこれ以上近づかれないように、猟犬のごとく目を光らせておくことにしよう。……しかしティムトは、あの姫君のことをずいぶん用心しているのだね」


「……ああいう御方は、行動の予測がつけにくいのです。きっと論理的な思考ではなく、感覚的な部分で真実を嗅ぎ当てる才覚に恵まれているのでしょう。『賢者の塔』の一件で、改めてそれを思い知らされました」


 ティムトは指先を口もとに持っていこうとして、それをやめた。その姿を見て、レイフォンはいささかならず驚かされることになった。

 ティムトは今よりも幼かった頃、困ったことが生じると親指の爪を噛むくせがあったのだ。今も何とか途中で思いとどまったようだが、レイフォンがそんな記憶を刺激されたのも実に数年ぶりのことなのだった。


「やっぱり彼女を放置しておくのは危険なことかもしれません。……少し手立てを考えます」


「おいおい、まさか彼女に危害を加えるつもりではないだろうね? そんなのは、さすがにティムトらしくないと思うよ?」


「……僕が自分の思惑のために、他者に危害を加えるような人間に見えますか?」


「いや、直接的な暴力をふるうわけじゃないだろうけど……」


 しかし、ティムトであればその知略を駆使して他者を陥れることなど容易に過ぎるだろう。相手が王都の道理もろくにわきまえぬ地方領主の娘とあっては、なおさらだ。

 だが、ティムトの茶色い瞳には、レイフォンの杞憂をなだめてくれるような聡明なる光が瞬いていた。


「目的を達するのに暴虐な力が有効とは限りません。太陽神と風神の逸話をご存じではないですか?」


「すまないが、神話にはあまり興味がないのでね」


「神話ではなく寓話ですよ。まあ、神話は寓話そのものであるという説を唱える過激な学士も存在はするようですが」


 レイフォンにはさっぱり意味がわからなかった。

 しかし、ティムトがそれほど悪辣なことを企んでいるわけではないようなので、安心する。いかに王家やヴェヘイム公爵家のためであっても、ティムトが罪に手を染める姿などは見たくなかった。


「……そういえば、レイフォン様はユリエラ姫と舞踏に興じておられたようですね」


「ああ、彼女も私の苦手な気丈なる貴婦人だけれどもね。向こうから誘われてしまったら、あらがいようもないよ」


「いまや第一王位継承権を有するユリエラ姫が、わざわざ自分からレイフォン様のもとまで足をのばされたのですか」


「うん、国王陛下から序列を重んずるべしと命じられたらしい。……それで何か問題でもあるのかな?」


「いえ、予測の範囲内です」


 そのように述べながら、ティムトは軽く拳を額に押し当てた。

 何やら思い悩んでいる様子だが、その理由を語ろうという様子はない。


「そろそろこちらも一手を動かさないと、相手に陣形を固められてしまうかもしれませんね。かといって、手駒のほとんど存在しないこの状況で、いったいどんな手を指せばいいのか……」


「ディラーム老にお力を添えてもらうことはできないのかな? 我々にとっては、数少ない味方だろう?」


「ディラーム老は、武力の要です。このように陣形も整わぬまま、武力を使うわけにはいきません。そもそも武力では倍以上もの差があるのですからね」


「それでは、他の十二獅子将を頼るというのは? ……などと、私が思いつくようなことはすでに手が進められているのだろうけれども」


「ええ。少しずつ手は進めています。災厄を逃れた武将の中で、まだ新王に与していないのは誰と誰なのか、それを探っている最中ですよ。……しかし、そこで要となるのは公爵領に赴任されている方々ですからね。王都に足止めされたこの状況では、なかなか手を進めることもかないません」


 そのように述べてから、ティムトはふっと目を細めた。


「そうか、そちらにあの駒を進めれば、むやみに図面をかき回されることもないし……駄目なら駄目で、失うものもない。案外に有効な一手かもしれないな」


「独り言かい? ティムトには珍しいね」


 ティムトをきゅっと眉をひそめて、レイフォンをにらみつけてくる。

 余計なことを言ってしまったな、とレイフォンは反省した。


「でも、新たな手を思いついたなら何よりだね」


「いえ、思惑通りに手を進めるには、その前の手が必要となります。あちらはあちらでレイフォン様のことを心よく思っていないでしょうから、迂闊に頼みごとをするわけにもいきませんし」


「うん? 私が何だって? ……それはもしかしたら、クリスフィア姫のことなのかな?」


 ティムトがそれに答えようと口を開きかけたとき、何者かがしずしずと近づいてきた。

 とたんにティムトは口を閉ざしてしまい、従者としての大人しげな表情をこしらえる。


「失礼いたします。レイフォン様にこちらの書状をお届けするよう遣わされて参りました」


 それは、王宮付きの侍女であった。名前は知らないが、黒羊宮でたびたび目にした顔である。

 その少女が差し出しているのは、盆に載せられた封書であった。


「私に書状? いったい誰からのものなのかな?」


「はい、お名前は名乗られませんでした。神官職の従者であったと思われます」


 公爵家の第一子息たるレイフォンに、名前も名乗らず書状を届けることなど、本来は許されない。が、それは相手を責めるような話でもなく、気に食わなければ受け取りを拒否すればよい、というだけのことであった。


「神官職の従者ね。それはひょっとして、幼子のように小柄な御方であったかな?」


「いえ、すらりとしたお姿をした、壮年の御方でありました」


 ならば、神官長バウファの従者たるゼラでもないのだろうか。

 今のところ、レイフォンはその両名の他に神官職の知人というものを持っていなかった。


「とりあえずは受け取っておこう。どうもご苦労であったね」


 侍女たる少女はうやうやしく頭を下げながら、レイフォンの胸もとに封書を差し出してきた。

 レイフォンがそれを取り上げると、同じ足取りでしずしずと立ち去っていく。


「さて、こいつはいったいどういう内容なのだろうね」


 封書の蝋を取り去って、レイフォンはその中身を改めてみた。

 しかし、その中に封じられていたのは、一枚の皺だらけの紙片のみであった。いったん丸めてくしゃくしゃにしたものを、また広げたものなのだろう。紙も覚え書きのための粗末なもので、正式な書状としての体裁はまったく整えられていない。


「何だろう、これは。ことごとく礼を失している書状だね」


 レイフォンはその皺をのばしながら、記された文字を読み取った。そこにはごく短い文面が走り書きされているのみであった。

 差出人の名前はあれど、誰に宛てられたものなのかはわからない。そして、その内容もさっぱり意味がわからず、最後には「他言無用にてお願いいたします」の一言があった。


「ううむ。これは密談のお誘いか、あるいは恋文か何かなのだろうか。誰に宛てられたものなのかもわからないけれど」


 右から左にその紙片をティムトへと受け渡すと、少年の瞳には怜悧なる光が閃いた。


「確かにこれは、何通りかの解釈をする余地がありますね」


「私にはどう解釈すればいいのかもわからないよ。まさか、私に宛てられた恋文ではないだろうね?」


「そのように解釈することも可能ですが、それではこのように丸められていた理由と、神官職の従者などを通して届けられた理由がつきませんね。これはきっと本来の受取人がくず入れにでも捨てたものを、誰かが拾ってレイフォン様に送りなおしたものなのでしょう」


 ティムトはその紙片を丁寧に折りたたんで封書に戻すと、それを自分の懐に隠し入れた。


「どこの誰とも知れない人間の思惑に乗るのは釈然としませんが、せいぜい利用させていただきましょう。もしかしたら、次の手を進める足がかりにできるかもしれません」


「ふうん。何か私にも出番が回ってくるような話なのかな?」


「そうですね。今宵だけは酔い潰れないようにお気をつけてください。そもそもレイフォン様はお酒に向いておられないのですから」


「ああ。私は酒よりも茶を好んでいるからね」


 ティムトが何を思いついたのかはわからないが、ずいぶん元気を取り戻したようなので、レイフォンは安堵することができた。

 最近はなかなか思惑通りに話が進んでいなかったので、ティムトも鬱然としていたのだろう。まだまだ休息を取るには長きの時間が必要であろうから、厄介事にまみれた生活の中で少しでも勝利感や達成感を味わってほしいものであった。


「そうだ。それともう一つ、レイフォン様にお願いしたいことがあります。ちょっと面倒ですが、手に入れていただきたいものがあるのですよ」


 そうしてティムトは珍しく、レイフォンの耳もとに口を寄せてきた。

 背伸びをさせるのも気の毒であったので腰を屈めると、実に意想外な言葉が耳の中に吹き込まれてきた。


「……そんなものを、いったいどうしようというつもりなのかな?」


「僕だって不本意ですけれど、たぶん必要になるはずなのですよ」


「しかし、いくら何でもそのようなものを手に入れられるのだろうか?」


「女性をたぶらかすのはお手のものでしょう? いつもの手管で、どうぞお願いいたします」


 それはあまりに不本意な物言いであったが、ティムトの真剣な眼差しで見つめられると、否とは答えられなくなってしまった。


「……私は新しい妻を娶る気持ちになれないから、気軽な恋愛を楽しんでいるだけなのだけれどね」


「何もそれを責めたりはしていませんよ。今回はその手管が役にも立つのですから、なおさらです」


 そのように述べながら、ティムトはきわめて冷淡な顔つきをしていた。これなら面と向かって責められたほうがまだましと思えるような、冷ややかなる面持ちである。

 レイフォンは溜息をつきながら、目的の女性がこの場に存在するのかと、気のない視線を巡らせることにした。

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