Ⅳ-Ⅰ また雌伏の日々
2017.1/9 更新分 1/1
ダリアスは、ひとり煩悶していた。
このような場所でぐずぐずしていてよいのか、という気の滅入るような煩悶である。
ここは城下町の裏通りにある、古びた家屋の一室であった。
祓魔官のゼラと名乗る小男が、ダリアスのために準備をした隠れ家だ。
ダリアスはデンの力を借りて、王宮内に忍び込む算段を立てていたのに、あのゼラというあやしげな人物によってそれを妨害されてしまったのだった。
ことが露見してしまった以上、酒樽に潜んで城門を突破するという計略はもう使えない。たとえ目の前のゼラを斬り捨てても、その仲間が城門や城内で待ち受けていたら、おしまいなのだ。デンやギムやラナのことを思えば、はやる気持ちに身をまかせて危ない橋を渡ることもかなわなかった。
そうしてデンとも別れを告げ、ダリアスはこうしてゼラの準備した隠れ家に身を寄せている。
それはもちろんあの男を信用したわけではなく、その本心と目的を探るためであった。
「もしもダリアス様が身の潔白を証しだてて、王国の行く末を正しい方向に引き戻したいというお考えであるのならば、どうかわたしに力添えをさせていただきたい……わたしにはダリアス様が必要であり、ダリアス様にはわたしが必要であるはずです」
あの小癪な祓魔官は、そのように述べたてていた。
信用できるかできないかは置いておくとしても、ゼラは確かに王都を見舞った陰謀について何かを知る人間であったのだ。
ならばダリアスとしても、見過ごすことはできない存在だ。ダリアスは己の身を餌にするような覚悟でもって、ゼラの言葉を受け入れることにしたのだった。
(少なくとも、今すぐに俺を捕縛してやろうという心づもりではないようだからな。もしもこやつこそが敵方の一味であるなら、逆に俺が反撃の足がかりにしてやろう)
そのように思っていたのに、ダリアスはこの隠れ家でもう二日ばかりも放置されてしまっていた。
あれからゼラは、一度として姿を現していない。ダリアスの面倒を見ているのはゼラの配下であるティーノという男であり、これもまた主人に劣らずあやしげな人物であった。
「ダリアス様、失礼いたします……」
と、寝所の扉が叩かれて、そのティーノがぬっと姿を現した。
ゼラと同じように暗灰色の長衣と頭巾で風体を隠した、おそらくはそれなりに若い男だ。痩せていて、老人のように挙動は緩慢だが、深くかぶった頭巾の陰から覗くのは、髭のあともないつるつるの下顎である。
「昼の軽食をお持ちいたしました。こちらは、今日の分の薬となります……」
盆の上に、焼いたポイタンと煮汁の注がれた木皿、それに薬の小瓶が載せられている。ティーノはしずしずと入室してきてその盆を卓に置くと、また同じ動きで部屋を出ていこうとした。
「待て。お前の主人は、いつになったら姿を現すのだ? 俺はもう二日もこのような場所で放っておかれているのだぞ?」
「はい……ゼラ様は、王宮における仕事に従事されておりますので、今日か明日にはお姿を見せられるかと……」
「王宮か。俺が王宮に向かうのは邪魔しておきながら、まったくいいご身分だ」
祓魔官などというものは、ダリアスにとってまったく馴染みのない存在であった。病魔を祓うのが仕事なのであろうが、医術師や薬師と何が異なるのかもわからない。そもそも祓魔官を統括するのは神官たちであり、彼らは王都の武官とはきわめて折り合いが悪かったのである。
「ここもいちおう薬屋であるという話だったな。お前はこの薬屋の主人なのか?」
「いえ……名目上は、店を手伝う薬師の見習いということになっておりますが、もともとこちらはゼラ様が城下町に築いた拠点のひとつに過ぎませんので……店の面倒は、町で雇った別の人間に任されております……」
「では、お前はゼラという男個人の従者ということか」
「従者と申しますか……ゼラ様のもとで祓魔官としての研鑽を積んでいる身であります……」
「俺の見張り役をこなすことで、何が研鑽されるというのだ」
再び家の中に閉じこもる生活が始まってしまい、ダリアスは相当に気が立っていた。しかも顔をあわせるのがこの陰気な若者だけとあっては、いっそう鬱屈させられてしまう。
「おい、その頭巾を外して顔を見せてみろ」
「……はい……?」
「もう二日も顔を突き合わせているというのに、俺はまだお前の素顔すら知らん。そんな相手を信用できると思うか?」
ティーノは迷うように身体を揺らしたが、やがておずおずとした仕草で頭巾に手をかけた。
その下から現れたのは、想像よりもなお若い面立ちだ。若者というか、ほとんど少年と呼んでもいいぐらいの年齢であろう。面長で、きょろんと目が大きく、革細工屋のデンに少し似ているかもしれない。
「うむ。別にシム人ではないのだから、そのように部屋の中でまで頭巾をかぶる必要はあるまい」
満足して、ダリアスは空いている椅子を指し示してみせた。
「ティーノといったな。そこに座るがいい。今日こそは、納得のいく話を聞かせてもらうぞ」
「は……納得のいく話でございますか……?」
ティーノは不安そうに目を瞬かせた。
それは人間らしい仕草であり、いっそうダリアスを満足させてくれる。
「そうだ。あのゼラという男がいっこうに姿を現さないのだから、お前に話を聞く他あるまい。いったい城門の向こうはどのような状態にあるのだ?」
「は……いえ、わたしは王宮内に踏み入ることも許されてはおりませんので、そのようなことを問われましても……」
「それでも主人からは何らかの話を聞いているはずであろうが? まさか、事情もわからぬまま加担しているわけではあるまい?」
そのように言いながら、ダリアスは木皿の汁をすすった。
妙に薬くさい香草が使われた、奇妙な味である。ラナの作ってくれた料理の味を思い出すと、何やら胸を締めつけられてしまう。
「あのゼラという男は、ダーム公爵家かマルラン公爵家に身を寄せるべきだなどと抜かしていたな。あれは、どういう意味なのだ?」
「は……それはですから、他の公爵家は危険である、ということなのではないでしょうか……?」
「かつて俺が赴任していたルアドラ公爵家は、ジョルアンめの配下が派遣されたのだという話なのだから、確かに危険であるかもしれない。最大の武力を持つバンズ公爵家が厳しく監視されているというのも、まあいいだろう。では、ヴェヘイム公爵家は何なのだ? ヴェヘイム公爵領に派遣されたトラウズ殿はいまだ壮健であられるはずだし、かの御仁は悪辣な陰謀に加担するようなお人柄ではあるまい」
「は……わたしも詳しくは聞いておりませんが……ヴェヘイム公爵家の第一子息は現在王都に召集されており、壊滅的な打撃を被った王宮内の立て直しに尽力しているとのことでありました……」
「ヴェヘイムの嫡子といえば、レイフォンだな。まさかあやつまでこたびの陰謀に加担しているというのか?」
ダリアスもそこまでレイフォンと親交があるわけではない。しかし、セルヴァ一の知略家と名高い彼の勇名は、黙っていても耳に届いてくるのである。
祝宴などで顔をあわせるレイフォンは、優雅で人好きのする好青年であった。容姿は秀麗で、立ち居振る舞いは気品にあふれており、絵に描いたような貴公子であるとも言えるだろう。これで執務にあたればセルヴァ随一の切れ者であるという評判なのだから、天とは不公平なものなのだなと肩のひとつでもすくめたくなるような存在であった。
「現段階では、まだ何とも……しかし、新王陛下はかの御仁を厚く遇し、国家の内政を任せておられるとのことであります……」
「ジョルアンやロネックの武力にレイフォンの知略まで加わってしまったら、もう磐石だな。国家をゆるがす陰謀劇も、やつらの勝利で終結してしまうわけか」
探りを入れるつもりで、ダリアスはそのように問うてみた。
しかしティーノは「は……」と力なく目を伏せるばかりである。
(わからんな……けっきょく、俺の敵は誰なのだ?)
前王と王子たちが弑逆されたことによって、玉座を得たのはベイギルス二世だ。
そして、ダリアスをこのような目に追い込むには城下町の衛兵を自由に動かす力が必要であり、その役にはジョルアンが最適だと思われる。
で、前王に強い忠義の心を抱いていたルデン元帥とディザット将軍はグワラムの地で魂を返し、ロネックだけが生きのびた。そのロネックは、敗戦の責任を取らされることもなく、ジョルアンとともに元帥の座を与えられている。
すべての黒幕は新王ベイギルスであり、ジョルアンとロネックがその陰謀に加担したのだというのが、一番収まりのいい結論である。
しかし、すべてはダリアスの推論だ。真に憎むべきは第四王子カノンとヴァルダヌスであり、新王はその叛逆劇に便乗しただけという可能性も残されている。衛兵たちがダリアスを叛逆者と決めつけたのも、単に混乱していただけの話なのかもしれない。
(しかしそれでも、何もかもが偶然であったなどと信ずることはできないのだ)
それではあまりに、新王たちにとって都合がよすぎる。さらに前王派であった十二獅子将のウェンダ将軍――五大公爵家で最大の武力を誇るバンズ騎士団を統括していたウェンダ将軍までもが、時期を同じくして病死しているのだ。ここまですべてがベイギルスにとって都合のいい形で、偶然が重なるとはとうてい思えなかった。
(あのゼラという男は、神官長バウファの従者であるという話だったな。前王からは疎んじられていた神官どもの長が、いったいどのような形でこの一件にからんでいるというのだ?)
やはりゼラ本人に質さねば、ダリアスの疑念が解消されることはないようだった。
ダリアスはやけくそのように、白く焼かれたポイタンの生地を噛みちぎる。
「現在ゼラ様は、ダリアス様が首尾よく城下町から脱出できるよう、準備を進めておられるのだと思います……何かご要望がありましたら、わたしが対処させていただきますので……」
「では、散歩のひとつでもさせてもらいたいところだな。一日中このような部屋に閉じこもっているだけで、俺は気分が滅入ってしまうのだ」
ダリアスが乱暴に言い捨てると、ティーノはまた困ったように目をしばたかせた。
「は……ですが、城下町ではどこに誰の目があるかもわかりませんので……」
「わかっている。今のは、ただの愚痴だ」
どうもこの少年を見ているとデンの面影が重なってしまうので、憤懣をぶつけるのにも躊躇いが生じてしまった。
そして、デンのことを思い出すと、自然にラナやギムのことまでをも思い出してしまう。
(大見得を切ってギムの家を出たのに、この有り様だ。デンから話を聞いたラナたちは、どんな気分で毎日を過ごしているだろうな)
もちろんデンとも、あの夜以降は顔をあわせていない。酒屋を出て、自宅の革細工屋に送り届けてからこの隠れ家に移動したので、もう彼らにはダリアスの所在を知るすべはないのだ。ゼラの名前や素性だけは、決して口外せぬように言いつけて、デンとは袂を分かつことになったのだった。
こうしてダリアスの身柄を確保できたのだから、たとえゼラが敵方の人間であったとしても、いまさらラナたちに危険が及ぶことはないだろう。ラナたちは、これ以上このような陰謀劇に深入りさせるべきではなかった。
しかし――ともすれば、ダリアスの頭はラナたちと過ごした日々の記憶で満たされてしまうのだった。
一刻も早く、このような謀略は打ち砕いてしまいたい。そうしてラナやギムやデンたちに、恩義を返したい。その気持ちは、ダリアスの胸の一番奥深いところで熾火のように燃えていた。
そんな中、ようやくゼラがダリアスの前に姿を現したのは、翌日の夜も近くなってからのことであった。




