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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第八章 再生の道
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Ⅰ-Ⅸ 凱旋

2020.9/26 更新分 1/1

 リヴェルたちが王都に帰りついたのは、地神の御子たるシルファとの決着がついてから、半月後――月が変わって、緑の月の十二日のことであった。


 ナーニャもシルファも消耗がひどかったため、しばらくはガヴァの砦という場所で身を休めることになったのだ。

 また、『神の器』たるシルファを王都に連れ込んでいいものかどうか、その間に詮議が為されたらしい。五日ほどが経過したところでようやく話がまとまったため、トトスの荷車でたっぷり十日ほどもかけて、ついに王都へと帰還を果たすことになったのである。


 その半月の間で、ついにゼラド軍が撤退したのだという話が、リヴェルたちにも伝えられていた。

 ゼラド軍を率いていたベアルズ大公という人物も、おそらくは妖魅や『神の器』の恐ろしさを思い知り、これ以上の侵攻を断念することになったのだろう。そもそもリヴェルは王都にやってくるまでゼラド軍の侵略行為そのものを知らなかったので、まったく理解が及ばないのであるが、何にせよ、王都の人々は望んでいた結果を手にすることがかなったようだった。


「さて……果たしてチチアやタウロ=ヨシュは、無事でいるのかな」


 トトスの荷車が最初の城門を踏み越えたところで、ふいにナーニャがそんなつぶやきをもらした。

 同じ荷車に同席していたクリスフィアが、「大事ない」と笑顔で応じてくる。


「もしもあの者たちに危害を加えれば、この王都もたちまち怒りの炎に包まれてしまおう。レイフォン殿やティムトに限って、そのような不始末を犯すことはあるまいよ」


 ナーニャは肩をすくめるばかりで、何も答えようとしなかった。

 この荷車には、十名もの人間が同席している。ともに王都を出立した六名、ナーニャ、ゼッド、リヴェル、クリスフィア、イフィウス、ペルアに加えて、シルファ、メナ=ファム、ロア=ファム、タールスの四名が迎えられることになったのだ。


 最初にシルファを同乗させると言われたときには驚かされてしまったものであるが、もしも彼女が悪心を抱いていたならば、それを止められるのはナーニャのみであったのだ。ガヴァの砦においても、両者はずっと同じ場所で過ごすように言いつけられていた。


 つまりリヴェルたちは、もう半月ばかりもシルファたちと行動をともにしていることになる。

 その間に、リヴェルはもう彼女たちを心から信頼できるようになっていた。


 シルファというのは、第四王子カノンの名を騙っていた大罪人である。しかも、ゼラド大公国の進軍に協力する立場であったというのだから、本来であれば決して許されぬ存在であろう。

 しかしリヴェルたちはこの半月で、彼女たちの抱えていた事情を余すところなく知ることができた。


 すべては、ゼッドを――いや、ゼッドの正体であるヴァルダヌスを慕っていた、エルヴィルという人物の計略であったのである。

 エルヴィルは、ヴァルダヌスが前王殺しの汚名を背負って魂を返したのだと信じ、それに憤慨し、偽物の王子を使って王都を陥落させるなどという野望を抱いてしまったのだった。


 しかしエルヴィルはすでに魂を返してしまっており、しかも、ヴァルダヌスは生き永らえていた。何もかも、あまりに救いのない誤解とすれ違いから生じた悲劇であったのだ。少なくとも、リヴェルはシルファやメナ=ファムを大罪人として責めたてる気持ちにはなれなかった。


(たったひとりのお兄さんが、そんな復讐心にとらわれてしまっただなんて……きっと彼女は、自分の生命を捨ててでもお兄さんの力になってあげたかったんだろうな……)


 そしてメナ=ファムというのは、そんなシルファを捨て置くことができずに、行動をともにしていたのだという。

 彼女がどれだけ切実な思いでシルファのそばにいることを選んだのか、それもこの半月で知り尽くすことができた。ナーニャがかつて言っていた通り、彼女こそはナーニャにとってのゼッドに相当する存在であったのだった。


 ナーニャとシルファを見比べると、リヴェルはとても不思議な気持ちになる。

 ふたりはものすごく似た部分と、まったく掛け離れた部分を、ともに持ち合わせていたのだった。


 ふたりはどちらも、白膚症だ。

 しかしナーニャは白銀にきらめく髪を長くのばしており、シルファはくすんだ銀灰色の髪を少年のように短く切りそろえている。ナーニャの瞳は血の色そのものの真紅であるが、シルファの瞳は血の色をうっすらと透かせた青灰色だ。共通しているのは、ぬけるように白い肌の色のみである。


 また、ふたりはどちらもきわめて美しい容姿をしているのであるが――ナーニャは闇の中に輝く水晶のような美しさであり、シルファは月の下に咲く小さな花のような可憐さをひそめている。ナーニャは時として毒々しいまでの妖艶さをあらわにすることがあったが、シルファのほうはひたすらにひっそりとしていた。


 共通するのは、どちらも性別を感じさせないという点であろうか。

 ナーニャもシルファも、一見では少年とも少女ともつかない、精霊のような美しさであったのだ。ナーニャに関しては半陰陽という身の上がそれに関係しているのであろうが、シルファのほうは王子などを演じている内にそういう気配が身についてしまったのかもしれなかった。


 似ているようで、まったく似ていない。そうであるにも拘わらず、根源の部分は似ているようにも感じられてしまう。それはまるで、同じ素材から作られていながら、まったく異なる形に彫られた、一対の彫像であるかのようだった。


「さあ、間もなく到着となるが……くれぐれも、おかしな真似をするのではないぞ、メナ=ファムよ」


 クリスフィアがそのように呼びかけると、シルファのかたわらに寄り添っていたメナ=ファムが「ああ」と気安くうなずいた。


「これだけの時間をもらったんだから、とっくに覚悟は固まってるよ。そもそもどんな目にあわされたって、文句を言えるような立場じゃないからね」


 メナ=ファムは、グレン族という狩人の一族であるという話であった。

 男のように背が高く、そして逞しい体格をしている。赤褐色の髪を長めにのばして、黄色い瞳を炯々と輝かせるその姿は、いかにも勇猛そうである。ただ、よく日に焼けたその顔は造作が整っているばかりでなく、とても誠実な人柄が感じられた。


 その弟であるロア=ファムも、メナ=ファムとよく似た風貌と雰囲気を有している。姉よりも頭ひとつ分近くも小柄であり、体格もほっそりしているが、眼光の鋭さや気迫はまったく負けていない。姉のほうがどこか飄々としており、表情も豊かであるのに対して、こちらはいつも仏頂面をさらしていた。


 彼はもともと姉の身を救うために、ゼラド軍のもとを目指していたのだそうだ。

 しかし妖魅に襲撃されて、その役目を果たすことがかなわなかったのだという。姉のメナ=ファムは王都でどのような処遇を言い渡されるのか、彼はずっとその一点を気に病んでいる様子であった。


 最後のひとりであるタールスという人物は、そんなロア=ファムのお目付け役であるという。素性は王都の武官であり、とても格式ばった気性をしているようであるが、きっと悪い人間ではないのだろうなとリヴェルは感じていた。


(何にせよ……)


 この場にいる人間は、誰もが《まつろわぬ民》によって大きな苦難を背負わされていたのだろう。

《まつろわぬ民》というのは、関わる人間のすべてに凶運をもたらす存在であったのだった。


(でも、ナーニャとシルファは、それを乗り越えることができたんだ)


 言うまでもなく、もっとも大きな苦難を背負わされたのは、『神の器』という呪いをかけられたこのふたりであるはずだった。

 眠れる大神の依り代とされるために、ナーニャとシルファは絶望の底に叩き込まれてしまったのである。


 聞けばシルファは、盗賊と娼婦の間に生まれ落ちた子であるらしい。

 もちろんそのような生まれでも、幸福な生を歩むことのできる人間はいるのかもしれないが――シルファは、そうではなかった。両親に顧みられず、ずっと港町の修道院で暮らしていたのだそうだ。


 家族と呼べるような人間は腹違いの兄であるエルヴィルのみであり、そのエルヴィルは身を立てるために王都の兵団に身を投じてしまった。それから何年も、シルファは修道院で孤独な生を歩むことになってしまったのだ。


 その期間のことを、シルファは詳しく語ろうとしなかった。

 詳しく語ろうとしないことが、きっと答えであるのだろう。なんの身寄りもなく、そしてこれほどに美しいシルファが、修道院という閉ざされた場所でどのような時間を過ごすことになったのか――それはおそらく、神殿の地下室に幽閉されていたナーニャや、西の貴族の慰み者にされていたというメフィラ=ネロと同じぐらい、絶望に満ちた日々であったのだろうと思われた。


(メフィラ=ネロは誰にも救いを求めることができなかったから、魂のすべてを大神に捧げることになってしまった……でも、シルファはこうやってメナ=ファムと巡りあえて、人間としての心を取り戻すことができたんだから……今度こそ、幸福に生きる資格があるはず……だよね……)


 リヴェルがそんな風に考えていると、ずっと目を伏せていたシルファがふっとこちらを見やってきた。

 血の色を透かせた青灰色の瞳に、とても優しそうな光がたたえられて――またすぐに伏せられてしまう。彼女にこんな眼差しを向けられるとき、リヴェルはいつも泣きたいような気持にとらわれてしまうのだった。


 そうしている間にまた荷車がとまり、再び重々しい音色が聞こえてくる。

 今度は宮殿に通じる城門が開かれたのだろう。クリスフィアやイフィウスたちは揺れる荷車の中で立ち上がり、壁に掛けられていた長剣を腰に移した。


 リヴェルにとっては、二度目の宮殿だ。

 ナーニャは彫像のように無表情であり、ゼッドは猛禽のように眼光を鋭くしている。

 しばらく前進したのち、荷車の扉が開かれると、そこには白銀にきらめく甲冑姿の兵士たちが立ち並んでいた。


「では、行こう。しんがりはわたしが務めるので、イフィウス殿からお先にお願いする」


 寡黙なイフィウスは、無言のままに荷台から降りた。

 ナーニャとゼッドとリヴェルが続き、シルファとメナ=ファム、ロア=ファムとタールス、クリスフィアとペルアも順番に扉をくぐる。


 降りた場所から宮殿の入り口まで、兵士たちが左右にびっしりと列を作っていた。

 それをかきわけるようにして、横合いから別の一団が近づいてくる。


「ようやく王都に到着だな。俺たちもご一緒させてもらうぞ」


 それはリヴェルも、ガヴァの砦でたびたび顔をあわせていた面々であった。

 森辺の狩人ギリル=ザザに、その相棒であるドンティ、そして東の民ラムルエルの三名だ。黒豹のプルートゥは、さすがに姿が見えなかった。


「では、行くか」


 クリスフィアの声に応じて、イフィウスが足を踏み出す。

 リヴェルたちもそれに続くと、何名かの兵士たちも追従してきた。


 向かう先の宮殿は、白亜で築かれている。おそらくリヴェルたちがかつて過ごしていた、白牛宮なる宮殿であろう。その入り口に控えていた兵士たちが案内役となって、宮殿の内に足を踏み入れることになった。


 しばらく進むと、巨大な扉が現れる。

 その向こうは、大きな会議室のような部屋であった。

 巨大な卓とたくさんの椅子が並べられており、もっとも奥まった場所に六名の人間が座している。レイフォンにティムト、メルセウスにホドゥレイル=スドラ――そして、チチアとタウロ=ヨシュだ。

 こちらが入室している間に、その全員が立ち上がった。


「待っていたよ。皆、無事なようで何よりだ」


 宰相代理のレイフォンが、悠揚せまらぬたたずまいでそのように言いたてた。


「ややこしい話を始める前に、まずは再会の挨拶を交わしていただこうかな。……さ、遠慮なく、どうぞ」


 レイフォンにうながされると、チチアとタウロ=ヨシュが大きな卓を迂回して駆け寄ってきた。

 タウロ=ヨシュは途中で足を止めたが、チチアはそのままリヴェルにぶつかってくる。細いが力のある両腕が、リヴェルの身体をぎゅうぎゅうと締めつけてきた。


「遅いよ、もう! どれだけ待ちぼうけをくわせるつもりさ!」


 リヴェルたちが王都を出てから、すでに二十日ばかりが経過しているのだ。

 リヴェルはまぶたの裏に熱いものを感じながら、チチアの引き締まった身体を同じ力で抱きすくめてみせた。


「ご心配をかけて、すみませんでした。ご無事で何よりです、チチア」


「へん! 妖魅の群れに突っ込んでいったのは、あんたたちのほうでしょ! あんまりすっとぼけたことを言ってんじゃないよ!」


 チチアの乱暴な物言いに、周囲の兵士たちは面食らっている様子である。

 しかしリヴェルは、人目をはばかる気持ちにはなれなかった。


「かえりをまっていた、ナーニャ、ゼッド。どちらも、てきずをおったりはしていないようだな」


「うん。そちらも、元気そうだね」


 タウロ=ヨシュはその厳つい顔に嬉しそうな笑みをたたえており、それを見上げるナーニャもやわらかい眼差しになっていた。

 道中ではほとんど口にしていなかったが、ナーニャは何よりタウロ=ヨシュたちの身を案じていたのだろう。さきほどのクリスフィアとのやりとりは、決して冗談事ではなかったのだ。


 そして少し離れた場所では、メルセウスとホドゥレイル=スドラがギリル=ザザに言葉をかけていた。彼らはジェノスという領地の同胞であったのだ。


「さて。そちらの状況は、伝書でひと通り知らされているけれど……まずはお疲れ様でした、イフィウス殿、クリスフィア姫、ペルア。それに、カノン王子とヴァルダヌスとリヴェルも」


 レイフォンはゆったりと微笑みながら、その場にいる全員の姿を見回した。

 従者のティムトは、静かに瞳を光らせている。


「ロア=ファムとギリル=ザザは、ずいぶんひさかたぶりとなってしまったね。ドンティなんて、顔をあわせるのは一年ぶりぐらいになってしまうのかな?」


「へえ。レイフォン様もご壮健のようで、何よりでございやす」


「うんうん。君ともゆっくり語らいたいところだけど……その前に、面倒な話を片付けておかないとね」


 レイフォンの目が、シルファのもとで固定された。

 シルファはひっそりと目を伏せており、メナ=ファムはそれを守る騎士のように黄色い目を光らせている。


「王陛下の御意を得る前に、まずは私が宰相代理としての仕事を果たさせてもらいたく思う。……君たちは、表で待機していてもらえるかな?」


 その言葉は、背後に立ち並ぶ兵士たちに向けられたものであった。

 責任者であるらしい武官が、「よろしいのですか?」と心配そうに反問する。レイフォンは気安く、「うん」とうなずいた。


「こちらにはイフィウス殿やクリスフィア姫もおられるのだから、心配は無用だよ。何かあったら声をかけるので、よろしくね」


 武官は一礼し、配下の兵士たちとともに退室していった。

 その扉が閉められてから、レイフォンはもともと座っていた席に腰を下ろす。


「これでこの場には、すべての事情に通じた人間だけが残された。忌憚なく、言葉を交わすことにいたしましょう。みなさんも、お好きな場所にお座りください」


 とうてい審問会とは言えぬような、和やかな様相である。

 しかしこの場で、シルファたちの行く末は決せられるのだろう。

 ナーニャの熱を帯びた腕に取りすがりながら、リヴェルは自身が告発されるかのような心地であった。

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