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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第八章 再生の道
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Ⅱ-Ⅷ 懐柔

2020.8/29 更新分 1/1

 レイフォンたちが新王ベイギルスとの面会を許されたのは、カノン王子らが王都を出立してから三日後――黄の月の二十五日のことであった。


 近衛兵によって厳重に警護された扉をくぐり、小姓らの控えた次の間を通過して、さらにもう一枚の扉をくぐると、とたんに甘い花のような香りが漂ってくる。ベイギルスの気持ちを落ち着かせるために、医術師が香を焚かせたのだろう。メフィラ=ネロを討ち倒してからすでに五日が経過しているというのに、ベイギルスはいまだ臥せったままであったのだ。


「失礼いたします、ベイギルス王陛下。宰相代理のレイフォンに、従者のティムトでございます」


「おお、レイフォンか……其方と言葉を交わすのも、数年ぶりであるように感じられてしまうのう……」


 老人のように弱々しい声が、寝所の奥から聞こえてくる。そちらには紗の帳が掛けられていたために、まだどのような様相であるのかも判然としなかった。


「参じたのは、其方と従者のみであるな……? クリスフィア姫や武官などは、引き連れておらぬであろうな……?」


「はい。私と従者のみとなります。……クリスフィア姫を同行させてはならないご都合でもありましたでしょうか?」


「クリスフィア姫に限ったことではない……余は病身であるのだから、武骨な輩など近づけたくはないのだ……」


 レイフォンは、こっそり溜め息を噛み殺すことになった。

 ベイギルスは、べつだん病身なわけではない。メフィラ=ネロや妖魅のおぞましい姿を目の当たりにして、熱を出してしまったのは本当であるが、それ以降は病魔の陰りも見られないと医術師たちが言いたてていたのだ。


(まあ要するに、気持ちが弱っているだけであるのだろう。まったく、王に相応しい器量だな)


 レイフォンがかたわらのティムトに目をやると、そちらは普段通りの理知的な眼差しで紗の帳を見据えていた。


「謹んで、王陛下にお伝えしたき儀があるのですが……我々は、こちらに控えているべきでしょうか?」


「よい……こちらに参ることを許そう……ただし、静粛にな……」


 すると、あちら側にたたずんでいた何者かが、ひと息に紗の帳を開いてくれた。

 そこから覗いた可憐な姿に、レイフォンは思わず微笑をこぼしてしまう。それはジェイ=シンの伴侶である、リミア・ファ=シンであったのだ。


 すでに婚儀をあげているとは思えないほどに幼げな風貌をした、可愛らしい少女である。東の民のような黒髪黒瞳で、肌も浅黒い。そのほっそりとした身体を包み込んでいるのは、何の変哲もない侍女のお仕着せだ。レイフォンが彼女と顔をあわせるのも数日ぶりであったが、無邪気な笑顔や瑞々しい生命力にもまったく変わるところはなかった。


「ちょっとおひさしぶりですね、レイフォン様。それに、ティムトも。……さ、どうぞお入りください」


「ありがとう。……それでは、失礼いたします」


 帳の向こうに足を踏み込むと、甘たるい香りがいっそう強まった。

 部屋の奥には三人ぐらいの人間を寝かせられそうな寝台が据えられており、そこにベイギルスが半身を起こしている。そして、寝台の脇には武官の平服を纏ったジェイ=シンが仏頂面で立ち尽くしていた。


「おお、レイフォン……其方は息災であるようだな……余などはこのようにやつれ果ててしまい、まったく情けないことよ……」


 ベイギルスはそのように言いたてたが、その肥え太った姿に変化らしい変化は見受けられなかった。

 確かに二日やそこらは発熱で臥せっていたのであろうが、その間もリミア・ファ=シンが滋養のある食事を与えていたのだ。むしろ、放蕩な生活に身を置いていた頃よりも、肌つやなどはよくなったようにすら感じられた。


(これだったら、魂を削って死闘を演じたカノン王子のほうが、よほどやつれ果てていたな)


 そんな風に考えながら、レイフォンは寝台の前まで歩を進めた。

 帳を閉めたリミア・ファ=シンは、草原を吹きすぎる涼風のような軽やかさで、伴侶のもとに舞い戻る。


 ジェイ=シンは、燃えるような赤い髪と海のような青い瞳を持つ、いかにも凛然とした若き剣士である。リミア・ファ=シンと並んでいると、まるで兄妹のような風情であったが、何にせよ、両者の間には余人の介入を許さない確かな絆が感じられた。


 この数日は、ジェイ=シンたちがずっとベイギルスの寝所に詰めていたのだ。

 名目は、もちろん王の警護である。王都を見舞った災厄は一掃されたものと判じられていたが、《まつろわぬ民》の残党が存在すると見なされた以上、王の警護を怠ることは決してできなかったのだった。


(しかし、こんな場所で数日もつきっきりの警護なんて、さぞかし気がふさぐことだろう。一刻も早く、ジェイ=シンたちを解放してあげたいものだな)


 そうしてレイフォンは、あらためてベイギルスに向きなおった。


「では、報告させていただきます。ここ数日の、ゼラド軍の動静に関してですが――」


「なんと……こうまで力の果てた余に、そのように煩雑な話を聞かせようというのか……? 其方はもっと良識というものをわきまえた人間であるかと思っていたぞ、レイフォンよ……」


 ならばそれは、良識の定義に相違があるのだろう。

 そんな本音をぶちまけてしまいたい心情をぐっとこらえながら、レイフォンは言葉を重ねてみせた。


「ゼラド軍の先遣隊はドエルの砦にまで侵攻し、二日ののちにはゼラド軍の本隊がグリュドの砦に到着するものと目されております。それに対して、こちらは遠征兵団長のディラーム将軍が――」


「戦のことは、十二獅子将らに一任する……ダリアスめにも指揮権を与えてやったのだから、不備はあるまい……?」


 ベイギルスは幼子が駄々をこねるように、レイフォンの言葉をさえぎった。

 まあ、きっとベイギルスはドエルやグリュドの正確な位置すら把握していないのだろう。前王が逝去するまで、まつりごとにはまったく関わることのなかった立場であるのだ。


「承知いたしました。では、カノン王子に関しても報告させていただきたいのですが――」


 レイフォンがそのように言いかけるなり、ベイギルスは寝台に座したまま後ずさってしまった。


「カ、カノン王子が何だというのだ? そもそもあやつは、本物のカノン王子であったのか? カノン王子は、我が兄カイロスとともに魂を返したはずであろうが!」


「カノン王子とヴァルダヌスは、銀獅子宮の地下に隠されていた秘密の通路を辿ることによって、奇禍を免れたのです。これこそ、西方神のはからいでありましょう」


「な、何が西方神のはからいか! あやつらは、前王殺しの大罪人であるぞ! もしもあやつが本物のカノン王子であるというのなら、即刻斬首に処するべきであろうが!」


 レイフォンは再び溜め息を噛み殺しながら、ティムトの様子をこっそりうかがった。

 ティムトはすべての感情を押し殺して、ベイギルスの姿を見据えている。ベイギルスがこのように取り乱すのも、ティムトの想定内であった。


「そちらに関しては、慎重なる審議が必要となることでしょう。王陛下もご存じの通り、前王の暗殺については邪神教団が関わっていたものと目されます。カノン王子とヴァルダヌスも、きゃつらの陰謀に巻き込まれたお立場であるのです」


「な、なんでもかまわん! あやつらはすでに、前王殺しの大罪人として全領地に布告が回されておるのだ! その罪状のもとに首を刎ねれば、すべて丸く収まるではないか!」


「しかしカノン王子は、その身を挺してメフィラ=ネロなる凶賊を退けたのですよ?」


 これはティムトに言い含められていた言葉ではなく、レイフォン自身の言葉であった。


「王陛下も、ご覧になられたでしょう? カノン王子は、邪神教団――《まつろわぬ民》なる不逞の輩によって、あのような呪いをかけられてしまったのです。しかしカノン王子はそんな凶運に屈することなく、同じ呪いをかけられたメフィラ=ネロを退けてみせました。その救国の英雄を、審問もせぬままに斬首せよと仰るのですか?」


「な、何が救国の英雄か! あんなものは、ただの化け物ではないか! 王国の民が魔術に手を染めることは、まかりならん! それだけで、斬首に価しよう!」


「カノン王子は自らの意思で、魔術を身につけたわけではございません。それこそが、《まつろわぬ民》の陰謀の根源であったのです」


 レイフォンは昂る気持ちを抑えながら、そのように答えてみせた。

 レイフォンがこうまで心を乱してしまうのは、常にないことだ。やはりレイフォンもカノン王子と接している内に、さまざまな感情をかきたてられてしまったようだった。


「また、私は宰相代理の権限によって、カノン王子とヴァルダヌスをグリュドの砦に派遣いたしました。そちらの災厄をも退けることがかなえば、カノン王子の功績もより重みを帯びるのではないでしょうか」


「カ、カノン王子を、グリュドの砦に? 余の許しもなく、カノン王子を王都の外に出したというのか! カノン王子に逃亡を許してしまったら、なんとする!」


「その際には、私がすべての責任を負いましょう。大きな権力には大きな責任がつきまとうものであると、私は父たるヴェヘイム公爵からそのような教えを賜りました」


 これもまた、ティムトではなくレイフォン自身の言葉であった。

 どうしても、レイフォンの心が発言を求めてしまうのだ。


「私は宰相代理として、カノン王子らにグリュドへの遠征をお願いいたしました。その判断に間違いがあったのなら、私がこの身で罪を贖う他ありません。王陛下にも、その行く末を見届けていただきたく存じます」


「し、しかし……」


「王陛下は、この世で唯一絶対の王であられます。その絶大なる権力には、私など及びもつかないほどの重い責任が生じるものと思し召しください」


 ティムトの言葉に自分の心情を織り交ぜながら、レイフォンはそう言った。


「王陛下がカノン王子を斬首せよと命じれば、それに逆らうことは何者にもかないません。ですが、そのご判断に誤りがあれば、すべての責任は王陛下のもとにのしかかってくるのです」


「レ、レイフォン、其方は……よ、余を脅そうという心づもりであるか?」


「いえ。前王なき今、西の王国の行く末は王陛下の双肩にかかっているものと任じております。それゆえに、私も非才の身で力を尽くしているのです」


 ベイギルスは脂汗を流しながら、頼りなげに視線をさまよわせた。

 ジェイ=シンは仏頂面の下に心情を隠しており、リミア・ファ=シンは興味深そうに瞳をきらめかせながら、それぞれレイフォンの言葉を聞いている。


「カノン王子にまつわる案件は、さまざまな事象が複雑に絡み合っています。それをひとつひとつ丁寧にほぐしていかなければ、正しき答えを見出すこともかなわないでしょう。私は王陛下のご苦悩を少しでも晴らしてさしあげるべく、この場に参じました。どうか、私の言葉にしばし耳を傾けてはいただけないでしょうか?」


「そ……其方は本当に、余に造反しようという心づもりではないのだな……?」


「もちろんです。私はベイギルス陛下の治世をお守りするために、宰相代理という重責を負う決断を下したのです」


 これは完全に、ティムトの言葉である。脆弱なるベイギルスには甘言こそが有効であると、ティムトはそのように判じていたのだった。


「まず、前王殺しの罪に関してですが……これは先刻も申しあげた通り、《まつろわぬ民》なる邪神教団の企てた陰謀となります。王陛下の従者であった薬師オロルこそがその教団員であり、ロネックやジョルアンやバウファは自分でも知らぬ内にその陰謀に加担させられていた――それは以前に申しあげた通りとなります」


「う、うむ。しかし、カノン王子もその陰謀に加担していたのであろう? カノン王子は、誰よりも父たる前王を恨んでいたはずなのだからな!」


「カノン王子の真情に関しては、いまだお話をうかがっておりません。それをつまびらかにするには――やはり、審問を開く他ないのでしょう」


「し、審問か。まあ、それでカノン王子の罪がつまびらかになるのなら……」


「しかし、そうして審問を開くことが、本当にもっとも正しき道であるのでしょうか?」


 ベイギルスは困惑の表情で、身を震わせる。


「な、何が言いたいのだ? 審問を開く他ないと言いだしたのは、余ではなく其方であるぞ?」


「私は複雑に絡み合った事象を解きほぐすために、言葉を重ねています。……通常であれば、罪の所在を明らかにするために、審問を開く他ないでしょう。ですがこの案件には、邪神教団の手掛けた魔術というものが深く関わっています。王陛下も、ロネックの最期はご記憶に留めておられるでしょう?」


 ロネックは使い魔に憑依され、審問の場で妖魅と化したのだ。

 ベイギルスは、肥え太った身体をまた大きく震わせた。


「王国の民は、魔術を禁忌の存在としています。ゆえに、魔術に関しての知識を持ち合わせておりません。そんな我々が、《まつろわぬ民》の罪を正しく審問することができるのか否か――私は、それを疑問に思っています。銀獅子宮が魔術の炎で焼かれたのだとしたら、それを証し立てるすべはないのやもしれません」


「し、しかしカノン王子は、炎の魔術で妖魅どもを退けていたではないか! おそらくあやつはあの忌まわしき力で銀獅子宮を焼き尽くし、前王を始めとする無辜の人命を奪ったのだ!」


「しかし、それを証し立てるすべがございません。その場に立ちあった人間は、全員が魂を返してしまっているのです」


 ティムトの言葉を頭の中で整理しながら、レイフォンはそのように言ってみせた。


「なおかつ、銀獅子宮を焼き尽くしたのが、カノン王子の炎の魔術であったとしても……その力を世に解き放ったのは、《まつろわぬ民》となります。カノン王子は、自ら望んであのような力を手に入れたわけではないのです。そんなカノン王子に罪を問うことがかなうでしょうか?」


「と、問えないわけがない! 刀で人が斬られたならば、罰するべきは刀鍛冶ではなく、刀を振るった人間であろうが? よしんばその刀が何者かに押しつけられたものであっても、罪の重さに変わりはなかろう!」


 ベイギルスが、意想外に理屈のある言葉を口走った。

 それに対抗するべく、レイフォンは次の段階へと話を進める。


「カノン王子がご自分の意思で魔術を発動したのなら、それはまぎれもなくカノン王子の罪となりましょう。我々が取り沙汰するべきは、その一点に尽きるかと思います」


「い、一点? では、カノン王子が自分の意思ではなかったと言い張れば、それですべての罪を許そうというのか!? そんな馬鹿げた話があるか!」


「しかしカノン王子は、その呪いの力でもって王国を救いました。カノン王子が魔術を駆使しなければ、王陛下も我々も全員が魂を返していたのです。カノン王子が怒りに任せて父親を弑逆するような人間であれば、我が身を削ってまでそのような真似をするものでありましょうか?」


 それはティムトから授けられた言葉であったが、レイフォンは自然に自分の気持ちを乗せることができた。


「そして現在も、カノン王子は王国を襲う災厄を退けるために、グリュドの砦に向かっておられます。その献身こそが、カノン王子に罪はないという真実を表しているのではないでしょうか?」


「そ、そのようなことこそ、審問でつまびらかにするべきであろうが?」


「審問では、魔術に関する真実をつまびらかにすることも難しいかと思われます。……そしてその場では、さまざまな裏事情も公衆の面前にさらされてしまうことになりましょう」


 レイフォンの深刻ぶった声に、ベイギルスはいっそう不安そうな顔をした。


「よくお考えください、王陛下。このたびの災厄の首謀者と目される人物は、王陛下の従者であった薬師オロルであるのです。そして王陛下は、オロルに操られたジョルアンからの助言により、銀獅子宮を離れて、災厄から免れました。もちろん王陛下は《まつろわぬ民》などと関わりもなく、なんの罪も犯してはおられないのですが……そもそも叛逆者たる《まつろわぬ民》を王宮内に引き入れたのは王陛下であられると、そのように考える人間が現れないとも限りません。私は、そういった事態を危惧しているのです」


「よ、余に後ろ暗いところなどはないぞ!」


「承知しています。ですが、それを王陛下の罪と断じ、玉座から引きずりおろし――そして、カノン王子を新たな王に祀りあげようと目論む人間が出ないとも限りません」


 ベイギルスは愕然とした様子で、自分の胸もとをまさぐった。

 そのたるんだまぶたの下の瞳には、恐怖と焦燥の光が渦巻いている。ティムトの言葉は、ベイギルスの心臓を正しく直撃したようだった。


「そ……そのような真似を、許すわけには……」


「もちろんです。しかし、カノン王子というのは理由もなく幽閉の憂き身にあっていた、悲運の御方です。その境遇に同情する人間は多いでしょうし、また、カノン王子はきわめて美しく、魅力的な人柄であられます。カノン王子こそ、《まつろわぬ民》の陰謀によって冤罪をかけられた非業の身であると判じられれば……よからぬことを企む人間も出てきましょう」


「そ、それは王国に対する叛逆である! カノン王子もろとも、首を刎ねてしまうがいい!」


「ですが、カノン王子は強力な魔術を携えておられます。『神の器』と称されるその魔術の前には、ジェイ=シンの持つ聖剣ですら抗うすべはないのです」


 ベイギルスはほとんど半狂乱になって、ジェイ=シンを振り返った。

 ジェイ=シンは仏頂面のまま、引き締まった肩をすくめる。


「王は、俺に答えを求めているのであろうか? ……この聖剣というやつは邪神をも斬り伏せることがかなうが、カノン王子やメフィラ=ネロを斬り伏せるほどの力は持っていないようだ」


「そ、そんな……」と、ベイギルスは死人のような顔色になってしまった。

 その目が、食い入るようにレイフォンを見据えてくる。


「で、では、余はいったいどうすればよいというのだ? よ、余も兄上のように、カノン王子に焼き尽くされてしまうのか!?」


「カノン王子が王陛下をお恨みする理由はないはずです。少なくとも、現時点では」


 そう言って、レイフォンはベイギルスに笑いかけてみせた。


「以上のことから、私は王陛下とカノン王子の和解こそが、もっとも正しき道なのではないかと考えておりました」


「わ、和解……?」


「はい、和解です。カノン王子に前王を弑する意思がなかったのならば、前王殺しの大罪人であるという布告を取り下げて、《まつろわぬ民》の罪をつまびらかにする。さすれば、カノン王子も王陛下のご裁量に胸を打たれて、王宮に戻ることを肯んじてくださるでしょう」


「し、しかし……カノン王子を王宮に迎えるというのは……」


 不安にひきつるベイギルスの双眸に、脂ぎった光が浮かんだ。

 これだけの不安を抱えながら、いまだ消え去らない妄執の光である。

 しかしティムトは、ベイギルスのそういった部分もしっかりと見透かしていた。


「ただし、一点だけ――たとえその身に罪がなく、救国の英雄ともいうべきお立場であられても、カノン王子は『神の器』という呪いをかけられたお立場です。魔術を禁忌とする王国において、魔術の使い手たるカノン王子に王位を与えることは許されません。カノン王子の無罪と今後の自由を与える代わりに、王位継承権の復活だけは固く禁じると、そのように通達するべきでしょう」


「で、では、カノン王子に玉座を明け渡さずに済むのだな?」


「無論です。王家の跡目争いほど、大きな禍根の種はございません。おそらくカノン王子は玉座など欲してはいないのでしょうが、カノン王子に群がる有象無象を掣肘するためにも、そういった措置が必要であるかと存じます」


 ベイギルスは額の冷や汗をぬぐいながら、深々と安堵の息をつくことになった。

 けっきょくベイギルスは、ようやく手中にした玉座こそをもっとも重んじているのだった。


(ティムトの計略は、またもや正鵠を得たようだな)


 そんな風に考えながら、レイフォンはまたティムトの様子をうかがった。

 やはりティムトは表情も変えぬまま、ベイギルスの姿を静かに観察している。


 その身の安泰さえ保証してやれば、ベイギルスもカノン王子の去就に執着はしないだろう、というのがティムトの目論見であったのだ。

 そしてまた、カノン王子は玉座などに何の魅力も感じてはいないだろう――というのは、レイフォンとティムトの間で一致した見解であった。


 カノン王子に、その真情を問うたわけではない。

 しかし、カノン王子が求めているのは、何にも縛られない自由な生活であるはずだ。十六年間にも渡って幽閉されてきたカノン王子にとっては、玉座さえもが自分を縛る戒めに感じられるのではないかと思われた。


(だけどその前に、まずは《まつろわぬ民》を完全に黙らせなければならないからな。カノン王子は、この試練を乗り越えてくれるだろうか)


 カノン王子は、そろそろデレの砦に到着するはずだ。

 そして二日後には、ゼラドの本隊がグリュドの砦に到着する。

 そちらに潜んでいると目される三人目の《まつろわぬ民》と地神の御子を、カノン王子が退けられるかどうか――決着の刻は、目前に迫っていた

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