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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第八章 再生の道
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Ⅲ-Ⅶ 女騎士の決意

2020.8/1 更新分 1/1

 ナーニャとの面談を終えたクリスフィアたちは、その寝所から遠からぬ場所にあるレイフォンの執務室に移動することになった。

 ナーニャの寝所を訪れた全員が、そこに顔をそろえている。すなわち、クリスフィア、レイフォン、ティムト、メルセウス、ホドゥレイル=スドラ、キャメルス、イフィウスの7名である。


「カノン王子がグリュドの砦に向かうことを快諾してくれて、何よりだった。しかしその反面、カノン王子の容態が心配なところだね」


 この部屋の主人であるレイフォンは執務の席に腰を下ろしながら、そう言った。

 すっかり尻に馴染んできた長椅子に陣取りながら、クリスフィアは「うむ」と答えてみせる。


「人間の心を保持したまま《神の器》の魔術を振るうというのは、想像以上に負担の大きい所業であるようだな。カノン王子はあのようにはかなげな姿をしているためか、今にもすうっと霧のように消え入ってしまいそうで、胸が痛くなってしまう」


「うん。メフィラ=ネロと戦っているときなどは、闘神もかくやという迫力だったのにねえ」


 レイフォンはひとつ息をついてから、かたわらのティムトを振り返った。


「ねえ、ティムト。どうしても、カノン王子にはグリュドの砦に出向いてもらわなければならないのかなあ?」


「……それ以外にゼラド軍や地神の御子を止める手立てがあるというのなら、どうぞレイフォン様がご教示ください」


 ティムトは感情を押し殺した声で、そのように答えていた。

 ティムトとて、あのように疲弊しきったカノン王子にさらなる苦難などは背負わせたくないのだろう。しかしこの明敏なる少年は、王国の安らかな行く末を守るために、自らの感傷を力ずくでねじ伏せているように思えてならなかった。


「それにしても、また新たな大神の御子が出現するかもしれないだなんて、由々しき事態でありますね。まるで悪夢でも見ているかのような心地です」


 と、言葉とは裏腹ににこやかな顔をしたキャメルスが、クリスフィアの隣に腰を下ろしてくる。

 クリスフィアは、横目でその呑気たらしい笑顔をねめつけることになった。


「……おい。どうしてお前が、わたしの隣に座るのだ?」


「ええ? 何かまずかったかい? こういう際には、関係の深い人間が並んで座るべきだろう?」


「お前などと深い関係になった覚えはない。誤解を招くような発言は控えてもらおう」


「嫌だなあ。僕たちは従兄弟同士なんだから、それだけで十分に深い関係じゃないか」


 クリスフィアたちがそんな言葉を交わしている間に、正面の長椅子にはメルセウスとイフィウスが並んで座った。従者であるホドゥレイル=スドラは、メルセウスのかたわらにそっと控えている。


「……それで、ディラーム将軍の率いる王都の軍勢の本隊は、明日にもドエルの砦に到着する予定であるのですよね?」


 メルセウスがそのように尋ねると、ティムトは無表情に「はい」と応じた。


「ただし、ディラーム将軍にはそのまま東方のガヴァの砦を目指していただくことになります」


「え? でも、ドエルの砦はグリュドの砦に次ぐ要所であるという話ではありませんでしたか?」


「はい。ゼラド軍の先遣隊がグリュドの砦を突破したならば、半日を待たずしてドエルの砦を目指すことがかなうでしょう。そこで全面的な抗争が勃発してしまわないように、あえてドエルの砦は空にしておこうかと思います」


「砦を、空に? 王都を守るための要所であるドエルの砦を、みすみすゼラド軍に明け渡してしまうのですか?」


「ええ。《まつろわぬ民》や地神の御子の動向を把握しきれない以上、むやみに戦端を開くわけにはいきません。カノン王子がグリュドの砦に到着するまで、なんとか時間を稼がなければならないのです」


 あくまでも落ち着き払った様子で、ティムトはそう言った。

 メルセウスは、まだいくぶん不思議そうな顔をしている。


「でも、ゼラド軍の先遣隊がそのまま王都に進軍してきたらどうするのです? 王都には、もうそれほどの軍勢も残されてはいないのでしょう?」


「そのときは、やむをえません。ガヴァの砦から、ディラーム将軍に先遣隊の後背を突いていただくことになるでしょう。王都にはまだ防衛兵団と公爵領の騎士団が残されているため、挟撃をすることも可能です。三万ていどの先遣隊ならば、王都が踏みにじられる結果にはならないかと思われます」


「なるほど。ティムト殿には軍師としての才覚も備わっておられるのですね。僕ごときが差し出がましいことを言いたててしまって、申し訳ありませんでした」


 メルセウスは、やわらかい面持ちで微笑んだ。

 そうして会話が途切れるのを待って、クリスフィアも発言させていただく。


「ティムトよ、それはゼラドの先遣隊がグリュドの砦を突破するという前提の話であるのだな? やはり、グリュドの手勢だけでゼラドの軍勢を迎え撃つことは難しいのであろうか?」


「いえ。グリュドの砦のダリアス将軍には、なんとか先遣隊の足止めをしていただきたいという旨を伝書鴉にてお伝えしました。……ただし、その場においても《まつろわぬ民》の邪魔立てを考慮しなければなりません」


「ほう。そちらにも、妖魅が出現するであろうという見込みであるのか?」


「はい。《まつろわぬ民》の手引きをしている人間がいるとすれば、それはロア=ファムのそばに潜んでいるはずです。ロア=ファムはすでにダリアス将軍と合流しているため、あちらの動きは筒抜けであると考えるべきでしょう」


 色の淡い瞳に厳しい光をたたえながら、ティムトはそう言った。


「また、オロルからの報告によって、《まつろわぬ民》の残党にも聖剣の存在は伝えられているはずです。ならば、ゼラド軍の動向と関係なく、ダリアス将軍が狙われるという可能性も存在します。……僕が《まつろわぬ民》であれば、ゼラド軍の先遣隊の到着と同時に、妖魅や邪神を仕掛けるでしょうね」


「ふむ。なんとも剣呑な話だな。まあ、聖剣を携えたダリアス殿であれば、たとえ邪神に襲撃されても危ういことはないだろうと思うが……」


「はい。ですが、さすがにそれと同時にゼラド軍を食い止めることは難しいでしょう。よって、グリュドの砦は突破されるという事態を考慮しておかなければならないのです」


 そうしてティムトは、鋭い眼光を寡黙なる武人イフィウスへと差し向けた。


「ともあれ、カノン王子の存在をもって、ゼラド軍の気勢を削ぐことがかなえば、この戦乱を未然に防ぐこともかなうでしょう。そのために、カノン王子には何としてでもグリュドの砦に向かっていただかなくてはならないのですが……イフィウス殿にも、ご同行を願えるでしょうか?」


 奇妙な仮面で鼻と口もとを隠したイフィウスは、悠揚せまらず「うむ」とうなずいた。


「わだじどじでも、カノンおうじのどうごうをみまもりだいどねがっでいる。……じがじ、いまだにごんごのだぢばもざだまっでないわだじなどが、ぞのようなにんむにづいでもいいものであろうが?」


「はい。ゼラド軍の目をくらますために、カノン王子には必要最低限の人数で出立していただく必要があります。どのみち兵士を率いることはできませんので、歴戦の勇士たるイフィウス殿こそが適任であられるのです」


 イフィウスは無言でうなずくばかりであったので、クリスフィアが疑念を呈することになった。


「では、ヴァルダヌス将軍――と、現在は十二獅子将の身分も剥奪されているのであったな。では、ヴァルダヌス殿に関してはどのように取り計らうつもりであるのだ? あの御仁は、おそらくカノン王子のもとを離れることには肯んじないだろうと思うぞ」


「ええ。こちらとしても、そのようなつもりはありません。ヴァルダヌス殿こそ、王都で随一の剣士と称される御方であるのですから、このような役目には適任でありましょう」


「ふむ。それでは、残りの三名は?」


 ティムトは、うろんげに眉をひそめた。


「残りの三名というのは、リヴェル、チチア、タウロ=ヨシュなる者たちのことですね? カノン王子は《まつろわぬ民》やゼラド軍と対峙しなければならないのですから、無理に彼らを同行させる必要はないかと思われます」


「それは、カノン王子が肯んじまい。少なくとも、あのリヴェルという娘と引き離されることだけは、絶対に承諾しなかろうと思うぞ」


 ティムトはいくぶん意表を突かれた様子で、「何故です?」と反問してきた。

 クリスフィアは、苦笑まじりに答えてみせる。


「わたしはマルランから王都まで、カノン王子らと行動をともにしていたからな。カノン王子はヴァルダヌス殿と同じぐらい、あのリヴェルという娘を心のよすがにしているはずだ」


「ヴァルダヌス殿と、同じぐらい? カノン王子とヴァルダヌス殿は、非業の運命によってより深く絆を結ばれることになったのですよ?」


「ほう。ティムトでも、そのように詩的な表現をすることがあるのだな。……ああいや、そのように怒るな。何もからかっているわけではないのだ」


 憤慨した様子で口もとを引き締めるティムトに、クリスフィアは笑いかけてみせた。


「わたしとて、何も詳しい話は聞かされていない。しかし、赤の月の災厄から、すでにふた月以上が過ぎているのだ。王都を出奔したカノン王子が、外の世界でかけがえのない相手と巡りあっていても、何もおかしなことはあるまい。ヴァルダヌス殿とリヴェルがいたからこそ、カノン王子も絶望にまみれることなく、人の心を留めることがかなったのではないだろうかな」


「そうだね。私も、そう思うよ」と、レイフォンが真面目くさった面持ちでそのように言いたててきた。


「あのリヴェルという娘を引き離そうとしたならば、カノン王子はたちまち心を閉ざしてしまうかもしれない。それだけは、どうあっても避けるべきじゃないかな」


 ティムトは探るような目つきでレイフォンとクリスフィアの姿を見比べてから、やがて小さく息をついた。


「わかりました。おふたりがそのように仰るのなら、リヴェルという娘にも同行していただきます。ただし、チチアとタウロ=ヨシュなる者たちだけでも、王都に留まってもらわなくてはなりません」


「なりません、とはどういう意味であろうな。まさか、あの両名を人質にでもしようという目論見であるのか?」


「違います。ですが……それらの全員を王都から出してしまったら、カノン王子は再び行方をくらましてしまうのではないかと思えるのです」


 ティムトは、自分の感情を隠したいかのように目を伏せた。


「カノン王子に人間として生きる希望を与えるには、前王殺しの罪から解放してさしあげる必要があるはずです。そのためにも、カノン王子には再び王都に戻っていただかなければならないのです」


「なるほど。カノン王子の帰るべき場所は、この王都であると――チチアとタウロ=ヨシュの待つこの王都に、再び戻っていただきたいと、ティムトはそのように念じているのだな」


 こちらを見ようとしないティムトに、クリスフィアはまた笑いかけてみせた。


「そういうことならば、異存はない。カノン王子を説得するにあたっては、わたしも力を添えさせていただこう」


「うんうん。こちらが情理を尽くせば、カノン王子もきっと理解してくださるさ」


 レイフォンも、優しい眼差しでティムトを見やっていた。ティムトが時として人間らしい一面を覗かせるとき、この主人はいつもこのような眼差しになるのだ。


「では、グリュドの砦に向かうのは、カノン王子とヴァルダヌス、イフィウス殿にリヴェル――それに、伝書鴉を扱えるゼラ殿の従者を含めて、合計五名ということだね。トトスは三頭もいれば事足りるから、人目を忍ぶのも容易いことだろう」


 レイフォンがそのように言い出したので、クリスフィアは「ならば」と声をあげることになった。


「トトスの空いた席には、わたしが跨らせていただこう。ゼラ殿の従者では、トトスの手綱を操るのも難儀であろうからな」


「ええっ!?」と声をあげたのは、クリスフィアの隣で静かにしていたキャメルスであった。


「いくらなんでも、それは危険だよ、クリスフィア。グリュドの砦は、三万と五万の軍勢に挟撃されてしまうかもしれないんだよ?」


「かといって、カノン王子たちだけにすべての重責を担わせるわけにもいくまい。これは、王国の民のすべてに関わる一大事であるのだからな」


「いやいや。だからといって、アブーフ侯爵家の嫡子たる君が、そのような真似をする必要はないだろう?」


「わたしが魂が返したならば、お前が爵位を継ぐがいい。どのみち、女人たるわたしが爵位を継ぐことはできないのだからな」


 クリスフィアは、断固たる口調でそのように言ってみせた。


「わたしやレイフォン殿たちは、これまで生命を張って《まつろわぬ民》と戦い続けてきたのだぞ? その結末を見届けるのに、余人まかせにしておけるものか。わたしは、カノン王子に同行させていただく」


 キャメルスは情けなく眉を下げながら、レイフォンたちのほうを見た。


「僕と彼女は赤子の頃からのつきあいであるのですが、こうなってしまっては手綱を握るすべもありません。なんとか説得していただけないでしょうか?」


「我々こそ、そのようなすべは携えていないのだよね。ティムトは、どうだろう?」


 レイフォンに水を向けられて、ティムトは考え深げな面持ちとなった。


「……ひとつだけ、提言させていただきたいことがあります」


「おお! それはどのようなことでしょう?」


「学士長のフゥライ殿は、退魔の護符というものを携えておられます。もはや王都に妖魅が出現する恐れは少ないでしょうから、それをお借りしてみてはどうでしょう?」


 キャメルスは、がっくりとうなだれてしまった。


「……その退魔の護符とやらは、ゼラド軍も退けてくれるのでしょうか?」


「いえ。それには自らの剣を振るっていただくしかないでしょう」


 クリスフィアは満面の笑みで、「うむ」と応じてみせた。


「敵兵を退けるのに、魔術の加護など必要あるまい。ゼラド軍との戦いが回避できなかった際には、武人としての務めを全うしてみせよう」


 さしものキャメルスもめげた様子で、クリスフィアの顔を力なく見やってきた。

 そちらに向かって、クリスフィアは「案ずるな」と笑ってみせる。


「わたしとて、無駄に生命を散らすつもりはない。それでは、フラウに叱られてしまうからな」


「侍女ではなく、どうか父上の心情を考えてもらいたいのだけれど……」


「考えているぞ、心の片隅で」


 そうしてクリスフィアは、再び王都を出立することになった。

 目指すべきは、グリュドの砦――《まつろわぬ民》とゼラド軍の待ち受ける、二重の意味での最前線である。

 しかしその地にはダリアスやゼラやロア=ファムたちもおり、カノン王子やヴァルダヌスやイフィウスも同行する。これだけの頼もしい同志に囲まれていれば、何も憶する必要はないはずだった。


(それに……ギリル=ザザは、もっと危うい状況にあるのだろうからな)


 ギリル=ザザは、負傷をしたロア=ファムに代わって、偽王子のもとを目指したという。それ以降は、ぷっつりと消息が途絶えてしまっているのだ。

 しかし、あれだけの力を持つギリル=ザザが、むざむざと生命を散らすことはないだろう。あの陽気で力強い笑顔を思い出すだけで、クリスフィアはいっそう心を鼓舞されるようだった。

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