表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アムスホルン大陸記  作者: EDA
第八章 再生の道
226/244

Ⅱ-Ⅶ 第三の敵

2020.7/25 更新分 1/1

 レイフォンは、えもいわれぬ感銘にとらわれることになった。

 ついに――ついにカノン王子と、対面を果たすことがかなったのである。


 一昨日の夜にもレイフォンはカノン王子の姿を認めていたが、妖魅に囲まれたあのような状況では、そんな感慨を噛みしめるいとまもなかった。そして、朝の光の下で見るカノン王子は、ただそうして寝台に座しているだけで、この上もなく神秘的で美しかったのだった。


 本当に、これほど美しい人間が存在するというだけで、レイフォンには信じ難いほどである。

 腰まで垂らした白銀の髪に、抜けるように白い肌、血の色を透かせた瞳と唇に、氷の彫像めいた端麗なる面立ち――カノン王子は白膚症であり半陰陽であるという話であったが、それらもまたカノン王子の美しさを際立てさせる特性に過ぎないように感じられてしまった。


 カノン王子のかたわらには、マヒュドラの混血であるという少女リヴェルがぴったりと付き添っており、さらに、謎の少女チチアとマヒュドラの自由開拓民タウロ=ヨシュが控えている。そして、レイフォンとともにこの場を訪れたヴァルダヌスも、無言のままにカノン王子のもとへと歩を進めた。


 カノン王子とヴァルダヌスは、何気ない風に視線を交わす。

 しかしその瞳には、どちらも情愛の光がくるめいていた。

 前王殺しの疑いをかけられた両名は、すべての身分を打ち捨てて、王都を出奔することになったのだ。ふたりの間には、何者にも断ち切れない確かな絆が結ばれているようだった。


「……お目覚めになったばかりのところに、このような人数で押しかけてしまって、本当に申し訳ありません。どうか王国の行く末のために、カノン王子のお力をお貸しください」


 レイフォンがそのように呼びかけると、カノン王子はたちまち理知的な眼差しとなって、ゆったりと微笑んだ。


「こんなに立派な寝場所を与えてくれた君たちに、文句を言うことなんてできないさ……しかも、《まつろわぬ民》に関わる話なら……僕だって、とうてい後回しにはできないからね……」


 カノン王子は、その声音までもが銀の鈴を転がすように美しかった。

 ただし、レイフォンたちには相応の警戒心を抱いているのだろう。その真紅の双眸には、探るような光が浮かべられていた。


 レイフォンの側は、六名もの人間を引き連れている。従者にして最愛の朋友たるティムトに、アブーフ侯爵家の嫡子クリスフィア、ジェノス侯爵家の嫡子メルセウス、その従者にして森辺の狩人たるホドゥレイル=スドラ、グワラムから奇跡の生還を果たした武人イフィウス――そして、もともとこの寝所に居座っていたキャメルスなる青年だ。イフィウスとキャメルスは一昨日の夜に合流したばかりの身であったが、カノン王子から見ればレイフォン陣営の人間と見なされるはずであった。


「あれ……聖剣という魔道具を扱っていたお人は、参じていないのかな……? 彼も、君たちの同志なんだろう……?」


 カノン王子にそのように問われて、レイフォンは「ええ」とうなずいてみせた。


「それは、こちらのホドゥレイル=スドラと同じく、メルセウス殿の従者でジェイ=シンと申します。念のため、彼には新王ベイギルス陛下の護衛を継続してもらっているのですよ」


「ふうん……まあ、《まつろわぬ民》の残党が潜んでいるというのなら、それも当然の話なのだろうね……」


 カノン王子はずいぶんけだるげであったが、もしかするとそれは体力が回復しきっていないためなのかもしれなかった。

 カノン王子は、その身に与えられた《神の器》の力でもって、同じ力を持つメフィラ=ネロを討ち倒してみせたのだ。


 聖剣を振るうジェイ=シンに守られながら、レイフォンもその姿を見届けることになった。あれは――本当に、この世ならぬ存在同士の、恐るべき死闘であっただろう。紅蓮の炎の翼を纏い、氷雪の巨人へと躍りかかるカノン王子の壮烈なる姿は、今でもくっきりとレイフォンの心に焼きつけられていた。


「……それでは、我々が抱えている現在の疑念を説明させていただき、カノン王子のご意見を賜りたく思います」


 そう言って、レイフォンはかたわらのティムトを見下ろした。

 ティムトは持ち前の精神力を発揮して、その内側の感情を完全に覆い隠してしまっている。あまり他者には情をかけることのないティムトが、カノン王子に対してはずいぶんと心を動かされていたようであるのだ。しかしまた、ティムトはそういう内情をさらすことを、何より厭うていたのだった。


「では、説明役はティムトに願おうかな。誰よりも正しく状況を把握できているのは、君なのだろうからね」


「はい」と、ティムトは普段通りの沈着な声音で語り始めた。


「カノン王子のご活躍によって、僕たちはメフィラ=ネロという恐るべき難敵を退けることがかないました。また、僕たちは独自に《まつろわぬ民》や邪神や妖魅といったものどもを退けています。そのあたりの経緯については、すでにクリスフィア姫からお聞きになられているのですね?」


「うん……まあ、おおよそはね……」


「では、早急に本題へと入らせていただきます。僕たちは、王都やグワラムを見舞った災厄を退けることがかなったように思いますが……《まつろわぬ民》の陰謀は、まだ終焉を遂げてはいないようであるのです」


 ティムトは、淡々と言葉を重ねていった。


「これは昨晩、ヴァルダヌス将軍にもお伝えしたのですが、現在この王都にはゼラド大公国の軍勢が肉迫しています。そしてその軍勢は、カノン王子の名を騙る人物を旗頭としているのです」


「へえ……そちらが本物のカノン王子ということにしてもらえれば、僕もずいぶん気が楽になるのだけれどね……」


 カノン王子は御伽噺に出てくる悪い精霊のように、くすくすと笑い声をたてた。

 ティムトはそれを咎めるように、きゅっと眉をひそめる。


「カノン王子は、あなたです。ともに王都を出奔したヴァルダヌス将軍が行動をともにしていたことが、何よりの証左となるでしょう。話を進めさせていただいてもかまわないでしょうか?」


「うん、どうぞ……そのカノン王子の偽物とやらが、いったい何だというのかな……?」


「そちらの正体については、いまだ不明です。ただ、その人物のもとにはメナ=ファムという自由開拓民が控えているために、僕たちはその弟であるロア=ファムという人物を和平の使者として送りつけることになりました。ただし、和平といってもゼラド軍の指揮官と交渉するわけではなく、メナ=ファムを説得して偽王子をゼラド軍から離脱させようと画策していたのです」


 そうしてロア=ファムが王都を経ったのは、黄の月の六日。すでに半月以上も経っているのだから、とっくにゼラド軍のもとに辿り着き、何らかの答えが出ているはずの頃合いであった。


「ですがロア=ファムは、使命を果たすことがかないませんでした。ロア=ファムは護衛役の兵士たちとともに、慎重に慎重を重ねてゼラド軍のもとを目指していたのですが……その道中で、妖魅に襲撃されてしまったのです」


 妖魅という言葉を聞いて、カノン王子は妖しく瞳をきらめかせた。

 しかし無駄口を叩こうとはせずに、ティムトの言葉の続きを待っている。


「僕たちは、その事実をこの朝に知ることになりました。ゼラド軍の侵攻に備えてグリュドの砦を目指していたダリアス将軍という御方から、伝書が届けられたのです。ダリアス将軍は昨夕に、グリュドの手前にあるサランの砦にてロア=ファムたちと遭遇したそうです。ロア=ファムたちは野営をしていたところを妖魅の群れに襲撃され、それ以上は先に進むこともかなわなくなり、もっとも近在にあったサランの砦に逃げ込むことになったのだそうです」


「うん……それで……?」


「それで、問題となるのは、その日取りです。ロア=ファムたちが妖魅に襲撃されたのは三日前、黄の月の十九日であったのです。僕たちが王都にて《まつろわぬ民》を討伐したのは黄の月の十七日であったため、ロア=ファムたちはそれ以降に妖魅の襲撃を受けたことになるのです」


「なるほど……メフィラ=ネロに力を添えていた《まつろわぬ民》は、そのころ必死に王都を目指していたはずだから……王都よりも南方の地で、そのように悪さをするゆとりはなかっただろうね……」


「はい。メフィラ=ネロとともに討伐された者と、王都にて討伐された者……それ以外にも、第三の《まつろわぬ民》が存在するものと推測が立てられます」


 色の淡い瞳に射るような光をたたえながら、ティムトはそう言った。


「なおかつ、ロア=ファムたちはゼラドの密偵の目を逃れるために、見すぼらしい商団に身をやつして、街道もあえて大回りでゼラド軍のもとを目指していました。もしかしたら、ロア=ファムを警護する部隊の中に、《まつろわぬ民》の手引きをした背信者が存在するのかもしれません」


「それはどうだろう……《まつろわぬ民》だったら使い魔でも使って、標的を追跡することも可能なんじゃないのかな……」


「いえ。その部隊には、森辺の狩人も同行しています。森辺の狩人が、そのようなものを見逃すとは思えません」


 カノン王子は薄く笑いながら、ホドゥレイル=スドラのほうに視線を飛ばした。


「なるほど……確かに君だったら、使い魔や妖魅の気配を見逃すこともないだろうね……」


「うむ。ロア=ファムと同行したギリル=ザザは、俺よりも強き力を持つ狩人であるはずだ」


 ホドゥレイル=スドラは、落ち着き払った声音でそのように答えた。

 ティムトはひとつうなずいてから、さらに言いつのる。


「そして僕がもっとも懸念に思うのは、ロア=ファムが襲われたというその事実です。確かに僕たちはロア=ファムが妖魅に襲われる可能性を危惧して、ギリル=ザザに同行を願ったわけですが……王都を脅かしていた《まつろわぬ民》はすでに魂を返しているのに、どうしてなおもロア=ファムが襲われなければならないのか、その理由が判然としないのです。王都の脅威が取り除かれた以上、《まつろわぬ民》がゼラドの進軍に肩入れする理由はないように思うのです」


「ふうん……? でも、メフィラ=ネロたちは王都を目指していた……《まつろわぬ民》は念話で仲間と語らえるだろうから、総がかりで王都を滅ぼそうと目論んだのじゃないのかな……?」


「その可能性も、あるのでしょう。でも僕は、もうひとつの可能性を危惧しています」


 いよいよ眼光を鋭くしながら、ティムトはそう言った。


「ゼラド大公国は西と南の国境に存在し、ジャガルとも深い絆を有しています。ゼラドには、ジャガルと血の縁を持つ人間も多数存在するのです」


「なるほど……君たちも、『禁忌の歴史書』に目を通していたのだったね……」


「はい。『神の器』の術式には、血の資格というものが存在します。火神の御子には西の血が、氷神の御子には北の血が、風神の御子には東の血が――そして、地神の御子には南の血が必要となるのでしょう?」


「うん……南の民か、あるいは南の民を片親に持つ身か……それぐらいの血を有していれば、御子の資格は満たされるのだろうね……」


「ゼラド軍の内部に、地神の御子になりえる人間が潜んでいるのかもしれません。第三の《まつろわぬ民》は、その人物を『神の器』として覚醒させるために、ゼラドと王都の戦乱を願っているのかもしれません。……そんな可能性を、僕はどうにも捨てきれないのです」


 カノン王子は目を閉ざし、かたわらのリヴェルにもたれかかった。

 リヴェルはやわらかくその身体を抱きとめ、ヴァルダヌスは逆の側から王子の華奢な肩に手をかける。


「……無理を承知でお願いいたします。カノン王子も、グリュドの砦を目指してはいただけないでしょうか?」


 しばらくの沈黙ののち、ティムトは硬い声音でそう言った。


「地神の御子に関しては、僕の取り越し苦労であるのかもしれません。しかし何にせよ、ゼラド軍は撃退しなければならないのです。そして、カノン王子の存在をもって、偽王子の正体を暴くことがかなえば……ゼラド軍は、侵略の大義名分を失います。王都の近在の諸侯たちも、それでいっそうの力を振るうことがかなうでしょう」


「いや……君は、驚くほど明敏だ……おそらく、君の危惧はことごとく的を射ているのだろうと思うよ……」


 リヴェルに寄りかかり、けだるげに目を細めたまま、カノン王子はそのように言った。


「《まつろわぬ民》は、四人の御子を同時に覚醒させようと目論んでいたはずだ……メフィラ=ネロの死によって、その願いは打ち砕かれたわけだけど……でも、地神と風神の御子も、どこかで覚醒の瞬間を待っているはずなんだよ……」


「では――」


「ゼラドの軍勢というのは……どこまで王都に迫っているのかな……?」


 ティムトはぎゅっと口もとを引き締めてから、やがて言った。


「狼煙の報告によると、ゼラド軍の先遣隊三万は明日の夜にもグリュドの砦に到着する見込みです。ですが、ゼラド軍の本隊が追いついてくるには、いまだ五日ほどの猶予があるはずです」


「なるほど……トトスに跨って参じれば、ぎりぎり間に合いそうなところだね……」


 カノン王子の言葉に、キャメルスが「はて?」と小首を傾げた。


「カノン王子は、グリュドの砦の場所を知っておられたのですか? 僕は王都の近在の砦のことなど、なにひとつわきまえていないのですが」


「ふふ……僕は十六年もの間、神殿の地下室で過ごすことになったからね……おおよそのことは、すべて書物で学んでいるんだよ……」


 レイフォンはなんだか、胸を突かれたような思いであった。

 あれだけの力を持つカノン王子が、まるで傷ついた小鳥のように見えてしまったのだ。


 そんなカノン王子のもとに、リヴェルとヴァルダヌスはぴったりと寄り添っており、チチアとタウロ=ヨシュは、それぞれ痛ましそうに王子の姿を見つめている。

 カノン王子はヴァルダヌスだけでなく、この三名とも絆を結ぶことがかなったのだ。

 そしてその出会いこそが、カノン王子を絶望から救った。レイフォンは何の根拠もないままに、そのように確信することができた。


(こんなカノン王子を、再び死地におもむかせようだなんて……ティムトも、断腸の思いなんだろうな)


 そんな風に考えながら、レイフォンはティムトの姿を見下ろした。

 ティムトは怒っているかのように唇を結びながら、そんな感情が表にこぼれてしまわないように、全力で耐えているようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ