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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第八章 再生の道
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Ⅴ-Ⅵ 覚醒

2020.7/11 更新分 1/1

 鍾乳洞が、鳴動していた。

 壁や足もとには亀裂が走り抜け、頭上からは絶え間なく石の欠片が降ってきている。にわかに、大きな地震いにでも見舞われたかのようだった。


「メナ=ファム、危険です。鍾乳洞、崩落します」


 このような際にも、ラムルエルの声は感情を覗かせていなかった。

 そちらに向かって、メナ=ファムは「わかってるよ!」と怒鳴り返してみせる。


 メナ=ファムたちの眼前には、鍾乳洞の崩落よりも危険な存在が立ちはだかっていた。

 たったひとりの家族を失って、悲しみに暮れるシルファ――あるいは、かつてシルファであったものである。


 シルファは、その全身が黄金色の輝きに包まれていた。

 そしてその双眸は、炎か鮮血を思わせる真紅に燃えさかっている。


 姿かたちはシルファのままであるのに、それはこの世ならぬ存在に変貌してしまっていた。

 真っ赤に燃えるシルファの双眸は、ついさきほどまでメナ=ファムたちを脅かしていた妖魅どもよりも禍々しく、憎悪の怨念の炎を噴きあげていたのである。


「ラムルエル……あんたたちは、とっとと逃げな。この鍾乳洞が崩れちまう前に、出口を探すんだ」


 メナ=ファムがそのように言いたてると、ラムルエルはうろんげに身を寄せてきた。


「逃げる、賛成です。しかし、メナ=ファム、どうしますか?」


「あたしは、シルファをどうにかする。こんな状態になっちまったシルファを、置き去りにはできないからね」


 灯籠を掲げたラムルエルは、小さく息をつきながら首を横に振った。


「メナ=ファム、その選択、間違いです。その存在……すでに、シルファ、ありません」


「そうだとしても! こいつはもともとシルファだったんだよ!」


 メナ=ファムは、胸の中に渦巻く激情をそのまま吐き出した。


「あたしは、シルファと運命をともにする! あんたたちは、とっとと逃げな! 何も全員が、こんな場所で生き埋めになる理由はないからね!」


「……承知しました。私、地上、目指します」


 ラムルエルは、沈着な声でそう言った。


「そして、メナ=ファム、弟、探します。……弟、伝言、ありますか?」


 メナ=ファムは、一瞬言葉を詰まらせることになった。

 そして、短剣を握っていないほうの手の甲で、「ありがとうよ」とラムルエルの胸もとを荒っぽく小突く。


「あんたはあんたの人生を生きろ。馬鹿な姉貴で悪かった。……もしもロアのやつに会うことができたら、それだけ伝えてもらえるかい?」


「承知しました」と、ラムルエルは最後にメナ=ファムの顔を真っ直ぐに見つめてきた。

 その黒い瞳には、とても澄みわたった光がたたえられている。


「必ず、伝えます。……メナ=ファム、おさらばです」


「ああ。長生きしなよ、ラムルエル。それに、プルートゥもね」


 黒豹のプルートゥは、メナ=ファムの膝に顔をこすりつけてから、悲しそうな眼差しでシルファを見やった。

 シルファを覆った輝きは、もはや黄金色の炎のごとき勢いになっている。その中で、真紅の双眸はいっそう激しく燃えていた。


「シルファ、最後まで、お供できず、申し訳ありません。……おさらばです」


 ラムルエルとプルートゥは、闇の中に足を踏み出した。

 メナ=ファムは、最後に残されていたもうひとりの人物へと目を向ける。


「さあ、あんたもぐずぐずしてるひまはないよ。生き埋めにされちまったら、使命もへったくれもないだろ?」


 それは、王都の聖教団員を名乗るダックであった。

 呆然とした顔でシルファの姿を見つめていたダックは、我に返った様子でメナ=ファムに向きなおってくる。


「メナ=ファム様……わたくしは、主人たるゼラ様から驚くべき話を聞かされておりました……こちらの御方は、『神の器』として覚醒してしまったものと思われます……」


「かみのうつわ? なんだい、そりゃ?」


「大神アムスホルンの依り代となる、御子にてございます……《まつろわぬ民》は、『神の器』でもって四大王国を滅ぼさんと目論んでいるという話でございました……」


 恐怖に震える声で、ダックはそのように言いつのった。


「『神の器』に必要であるのは、この世に対する憎悪と絶望……兄君たるエルヴィル様を失ったことにより、シルファ様は覚醒してしまったのでしょう……こうなっては、もはや人間に立ち戻ることは不可能であるかと……」


「ああ、そうかい。大した置き土産を、ありがとうよ」


 メナ=ファムは、短剣の切っ先を鍾乳洞の奥へと突きつけてみせた。闇の向こうに、灯籠の光が頼りなく揺れている。


「わかったから、さっさと逃げな。ラムルエルたちが心配して、足を止めちまってるじゃないか」


「……あなた様の魂が安からんことを……」


 ダックは深々と一礼してから、闇の向こうへと駆け去っていった。

 メナ=ファムは、短剣を腰の鞘に戻してから、シルファのほうに向きなおる。

 いまやそれは、光の塊と化してしまったかのようであった。


(この世に対する憎悪と絶望、か……そりゃあ、あんたぐらい不幸な人間なんて、そうそういなかったろうからね)


 そんな風に考えながら、メナ=ファムは光のほうに足を踏み出した。

 あまりの眩さに目を細めると、輝きの向こうにシルファの姿がうっすらと見て取れる。

 妖魅や邪神のように双眸を燃やしながら、シルファの顔は悲嘆に暮れていた。

 エルヴィルの胸もとに取りすがって泣きじゃくっていたときと、同じ表情のままである。


(あんたはただ、たったひとりの家族であるエルヴィルの力になりたかっただけなのに……どうしてこんな目にあわないといけないんだろうね)


 歩きながら、メナ=ファムはシルファのほうに手を差しのべた。

 それを拒絶するかのように、黄金色の輝きが猛然と噴きあがった。

 メナ=ファムの髪や衣服が、颶風になぶられるようにかき乱される。剥き出しの顔や手の先には、炎で炙られるような痛みが走った。


(あんたはきっと心の中で、こんな世界はぶっ潰れちまえばいいとか考えてたんだろうね……そう思わないほうが、おかしいぐらいさ)


 シルファとエルヴィルは、ジャガルから逃げてきた盗賊と港町の娼婦の間に生まれた子であるのだと聞いている。そんな出自のために幼い頃から迫害され、親から愛されることもなく、やがて修道院に預けられたのだそうだ。

 それでも兄妹で手を取り合って生きていけば、違った人生もあったのかもしれない。

 しかしエルヴィルは、シルファを置き去りにして出奔してしまった。王都で出世して、必ずシルファを迎えに来ると言い残し、ひとり旅立ってしまったのである。


 その間、シルファはどのような気持ちで日々を過ごしていたのか――シルファの口から、多くが語られたことはない。その事実こそが、シルファの苦悶と絶望を如実に表していた。何を語っても、自分を置き去りにしたエルヴィルを責める言葉にしかならないと判じ、シルファは固く口をつぐんでいたのだろう。


 数年後、エルヴィルはようやく故郷に戻ったが、望む形での帰郷ではなかった。王都で貴族と揉め事を起こして、それまでに築いてきた立場や身分をすべて奪われてしまったのだ。

 しかもエルヴィルは、復讐の念に凝り固まっていた。

 自分が王都を追放された後に、敬愛していたヴァルダヌスという将軍が前王殺しの罪をかぶって魂を返すことになってしまったのである。


 ヴァルダヌスの無念を晴らすために、エルヴィルは復讐の鬼と化してしまった。

 そうして、数年ぶりに再会したシルファを、復讐の道具に仕立てあげてしまったのだ。


 それでもシルファは、儚い幸福感を噛みしめているように見えた。

 たとえ望むような形でなかったとしても、たったひとりの兄と再会し、運命をともにするようにと言いつけられたのだ。これまでの名前や身分を捨てて、王家の名を騙るという大罪を犯し、いずれは破滅するしかないような人生であったとしても――それでも、エルヴィルとともに生きていけるというだけで、シルファには幸福であったのだろう。


(だけどあんたは、エルヴィルを失っちまった……)


 メナ=ファムは、さらにシルファのほうへと近づいた。

 黄金色の輝きが、ちりちりと皮膚を焼くかのようである。

 そんな痛みをこらえながら、メナ=ファムはシルファのほっそりとした腕をつかみ取った。


(エルヴィルの代わりに、あたしが魂を返すべきだった……そうしたら、こんなことにはならなかったんだ)


 メナ=ファムはシルファの身体を引き寄せて、その華奢な身体を抱きすくめてみせた。

 シルファの内に渦巻く無念や悲哀や憎悪や絶望が、メナ=ファムの中にまで流れ込んでくるかのようだった。


(ごめんよ、シルファ……あたしは、あんたを守りきれなかった)


 そのとき――これまで以上の鳴動が、メナ=ファムたちに襲いかかってきた。

 がらがらと、岩盤の崩れる音色が響きわたる。鍾乳洞が、ついに崩落を始めたのだ。メナ=ファムは固くまぶたを閉ざしながら、一心にシルファの熱い肉体を抱きすくめた。


(せめて、一緒に魂を返そう……あたしにできるのは、それぐらいのことだからね)


 メナ=ファムの足もとから、硬い岩盤の感触が消失した。

 メナ=ファムたちの身体は、激流に呑まれる木の葉のように翻弄される。もはや上も下もわからずに、ただシルファの温もりが全身に感じ取れるのみであった。


 奈落の底に落ちていくような――あるいは天空に浮遊していくような感覚が、メナ=ファムの五体を包み込んだ。

 それでも、シルファの身体を離したりはしない。全身が焼けただれるように熱かったが、それでもかまいはしなかった。


 そうして、崩落の音色がじょじょに遠ざかっていくと――

 メナ=ファムの頬が、ふっと冷たい風になぶられた。


(……あたしは、まだくたばってないのか?)


 メナ=ファムは、ゆっくりとまぶたを持ちあげた。

 とたんに、黄金色の輝きに目を焼かれる。シルファの肉体は、いまだに輝き続けているようだった。


「シルファ、あんた……!」と、メナ=ファムは驚愕の声を振り絞る。

 シルファの姿が、また変貌を果たしていたのだ。


 シルファの端麗なる面に、奇怪な紋様が浮かびあがっている。

 まるでシムの織物のように、うねうねと渦巻く呪術的な紋様だ。シルファの顔を埋め尽くしたその紋様が、黄金色に光り輝いていた。

 しかもシルファは、いつしか裸身になっていた。そうしてあらわにされた肩や腕や乳房や腹にも、びっしりと光の紋様が浮かびあがっていたのだ。


 そして、シルファの下半身が、地中に消えていた。

 黒みを帯びた岩盤の下に、シルファの下半身がすっぽり呑み込まれてしまっているのである。シルファの身体を抱きすくめたメナ=ファムも、いつしかその岩盤に膝をついている体勢になっていた。


「いったい、なんだってんだよ……鍾乳洞は、どうなっちまったのさ?」


 周囲に視線を巡らせたメナ=ファムは、それでまた息を呑むことになった。

 ふたりの周囲には、星辰を散りばめた夜の空が広がっていたのだ。


 呆然とするメナ=ファムの頬を、また冷たい夜風が吹き過ぎていく。

 周囲には、星の空しか見えていなかった。まるで、小高い岩山の天辺にでもうずくまっているかのようだ。崩落する鍾乳洞の内にいたメナ=ファムたちが、どうして突如としてこのような場に放り出されたのか、まったく理解することができなかった。


「うん? あれは……」


 メナ=ファムは、闇の中に目を凝らす。

 遠くのほうに、赤いかがり火の灯りが見えたのだ。


 しかし奇妙なことに、灯りは横ではなく縦に並んでいる。その天辺に灯る火は、メナ=ファムたちよりも高い位置にあるようだった。


(もしかして、あれは……ドエルの砦の、物見の塔かい? 砦の近くに、岩山なんてなかったはずだけど……)


 メナ=ファムがそんな風に考えたとき、腕の中のシルファが細かく震え始めた。

 メナ=ファムが慌てて振り返ると――真紅に燃えるシルファの双眸から、血の涙があふれかえっていた。

 光の紋様を浮かばせたシルファの顔は、無限の悲しみをたたえている。

 しかし、その双眸に渦巻くのは――やはり、憎悪と絶望の炎であった。


 シルファは紋様にまみれた咽喉をのけぞらして、怪鳥のごとき甲高い咆哮をほとばしらせた。

 全身の紋様が、脈動するかのように明滅を繰り返している。

 そして、シルファの下半身を呑み込んだ岩盤も、うっすらと黄金色に輝き始めていた。


「シルファ、あんたは……もうあたしのこともわからなくなっちまったのかい?」


 メナ=ファムはシルファの両肩をつかんで、おもいきり揺さぶってみせた。

 しかしシルファは天空を見据えたまま、怨嗟の雄叫びをあげ続けている。


 そして、メナ=ファムの足もとがまたぐらりと揺れた。

 メナ=ファムは、すかさずシルファの身体を抱きすくめる。何か、不自然な揺れ方であった。


「なんだい……これは、どういうことなんだよ!?」


 ずしん、ずしんと、重い地響きが世界を震わせる。

 そのたびに、物見の塔に灯った光が、わずかずつこちらに近づいてきていた。

 いや、近づいているのはメナ=ファムたちのほうであるのだ。

 メナ=ファムたちが座しているのは黒い岩石でできた巨人の頭の天辺であり、その巨人が地響きをたてながらドエルの砦に向かって歩き始めていたのだった。

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