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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第八章 再生の道
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Ⅰ-Ⅳ 前哨戦

2020.4/4 更新分 1/1

 二千の兵で編成されたアブーフの遠征部隊は、闇の中をひたすら南に駆けていた。

 ベッドの町にて、すべての領民が消失しているという恐るべき異変を目の当たりにしてから、すでに数刻の時間が過ぎている。その間、この一団は休むこともなくトトスを走らせていたのだった。


「今のところ、氷雪の妖魅が待ち伏せをしている気配はないようだね。メフィラ=ネロは、僕たちが後を追っていることにも気づいていないのかな」


 キャメルスがそのようにつぶやくと、敷物の上に座したナーニャは「どうかな」と答えた。


「僕たちなんかを迎え撃つよりも、王都に辿り着くことを優先しているのかもしれないね。彼女の目的の一番は、四大王国の壊滅なんだからさ」


「ふうん、剣呑な話だねえ。王都の人々には警戒するように使者を送ったばかりだけれども、果たしてどれだけ重きを置いてくれるかな。……あちらでも妖魅が出現したという話であるのだから、鼻で笑われることはないと思うんだけどさ」


 キャメルスは、あくまで飄々としていた。間もなくメフィラ=ネロや氷雪の妖魅たちと相対する事態になるかもしれないというのに、心を乱している様子はまったく見られない。どうしたらそのように泰然としていられるのか、リヴェルは教示を願いたいぐらいであった。


「……そういえば、ひとつ確認させてもらいたいことがあったのだよね」


 と、ナーニャは薄く笑いながらキャメルスを見やった。


「メフィラ=ネロが初めて姿を現した日の数日後に、五大公爵領のダームにも妖魅が現れて、大きな被害が出たようだという話であったけれど……それでダームは、陥落してしまったのかな?」


「陥落? とは、何をもって陥落と称するべきなのだろうね? これが通常の戦であれば、領地を敵軍に占領された時点で陥落とされるのだろうけれども、何せ相手は妖魅だからねえ」


「それはべつだん、通常の戦と同じ定義でかまわないと思うよ。さしあたって気になるのは、領主のおわすダームの拠点や騎士団の去就などかな」


「なるほど。それなら、陥落の名には値しないかな。まあ、王都にやった使者にしてみても、そこまで詳しい内情を探れたわけではないけれども……ダーム騎士団が壊滅させられていたり、領主を害されたりしていたならば、王都だって自前の兵団を向かわせていただろうからね。そうするまでもなく、騎士団の力で妖魅の脅威は退けられたのだろうと思うよ」


「そうか。それなら、幸いだ」


 ナーニャはかたわらのゼッドの身体にもたれかかり、甘えるようにまぶたを閉ざした。


「王都というのは魔なるものに対して、二重三重の備えをしているはずだからね。五大公爵領の一角が崩されない限りは、王都もまずは安全であるはずだ」


「ふうん? 五大公爵領だって、城壁に守られているのは城と城下町だけのはずだから、その隙間をくぐり抜けて王都を目指すことは難しくないはずだけど……そういう話ではないのかな?」


「うん。五大公爵領の城というのは、言わば結界の触媒なんだよ。王都の宮殿に魔なるものが足を踏み入れるには、まず五大公爵領をひとつでも陥落させる必要があるはずなんだ」


「なるほど。それならなおさら、マルランは守り抜かなければならないということだね」


 その後はナーニャも体力の回復につとめるため、しばらく口をつぐむことになった。

 もう刻限としては真夜中なのであろうが、こうも揺れ動く荷車の中では眠りにつくこともできない。表でトトスを走らせている兵士たちなどは、疲弊しきっていることだろう。これでメフィラ=ネロたちに遭遇したとして、まともに戦うことなどはできるのか、はなはだ心もとないところであった。


 そうして、時間はのろのろと過ぎていき――何度かの小休止をはさんだのち、暗闇に閉ざされていた窓から朝日が差し込むことになった。


「夜が明けたか。……どうやらベッドの町で生まれた妖魅たちに追いつくことはできなかったみたいだね」


 その内の苦痛や疲労は隠しおおしたまま、ナーニャはそう言った。


「そして、日が出ている間はメフィラ=ネロも大した悪さはできないはずだ。ここでいったん、休息を取るべきだと思うよ」


「休息か。マルランまではあと半日ぐらいだと思うけれど、そんなにのんびりしていていいのかな?」


「日没までに到着できれば、大きな違いはないはずさ。太陽の下で動けるのは、妖魅に憑依された屍骸ぐらいのものだろうからね。城壁に守られた城であれば、そのていどの妖魅だけで攻め落とすことはできないんじゃないのかな」


 そんなナーニャの提言が取り入れられて、アブーフの部隊は半日遅れの休息を取ることになった。

 しかし、昨晩はベッドの町で補給をすることができなかったため、食糧も底を尽きかけているとのことである。この夜にはマルランに到着できるという目算で、すべての食糧がこの場で使われることに決定された。


 やがて荷車に届けられたのは、干したアリアと生のポイタンを煮込んだだけの煮汁と、申し訳ていどの干し肉である。

 そのどろりとした煮汁をすすったナーニャは、苦笑をこらえているような表情でリヴェルを見やってきた。


「こんな粗末な食事を口にするのは、リヴェルと出会ってから初めてのことかもしれないね。リヴェルはありあわせの食材で、とても美味しい食事を準備してくれたからさ」


「そ、そんなことはありません。わたしはただ、手もとにあった果実や山菜を使っただけのことなのですから……」


「それでも僕にとっては、目の覚めるような美味しさだったんだよ」


 くすくすと笑いながら、ナーニャはチチアのほうに目を向ける。


「チチアと出会ってからは、蛙の肉のお世話になることになったね。あれはあれで、得難い体験であったように思うよ」


「なんだい。思い出話なんてのは、老い先短い人間のやるこったよ」


 チチアは険のある目でナーニャの笑顔を見返した。


「あんたはついに、魂を返す覚悟が固まったってことなのかい? あんたが何を覚悟しようと自由だけど、あたしらをこんな場所まで連れ回しといて、自分だけとっとと楽になろうとか考えてるなら、張り倒してやるからね」


「そんなつもりはないのだけれど……僕は何か、チチアを怒らせてしまったのかな?」


 すると、タウロ=ヨシュが「ちがう」と言葉をはさんだ。


「こいつはただ、おまえのみをあんじているだけだ。これだけのじかんがすぎても、おまえがずっとちからないすがたのままであるので、ふあんでならないのだろう」


「か、勝手なことを抜かすんじゃないよ、この唐変木! どうしてあたしが、こんな厄介者のことを心配しなくちゃいけないのさ!」


 チチアは顔を真っ赤にしながら、タウロ=ヨシュの頑丈そうな二の腕を平手でぴしゃぴしゃと引っぱたいた。

 そんな両名の姿を見やりながら、ナーニャはふっと微笑をこぼす。


「そうだね……こんな騒ぎにみんなを巻き込んでしまったことは、心から申し訳なく思っているよ。本来であれば、チチアたちはグワラムで解放してあげるべきだったのだろうしね」


 リヴェルは胸を衝かれたような思いで、ナーニャを振り返った。

 ナーニャは誰とも視線を合わせようともしないまま、静かに微笑んでいる。


「グワラムでメフィラ=ネロを退けるまでは、マヒュドラ軍の目があったので、どうしようもなかったけれど……こんな行軍にまでつきあわせてしまったのは、完全に僕の我が儘だ。もしも君たちが、ここから離脱することを望むのだったら――」


「ふざけるんじゃないよ!」と、チチアが空になった木皿を床に叩きつけた。


「人をここまで巻き込んでおいて、用事が済んだら、はいさようならってこと? 本気でそんなことを抜かしてるんだったら、その口を耳まで引き裂いてやるよ!」


 ナーニャは、びっくりまなこでチチアを見返すことになった。


「いきなり何を怒っているのさ? 僕はただ、君たちの身を案じているだけで――」


「あんたにとって、あたしらは生きる希望なんじゃなかったのかよ!? 自分が人間でいたいと思えるのは、あたしらがそばにいるからだって言ってたじゃないか! だったらどうして、そんな簡単に切り捨てようとするんだよ!」


 チチアの吊り上がり気味の目に、見る見る涙が浮かんでいく。

 リヴェルもナーニャの熱い指先を手に取り、「そうです」と言ってみせた。


「わたしたちは全員、ナーニャの行いを見届けたいと願っています。ナーニャと袂を分かつてまで、安楽に生きたいとは思いません。ですから、どうか……そのようなことは仰らないでください」


 ナーニャはいくぶん苦しそうに眉をひそめつつ、リヴェルの指先を握り返してきた。


「ありがとう。……ただ僕は、少し不安になってしまったんだ。この前も、けっきょくリヴェルひとりを守ることしかできなくて……ゼッドやチチアやタウロ=ヨシュは、自分で自分の身を守ることになってしまったから……こんな僕に、何人もの相手を大事に思う資格なんてないんじゃないかって……」


「人を思うことに、資格なんて必要ありません。わたしたちは自らの意思で、ナーニャのそばにいるのです。ナーニャがわたしたちを思ってくださるのと同じように、わたしたちもナーニャのことを思っているのです」


「うん……僕は、卑怯だよね。リヴェルだったらそんな風に言ってくれるんじゃないかって、心の底ではこっそり期待してしまっていたんだ」


 幼子のように微笑みながら、ナーニャはチチアのほうに向きなおった。


「でも……チチアまでそんな風に言ってくれるとは、僕も想像していなかったよ。僕はきっと、君に嫌われているのだろうと思っていたからさ」


「嫌いだよ! あんたなんて、大っ嫌いさ!」


 ぽろぽろとこぼれる涙を手の甲でぬぐいながら、チチアは子供のようにわめき散らした。

 タウロ=ヨシュは穏やかに微笑みながら、その頭にぽんと大きな手の平をのせる。以前のチチアであれば、それもはねのけていたはずであったが、今日はされるがままになっていた。

 そこで、荷車の扉が外から開かれる。


「ずいぶん大きな声がしていたようだけれど、何かあったのかな? とりあえず、血を見るような騒ぎにはなっていないようだね」


 のんびりと微笑んだキャメルスが、イフィウスとともに荷台へと上がり込んでくる。彼らは表の武官たちとともに食事をとっていたのだ。


「とりあえず、四刻ほどはここで身を休めることにしたよ。中天の前に出立すれば、ゆとりをもって日没の前に到着できるはずだからね」


「了解したよ。それじゃあ、僕も休ませてもらおうかな」


 ナーニャは最後にリヴェルとチチアの姿を見比べてから、敷物の上に横たわった。

 その美麗なる面には、ようやく母親と巡りあえた幼子のような表情が浮かべられていた。


                 ◇


 そうして四刻ほどの休息をしてからは、再びの進軍である。

 トトスにもきちんと食事が与えられたようで、休息の前よりも足取りが力強くなったように感じられる。それにやはり、夜間の行軍というのは無理が生じるものであるのだろう。この先に待ち受ける脅威に臆することなく、アブーフの軍は粛然と街道を駆けることになった。


 それからまた、ひたすら荷車に揺られる時間が過ぎて――最初の異変が生じたのは、窓から差し込む陽光に夕暮れ時の気配が混じり始めたときであった。


 さきほど小休止を取ったばかりであるというのに、トトスの足が止められる。待つほどもなく、荷車の扉は外から叩かれた。


「キャメルス隊長! 不審な一団を発見いたしました!」


 そのような報告を届けてきたのは、伝令役の兵士であった。


「街道の行く手に、数百名に及ぶ人影がうかがえるのですが……何やら、尋常な様子ではないようです!」


「行軍でもないのに数百名もの集団が街道を進むのは、確かに尋常ならざる事態だね。ナーニャ、一緒に来てもらえるかな?」


「うん、もちろん。……ただ、目で確認するまでもなく、これは妖魅であるようだね」


 敷物から身を起こしたナーニャの赤い唇は、妖艶な微笑をたたえていた。

 荷車に乗っていた人間は全員が地面に降り、街道を埋め尽くす部隊の先頭まで歩を進める。いまだ足もとの覚束ないナーニャは、またゼッドに運ばれることになった。


 先頭付近の兵士たちは、トトスに直接またがっている。そうして彼らは兜の下で顔を強張らせながら、街道の果てを見据えていた。

 茜色に染まりつつある空の下、黒く蠢く人影が見える。

 この距離では、どのような姿をしているのかも判然としない。ただ、このような場所で何百名もの人間が、トトスや荷車も引かずにただ街道を進んでいるというのは、やはり考えにくい話であった。


「うん。あれは、氷雪の妖魅だね。メフィラ=ネロに凍死させられた人間の屍骸が、妖魅となって動いているんだよ」


 ナーニャは同じ表情のまま、事もなげにそう言った。


「ただ……ずいぶん数が少ないように思えるね」


「数が少ない? トトスの上から見渡すと、数百名という数であるそうだよ」


「でも、ベッドの町には千名や二千名からの領民がいたという話なんだろう? それには数が足りないので、別口の妖魅なんじゃないのかな」


「別口ということは……ベッドの町の他にも、メフィラ=ネロに襲われた町が存在する、と?」


「あくまで憶測だけどね。ひとつはっきりしているのは、彼らを始末しない限りは街道を進むこともままならないということさ」


 この街道の左右は雑木林となっていたので、迂回してトトスを走らせることも難しそうなところであった。ならば、街道を埋め尽くす妖魅たちを殲滅して、道を切り開かなければならないのだ。


「いよいよ戦闘開始か。君が魔術を行使するには、火の準備が必要なのだよね?」


 キャメルスの言葉に、ナーニャは「いや」と首を振った。


「もしも可能であるならば、あの妖魅は君たちだけで始末してもらえないかな? 正直に言って、僕の力には限りがあるから……なるべく温存しておきたいのだよね」


「なんだと!」と飛び上がったのは、キャメルスのかたわらに控えていた壮年の武官であった。


「わ、我々だけで妖魅を相手取れというのか!? ならばお前は、いったい何のためにこのような場所まで出向いてきたのだ!」


「それはもちろん、メフィラ=ネロを退治するためだよ。でもきっと、彼女は夜になるまで姿を現すことはないだろう。僕がこの場で力を使い果たしてしまったら、それこそ剣呑な事態に陥ってしまうと思うんだよね」


 人の悪い笑みを浮かべつつ、ナーニャは武官の青ざめた顔を見下ろした。


「メフィラ=ネロが魔力を取り戻したのなら、また氷雪の巨人や数々の妖魅が召喚されることだろう。それに備えて、僕はなるべく力を温存しておきたいのだけれども……それは、かなわぬ願いなのかな」


「しかし、果たして我々だけであれだけの妖魅を退治できるものなのかな?」


 惑乱する武官をよそに、キャメルスは落ち着き払った様子でそのように問い質した。

 ナーニャもまた、悠揚せまらずそれに答える。


「こちらには、二千からの兵士が控えているのだろう? しかもこれだけのトトスがそろっていれば、有利に戦いを進められるはずだ。それに、ここは寒冷の厳しいグワラムではなく、温暖な王都の近辺であるからね。見たところ、あれらの妖魅も氷雪に包まれている様子はないし……普通の人間と同じように、簡単に頭を打ち砕けるはずだよ」


 武官の男はまた何かがなりたてようとしたようであったが、それはキャメルスに止められた。


「わかった。こちらで対応してみよう。頭を打ち砕けば、あれらの妖魅は退けられるのだね?」


「うん。ただし、鋼の武器でね。鋼の帯びた聖性で、妖魅の持つ魔力を浄化するんだ」


 キャメルスはひとつうなずくと、再び街道の果てへと視線を巡らせた。


「あの妖魅たちはこちらに背を向けて、マルランへと向かっているようだ。しかしまあ、こちらが近づけば、もちろん襲いかかってくるのだろう。……よし、第一大隊の中隊長を招集してくれ。騎兵を使った一撃離脱の戦法で臨ませてもらおう」


 キャメルスの口調は相変わらずのんびりとしていたが、そこには怯えも躊躇いも感じられなかった。

 伝令の兵士が飛ばされて、隊列から何名かの武官たちが進み出てくる。それらが集合する前に、キャメルスはナーニャを振り返った。


「僕たちの手に余るようであれば、遠慮なく助力をお願いするからね。それまでは、荷車で待機しておいてくれ」


「了解したよ。くれぐれも、油断しないようにね」


「妖魅を相手に油断できるほど、肚の据わった人間はいないさ」


 キャメルスの笑顔に見送られて、リヴェルたちは荷車に引き返すことになった。

 荷台に乗り込んで扉を閉めたのち、チチアはナーニャをじろりとにらみつける。


「本当に、あいつらだけで大丈夫なのかい? あいつらの恨みを買うようなことになっちまったら、王都の土を踏む前に首を刎ねられちまうかもしれないよ?」


「大丈夫さ。彼らはすでに全員が、メフィラ=ネロとの戦いを経験しているのだからね。あの夜に比べればなんて気楽な戦いだろうと、すぐに思い知ることになるさ」


 それから半刻ほど、リヴェルたちは不安の中で過ごすことになった。

 前方からは、兵士たちのあげる鬨の声が聞こえてくる。妖魅と化した人間の屍骸と兵士たちの間に死闘が繰り広げられているのだと想像しただけで、リヴェルは震えが止まらないほどであった。


「……どうやら、殲滅は完了したようだよ」


 やがて半刻ほどの後、キャメルスからそのような言葉が届けられることになった。


「驚くべきことに、こちらの被害はゼロだ。君の言っていた通り、がちがちに凍りついていたグワラムの妖魅よりは、御しやすい相手であったようだね」


「それは何よりだ。きっと君の指揮が素晴らしかったのだろうね」


「僕は後ろで声援を送っていただけのことだよ。……ただ、今度は街道が妖魅の屍骸で埋め尽くされてしまってね。それを除去するまでは、先に進めそうにない。もう半刻ほど、ここで待っていてくれたまえ」


 そんな風に言ってから、キャメルスはちょっと切なげに息をついた。


「妖魅と化していたのは、いずれも粗末な身なりをした農民たちだった。あれはベッドの領民ではなく、どこか近在の村落の領民なのだろう。若い娘や、老人や、幼子まで……彼らがこんな死を迎えなければならない理由なんて、どこにもないはずだよね」


「うん。メフィラ=ネロは――というか、《まつろわぬ民》というものは、四大王国のすべての領民を生け贄として、大神アムスホルンを復活させようとしているんだ。連中を止めない限り、こんな悲劇がいつまでも繰り返されるというわけだね」


「うん。領主の怒りを買ってまで、こんな場所にまで遠征してきたのは、どうやら正しいことであったようだ」


 そんな言葉を残して、キャメルスは立ち去っていった。

 それからまた半刻ほどを待たされたのち、ようやく荷車が動き始める。

 再び荷台に戻ってきたキャメルスは、いくぶん気がかりそうな面持ちで前髪をかきあげた。


「思わぬところで、一刻ほどの時間を使ってしまったね。それに、もともとの見立ても甘かったのかな。マルランに到着するのは、日没ぎりぎりになってしまいそうだ」


「うん。すでに日没も間近であるようだね」


 窓から差し込む日差しは弱々しく、荷台の内部はすっかり薄暗くなってしまっている。

 ついに、夜がやってくるのだ。

 ナーニャのもとにぴったりと寄り添いながら、リヴェルは何度となく西方神に祈りを捧げることになった。

 そして――御者台のほうから、緊迫した兵士の声が届けられてくる。


「キャメルス隊長! マルランの城壁が見えてまいりました! 何か――異様な気配です!」


「異様な気配では、よくわからないね。報告は、なるべく具体的にお願いするよ」


「は……こちらも進軍のさなかでありますため、判然としないのですが……城壁の内部で、すでに戦いが繰り広げられているような……それに、城壁も……」


 と、兵士の声はそこでいったん途切れた。

 それからすぐに、いっそう緊迫した声が響きわたる。


「や、やはり、城壁の一部が崩されているようです! マルランは、すでに戦闘のさなかであると思われます!」


「よし、全軍停止だ」


 伝令役が、トトスを駆けさせたのだろう。リヴェルたちが乗った荷車も、すみやかに動きを止めることになった。

 足もとに置いていた長剣を取り上げながら、キャメルスはナーニャに笑いかける。


「さあ、マルランに突撃だ。今度こそ、君の出番だろうと思うよ」


「そうだね」と、ナーニャは微笑みを返した。

 その真紅の瞳には、早くも炎のような輝きが渦を巻いているようだった。

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