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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第八章 再生の道
202/244

Ⅲ-Ⅱ 討伐部隊

2020.2/8 更新分 1/1 ・2/10 誤字を修正

 クリスフィアの詮議が行われていた黒羊宮は、にわかに騒然とすることになった。

 王都に隣接した五大公爵領のひとつ、マルランが、氷雪の妖魅に襲撃されているというのだ。惰弱の徒である新王ベイギルスはもちろん、謁見の間に整列した近衛兵たちですら、困惑と戦慄を隠せずにいた。


「マ、マ、マルランが妖魅に襲撃されたというのか? それは、確かな話であるのだろうな!?」


 ベイギルスが上ずった声で問い質すと、緋色の外套を纏った使者は「はっ」と頭を垂れた。


「わ、わたくしがこの目で確かめたわけではございませんが、領地を警護する部隊からそのような報告が届けられております。妖魅の脅威は筆舌に尽くし難く、すでに数多くの兵士と領民たちが被害にあっていると――」


「なんたることだ……」と、ベイギルスは玉座の上で弛緩した。放っておいたら、そのまま床までずるずるとへたり込んでしまいそうな様子である。


 クリスフィアが新王のかたわらに視線を巡らせると、そこではレイフォンがティムトにこっそりと耳打ちされていた。

 ティムトであれば、この場でもっとも適切な命令を下してくれることだろう。そんな風に念じながら、クリスフィアは冷静さを取り戻すために深呼吸をした。


(キャメルスが二千の部隊を率いて王都を目指している、などという突拍子もない話を聞かされたかと思えば、今度は妖魅の襲撃か。ここ数日の安寧が、ついに木っ端微塵に打ち砕かれたというわけだな)


 そのように考えると、クリスフィアの中でふつふつと熱い血がたぎっていく。ダリアスたちの進軍を、指をくわえて見守ることしかできなかったクリスフィアは、ずっと熱情のぶつけどころを求めていたのだ。それを思えば、このような変転も望むところであった。


「ど、ど、どうするのだ、レイフォンよ? ダームに続いて、マルランまでもが妖魅の毒牙にかけられたのであるぞ? こ、これを放置しておくわけにはいくまい?」


「ええ、もちろんです、王陛下。マルランには可及的速やかに、討伐部隊を向かわせるべきでありましょう」


「う、うむ。妖魅など、決して王都に近づけるわけにはいかんからな!」


 そのように言い放つなり、ベイギルスはいきなり身を起こしてジェイ=シンの左腕をひっつかんだ。


「た、ただし、このジェイ=シンをマルランに向かわせることはまかりならんぞ! こ、こやつの使命は、余を守り抜くことであるのだ!」


「心得ております、王陛下。私もそのように考えておりました」


 虫も殺さぬ笑顔で、レイフォンはそのように答えた。


「そもそも妖魅がこのように日の高い内に出現するというのは、いぶかしい話です。闇より生まれ出た妖魅がもっとも強き力を振るえるのは、夜のとばりが下りたのちのことであるはずなのですからね。思うに、これは……陽動作戦なのではないでしょうか?」


「よ、陽動作戦?」


「はい。あえて人の目につきやすい日中に騒ぎを起こし、王都の戦力をマルランに向かわせて、しかるのちに別の場所から本隊が攻め込む――戦においては、常套手段でありましょう」


「し、しかし相手は、妖魅であるのだぞ? 妖魅がそのように知恵を巡らせることがかなうのであろうか?」


「妖魅を操るのはメフィラ=ネロなる魔術師であり、さらにその裏には邪神教団が潜んでいるものと推測されます。そういった者たちであれば、小賢しい策謀を巡らせることも可能なのではないでしょうか?」


《まつろわぬ民》や《神の器》といった根幹を為す部分は伏せたまま、ベイギルスにもあらかたの真実は伝えられているのだ。ベイギルスは肥え太った身体を細かく震わせながら、ほとんどすがりつくような格好でジェイ=シンの腕を引き寄せた。


「な、ならば其方が、その知略でもって魔術師どもの企みを打ち破るのだ! 宰相代理として、ただちに采配を振るうがいい!」


「承知いたしました。ですが、王都の軍の指揮権は各兵団の長をつとめる十二獅子将の方々に帰属いたします。まずはそちらで討伐部隊の編成を行っていただき、私が確認した上で、王陛下の御意を得る格好になることと思われますが……」


「そ、そのように悠長なことを言うておる場合か! 其方に全権を託すので、すぐさま討伐部隊をマルランに向かわせるのだ!」


「承知いたしました。では、王陛下には命令書のご準備をお願いいたします。……ところで、クリスフィア姫の詮議に関しては、どのように取り計らいましょう?」


「そのようなものは、後でよい! すべては妖魅どもを退けてからのことだ!」


「承知いたしました」と三たび繰り返しながら、レイフォンはクリスフィアに微笑みかけてきた。

 下がってよい、ということなのであろう。クリスフィアは形ばかりの礼をしてから、謁見の間を後にすることになった。


(ふん。わたしをのけ者にはさせんぞ、レイフォン殿)


 謁見の間を出たクリスフィアは控えの間で待たせていたフラウと合流し、その足で金狼宮を目指した。

 その入り口にたたずんでいると、やがてティムトを引き連れたレイフォンがやってくる。クリスフィアたちの姿を認めたレイフォンは、「おや」と苦笑っぽい表情をたたえた。


「このような場所でどうしたのかな、クリスフィア姫? てっきり赤蛇宮に戻ったかと思っていたのに」


「それはずいぶんとつれない言葉ではないか、レイフォン殿。王都のすぐそばに妖魅が出現したというのに、わたしを捨て置こうというつもりであるのか?」


「そうは言っても、アブーフ侯爵家の名代たるクリスフィア姫に、まさか妖魅の討伐をお願いすることはできないだろう?」


「ダリアス殿が出陣し、ジェイ=シンが動けぬ今、わたしは妖魅を相手取ったことのある希少な人間であるのだぞ? それも、二度に渡ってな」


 クリスフィアと並んで金狼宮の回廊を速足で進みながら、レイフォンはティムトの姿を見下ろした。

 ティムトは取りすました面持ちで、「そうですね」と首肯する。


「現在のマルランにおいては、妖魅に対する恐怖の念が蔓延していることでしょう。そのような場に、妖魅と初めてまみえる人間をいくら送りつけたとしても、十全な働きは期待できないように思います」


「おいおい。まさか本当に、クリスフィア姫を討伐部隊に組み込もうというのかい? クリスフィア姫は、まがりなりにも侯爵家の嫡子であらせられるのだよ?」


「ですが、王都に留まることが必ずしも安全とは限りません。さきほどレイフォン様に語っていただいた通り、これは陽動作戦である可能性が高いかと思われます」


 すると、クリスフィアのすぐかたわらでいそいそと足を動かしていたフラウが、「そうなのですか?」と眉を下げた。


「また姫様が暴れトトスのように振る舞うおつもりなのでしたら、わたくしが身を呈してでもお諫めしようかと考えていたのですが……それは、つつしむべきなのでしょうか?」


「……あくまで、可能性の問題です。何にせよ、《まつろわぬ民》とメフィラ=ネロの最終目的は王都の壊滅なのでしょうから、この場に留まることが安全とは言い難いはずです」


 そのように言ってから、ティムトはちらりとクリスフィアを見た。


「それに……この王都には、ジェイ=シン殿がおられます。聖剣を携えたジェイ=シン殿に、助力は不要でありましょう。そして、ジェイ=シン殿が王都を離れられない以上、余所の領地が大きな脅威に見舞われることとなるのです」


「それを食い止めてほしい、という話なら、わたしは喜んで引き受けるぞ、ティムトよ」


 沈着な表情を崩さないティムトに、クリスフィアは明るく笑いかけてみせた。


「どうやらティムトは、わたしがマルランに向かうことを本心から望んでいる様子だな。お前のような賢い人間に頼られるというのは、誇らしい限りであるぞ」


「……あなたはご自分で仰る通り、二度までも妖魅との戦いを生き抜いた御方です。ダリアス将軍とジェイ=シン殿を除けば、そのような人間は他に存在しないのです」


 あくまでも厳しい声で、ティムトはそう言った。


「ましてや王都の武官たちは、その多くが妖魅の存在に対して半信半疑の状態にあります。そのような心持ちで、妖魅と戦うことはかなうのか……僕には、確信できません」


「そのように言葉を重ねる必要はない。レイフォン殿は、全権を委任されているのであろう? 出陣せよ、と一言命じてくれれば、わたしは喜んで従うぞ」


「まいったなあ。くれぐれも、無茶をしないでもらいたいものだね。もしもクリスフィア姫の身に何かあったら、それこそ王都とアブーフの関係に大きな亀裂が走ってしまうだろうからさ」


 そんな風に言ってから、レイフォンはティムトのほうに視線を戻した。


「ところで、王都にはクリスフィア姫にも劣らない剣士がもう一名存在したよね。まさかティムトは、そちらにも出陣を願うつもりであるのかな?」


「……王陛下に全権を委任されたとしても、それはあくまで討伐部隊の編成においてのことです。王都の民ならぬ侯爵家の方々に命令をする権限などは存在しませんので、どのように応じるかはあちらの自由となります」


「やっぱりか」と、レイフォンは息をつく。

 そのやりとりで、クリスフィアにはおおよそ察することができた。この王都には、クリスフィアに劣らないどころか、逆立ちをしたってかなわない凄腕の剣士が、ジェイ=シンの他にもう一名だけ存在したのである。


                     ◇


 それから数刻の後、クリスフィアは討伐部隊の一員として王都を出立することになった。

 兵の数は、およそ二千。奇しくも、キャメルスが率いているというアブーフの部隊と同数だ。構成員は第一防衛兵団の兵士たちであり、千獅子長の片方が指揮官に任じられている。クリスフィアの身分は、その指揮官に直接言葉を伝えることのできる、客員隊長という耳に馴染みのない肩書きであった。


 現在のクリスフィアは宮殿の前庭でトトスの準備をしており、出発の号令を待っている。つい先日にはダリアスたちがこうして出陣の準備をしているところを、塔の上から見物することになったのだ。クリスフィアとしては、西方神に感謝のひとつでも捧げたいような展開であった。


「まさか本当に、自分が出陣の誉れを授かることになるなどとは考えていなかった。しかも、ホドゥレイル=スドラの隣で剣を振るえるなどというのは、光栄の極みというものだ」


 クリスフィアがそのように笑いかけると、明哲な眼差しを持つ森辺の狩人は「うむ」と沈着に応じた。


「俺もまさか、王都の地で兵としての働きを願われるとは考えていなかったが……ジェイ=シンやギリル=ザザにばかり負担をかけさせているのを心苦しく思っていたところだ。これも王国のためと思い、微力を尽くさせてもらおうと思う」


「ホドゥレイル=スドラが微力であったら、わたしなどはどうなってしまうのだ。まあ、ともに力を尽くそうではないか」


 クリスフィアもホドゥレイル=スドラも、王都で借り受けた白銀の甲冑を纏っていた。革の上に鉄板を張った武骨な甲冑であるが、すらりと背の高いホドゥレイル=スドラにはまたとなく似合っている。それに、東の民もかくやという浅黒い肌が、甲冑の白銀と対照の妙を為していた。


 そんなホドゥレイル=スドラの雄々しい武者姿をぞんぶんに検分してから、クリスフィアはそのかたわらにたたずむ貴公子のほうに視線を移す。


「それにしても、まさかメルセウス殿まで参じることになろうとはな。これはいささか、予想の外であったぞ」


「こればかりは、しかたありません。ギリル=ザザとジェイ=シンにそれぞれの任務を与えてしまった以上、ホドゥレイル=スドラまでをも遠ざけるわけにはいきませんからね」


 甲冑ではなく厚手の鎧下だけを纏ったメルセウスは、普段通りのやわらかい表情でにこりと笑った。


「彼らは森辺の族長の命令で、僕の護衛役を果たしてくれているのです。その全員が僕から目を話すことなどは、彼らにしてみても決して肯んじられないのですよ」


「うむ。だからこそ、おふたりは王都に留まるのであろうと思ったのだがな」


「そこでティムト殿の、王都が安全とは限らない、という言葉が効いてくるのです。あれは決して、僕たちを危険な最前線に送るための詭弁ではないのでしょうからね」


 メルセウスの言葉に、ホドゥレイル=スドラが「うむ」とうなずいた。


「あれは、虚言を吐く人間の目ではなかった。少なくとも、あやつは心底からそのように考えているのであろう。……そしてこの王都においては、あやつよりも明敏な人間は存在しないのだろうと思う」


「うん。僕は、ホドゥレイル=スドラの人を見る目に全幅の信頼を置いているよ」


 そんな言葉を交わしていると、トトスの手綱を引いた武官が近づいてきた。指揮官に任命された、千獅子長たる壮年の男性である。


「クリスフィア姫に、メルセウス殿。そろそろ出発しようかと思うのだが……このような出陣の直前に、またレイフォン殿からおかしな命令が届けられてしまった」


「おかしな命令?」


「このご老人を、同行させよというのだ」


 渋い顔をした千獅子長の背後から、痩身の老人が姿を現した。

 その姿に、クリスフィアは思わず「あっ!」と声をあげてしまう。


「あなたは、フゥライ殿ではないか! いつダームから戻ったのだ?」


「ほんのついさっき、城門をくぐったところであるよ。王都に到着するなり、このような命令を下されるとは、さすがに考えておらんかったな」


 それは雪のように白い髭と柔和な微笑を持つ、学士長の老人フゥライであった。ダリアスやラナたちを逃がすために、あえてダームに居残った人物である。


「黒羊宮にて王陛下に拝謁を願おうかと考えていたら、レイフォン殿に出くわしてな。この討伐部隊に同行することを願われたのだ。まったく、人づかいの荒いことよの」


「いやいや、フゥライ殿はリッサともども、妖魅や魔術について学ぶことになったのであろう? これほど心強い援軍はないぞ」


 クリスフィアが感心していると、千獅子長は仏頂面できびすを返した。


「そちらの学士長殿も、クリスフィア姫にお預けするとのことであった。後のことは、よろしく願いたい」


「承知した。では、わたしのトトスに同乗していただこう」


 のんびりと荷車を引いている余裕はないので、この二個大隊もトトスにまたがった騎兵としてマルランに向かうのである。

 その地においては、どのような脅威が待ち受けているのか。クリスフィアは、いっそう熱く血がたぎるのを感じていた。

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