Ⅰ-Ⅱ 見果てぬ王都へ
2020.1/25 更新分 1/1
メフィラ=ネロとの死闘を終え、昏睡の状態に陥ったナーニャが目を覚ました日の、翌日――一行はグワラム城を後にして、西の王都アルグラッドを目指すことになった。
しかしそれは、これまでのように身軽な旅ではない。ナーニャを中心にして集まった一行は、なんとセルヴァの軍勢と行動をともにしているのである。
その軍勢を率いるのは、アブーフ軍の第一連隊長キャメルスなる人物であった。
周囲の士官たちが止めるのも聞かず、彼は自分の領主や王都の王に許しを得るより先に、進軍することを決定してしまったのだ。
軍隊の命令系統などこれっぽっちもわきまえていないリヴェルにとっても、それが如何に破天荒な行いであるかは察することも難しくなかった。
「これも王国の安寧を守るためだよ。僕ひとりが叱責されるだけで王国の安寧が守られるなら、安いものじゃないか」
他の士官たちの耳のないところで、キャメルスは穏やかに笑いながらそのように言いたてていた。
要するに、ナーニャが王都を目指すのだと聞いたキャメルスは、それを護衛するために自らの部隊を動かしたようなものであった。恐るべき力を持つメフィラ=ネロに対抗できるのはナーニャのみであると、彼はそのように考えたのだ。
彼はいまだにナーニャの正体を知らないが、ただ魔術師というだけでも王国にとっては禁忌の存在である。そんな存在を懐にかくまいながら、勝手に部隊を動かすというのは、やはり常識から外れた行いであるとしか思えなかった。
ともあれ、キャメルスの率いるアブーフの軍勢は、王都を目指して街道を南下している。
その総勢は二個大隊で、およそ二千名であるという。まだ若いキャメルスがこれほどの軍勢の指揮官だと知らされて、リヴェルなどはたいそう驚かされたものであった。
そんな軍勢に取り囲まれながら、ナーニャの一行はトトスの荷車の中でひっそりと過ごしている。
こちらの人数は、六名。ナーニャ、ゼッド、リヴェル、チチア、タウロ=ヨシュ、そしてイフィウスという顔ぶれであった。
イフィウスを一行の中に含めていいものかは難しいところであったが、何にせよ、彼もこの軍勢の中では食客という立場であった。もともと彼の身分は、王都の将軍の副官というものであったのだ。それがグワラムを巡る戦役においてマヒュドラ軍の捕虜となり、つい先日までは虜囚の身であったのである。
「それにしても、イフィウス殿が十二獅子将にして元帥たるルデン閣下の副官であられたとは驚かされました。生きてお目見えできたことを、西方神に感謝したく思います」
揺れる荷車の荷台の中で、キャメルスはそのように言いだした。
ナーニャの一行は同じ車で揺られていたのだが、そこにキャメルスまで同乗を願い出てきたのである。副官や従者も引き連れず、身ひとつで座席に乗り込んできたキャメルスは、本日もにこにこと屈託のない笑みを浮かべていた。
「赤の月のグワラム戦役は、無念な結果に終わってしまいましたね。かくいう僕も、その戦いにおいて上官を失ったため、このような若輩の身で連隊長の座を授かることになってしまったのです。僕などは名ばかりの副官であったので、分不相応の至りでありますね」
口の不自由なイフィウスは無言でうなずくばかりであったが、キャメルスはそれを気にする様子もなく得々と喋り続けた。
「しかし、イフィウス殿が壮健なお姿で王都に戻られれば、人々も感涙にむせぶことでしょう。ましてや現在の王都は、さまざまな悲運に見舞われた後なのですから、喜びもひとしおであるはずです」
「……ぞのばなじなのだが……」
と、ようやくイフィウスが口を開いて反問した。
「おうどが、どのようなざいやぐにみまわれだのが……いまいぢど、ぐわじぐぜづめいじでもらえないだろうが?」
「承知いたしました。とはいえ、僕も北の果てたるアブーフに住まう身でありましたので、それほど王都の情勢をわきまえているわけではないのですけれどね」
そんな風に言いながら、何故かキャメルスはリヴェルたちの姿を見回してきた。
ナーニャは床に重ねた寝具の上に横たわっており、ゼッドとリヴェルはそのすぐそばに控えている。壁にもたれたチチアとタウロ=ヨシュは、仏頂面でそっぽを向いていた。
リヴェルたちにとって、王都の軍勢というのは決して心安く思える存在ではない。前王殺しの大罪人として追われているナーニャやゼッドは言うに及ばず、タウロ=ヨシュなどは敵対国たるマヒュドラの自由開拓民であるし、チチアに至っては四大神を捨てて蛇神ケットゥアなどを崇拝していた邪神教団の一員であったのだ。それは、王国の立場ある人間であれば、すぐさま処刑を命じてもおかしくない顔ぶれであるのだった。
(そんな中で、わたしだけは成り行きで行動をともにしている、つまらない存在に過ぎないけれど……)
しかし、リヴェルもナーニャたちの正体を知った上で行動をともにしているのだから、同罪であることに間違いはない。また、リヴェルにしてみても、自分だけが罪を逃れようなどという気持ちはさらさらなかった。
そんなリヴェルたちに対して、キャメルスはいったいどのような感情を抱いているのか。まったく内面のうかがい知れない微笑をたたえたまま、キャメルスはイフィウスに向かって言葉を重ねた。
「王都においては、第四王子カノンと十二獅子将ヴァルダヌスの謀反によって、前王カイロスおよび三人の王子たちが魂を返すこととなりました。銀獅子宮が炎上したというのですから、他にも数多くの貴人たちが同じ運命を辿ったのでしょう。その後、新たな王として戴冠したのは、王弟であられたベイギルス陛下となります。僕の従姉妹は、その戴冠式に参ずるために王都へと出向いていたのですよ」
「…………」
「謀反人たる両名も、炎上する銀獅子宮から逃亡することはかなわず、魂を返したのだという話です。たとえカノン王子が王家の血を引く立場であっても、父なる西方神がその大罪を見逃すことはなかった、ということなのでしょう」
リヴェルはひとり、息を詰めることになった。
いや、リヴェルの周りにいる大事な仲間たちも、思いはひとつであっただろう。
イフィウスは、ナーニャとゼッドがそのカノン王子とヴァルダヌス将軍であることを、すでに知っている。彼がこの場でその真実を告白したならば、ナーニャとゼッドはたちまち大罪人として捕縛されてしまうのだった。
「ぎょうは……なんにぢであろうが?」
イフィウスの唐突な問いかけに、キャメルスは「はい?」と小首を傾げた。
「本日は、黄の月の十五日であるはずですね。それがどうかなさいましたか?」
「……おうどがざいやぐにみまわれだのは、あがのづぎであろう……? ぞれがらずでに、ぶだづぎでいどがずぎでいる。なにがじょうぜいにべんがはないのだろうが?」
「情勢に変化、ですか。そうですね。何せアブーフは王都からもっとも遠い辺境の領地でありますため、そうそう使者が差し向けられることもないのですよ」
そう言って、キャメルスはにこりと微笑んだ。
「ただ、僕たちはそちらのナーニャから援軍の要請を受けたとき、王陛下の御意を賜るために使者を送りました。その際に、王都まで書簡を届けた使者は……そこで数々の驚くべき話を聞かされたそうです」
「おどろぐべぎばなじ……?」
「はい。とはいえ、それは王陛下や高官たちから直接うかがったわけではありません。その使者が王都に滞在していたわずかな時間だけでも、さまざまな風聞が耳に飛び込んできたというのですよ」
そこでキャメルスは、いくぶん表情をあらためた。
にこやかな面持ちであることに変わりはないが、どこか父親の叱責をかわそうとする幼子のような顔つきになっている。
「ですがこれは、あくまで風聞です。それゆえに、イフィウス殿に急いで伝える必要もないだろうと判断したのです。何せ僕たちには考えなければならない問題が山積みにされていたので、ご報告が遅れてしまったことはご勘弁願いたく思います」
「…………?」
「グワラム戦役においては、ルデン元帥とディザット将軍が魂を返すことになりました。その後にも王都には数々の変転が巻き起こり、十二獅子将の半分は顔ぶれを変えることになった、という話であったのですね。……その中に、かのロネック将軍の名も含まれていたのですよ」
イフィウスは、激しい驚きに見舞われた様子で身をのけぞらせた。
ただその顔は、鼻から上顎までが奇妙な仮面に隠されているためか、表情の動きもわからない。判別できるのは、切れ上がった目に鋭い白刃のようなきらめきが宿されたことだけであった。
「イフィウス殿は、ルデン元帥とディザット将軍はロネック将軍の裏切りによって魂を返すことになったのだと仰っていましたね。それを聞かされたとき、僕はたいそう驚かされたものですが……そのロネック将軍は、王都において罪人として捕縛されたという話であるのです」
「では……グワラムにおげるづみが、なにものがによっでごぐばづされだのだろうが?」
「それは、わかりません。ただ、ロネック将軍が捕縛されたのは、僕たちの使者が到着した黄の月の七日であったようですね。その日は王宮も、てんやわんやの騒ぎであったそうですよ」
「…………」
「ロネック将軍はグワラム戦役から帰還したのち、元帥の座を拝命したそうです。さらにもうひとかた、ジョルアン将軍という御方も同じ時期に元帥となられたそうですが……そちらの御方はロネック将軍が捕縛された日に、審問の場で暗殺されたのだそうです。どうやら元帥となられたおふたりは、何か重大な陰謀に加担していたようですね。それを告発したのは、ダーム公爵とダリアス将軍であるという話で――」
「ダリアズが、ごぐばづ?」
「ええ。どうやらつい最近まで、ダリアス将軍は行方不明であられたそうですよ。ジョルアン将軍に暗殺されそうになったので、ダームに逃げのびたのだとか何だとか……そうそうそれで、どういうわけかもわかりませんが、ダーム騎士団の団長をつとめていたシーズ将軍も魂を返したのだという話でしたね」
イフィウスは何かを振りはらうように、ゆるゆると首を横に振った。
「では、ディラームじょうぐんはどうざれだのであろうが……? ディラームじょうぐんがげんざいであれば、ロネッグどジョルアンがげんずいのざをざずがるごどなどながっだばずだ」
「ああ、言われてみれば、そうですね。でも、ディラーム将軍は健在であられるようですよ。僕たちの送った使者が到着した日も、何かの任務に取り組んでおられたようだと聞いています」
そう言って、キャメルスはふっと息をついた。
「行方不明になっていたというダリアス将軍がご無事であったのは何よりですが、それを除いても十二獅子将の半数が失われることになってしまったのです。ルデン元帥にディザット将軍、ジョルアン将軍にシーズ将軍……それに、罪人として捕縛されたロネック将軍に、叛逆者として魂を返したヴァルダヌス将軍ですね。まさか、王都がこれほどの災厄に見舞われているなどとは、僕も想像していませんでした」
「…………」
「だから僕も、居ても立ってもいられないような心持ちなのですよ。これでは戴冠式どころではないはずですが、僕の大事な従姉妹というのは……騒ぎが起きると目を輝かせて、自ら近づいていこうとするような気性であるのです」
いくぶん苦笑っぽい表情を浮かべながら、キャメルスは優雅に前髪をかきあげた。
「だからまあ、ただでさえ騒乱のさなかにある王都に、これ以上の災厄は近づけたくないのですよ。……僕の心情が、ご理解いただけたかな?」
最後の言葉は、リヴェルたちに向けられたものであった。
リヴェルのかたわらで死人のように横たわっていたナーニャは、まぶたを閉ざしたまま不敵に微笑む。
「おおよそ、理解できたように思うよ……だけど、僕たちみたいに胡散臭い人間に、そんな王宮の裏話を聞かせてしまってよかったのかな……?」
「僕たちは、メフィラ=ネロを打倒するための同志であるわけだからね。信頼を深めるためには、こうする必要があると考えたまでさ」
ナーニャの笑顔を透かし見るように目を細めつつ、キャメルスはゆったりと微笑んだ。
「それに僕は、ひとつの疑念を抱いている。王都を見舞った災厄と、グワラムを見舞った災厄は、果たして無関係なのだろうかな?」
「どうして、そのように思うんだい……? 王都とグワラムを見舞った災厄に、およそ共通点などは見えないように思うけれど……」
「それが、そうでもないんだよね。僕たちの使者が王都で耳にした風聞には、まだ続きがあるんだ」
あくまでも柔和な笑顔を保持したまま、キャメルスはそう言った。
「ダリアス将軍が潜伏していたダームにおいては、妖魅の襲撃によって数多くの犠牲者が出たらしい。……それに、ジョルアン将軍が捕縛された日には、王都の城下町においても妖魅が目撃された、などという風聞もあったのだよ」
「へえ……それはそれは……」
「メフィラ=ネロが初めて姿を現したのは、十日ばかり前のことだという話であったよね。その数日後に、ダームや城下町でも妖魅が出現しているというのだよ。これを偶然と考えるほうが、難しいのではないのかな」
ナーニャは薄くまぶたを開くと、同じ笑みをたたえたまま、キャメルスのほうに顔を向けた。
キャメルスも、同じ笑みをたたえたまま、それを見つめ返す。
「昨日、君は言っていたよね。西の王都にはずいぶんな魔力が渦巻いているので、メフィラ=ネロはそれを回復の糧にしようとしているのだろう、とさ。そしてそれは、《まつろわぬ民》が画策した結果なのだろう、とも言っていた。ならば、王都を襲った災厄も、グワラムを襲った災厄も、根はひとつ――《まつろわぬ民》なる邪教徒のもたらしたものである、ということなのじゃないかな?」
「まいったな……僕が思っていた以上に、君は明敏な人間であるみたいだね……」
「明敏だなんて、とんでもない。ただ、僕も従姉妹に劣らず、好奇心の旺盛な人間であるからさ。耳に入ってくる言葉は、おろそかにしないように心がけているのだよ。それらの言葉が、頭の中で勝手に結びついてくれたようなものなのかな」
「心強い、と言っておくべきなのかな……君みたいな人間を、敵に回したくはないものだよ……」
そう言って、ナーニャはゆっくりとまぶたを閉ざした。
「君とイフィウスには、色々と打ち明けないといけないのかもしれない……でも、しばらく時間をもらえないかな……正直に言って、今は体力の回復につとめたいんだ……」
「もちろんさ。王都に到着するまで、最低でも十日ぐらいはかかるのだろうからね。時間はたっぷり残されていると思うよ」
満足そうに言って、キャメルスは水筒の水を口にした。
イフィウスは虚空を見据えて黙り込んでおり、ゼッドは感情を押し殺した眼差しでナーニャの姿を見守っている。チチアとタウロ=ヨシュは、さきほどから小声でひそかに言葉を交わし合っていた。
この顔ぶれで王都までおもむいたら、いったいどのような騒乱が巻き起こるのか。
そして、ひと足早く王都を目指したメフィラ=ネロは、どこでどのような思いを抱え込んでいるのか。
無力なリヴェルには、何を為すこともかなわないが――たとえどのような運命に見舞われようとも、決してナーニャのそばを離れたりはしない。そのような思いを込めて、リヴェルは火のように熱いナーニャの指先を握りしめた。