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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第八章 再生の道
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Ⅴ-Ⅰ 疑念と希望

2020.1/18 更新分 1/1

 メナ=ファムたちがドエルの砦に到着してから三日目の、黄の月の二十五日である。

 その日の太陽が西に大きく傾いても、何か変転の兆しが訪れることはなかった。


「ああもう、ただ待ってるってのは、性に合わないね! あたしたちは、いつまでこんな場所に閉じこもってりゃあいいんだよ?」


 メナ=ファムはさきほどから、腹を空かせた獣のように部屋の中を歩き回っていた。

 長椅子に座したシルファと、床に敷物を広げたラムルエルは、そんなメナ=ファムの姿を言葉もなく見守っている。黒豹のプルートゥはシルファの膝の頭をもたれながら、静かに午睡を楽しんでいた。


 メナ=ファムたちは、秘密の通路を使ってこのドエルの砦を脱出する計画を立てている。その算段を立ててくれたのは、秘密の部屋に隠れ潜んでいたダックなる男であったのだが――ついにこうして三日目の日が暮れようとしても、決行の合図は届けられなかったのだ。


 あと一日か二日も経てば、ベアルズ大公の率いる五万の軍勢が到着してしまう。そうなっては、王都の軍との全面抗争も回避は難しくなるのだろう。メナ=ファムたちはその前に脱出を果たさなければならないはずであるのだが、ダックは頑なに動こうとしなかった。


「決行の日時は、王都のレイフォン様より指示が出される手はずとなっております……どうかそれまで、お待ちください……」


 つい数刻前にも、ダックはそのように言いたてていた。

 王都のレイフォンという人物は、ダックたちの扱う伝書鳩の情報によって、すべての情勢を見極めようとしているらしい。しかし、その情報とやらを知るすべのないメナ=ファムたちにしてみれば、気が揉めるばかりであったのだった。


(旗本隊の連中は、ギリル=ザザたちがなんとかしてくれるって話だったけど……ゼラドの本隊が到着しちまったら、それだってどうなるかわからないじゃないか。本当に、レイフォンってやつはこの状況をわかっているのかい?)


 メナ=ファムが内心でそのように毒づいたとき、扉が外から叩かれた。

 入室してきたのは、エルヴィルである。ゼラドの兵士によって扉が閉められるのを待ってから、メナ=ファムは荒っぽくそちらに呼びかけた。


「ずいぶんと早いお帰りだったね。もう軍議とやらは終了かい?」


「うむ。どこからか使者が到着するなり、俺だけ追い出されてしまったのだ。おそらくは、ベアルズ大公の率いる本隊のほうで、何か動きがあったのだろうな」


 低くひそめた声で、エルヴィルはそのように応じた。


「タラムス将軍は俺たちのことを警戒しているので、本隊の動きをつぶさには知られたくないのだろう。……あとは、ダックの盗み聞きに期待する他ない」


 軍議というものは、この部屋と同じ階の会議室にて行われている。そして、ダックの潜んでいる秘密の部屋は、そちらにも通じているという話であったのだった。


「この近在の砦の部隊がベアルズ大公の軍勢に攻撃を仕掛けていれば、何日か時間を稼ぐこともできるはずだが……しかし、それは期待できないだろうな。五万ものゼラド軍を相手取れるほどの軍勢は、いずれの砦にも存在しないはずだ」


「それじゃあやっぱり、あたしらの逃げ出す期限は明日か明後日までってことだね。ま、今日の夜にでも逃げだそうって話になるなら、何も文句はないけどさ」


「お前が苛立ってもしかたあるまい。レイフォンというのは知略のほどで知られている男であるから、何らかの考えがあるのだろう」


 厳しい表情を保ちつつ、エルヴィルはわずかに口をほころばせた。


「それに、日が過ぎるというのも悪いことばかりではない。この二日ほどで、俺はおおよその手傷を癒やすことがかなったからな。これならば、梯子でも何でも自力でいくらでも下ってみせよう」


 エルヴィルが笑顔を見せたことによって、シルファは嬉しそうに青灰色の瞳をきらめかせた。

 その姿を横目で見やりつつ、メナ=ファムは「ふん」と腕を組む。


「エルヴィルも、だいぶん覚悟が固まったみたいだね。以前に比べたら、ずいぶんマシな面がまえになってきたと思うよ」


「……俺は今度こそ、進むべき道を見出したからな」


 エルヴィルは目を伏せて、自嘲するように言い捨てた。

 かつてのエルヴィルは復讐心にとらわれて、実の妹を陰謀の道具に仕立てあげてしまったのだ。

 しかし現在のエルヴィルは、そんなシルファを間違った運命から救うために身命を賭すのだと決意している。メナ=ファムにとっては、ようやくエルヴィルが人間らしい心を取り戻してくれたような心地であった。


 それから、二刻ほどが過ぎ――窓から差し込む陽光もずいぶん頼りなくなって、メナ=ファムとラムルエルが手分けをして室内の燭台を灯し始めたとき、部屋の奥にある棚の向こうから低い声が聞こえてきた。


「失礼いたします……お時間を頂戴できますでしょうか……?」


 秘密の部屋に潜んだ、ダックである。

 メナ=ファムは燭台をラムルエルに押しつけて、エルヴィルとともに棚のそばへと駆け寄ることになった。


「隠し扉は閉ざしたまま、失礼いたします……さきほど、王都より伝書が届きました……」


「待て。その前に、お前はさきほどの軍議を最後まで見届けたのか?」


「はい……その内容を王都に伝えましたところ、レイフォン様より返信が届けられたのです……」


 空っぽの棚にぴったりと身を寄せながら、メナ=ファムとエルヴィルは顔を見合わせることになった。


「脱出の決行は、二日後……黄の月の二十七日の夜と定めさせていただきたく思います……」


「二日後? では、ベアルズ大公の率いるゼラド軍が、どこかで停滞しているのだな?」


 すかさずエルヴィルが問い詰めると、「いえ……」という陰気な声が返ってきた。


「五万から成るゼラド軍の本隊は、二日後にグリュドの砦に到着するかと思われます……それと合わせて、脱出を決行することと相成りました……」


「それは、どういうことなのだ? グリュドからこのドエルまでは、せいぜい半日の距離であるのだぞ。それではいっそう、危険が増すばかりではないか」


「わたくしには、なんとも……すべては、レイフォン様のご指示でありますので……」


 これには、メナ=ファムも納得いかなかった。


「ご指示ご指示って、実際に危険にさらされるのは、あたしたちなんだよ? 案内役のあんただって、それは同じことじゃないか。あんたは理由も聞かされないまま、そんな命令に従おうっていうのかい?」


「はい……伝書鴉が運べるのは、ごく小さな書簡でありますため……何もかもを書き記すというのは、困難となりましょう……わたくしは、命令の遂行に力を尽くしたく思います……」


「あたしは、納得いかないね」と、メナ=ファムは言い張った。


「よりにもよって、どうして敵さんが到着するのを待ち受けてから、脱出に取りかからないといけないのさ? あたしも一度信じると決めたからには、あんたたちのことを疑いたくはないけど……まさかそのレイフォンってお人は、わざと脱出に失敗させて、あたしたちをゼラド軍に処刑させるつもりなんじゃないだろうね?」


「滅相もございません……たとえ脱走が失敗に終わろうとも、カノン王子の名を騙る御方だけは、処刑されることもないでしょう……それでは、王都の貴き方々にも利益はないかと存じます……」


「それはそうかもしれないけど、でも、あまりに道理が通らないじゃないか?」


 メナ=ファムが執拗に追及すると、ダックはしばし考え込むように口を閉ざした。


「ただいま、レイフォン様からの文書を確認しておりましたが……そちらには、『混乱に乗じて脱出を果たすべし』と書き記されております……」


「混乱? 混乱って、なんの話さ?」


「そこまでは書き記されておりませんが……レイフォン様には、何かお考えがあるのでしょう……」


 ゼラドの本隊がグリュドの砦に到着して、どうしてドエルの砦の先行部隊が混乱することになるのか。

 そこまで考えて、メナ=ファムははたと思いあたった。


(そうだ……ドンティのやつも、ゼラドの本隊やグリュドの砦のことを気にしてたんだった。ゼラドの本隊がもう数日で到着するって聞いたら、これでいい感じに話がまとまったとか何とか……あいつにも、何か勝ち筋が見えてるってことなのかい?)


 メナ=ファムが考え込んでいる間に、ダックが言葉を重ねていた。


「ゼラド本隊の到着は、遅れることがあっても早まることはないかと思われます……脱出の決行も、そのようにお考えください……では、わたくしは将軍たちの動静を探ってまいりますので、しばし失礼いたします……」


 それきり、ダックの声は聞こえなくなった。

 部屋の中央に戻りながら、エルヴィルはふっと息をつく。


「いまひとつ理解の及ばない話だが、ここはレイフォンを信ずる他あるまい。どのみち、俺たちだけで脱出を果たすことはかなわないのだからな」


「うん……そりゃまあ、そうなんだろうね」


 ぶっきらぼうに答えつつ、メナ=ファムは少しだけ心が軽くなるのを感じていた。

 顔も知らないレイフォンという男ばかりでなく、あのずる賢そうなドンティも何か勝ち筋をつかんでいるというのなら、それは信用してもいいような気がしたのだ。


(何にせよ、あたしは生命を懸けて、シルファを守り抜くだけだ)


 メナ=ファムは、シルファの隣にどかりと座り込んでみせた。

 シルファはとても静かな面持ちで微笑みながら、そんなメナ=ファムの所作を見守ってくれていた。

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