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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第八章 再生の道
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Ⅳ-Ⅰ 出陣

2020.1/11 更新分 1/1

 王都の軍は、街道を南下していた。

 目指すは、ドエルの砦である。まずはそちらの駐屯部隊と合流し、後続の部隊の到着を待ってから、さらに南方に位置するグリュドの砦を目指す手はずになっていた。


「……ダリアス殿、本当に俺なんかを副官に指名しちまってよかったんですかねえ?」


 トトスの車に同乗していたルブスが、皮肉っぽい笑いを含んだ声でそのように問うてくる。

 ルブスは、かつてダーム騎士団の小隊長であった若き武官である。領主トライアスの侍女レィミアの命令によって、ダリアスたちの脱出に協力してくれた立役者だ。ダリアスは新たに編成されたこの第二遠征兵団の団長に任じられることになったので、ルブスを副官に指名させてもらったのだった。


「我々は、すでに進軍を開始しているのだぞ。ここに至って、お前はまだ覚悟が定まっていないのか、ルブスよ?」


「俺の覚悟なんて、この際どうでもいいでしょうよ。問題は、謀反人である俺なんかを十二獅子将の副官なんざに指名することが許されるのかってことですよ」


「謀反人といっても、お前はトライアス殿に告発されたわけでもないからな。そのあたりのことは、きっとレィミアがうまく取りなしてくれたのであろう」


「だけどダリアス殿は、もともと十二獅子将であられたのでしょう? その頃の副官殿を差し置いて、俺なんかがこんな大役をつとめるってのはねえ」


「俺が拝命していたのはルアドラ騎士団長であったし、副官であったルイドはいまだ病床に臥せっている身だ。ならば、すべての事情をわきまえているお前こそが、俺の副官にはもっとも相応しい人間だと考えている」


 そう言って、ダリアスは苦笑を返してみせた。


「のんびり余生を過ごそうとしていたお前には申し訳ないが、どうか俺の力になってくれ。この戦いを終えた後も、決して悪いようにはしないつもりだ」


「そりゃあ、生命にかえてもダリアス殿のお力になれってのが、レィミア様の言いつけでしたからね。こき使われることに異存はありゃしませんが、騎士団の小隊長から兵団の副官に抜擢ってのは、分不相応で恐縮しちまいますよ」


 そんな風に言いたてながら、ルブスは気安く肩をすくめている。まあ、これだけ豪胆な人間であるからこそ、自分のこれまでの人生を簡単に打ち捨てることもできたのだろう。ダリアスとしては、そのふてぶてしさこそが頼もしく感じられたのだった。


「それにしても、たった六人でトトス車を独占するなんて、贅沢な話ですね。これも将軍様の特権ってやつなんですか?」


 ルブスの問いかけに、ダリアスは「そうだな」と応じてみせた。


「本来であれば、護衛の兵卒や従者などを数名ずつ同乗させるものであるのだろうが……気心の知れぬ人間がいては、口に出せない話が多すぎるからな。ディラーム老にお願いして、この人数に絞らせてもらったのだ」


 この車に同乗しているのは、ダリアス、ルブス、ラナ、リッサ、ゼラ、そしてデックという男の六名のみであった。

 デックは聖教団の人間であり、ゼラの側近のひとりである。このたびは、伝書鴉を使って王都と連絡を密にするために、聖教団の人間を同行させることが許されたのだ。ゼラの側近はあと二名ほど存在し、その片方はディラーム老のそばに、もう片方は王都のレイフォンのもとに留まっていた。


「進軍の前にお前の罪が許されたのは何よりだったな、ゼラよ」


 ダリアスがそのように呼びかけると、ゼラは「はい……」とうなずいた。その顔は、外套の頭巾によって隠されてしまっている。


「ひとたびは捨てた生命でございます……王国の正しき行く末のために、一命を賭す所存でございます……」


「お前の覚悟を疑う人間はあるまい。……デックよ、お前の働きにも期待しているぞ」


「は……わたくしは、ゼラ殿にお仕えします身でありますので……」


 ダリアスにとっては、このデックという人物だけが初見の相手であった。

 しかし彼はゼラの側近であると同時に、ダリアスがさんざん世話になったティートの同胞でもあるのだ。そうであれば、その心情を疑う気持ちにもならなかった。


(それに、大聖堂で魂を返したウォッツなる者も、ゼラたちにとってはかけがえのない同胞であったのだろうからな。《まつろわぬ民》を憎む気持ちは、俺たちにも劣らぬはずだ)


 そんな風に考えながら、ダリアスはかたわらのラナを振り返った。


「お前にも世話をかけてしまうな、ラナよ。必ず無事にギムたちのもとまで帰すと誓うので、どうかお前も王国のために力を尽くしてくれ」


 ラナはひそやかに微笑みながら、「はい」とだけ答えた。

 ダリアスの記憶にある通りの、可憐で小さな姿である。しかしその表情には、どこか達観した落ち着きが加えられたような気がしてならなかった。


(ラナは俺などと関わってしまったために、この世ならぬ災厄にいくたびも見舞われることになってしまったからな。本来であれば、城下町の鍛冶屋の娘として、つつましく生きていけるはずであったのに……)


 そのように考えると、ラナのことが不憫でならなくなる。

 しかし、そうであるからこそ、ダリアスは最後までラナを守り抜かなくてはならないのだ。それはダリアスにとって、王国の行く末を守ることと同じ重さを持った使命に他ならなかった。


「……で、こんな場所まで引っ張り出されることになった僕には、ねぎらいの言葉もいただけないのでしょうかね」


 と、座席の隅で書物の頁を繰っていたリッサが、不機嫌そうに言い捨てた。

 ダリアスは苦笑を浮かべつつ、そちらを振り返る。


「もちろん、お前にも感謝しているぞ。ただ、書物を読むのを邪魔しては、申し訳ないかと思ってな」


「そう思うんなら、僕の身柄を『賢者の塔』に返してもらいたかったものですね」


「いや、しかしそれでは――」


「ああ、はいはい。王国の行く末を守るのが、僕のお師匠の願いだっていうのでしょう? そうじゃなかったら、僕だって同行を肯んじたりはしませんでしたよ」


 リッサは、一介の学士である。しかし、孤高の魔術師トゥリハラによって数々の知識を授けられたリッサは、ダリアスたちにとって知略の要となるのだ。これもまた、ダリアスなどと関わってしまった不運を呪ってもらうしかないだろう。


「……余人の耳のないところで、もうひとたび確認しておこう。俺たちは王都の軍の一員として進軍しているが、その本懐は《まつろわぬ民》の陰謀を打ち砕くことにある。場合によっては軍を離脱し、《まつろわぬ民》や妖魅を相手取るという事態も十分にありえるということを、心に留めておいてもらいたい」


 その場にいる全員の姿を見回しながら、ダリアスはそのように宣言してみせた。


「その場合、第二遠征兵団の指揮は副官であるルブスに託されることになる。これは王陛下および総指揮官たるディラーム老にもお許しをいただいていることなので、そのように心置いてくれ」


「了解です。そんな事態に陥らないことを、西方神に祈らせていただきましょう」


「うむ。もちろん、ゼラドの進軍に《まつろわぬ民》が関わっていないという可能性も残されているからな。その場合は、俺も兵団長としての使命を全うするしかない。不明な部分があまりにも多いので、皆も不安な気持ちをぬぐいきれないところであろうが……伝書鴉の力さえあれば、王都のレイフォンたちと連絡を密にすることが可能となる。頭を悩ませるのはそちらに任せて、俺たちは眼前に立ちはだかる苦難の排除に力を尽くすことにしよう」


 ルブスは持ち前の豪胆さでへらへらとしているし、リッサは書物から顔を上げようともしない。なおかつ、ゼラとデックは頭巾で表情を隠しているので、少しでも真剣な様子を見せているのはラナばかりであった。


(まあ、これはこれで心強いということにしておくか)


 どれだけ気を張り詰めようとも、来たるべき苦難が軽減されるわけではない。恐怖や緊張に心を縛られるよりは、泰然としていたほうが功を奏することもあろう。


(ましてや、ルブスを除く者たちは、軍人ですらないのだ。戦のもたらす恐怖や苦難など、なかなか実感することはできなかろうな)


 ダリアスはその場の面々の姿を見回し、最後にラナへと視線を定めた。

 きゅっと口もとを結んでダリアスの言葉を聞いていたラナが、ふっとやわらかい表情になる。まるで、どれだけの苦難が待ちかまえていようとも、ダリアスのそばにあれることこそが、もっとも重要なのだと告げているかのように――その眼差しは、幸福そうだった。


                  ◇


 それから、数刻後のことである。

 王都の南方に位置するヴェヘイム公爵領に差しかかり、本日の道のりもあと半分ほど――といった頃合いで、全軍停止の命令が告げられることになった。


 ディラーム老からの使者に呼ばれて、ダリアスはルブスとともに車を出る。隣の車に陣取っていたはずのディラーム老は、すでに地面に降り立ってダリアスたちを待ちかまえていた。


「ダリアスよ、さっそく王都から伝書が届けられたぞ。どうやらゼラドの軍は、こちらの想定を遥かに上回る勢いで王都に迫っておるようだな」


 ディラーム老の周囲には、副官と護衛の兵士たち、および聖教団のリムという男が立ち並んでいた。王都から飛ばされた伝書鴉が、リムのもとを訪れたのだろう。


「見よ。昨日の夕刻にラッカスを突破したばかりのゼラド軍が、すでに南西の砂漠地帯をも越えて、アシドの砦の防衛線に踏み込んだと、狼煙でそのように告げられたようだ。これでは五日と待たずして、ゼラド軍はグリュドの砦に到達してしまうことになろう」


 ディラーム老は、厳しい面持ちでそのように述べていた。


「これはつまり、ラッカス以北の領地の砦も、まるで防衛の役を果たしていないという証であろう。これは由々しき事態であるぞ、ダリアスよ」


「ええ。やはり偽王子の威光によって、誰もが二の足を踏んでいるのでしょう。王家の貴人に刃を向けることなど、王国の民には許されない所業であるのですからね」


「忌々しきは、ゼラドの黒蛇どもであるな……ダリアスよ、おぬしはどのように考える?」


「はい。我々は、ゼラド軍よりも早急にグリュドの砦に到着しなければなりません。ここは、騎兵隊を先行させるべきではないでしょうか?」


 呑気に荷車を引いていては、ゼラド軍に後れを取る可能性が高い。そして、グリュドの駐屯部隊までもが、偽王子に刃を向けることを忌避したならば、最後の中継拠点たるドエルの砦にまで肉迫されることとなるのだ。


「やはり、そうする他あるまいな。荷車を引かせるトトスを最低限、残すとして……先行部隊は、おおよそ七千ていどとなろう。指揮官は、いずれの千獅子長とするべきであろうか?」


「いえ。指揮官には、俺を任命していただきたく思います」


「なに?」と、ディラーム老は目を剥いた。


「それは確かに、七千もの部隊を率いるのに相応しいのは十二獅子将であろうが……しかし、《まつろわぬ民》の退治という特命を帯びたおぬしが、自ら最前線に向かおうというのか?」


「最前線でなければ、意味はありません。もしも《まつろわぬ民》がゼラド軍への助太刀を考えているならば、最前線に妖魅や邪神が出現する可能性もあるのです。そのような事態に見舞われれば、兵力よりも俺の聖剣が必要とされることでしょう」


 ディラーム老は大いに悩んだが、最終的にはダリアスの提言を受け入れる格好となった。


「では、おぬしを先行部隊の指揮官に任命する。我々は、ドエルの砦にて後続部隊の到着を待つことになろう」


「承知しました。ゼラだけはこちらに同行させ、ダックはディラーム老にお預けいたします。ただちに騎兵隊の編成を致しますので、少々お待ちください」


 そうしてダリアスたちの進軍は、わずか半日で大きな変転を迎えることになった。


(しかし……ロア=ファムなる者が王都を出立して、すでに十日以上が経過しているはずだ。どのような道筋を辿ったとしても、そろそろゼラド軍と接触できる頃合いなのではないだろうか)


 しかし、ゼラド軍は想定以上の勢いで進軍を続けている。これは、いまだにロア=ファムという少年がゼラド軍と接触できていないか――あるいは、ゼラド軍から偽王子を離脱させるという密命に失敗した、という事実を示していた。


(やはり、ゼラドとの戦いは避けられぬのか)


 そんな風に考えながら、ダリアスは兵団の再編成に取りかかった。

 もとよりこの段階では、それほど多くの荷車を引いていたわけではない。戦に必要な物資はすでにヴェヘイム公爵領へと届けられ、明日にでもドエルの砦に移送される手はずとなっていた。


 十個の大隊から成る兵団の、七個大隊を自らの指揮下に置き、三個はディラーム老に託すことになる。先行の騎兵隊は、二名で一頭ずつのトトスにまたがり、必要最低限の水と糧食だけを携えて、グリュドの砦を目指すのだ。グリュドに至るまでには中継の砦が点在しているので、必要な物資はそちらで随時補充しながら、五日以内の到着を目指すかまえであった。


「車に揺られての優雅な旅は、わずか半日で終了ですか。初っ端から、波乱に満ちみちた遠征ですね」


 トトスの準備を終えたルブスは、にやにやと笑いながらリッサを振り返った。


「では、こちらにどうぞ、麗しき学士殿。僭越ながら、小官めが御者をつとめますので」


「……トトスにまたがっていたら、書物も読めないじゃないですか。ようやく尻の痛みがひいたところなのに、またぶり返してしまいますよ」


 リッサはぷりぷりと怒りながら、ルブスの手によってトトスの鞍の上に引き上げられた。ダリアスたちはダームを脱出した際も、そうしてしばらくはトトスにまたがって街道を駆けていたのだった。


「では、俺たちも行くぞ、ラナよ」


 トトスの上からダリアスが手を差しのべると、ラナは「はい」とうなずいてその手を取った。

 やはりその顔に、気後れや怯懦の色はない。多少の緊張をにじませつつも、ラナの瞳にはダリアスに対する信頼と情愛の光が灯されているようだった。

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