Ⅳ-Ⅵ 次なる試練
2019.11/23 更新分 1/1
ダリアスたちが外界に飛び出すなり、銀獅子宮の隠し通路は完全に崩落することになった。
石段も地中に埋まってしまい、再建のために築かれた基礎もあちこちが崩れてしまっている。この場に新たな宮殿を築こうというのなら、再建作業はまた初めからやりなおす他ないことだろう。
しかしそれでも、こちらはひとりの犠牲者も出さずに済んだ。ダリアスたち五名はもちろん、イリテウスの率いていた兵士たちも、無事に脱出することがかなったのだ。
地下通路の入り口に待ちかまえていたディラーム老やイリテウスたちは、安堵の表情で冷や汗をぬぐっていた。
「地下から鳴動が伝わってきたときには、やはり罠であったかと胆が冷えてしまったぞ。《まつろわぬ民》なる邪教徒めは、成敗することがかなったのか?」
「はい。俺がこの手で、斬り捨てました」
ダリアスがそのように答えると、ディラーム老は「そうか」と精悍に笑みをこぼした。
「これですべてが終わったとすることはできんが、首謀者を討ち取ったのならば大きな勝利といえよう。……今後、我々はどうするべきであろうな?」
ディラーム老に呼びかけられると、ティムトに耳打ちされていたレイフォンが顔を上げた。
「とりあえず、地下通路の出口のほうがどのような状態であるか、確認をお願いできますでしょうか? 《まつろわぬ民》は討伐したので危険はないはずですが、地盤が崩れる恐れはありますので、くれぐれもご注意を」
「相分かった。調査の部隊を編成しよう。王陛下へのご報告は……おぬしに任せるべきであろうな、レイフォンよ」
「ええ。そちらは私にお任せください。では、またのちほど」
そうして一行はディラーム老率いる兵団に後の始末を託し、黒羊宮に戻ることになった。
その道すがらで、ダリアスはレイフォンに「おい」と呼びかけてみせる。
「さきほどの話は、どういうことであったのだ? 薬師オロルというのは、すでに魂を返しているという話であったはずだぞ」
「うん。私もまだ理解しきれていないけれど、要するに薬師オロルを名乗っていた《まつろわぬ民》は身代わりを立てて、自分は死んだという風に装っていた、ということなのじゃないかな。『賢者の塔』で発見された薬師オロルの遺骸には首がなかったから、人相あらためもかなわなかったしね」
「首がないのに、その遺骸は薬師オロルだと断じられてしまったのか?」
「うん。発見されたのが本人の部屋だったし、他に姿を消した人間もいなかったから、そのように判じるしかなかったのだろう。……となると、その遺骸はいったいどこの誰だったのだろうね?」
レイフォンが尋ねた相手は、もちろんティムトである。
しかし、聡明なる従者は「さあ」と気のない返事を返していた。
「王都の外から、適当な遺骸を調達してきたのでしょう。背格好の似た人間の首を刎ねて、『賢者の塔』に運び入れたのでしょうね」
「うー、怖気をふるうような話だね! そうまでして、私たちの前から姿をくらましたかった、ということなのかな」
ティムトは、何も答えようとしなかった。
何か、別の案件に頭を悩ませている様子である。
そうして黒羊宮が見えてくると、ティムトは鋭い眼差しでダリアスたちを見回してきた。
「僕とレイフォン様は、このまま王陛下のもとに向かいます。そちらの報告を済ませた後、またいくらかの時間をいただけますでしょうか?」
「当然だな。今後、俺たちが何を為すべきであるのか、それを示してもらいたいものだ」
ティムトはうなずき、レイフォンとともに立ち去っていった。
ダリアスは、クリスフィアやメルセウスたちを振り返る。
「では、俺たちは白牛宮であいつらの帰りを待つことにするか」
もちろん、異論を唱える人間はいなかった。
ただ、誰もが曖昧な表情をしている。少なくとも、敵の首魁を討ち取ったという喜びにひたっている人間はいない。また、ダリアスにしても、それは同じことであった。
「……わたしは何だか、肩透かしを食らったような気分だ」
白牛宮の執務室に到着したのち、そのように心情を吐露したのはクリスフィアであった。
「長きに渡って探し続けてきた敵の首魁を討ち取ったというのに、達成感もへったくれもない。しかもあやつはすべての力を使い果たして、ただの老人のように無力であったようだしな」
すると、長椅子に腰を落ち着けたメルセウスが、クリスフィアに向かって微笑みかけた。
「地下ではいったい、どのようなやりとりが交わされたのでしょう? よければ、僕たちにも説明を願えませんか?」
メルセウスの正面に陣取ったクリスフィアが、その要望に応えることになった。
その間、執務室で主人の帰りを待っていた侍女のフラウが、茶の準備をしてくれる。主人が無事に戻ったことに、フラウは心から安堵している様子であった。
「……ということでな。あやつはさしたる抵抗もなく、ダリアス殿にその首を差し出したというわけだ」
「なるほど。手駒としていた人間はすべて捕縛され、最後の頼みであった蜘蛛神も討伐されたため、少しでも多くの敵を道連れにしようと目論んだ、ということですか。狂信者には相応しい末路といえるかもしれませんね」
すべてを聞き終えたメルセウスは、悠然とした面持ちでそのように言いたてた。
「それに、自分が死んでしまえば前王殺しの真相を明かすことも難しくなる、という考えもあったのでしょうかね。実際のところ、これで審問は行き詰ってしまうのではないでしょうか? 何せ、首謀者である《まつろわぬ民》から証言を引き出すことができなくなってしまったわけですからね」
「そういうややこしい話に関しては、レイフォン殿に一任したく思う。より重要なのは、王国の行く末を守るために、我々がこれから何を為すか、であろう」
仏頂面で、クリスフィアはそのように言い返した。
「《まつろわぬ民》を退治することはできた。次は、何を為すべきであるのだ? 《まつろわぬ民》を退治したというのに、なんだか我々は一歩も前に進めていないように思えてしまうのだ」
「それはやっぱり……カノン王子を保護することではないでしょうか? 王国を守るには、《神の器》なる呪いをかけられたカノン王子をどうにかするしかないのでしょうからね」
「うむ。それに……あやつの捨て台詞も気になるところであるしな」
クリスフィアの目が、ダリアスに向けられてくる。
茶をいれてくれたフラウに礼を言ってから、ダリアスは「うむ」とうなずいてみせた。
「ティムトもあの場で、カノン王子ではない別の《神の器》が王都に迫っているのかと、《まつろわぬ民》に問い質していたな」
「そうだ。グワラムには氷神の御子なるものが出現したらしいとされているのだから、やはりそちらに用心するべきなのであろう」
そう言って、クリスフィアは灰色の瞳を光らせた。
「もしもダリアス殿らがグワラムに向かうことになるならば、わたしも同行を願いたいところだな。グワラムであれば、わたしの故郷からも兵を呼ぶことがかなうはずだ」
「アブーフの軍勢か。そちらにも助力を願えるならば、心強いことだ」
そのように答えてから、ダリアスはかたわらのラナを振り返った。
ラナは心配そうに、ダリアスの顔を見上げている。ダリアスが戦場に向かう際は、ラナにも同行してもらわなくてはならないのだ。
(もっともラナは、自分ではなく俺の身を案じてくれているのだろうがな)
ここは人目があったので、ダリアスは無言のままラナにうなずいてみせた。
ラナはきゅっと唇を結んだまま、ただダリアスを見つめ返してくる。
そうしてクリスフィアがまた何か言いかけたとき、この部屋の主人が戻ってきたことが扉の外の小姓から告げられた。
のんびりと微笑んだレイフォンと、厳しい面持ちをしたティムトが入室してくる。長椅子はすでに満席であったので、レイフォンは執務の卓に据えられている椅子に座し、ティムトそのかたわらに立った。
「前王を弑したと思われる邪教徒が退治されたと聞いて、王陛下はたいそうお喜びであられたよ。のちほど、ダリアスに褒美を取らせたいとのことだ」
「褒美など、どうでもよかろう。王陛下は、本当にこの状況を理解しておられるのか?」
「うん。ここ数日で、あらかたの事実は打ち明けることになってしまったからねえ。だけどまあ、王と我々では見ている光景が異なっているのだろうさ」
苦笑を浮かべるレイフォンのもとに、フラウが茶を運んでいく。それをひと口すすってから、レイフォンは「さて」と身を乗り出した。
「それじゃあ、本題に入ろうか。実は、我々が黒羊宮を離れているわずかな間に、とんでもない事態が勃発してしまってね」
「とんでもない事態? 《まつろわぬ民》を退治できたという話よりも、とんでもない事態なのであろうか?」
クリスフィアのうろんげな問いかけに、レイフォンは「うん」とうなずいた。
「ある意味では、そうかもしれないよ。我々が席を外したすぐ後に、ダックからの使者が到着したそうなんだ」
その言葉でハッと息を呑んだのは、ダリアスとクリスフィアの二名だけであった。
メルセウスは、けげんそうに首を傾げている。
「ダックの砦……名前は聞いた覚えがあるような気がするのですけれど、それは何処の砦であったしょうか?」
「ダックは、北方の砦だよ。王都とグワラムの中間に存在する、北の守りの要のひとつだね」
クリスフィアは焦れた様子で、半ば腰を浮かせていた。
「グワラムにあがった火の手について、何か報告が入ったのであろうか? 我々にとっても、それは聞き逃せぬ話であるはずだぞ、レイフォン殿」
「うん。それがね、こちらの想像を大きく上回る事態であるようなのだよ。……ティムト、説明してもらえるかな?」
ティムトは厳しい表情のまま、「はい」とうなずいた。
その色の淡い瞳には、《まつろわぬ民》と対峙していたときと同等の鋭い眼光がたたえられている。
「グワラムは、再び氷神の御子に襲撃されました。こちらからの要請で、ダベストやタンティから兵を派遣させていたのですが……氷神の御子が率いる妖魅の群れを相手取り、数百名の死者が出たようです」
「やはり……氷神の御子か」
クリスフィアは、自分の手の平に拳を打ちつけた。
「それで、グワラムはどうなったのだ? グワラムにはカノン王子がいるはずだと、ティムトは推測していたのであろう?」
「……使者の口から、カノン王子の名はあがりませんでした。ただし、氷神の御子を退けたのは、炎の魔術を操る白膚症の魔術師であったそうです」
「白膚症ならば、まさしくカノン王子ではないか! カノン王子は、やはり存命であったのだな!」
クリスフィアは快哉をあげたが、ティムトの厳しい表情に変化はない。
それをいぶかしむように、クリスフィアは眉をひそめた。
「どうしたのだ? まさか、カノン王子が氷神の御子との戦いによって、魂を返してしまったわけではなかろうな?」
「いえ。その魔術師は、この世のものとも思えぬ炎の魔術で、氷神の御子を見事に退けたそうです。しかし……その場に新たな魔術師が現れ、西の王都に滅びをもたらすと……そのように宣言したのだという話です」
「新たな魔術師?」と、クリスフィアはいっそう眉を寄せる。
メルセウスもジェイ=シンもホドゥレイル=スドラも、真剣な面持ちでティムトの言葉を聞いていた。
「兵士たちの証言から考えると、それはおそらく新手の《まつろわぬ民》でしょう。氷神の御子が存在するからには、それに《神の器》の術式を施した《まつろわぬ民》が存在するはずです。さきほどダリアス殿に退治された《まつろわぬ民》は、ずっとこの王都でカノン王子に呪いを施していたのでしょうからね」
「ふん。ようやく一人を退治できたかと思えば、また新手か。まあ、倒すべき敵が判然とするのはありがたいことだが」
クリスフィアは、勇猛なる武人の笑みを浮かべた。
「では」と、ダリアスも発言してみせる。
「俺やディラーム老が向かうべきは、ゼラドではなくグワラムか。グワラムを陥落して、カノン王子を保護すればよいのだな?」
しかしティムトは、「いえ」と首を横に振った。
「グワラムは、すでに陥落しました」
「……なに? それは、どういう意味だ? まさか、氷神の御子とやらの襲撃で、マヒュドラ軍は壊滅してしまったのか?」
「壊滅までには至りません。しかし、城壁を破壊されてしまったがために、グワラムは城塞としての機能を失ってしまったのです。マヒュドラ軍はグワラムを捨てて祖国に撤退し、ダベストやタンティの兵士たちが臨時的にグワラムを占拠したとのことです」
「なんだと……」と、クリスフィアが惑乱気味の声をあげた。
「あのグワラムが、一夜にして無力化させられたというのか? 我々が数年に渡って退けられてきたグワラムが、わずか一夜にして……」
アブーフ軍に属するクリスフィアは、グワラムを巡る攻防戦に幾度となく参戦していたのだろう。ダリアスとて、千獅子長の時代は遠征兵団であったので、グワラムに駐屯するマヒュドラ軍の手ごわさは身をもって思い知らされていた。
「よって、王都からはグワラムに軍を進める理由が存在しません。破壊された城壁の修復には、近在の人間を使うしかありませんし……マヒュドラ軍が撤退してしまった以上、進軍の大義名分は失われてしまったのです」
「なるほど。それでティムトは、そのように厳しい顔をしていたわけか」
クリスフィアもまた、ティムトに劣らず厳しい表情になっていた。
「それで、カノン王子はどうなったのだ? 我々にとって肝要なのは、カノン王子の行方であろう。まさか、マヒュドラ軍とともに北の王国に向かってしまったのか?」
「いえ。炎を操る魔術師もまた、行方をくらませてしまいました。新たに現れた魔術師の後を追ったのではないかという話もあがっているようですが……確かなことは、不明であるようです」
そんな風に言ってから、ティムトは何かを振り払うように面を上げた。
「そしてその人物は、カノンではなくナーニャと名乗っていたそうです。氷神の御子よりも、そちらのほうがいっそう恐ろしい存在であるのかもしれない、と……その場に立ちあった兵士たちは、口をそろえてそのように証言しているようです」