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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第七章 糾える運命
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Ⅱ-Ⅵ 変貌

2019.11/9 更新分 1/1

 黄の月の十七日――王都の黒羊宮において、《まつろわぬ民》に関する数々の大罪について、審問が開かれることになった。


 とはいえ、王宮内でも《まつろわぬ民》の名を知る人間は少ない。表面上は、前王殺しとそれにまつわる大罪の審問ということにされている。

 裁かれるのは、ロネック、バウファ、およびロネックとジョルアンの配下であった武官たちである。そしてその末席には、バウファの配下であったゼラの名も連ねられていた。


「まったく、慌ただしい限りだな。ディラーム老やダリアス殿は明日にも出陣かという頃合いであるのに、呑気に審問など開いている場合なのだろうか?」


 白牛宮の執務室にて、クリスフィアがそのようにぼやいてみせると、レイフォンは「まあまあ」と苦笑を浮かべた。


「私たちはすべての真実を見抜いたような心地でいるけれど、審問もせずに断罪することはかなわないのだからね。特に、前王や王太子たちを弑したのは誰であるのかということは、一刻も早くつまびらかにしなくてはならないのだよ」


「それは、つまびらかにできるのであろうか? 前王らを弑したのは、どうせ《まつろわぬ民》なのであろう? だったらまずは、《まつろわぬ民》を討伐することに力を尽くすべきであるように思うのだが」


「その《まつろわぬ民》は、すっかりなりを潜めてしまっているからね。表面上の平穏が保たれている間に、まずは枝葉を剪定しておこう、ということだよ」


 執務室に控えているのは、クリスフィアとフラウ、レイフォンとティムトの四名のみであった。それ以外の同志たちは、おのおの審問に向けての準備があったのだ。

 レイフォンは優雅に茶を楽しんでおり、ティムトは『禁忌の歴史書』に目を通している。ティムトなどはこの数日、働き詰めであるはずだが、こうしてわずかでも時間が空くと、そうして『禁忌の歴史書』に没頭していたのだった。


「それに、新王陛下を説得するためにも、これは必要な行いなのだよ。とにかくカノン王子とヴァルダヌスの両名は潔白であると証明しない限り、それを王国全土に布告することもままならないのだからね」


 レイフォンは、そのように言っていた。

 むろんそれは、ティムトの心情を代弁しているのだろう。ティムトとしては、ゼラドとの戦端が開かれる前に、カノン王子の潔白を証し立てたいと考えている節があった。


(しかし、カノン王子に罪がないとされれば、それを旗頭にしたゼラド軍をいっそう勢いづける危険性もあるはずだ。たとえそれが偽王子だとしても、本物が姿を現さない限りは弾劾することも難しいはずなのだからな)


 クリスフィアはそのようにも思うが、ティムトであればそのていどの事態は想定しているのだろう。ただ、よほど状況が差し迫らない限り、自分の心情を語ろうとしないのが、この聡明なる少年の悪癖であるのだった。


(まあ、わたしたちにそのような話をしても益がない、という判断なのだろうが……あまりひとりで抱え込まずに、周囲の仲間を頼ってほしいものだな)


 クリスフィアがそのように考えたとき、普段とは少し異なる感じで鐘が鳴らされた。審問の刻限が近いことを告げる、予鈴である。


「さあ、時間だね。審問の間に向かおうか」


 レイフォンの号令のもとに、一同は執務室を後にした。

 王都にて審問が開かれるのは、十日ぶりのことである。そうして先の審問ではバウファの罪が暴かれて、なおかつジョルアンが毒殺されることになったのだ。

 このたびの審問も、また大きな異変に見舞われるのかどうか。フラウとともに歩を進めながら、クリスフィアは戦場に向かうような心地であった。


 白牛宮を出て、屋外の通路を進み、黒羊宮に至る。その入り口では、長剣を預けることになった。

 腰に残されるのは、鰐革の鞘に収められた短剣のみである。まさか、王宮のど真ん中に妖魅が出現することはあるまいが、クリスフィアとしてはいっそう心を張り詰めなければならなかった。


 やがて到着した扉をくぐり、審問の間に足を踏み入れる。

 十日前と、同じような光景である。左右の席には王都の高官たちが着席し、奥には王のための席が準備されている。


「それじゃあ、くれぐれも油断なきようにね」


 気安い言葉を残して、レイフォンとティムトは上座のほうに歩を進めていった。レイフォンは、また宰相代理として審問を取り仕切る立場であるのだ。その席は、王の席のかたわらに準備されていた。


 クリスフィアが向かうべきは、左手側に準備された証人用の席である。そこにはダリアスとラナ、ギムとデンの姿もあったので、クリスフィアの緊迫した心をわずかなりとも和ませてくれた。


「ご苦労だな、ダリアス殿。他の皆も、息災なようで何よりだ」


 ダリアスは沈着な面持ちで「うむ」とうなずいたが、他の三名はずいぶん硬い顔をしていた。まあ、王宮などとは縁のなかった身であれば、それも当然なのだろう。フラウのような侍女や従者を除けば、この場にいる人間はすべて王国の支配層なのである。


「おお、リッサもいたのだな」


 ダリアスの長身の陰にその姿を発見し、クリスフィアは笑いかけてみせた。

 しかし、偏屈なる学士の娘は不愛想な顔で「ふん」と鼻を鳴らす。


「好きでこのような場所にいるわけではありませんよ。いつになったら、僕を『賢者の塔』に戻してくれるのでしょうね」


「お前とて、ダームでは不当に拘束された人間のひとりであろうが? フゥライ殿は不在なのだから、それに関してはお前とラナに証言してもらう他ないのだ」


 ダリアスがそのように取りなしても、リッサの仏頂面に変化はなかった。

 彼女も貴族ならぬ身であるが、貴族を畏れるような殊勝さは持ち合わせていないのだ。しかしまた、クリスフィアにとってそれはリッサの美点であった。


 自分の席に腰を落ち着けたクリスフィアは、さらに視線を巡らせる。

 メルセウスは、正面の傍聴の席にいた。隣に控えるのは、ホドゥレイル=スドラである。ジェイ=シンの姿が見えないのは、彼が特別な任務を負っているためであった。


 しばらくすると王の入場が伝えられたため、全員が席を立って迎えることになった。

 王のためだけに設えられた扉から、ベイギルスが姿を現す。そのかたわらに控えているのが、ディラーム老とジェイ=シンに他ならなかった。


 ジェイ=シンは、その腰に聖剣を下げている。この場で帯刀を許されるのは、警護役の人間のみであるのだ。それでジェイ=シンは、王の身を守るために警護役を任命されたのだった。


(やはりティムトは、王の暗殺を警戒しているのだな)


 ただし、ダリアスも聖剣を手放してはいない。布の包みで覆い隠して、胸もとに抱え込んでいるのである。妖魅が出現する可能性は低いとしても、やはり万全を期さないわけにはいかなかったのだった。


(何せ相手は、このような場でジョルアンを毒殺できるような輩であるのだからな。用心のしすぎということはあるまい)


 審問官長によって前口上が述べられたのち、被告人たちが連行されてきた。

 このたびは人数が多いので、広間の中央に被告人のための席も準備されている。ロネックとバウファ、四名の武官たち、そしてゼラで、合計は七名だ。以前のジョルアンとは異なり、その全員が鉄鎖で両手を縛められていた。


「それでは、審問を開始いたしますが……このたびの審問は、きわめて複雑な様相を呈しております。また、大罪に関わった人間の何名かは、すでに魂を返しておりますため、真実を明らかにするには大きな困難をともなうことでしょうが……赤の月の災厄の全貌をつまびらかにするために、各人が力を尽くしていただきたく思います」


 そのように述べてから、審問官長は被告人たちを見回した。


「では、被告人ロネック、前へ」


 兵士たちに腕をつかまれて、まずはロネックが前に立たされた。

 この十日間で、ロネックはげっそりとやつれている。獣のように厳つい顔には血の気が薄く、下半面には無精髭が生えのびており、肉厚の巨体もひとまわり萎んだように感じられた。


 しかし、乱れた前髪から覗く双眸には、手負いの獣じみた眼光が灯されている。

 その目は最初から、レイフォンの姿を執拗にねめつけていた。


「被告人ロネックに対する告発を読みあげます。被告人は、言葉をはさまずに最後までお聞きください」


 審問官長は、感情を殺した声で淡々とロネックの罪状を読みあげた。

 この中で、もっとも重罪の嫌疑がかけられているのは、ロネックである。前王殺しに関しては、自分の知らぬうちに加担していたのだとしても、二名の十二獅子将を謀殺し、グワラム戦役における大敗の原因を作ったというのが真実であれば、王国においてもっとも重い罰が下されるはずだった。


「……罪状は、以上となります。被告人は、罪を認めますでしょうか?」


 審問間長に問われても、ロネックは口を開こうとしなかった。

 ただその目は、食い入るようにレイフォンをにらみ据えている。


「まず第一につまびらかにしたいのは、ルデン元帥およびディザット将軍の謀殺についてです。あなたはそれを、自分の意思で為されたのでしょうか? それとも、何者かの命令に従った結果なのでしょうか?」


「…………」


「あなたがカノン王子の寝所の鍵をバウファ被告人に手渡したのは、これがベイギルス陛下の御意であると偽った薬師オロルの命令であったのではないかとされております。では、グワラムにおける大罪に関しても、やはり薬師オロルからもたらされた命令であったのでしょうか?」


 ロネックは、やはり答えようとしなかった。

 そこでベイギルスが、「ええい!」と焦れたように大きな声をあげる。


「黙っていても、貴様の罪が減じられることはないぞ、ロネックよ! オロルのやつめは、本当に余の命令だと偽って、貴様に大罪を働かせておったのか!?」


 ロネックの目が、ベイギルスのほうにのろのろと向けられる。

 その獣じみた眼光を突きつけられて、ベイギルスはたるんだ顔をわずかに引きつらせた。


「俺は……俺はずっと、王陛下の命令に従っていただけだ。その俺が、どうして罪人扱いされなくてはならないのだ……?」


 やがてロネックは、濁った声でそのような言葉を吐き出した。

 ベイギルスはたちまち顔を紅潮させ、がなり声をあげる。


「よ、余はそのような命令など下してはおらん! オロルのやつめが何者かに誑かされて、余の名を騙っていたに過ぎん!」


「だったらそれは、オロルとかいう薬師めの罪ではないか……俺とて、あやつに誑かされていただけだ……」


「いえ」と、レイフォンが静かに声をあげた。

 その前に、ティムトがこっそりレイフォンに耳打ちしていた場面を、クリスフィアは見逃していなかった。


「そうであったとしても、あなたの罪の大きさに変わりはありません。すでに魂を返した薬師オロルよりも、あなたは大きな罪を犯しているのです」


 ロネックは、またのろのろとレイフォンのほうに首を動かした。

 その双眸には、いっそう熾烈な炎が宿り始めている。


「薬師オロルが、誰に、どのような言葉で誑かされていたのか、それを知るすべはもはやありません。しかし、彼が犯した罪というのは、あなたにエイラの神殿の鍵を手渡して、偽りの命令を伝えたことだけであるはずです。それだけでも、大きな罪にはなることでしょうが……それでもやはり、あなたの罪の大きさとは比較するべくもないのです」


「…………」


「あなたは、王命に従っただけだと仰いましたね。しかし、赤き月の災厄が勃発した当時、ベイギルス王陛下はいまだ王弟殿下に過ぎなかったのです。仮にそれが王弟殿下の密命であったとしても、当時の王であられたカイロス陛下の許しもなく、カノン王子を解放することなど、許されるはずもありません。しかもあなたは、『これで正当な立場を回復できる』と、薬師オロルに伝えられていたのでしょう? それはつまり、カノン王子を脱走させて、カイロス陛下を謀殺させる企みだと理解しながら、悪事に加担したということになります」


「ま、待て、レイフォンよ! 我は決して、そのような命令など下してはおらんぞ!」


 ベイギルスが慌てふためいて声をあげると、レイフォンは穏やかな笑顔でそちらを振り返った。


「もちろん、それはわきまえております。薬師オロルもまた、何者かに誑かされていたか――あるいは、幽閉の憂き身にあっていたカノン王子を不憫に思い、そのような大罪を働いてしまったのでしょう。しかしこのロネックは、それが陛下の命令であったと信じていたのです。そして、たとえそのように信じていたとしても、ロネックの罪が減じられることはないのです」


 それからレイフォンは、ティムトに耳打ちをした。

 ティムトはうなずいて、耳打ちを返す。次に放つべき言葉を託しているのだろう。


「ましてや、ルデン元帥とディザット将軍の謀殺に関しては、弁解の余地も残されてはおりません。たとえそれが誰の命令であっても、当時の王の命令であったとしても、許されるわけがないのです。十二獅子将という身分にある者たちを、何の罪もないままに殺めることなど――ましてや、戦乱のどさくさで謀殺することなど、王国の法が許すわけがないのですからね」


 ロネックは、無言のままである。

 その凄まじい眼光を涼しい顔で受け流しつつ、レイフォンは言葉を重ねた。


「罪をお認めになりますか、被告人ロネック? あなたが両将軍を謀殺したと証言したのは、他ならぬあなたの部下であった者たちです。あなたがその罪を認めないというのなら、どちらが虚言を吐いているものか、この場でつまびらかにするしかないでしょう」


「貴様が……」と、ロネックが地鳴りのごとき声を振り絞った。


「貴様が、俺を破滅させたのだ……何もかもがうまくいっていたのに、貴様が……貴様こそが、俺を絶望の深淵に突き落としたのだ……」


「いいえ。あなたは自ら破滅の道を突き進んだのです。私はただ、その暗がりに明かりを灯したに過ぎません」


「ふざけるな! 俺こそが、王となるべき人間であったのだ!」


 激昂するロネックの両腕を、兵士たちが左右からつかんだ。

 ロネックの巨体から、怒気があふれかえっている。その顔は、凄まじいばかりの憎悪に引き歪んでいた。


「あともう一歩で、俺は玉座をつかむことができたのだ! 貴様さえいなければ……貴様さえいなければ!」


「ば、馬鹿を抜かすな! 貴様なんぞにユリエラを渡す気など、毛頭なかったわ!」


 ベイギルスもまた、ロネックの怒気が伝染したかのようにわめいていた。

 どうやら薬師オロルは――というか、オロルに命令を下していた《まつろわぬ民》は、ロネックに玉座を与えるという餌をちらつかせて、思いのままに操っていたようなのである。それは、ティムトの策謀に掛けられたロネック自身が、ベイギルスの前で語った話であった。


「新たな王に相応しいのは、俺だ……貴様のような優男に、玉座を渡してなるものか! 俺が、俺が王になるのだ!」


「暴れるな! 鞭で打たれたいのか!?」


 ロネックを抑える兵士のひとりが、審問官長を振り返った。


「審問官長、どのように取り計らいましょう?」


「うむ……これでは、審問にならんな。被告人ロネックが落ち着くまで、他の審問を進めることとする。被告人ロネックは、控えの間に」


「承知いたしました。……さあ、こちらに来るのだ!」


 兵士たちは二名がかりでロネックを下がらせようとしたが、その足は根が生えたように動かなかった。

 他の被告人たちを取り囲んでいた兵士たちからも、新たな二名がそちらに近づく。審問の間に居合わせた人々は、ロネックの狂乱にすっかり色めきだっていた。


「いい加減にせよ! 神聖なる審問の場であるぞ!」


「かつて元帥であられた身ならば、恥を知るがよろしい!」


 四名がかりとなった兵士たちが、ロネックを引きずっていこうとする。

 そのとき――ロネックを中心にした人垣の内から、何か硬い音色が響きわたった。


「こ、こやつ、鎖を……?」


 兵士のひとりが、惑乱した声をあげる。

 そして、ロネックを囲んだ四名の兵士たちが、まるで花開くようにばたばたと倒れ込んだ。

 それと同時に、クリスフィアのかたわらにいたダリアスが腰を浮かせる。


「レイフォン! 妖魅の気配だ!」


 言うが早いか、ダリアスは聖剣を包んでいた織物をかなぐり捨てていた。

 聖剣には、妖魅を探知する力も備わっているのだ。


(これは……!)


 内心で息を呑みながら、クリスフィアも短剣をつかんだ。

 広間の中央に立ちはだかったロネックは、明らかに様子が変貌していた。

 背中を丸めて、獣のようにうなり声をあげている。その両手には、引きちぎられた鉄鎖がだらりと垂れていた。


 そして、その顔である。

 ロネックは、世にも醜悪な笑みを浮かべており――そしてその双眸を、青い鬼火のように燃やしていた。


(間違いない。これは、妖魅の気配だ! ロネックは、妖魅に取り憑かれてしまったのか!)


 クリスフィアはこれまでに二度、妖魅と相対したことがある。銀獅子宮の隠し通路に潜んでいた蛇の妖魅と、聖堂の地下に潜んでいた蜘蛛の妖魅である。それらと同質の不吉な気配が、ロネックの巨体から噴きこぼれていたのだった。


「ロネックを、討て!」


 斬撃のように鋭い声が、審問の間に響きわたる。

 驚くべきことに、声の主はレイフォンであった。


 それで我に返った兵士たちが、長剣を抜き放つ。

 ダリアスもそちらに駆け寄ろうとしていたが、惑乱する人々によって道をふさがれてしまっていた。


『グゲゲ』と、ロネックが――あるいは、かつてロネックであったものが、奇怪な笑い声を響かせる。

 兵士のひとりが長剣を繰り出したが、ロネックは獣のような敏捷さでそれを回避した。

 そして、のばした右手で兵士の顔面をかきむしる。兵士は絶叫をあげて、その場にうずくまった。


「ジェイ=シン! 陛下を安全な場所に!」


「わかっているが、こやつが動いてくれないのだ!」


 ベイギルスは腰を抜かしてしまったようで、人間離れした膂力を持つジェイ=シンでも、おいそれとは動かせない様子であった。

 そうと見て取って、レイフォンが新たな命令を下す。


「そいつは危険だ! 剣ではなく、槍で応戦せよ!」


 壁際に控えていた兵士たちが、弾かれたような勢いでロネックのもとに殺到する。

 その槍の一本が、ロネックの右肩を刺し貫いた。

 噴きこぼれたのは、赤い鮮血ならぬ漆黒の粘液である。


 絶叫をあげるロネックの巨体に、さらなる穂先が繰り出される。

 ロネックの首と右胸に、鋼の穂先が深々と突きたてられた。

 粘液が、ロネックの巨体を黒く染めあげていく。人々は悲鳴をあげ、女人の何名かは失神してしまったようだった。


「気を抜くな! そやつはまだ、絶命しておらん!」


 ようやく人混みをかきわけて、広間の中央に躍り出たダリアスが、そのように声をあげた。

 それと同時に、ロネックが竜巻のように身をよじる。槍を握っていた三名は、それであっけなく吹き飛ばされることになった。


「おのれ!」


 ダリアスが、鞘から抜いた聖剣を繰り出した。

 ロネックは、地を蹴って跳躍する。

 ダリアスの聖剣は、ロネックの背中をざっくりとえぐっていた。

 漆黒の粘液を尾のように引きながら、ロネックは虚空を飛来する。

 その行く先は――ジェイ=シンに守られたベイギルスのもとではなく、徒手空拳であるレイフォンとティムトのもとであった。


 濁った雄叫びとともに、ロネックが右腕を振り下ろす。

 鉤爪のように曲げられたその指先は、ティムトを狙っていた。

 立ちすくむティムトの頭部が、それに搔きむしられるかに見えた瞬間――横からのばれたレイフォンの手が、ロネックの丸太のごとき腕をつかんでいた。


 そうしてレイフォンが身体をひねると、ロネックの巨体は突進の勢いのままに宙で一回転をして、石造りの床に叩きつけられる。

 徒手の格闘術を習得しているレイフォンは、以前もこうしてロネックを投げ飛ばしことがあったのだ。


 仰向けに倒れたロネックの左胸に、すかさずジェイ=シンの聖剣が振り下ろされる。

 心臓をつらぬかれたロネックは、耳をふさぎたくなるような絶叫をほとばしらせた。

 そしてそののちに、黒い泡をごぼごぼと吐きながら、怨嗟の声を振り絞る。


『おのれ……貴様さえいなければ、西の王都を混沌の渦に叩き込むことがかなったものを……』


 青く爛々と輝くロネックの双眸が、レイフォンやジェイ=シンではなく、ティムトをねめつけている。

 その声は、ロネックではない老人の声音であった。


『貴様の忌まわしき聡明さが、我の計略を台無しにしてくれたのだ……貴様の魂を、末代まで呪ってくれよう……大神は、決して貴様の罪を忘れぬぞ……』


「ティムトに罪などあるわけがない。大神に裁かれるべきは君たちだよ、《まつろわぬ民》とやら」


 ティムトを庇うように進み出たレイフォンが、強い調子でそのように応じた。


「しかしまさか、王宮の真ん中にまで妖魅を出現させることができるとはね。せっかく聖堂を守ったのに、加護の力がほころびてしまったのかな」


『そのように涼しい顔をしていられるのも、いまのうちだ……石の都の住人に、災いあれ……』


 最後に粘液の塊を吐いて、ロネックは動かなくなった。

 ティムトの肩にそっと手を置きながら、レイフォンは周囲に視線を巡らせる。


「被告人ロネックは、魔術師の手によって妖魅と化してしまったようです。もう危険なことはないでしょうが、この遺骸は取り急ぎ、火で焼き清めることにしましょう」


 クリスフィアはフラウに「ここを動くなよ」と言い置いて、レイフォンのもとに向かうことにした。

 ダリアスは、すでにレイフォンのもとに駆けつけている。そうしてクリスフィアが到着するなり、ジェイ=シンが厳しい声をあげた。


「おい、《まつろわぬ民》の居場所がわかったぞ」


「え? それはどういうことだい、ジェイ=シン?」


「俺にもよくわからんが、こやつの心臓に聖剣を突きたてた瞬間、感じ取れたのだ。こやつを操っていた魔術師めは、かつて俺たちが蛇の妖魅を相手取った場所に潜んでいる」


 それはつまり、再建工事が中断されたままである、銀獅子宮の地下通路ということであった。

 ティムトの肩に手を置いたまま、レイフォンはけげんそうに首を傾げている。


「それは、どういうことだろう? 聖剣には、そんな便利な力もあるのかな?」


「俺が知るわけはなかろう。俺はただ、この身に感じたことを告げただけだ。信じないのなら、それでかまわん」


「いや、信じないわけではないけれど……」


 レイフォンは迷うように、ティムトの顔を覗き込んだ。

 青い顔をしていたティムトは、恐怖や動揺を振り払うように頭を振ってから、いつも通りの沈着な声で答える。


「何にせよ、その真偽を確認せぬまま放ってはおけないでしょう。《まつろわぬ民》を始末できるなら、その機会を逃すわけにはいきません」


 ティムトの顔は気の毒なぐらい青ざめてしまっていたが、その表情に迷いはなかった。

 そうしてその日の審問も、大きな異変によって中断を余儀なくされてしまったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] レイフォンの昼行灯だけど無力じゃないところがいい。
[一言] レイフォンー!! かっこいいところを見せてくれた。
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