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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第七章 糾える運命
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Ⅴ-Ⅴ 王都よりの使者

2019.10/26 更新分 1/1

 ドルエの砦の一室において、メナ=ファムたちは思いも寄らぬ事態に見舞われることになった。

 メナ=ファムとシルファとラムルエルの三名で密談していたところで、いきなり棚の裏から謎の人物が出現したのである。


 黒い頭巾と外套で人相を隠したその人物は、毒の吹き矢とやらをかまえながら、メナ=ファムたちと相対していた。

 メナ=ファムが見たところ、決して荒事を生業にしている人間ではない。そういう人間は、気配でわかるものであるのだ。背丈は小さめで体格にも恵まれていないようだし、本来であれば何も恐れるような相手ではなかった。


 しかし、毒の武器というのは厄介だ。

 シルファを背後にかばいながら、メナ=ファムは押し殺した声で問うてみた。


「わからないね。王都からの使いって、いったいどういうことなのさ? それに、聖教団……? あたしは聞いたこともないけれど、そいつはどういう集まりなんだい?」


「聖教団とは、西方神の教えを民に説くことを使命としております……また、神事や祭事、貴き方々の婚儀や葬儀などにも、力を添えさせていただいております……」


 まだそれほど年を食っている様子ではないのに、陰気な声音である。

 メナ=ファムとしては、不審がつのるいっぽうであった。


「ますますわからないね。そんな連中が、どうして王都からの使いとして、そんな場所に隠れてなきゃいけないのさ? 話を聞く限り、戦なんかとはもっとも縁遠い連中みたいじゃないか」


「はい……わたくしどもはヴェヘイム公爵家の第一子息レイフォン様の要請により、王都の軍と行動をともにしておりました……」


 聞き覚えのあるその名前に、メナ=ファムは息を呑むことになった。

 それは、ロア=ファムやギリル=ザザたちをシルファのもとに遣わしてきた人物の名であったのだ。


「だったら……あんたはいったい、どういう目的であたしらの前に姿を現したってんだい?」


 腰の刀に手を添えたまま、メナ=ファムは低く問いかける。

 吹き矢の筒を口にあてがったまま、男は「はい……」とうなずいた。


「わたくしは、あなたがたをゼラド軍より離脱させるために、この場に居残ることと相成りました……ですから、最初にうかがわせていただいたのです……あなたがたは、レイフォン様のご提案を受け入れて、ゼラド軍から離脱する意思をお持ちでありましょうか……? あるいはこのまま、ゼラド軍と運命をともにするおつもりなのでしょうか……?」


 メナ=ファムは、しきりに頭を巡らせた。

 まだこの男を信じていいものかどうか、判断を下せなかったのである。


「ちょっと待ちなよ。あんたがそのレイフォンとかいうお人のお仲間だって証拠はあるのかい? そいつがあるなら、是非とも拝見させてもらいたいもんだねえ」


「証拠……何をもって、証拠とさせていただくべきでありましょうか……?」


「知らないよ。それぐらい、自分で考えてほしいもんだねえ」


 男はしばらく沈思してから、やがて言いたてた。


「わたくしは、いちおうすべての経緯をレイフォン様から聞き及んでおります……あなたは自由開拓民、シャーリの民たるメナ=ファム様でございましょうか……?」


「だったら、何だっていうんだい?」


「あなたの弟君たるロア=ファム殿が、志半ばにして倒られたことは、わたくしもうかがっております……妖魅の襲撃によって深手を負われた弟君は、ナッツの宿場町に留まることになり……レイフォン様の腹心たるドンティ様、および森辺の民たるギリル=ザザ様のみが、あなたのもとに向かわれたのでございましょう……? その両名様は、無事にあなたとお会いすることがかなったのでしょうか……?」


 メナ=ファムは、再び息を呑むことになった。

 男は同じ体勢のまま、身じろぎもしていない。


「もしもあなたが、いまだ両名様とお会いできていないのでしたら、わたくしの言葉を危ぶむのも当然でありましょう……我々はこの戦乱を治めるために、あなたがたをゼラド軍からお救いしたいと願っているのです……」


「いや、もういいよ。ロアの名前を知っている以上、少なくともこれはゼラドの連中が仕掛けた罠ではないってこった」


 用心深く、メナ=ファムはそのように言ってみせた。


「それで? あんたはいったいどうやって、あたしたちをこの場所から救い出そうっていうんだい? 部屋の外には、ゼラドの兵どもがうじゃうじゃひしめいてるんだよ?」


「はい……皆様がこちらの執務室をあてがわれたのは、僥倖でございました……こちらには、隠し通路が準備されているのです……」


「隠し通路? って言っても、ここは馬鹿でかい建物の最上階じゃないか。どうやったって、逃げようがないだろ?」


「いえ……あちらの隠し部屋には、階下から地下まで通ずる梯子が準備されているのです……砦を包囲されたとき、貴き方々が難を逃れるための設備であるとのことで……」


「それはまた、ずいぶん便利なもんが隠されてたもんだねえ。あたしらがたまたま案内されたこの部屋に、たまたまそんなもんが準備されてたってのかい?」


「たまたま……と申すべきでしょうか……あちらの隠し部屋は、すべての高官用の執務室と繋がっているのでございます……なおかつ、この砦に高官用の執務室というのは、三部屋しか存在しませんため……ゼラド軍に第四王子を王族として遇する気持ちがあれば、そこが寝所と定められる公算が高い、と……わたくしはそのようにうかがっております……」


「では――」と、ラムルエルがふいに声をあげた。


「もしかして、そのために、砦、無人、したのでしょうか?」


 男は、「はい……」と小さくうなずいた。


「グリュドの砦が突破されたとの報を受け、王都の軍はこのドルエの砦から撤退したのでございます……すべては、このドルエの砦を速やかにゼラド軍へと受け渡すための算段でありました……」


「そいつはずいぶんと、大胆な真似をしたもんだねえ。ここから王都は、もう目と鼻の先なんだろう? 王子殿下をゼラド軍から引き離すためだけに、王都を危険にさらそうっていうのかい?」


「第四王子カノンを名乗っておられる御方さえ、ゼラド軍から引き離すことがかなえば……ゼラド軍は、大義を失います……さすれば、戦乱を治めるのは難しくないと……レイフォン様は、そのように考えておられるご様子でございます……」


「ふうん? 王都を目の前にして、ゼラドの連中がすごすご引き返すってのかい? そいつはずいぶんと、頼りない話に聞こえるねえ」


「そうなのでございましょうか……戦に疎いわたくしなどには、わかりかねます……」


 メナ=ファムとて、戦争については何の知識も持ちあわせていなかった。

 ただ、数万から成る軍勢が、このまま何の成果もなく引き返すとは考えにくい。ゼラドはこれまで、なんの大義はなくとも王都に戦を仕掛けていた、という話であったのだ。


(だけど……そんなあたしが考えつくようなことを、王都の連中が考えないわけはないよな。何かしら、ゼラドを追い返す算段が立ってるってことなのかねえ)


 メナ=ファムは、深く思い悩むことになった。

 が、メナ=ファムひとりで解き明かせるような問題とは思えなかった。


「まあいいさ。どっちみち、エルヴィルを置いて逃げ出すことはできないからね。あんたの話が信用できるかどうか、こっちでも相談させてもらうよ」


「もちろんでございます……それに、ドンティ様とギリル=ザザ様も、首尾よくゼラド軍に潜伏することがかなったのでございましょうか……?」


 メナ=ファムは迷ったが、正直に「まあね」と答えておくことにした。

 男は「左様でございますか……」とひとつうなずく。


「では、決行の日取りに関してはこれから吟味いたしますので……それまでにドンティ様とギリル=ザザ様もこの部屋にお招きできるように、そちらで手配していただけますでしょうか……?」


「決行の日取り? そりゃあギリル=ザザたちだって、置いていくことはできないだろうけど……でも、そんなのんびりはしてられないだろ? ゼラド軍が王都に進軍し始めたら、一大事じゃないか」


「その心配は、無用だと……わたくしは、レイフォン様から聞き及んでおります……」


「どうしてさ? そんな言葉だけじゃあ、こっちは納得できないね」


 男は細い身体をわずかに揺すってから、言葉を重ねた。


「わたくしも、詳しくは聞いておりません……ただ、グリュドの砦に控えた王都の軍を放置して、これ以上の進軍はできぬはずだと……そのようにうかがっております……」


 その名を聞いて、メナ=ファムの脳裏におぞましい妖魅の姿が蘇った。


「そのグリュドの砦は、戦どころの騒ぎじゃないはずだよ。あの場所には――」


「猫神アメルィアが顕現したのでございますね……まことに恐ろしき話でございます……」


 今度こそ、メナ=ファムは愕然とすることになった。


「こんな場所に閉じこもってたあんたが、どうしてそんな話を知ってるのさ? あんたは、まさか……あの妖魅どものお仲間なんじゃないだろうね?」


「とんでもございません……わたくしは、伝書鴉によってその旨を伝えられたのでございます……」


「……伝書鴉?」


「はい……わたくしどもは鴉を操り、文書を交わすすべを体得しているのです……その報告によって、こちらの砦の部隊は東西の砦に撤退することと相成ったのです……」


 メナ=ファムは、ばりばりと頭をかきむしった。


「駄目だ。あたしのお粗末な頭じゃ、ついていけそうにないね。……ねえ、あんた。ちょいとお顔を拝見させてもらえないかい?」


「は……顔でございますか……?」


「ああ。あんたっていう人間を信用できるかどうか、目を見て話して決めさせてもらいたいんだよ」


 男はいくぶん戸惑う様子を見せたが、それでも吹き矢をかまえているのとは逆の手で頭巾をはねのけた。

 予想以上に若い顔が、あらわになる。ずいぶん痩せこけているが、茶色の髪と瞳をした、どこにでもいそうな西の民である。


「……あんた、名前はなんていうんだい?」


「わたくしは、デックと申します……聖教団の祓魔官であられたゼラ様の配下にてございます……」


 デックと名乗ったその若者は、声の印象よりも遥かに真剣な面持ちであった。

 吹き矢はメナ=ファムに狙いを定めたまま、ぴくりとも動かない。そこには、大志のためならば人を殺めることも厭わないという覚悟が感じられた。


「……デック、あんたは何のために、こんな無茶な仕事を引き受けたんだい? ゼラドの軍が押し寄せる砦にたったひとりで居残るなんて、生半可な覚悟じゃつとまらない仕事だろ?」


「は……わたくしは、王国の行く末を守るために尽力せよと申しつけられておりますが……それよりも、主人たるゼラ様と聖教団の同胞のために、この身を捧げる覚悟でございます……」


「同胞? あんたの同胞も、何かこの騒ぎに関わってるってのかい?」


「はい……同胞のひとりは叛逆者の凶刃によって深手を負い、もうひとりは……妖魅に襲われ、魂を返すこととなりました……」


 デックの瞳に、無念の光が閃いた。


「わたくしのような卑小の身に、貴き方々の大志を理解することは難しいのでしょうが……同胞の魂の安息のために身命を懸けることは、難しくありません……」


「ふうん。狩人でも兵士でもない人間の中にも、そんな肚の据わったやつはいるんだね。石の都の人間なんて、おおかたは自分のことばかり考えてるんだろうと思ってたよ」


 薄く笑って、メナ=ファムは剣の柄から手を離した。


「わかった。後のことは、エルヴィルと一緒に決めさせてもらうよ。ていうか、あんた自身がエルヴィルと語らってもらいたいもんだねえ」


「もちろん、そのように取り計らせていただきますが……くれぐれも、ご用心を。敵は、どこに潜んでいるとも知れませんので……」


「敵って、ゼラドの連中のことかい? だったら、この扉の向こうにもうじゃうじゃいるはずだけどね」


「いえ……レイフォン様いわく、ゼラド軍などは自分たちが何に踊らされているかにも気づいていない、あわれな傀儡に過ぎぬという話であるたのです……」


 デックの面が、いっそう厳しく引き締まった。


「真の敵は、妖魅を操る《まつろわぬ民》……王国を滅ぼさんとする、許されざるべき背信者どもとなります……どうぞ、ご用心を……」


「《まつろわぬ民》? なんだい、そりゃ?」


「詳しくは、またいずれ……どうやら本日は、ここまでであるようです……」


 デックは音もなく後ずさると、壁に空いた黒い穴の中に消えた。

 そして、巨大な棚がするすると横移動して、その穴を隠してしまう。それこそ、魔法のような手管であった。


「うーん、なんだか夢でも見てたような心地だねえ」


 メナ=ファムがそのようにつぶやいたとき、部屋の扉が外から叩かれた。

 返事をするよりも早く扉が開かれて、エルヴィルが入室してくる。扉は外の人間によって閉ざされて、聞こえよがしに鍵を掛けられた。


「よお、お疲れさん。怪我の具合は大丈夫かい?」


「俺の怪我など、どうでもいい。それよりも、驚くべき話を聞かされた」


「ふうん。それだったら、あたしらも決して負けてないだろうけどねえ」


 エルヴィルはいぶかしげに眉をひそめながら、メナ=ファムたちのもとに近づいてきた。


「なんの話かわからぬが、まずは俺の話を聞くがいい。これは、今後の俺たちの動向にも関わってくる話であるはずだ」


「なんでもいいけど、そんなでかい声で喋っちまっていいのかい?」


 エルヴィルは首を振りながら、長椅子に座するシルファの隣に腰を下ろした。


「ここは、将軍や副官のための執務室であるのだぞ? 伝声管など仕込まれているはずもないし、たとえ仕込まれていたとしても、ゼラドの人間に知るすべはない」


「ああ、そうかい。ずっと声をひそめてたのに、まったくの無駄骨だったってことだね。……それであんたは、何を聞かされたってんだい? ゼラドのお偉いさんたちと、軍議とかいうやつに励んでたんだろ?」


「うむ」と、エルヴィルは居住まいを正した。


「これは、きわめて厄介な話となる。俺たちも、よくよく考えて今後の行動を定めねば、身の破滅を招くことになろう」


「念の入った前置きだね。いったい、何だってのさ?」


「……この公子たちの率いる軍に続いて、ベアルズ大公の率いる一軍が、数日遅れでこちらに迫っているというのだ」


 エルヴィルは真剣きわまりない面持ちであったが、メナ=ファムにはあまりピンとこなかった。


「そいつが、どうかしたってのかい? あんな頼りないふとっちょどもには任せておけなくて、父親が出張ってきたってことだろう? あんただって、あの欲深そうな大公様が馬鹿息子どもにゼラドの命運を預けるはずがないとか言ってなかったっけ?」


「それはそうだが、問題は兵の数だ。俺はこれまで、この軍の正確な規模さえ知らされていなかったのだが……王都を目前にして、ついにそれを明かされることとなった」


 手負いの獣のごとく双眸を燃やしながら、エルヴィルはそう言った。


「このドルエの砦に収容された軍の兵力は三万で、ベアルズ大公の率いる一軍は五万となる。これは、王都におけるすべての兵団と騎士団の総力と同数であるのだ」


「ふうん? 三万だの五万だの、あたしには想像することも難しい数字だけど……それが厄介だってんだね?」


「当然だ。それはゼラド軍にとっても総力であるはずなのだからな。まさか、オータムの都を空にしてまで、そのような兵力を注ぎ込もうとは……ベアルズ大公はこのたびの戦で、何としてでも王都を占拠しようという覚悟であるのだろう」


 世事に疎いメナ=ファムには、やはりエルヴィルの危機感を理解することは難しかった。

 しかしまた、戦の規模が大きければ大きいほど、シルファの立場が危うくなるということは理解できる。何せこの戦のきっかけは、第四王子の名を騙ったシルファの存在であるのだ。


(王都のレイフォンってお人は、新手の軍が迫ってるってこともきちんとわきまえているのかねえ。もしもそのお人が、とんでもないボンクラだとしたら……あたしらも、相当厄介な状況になっちまいそうだ)


 そんな風に考えながら、メナ=ファムはシルファのほうを振り返った。

 シルファは青ざめた面持ちで、エルヴィルの言葉を聞いている。


(ま……何があろうとも、あたしは最後まであんたと一緒だよ、シルファ)


 そうしてメナ=ファムは、さきほどの一件をエルヴィルに伝えることにした。

 どのような結末になるにしろ、決着の刻は近い――メナ=ファムは、本能でその事実を直観していた。

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