Ⅲ-Ⅴ 旧交
2019.10/12 更新分 1/1
・台風の影響次第で、次回の更新は遅延するかもしれません。
ダリアスが王都に帰還してから、五日目――黄の月の十三日のことである。
「レイフォン、失礼するぞ」
小姓の案内でレイフォンの執務室に踏み込んできたのは、ダリアスその人であった。
執務の卓でぼんやりと茶を楽しんでいたレイフォンは、「やあ」と気安く応じてみせる。
「どうしたんだい、ダリアス? 軍の再編成で、何か問題でも起きたのかな?」
「いや、そちらは順調だ。俺などが口出しをするまでもなく、ディラーム老がすべていいように取り計らってくれているからな」
長椅子のほうまで歩を進めてきたダリアスは、そこに先客がいることに気づいて、「おお」と口もとをほころばせた。
「お前もいたのだな、ゼラよ。お前は暗殺者のように気配が薄いのだから、いるならいると声をあげるべきだと思うぞ」
ゼラは「いえ……」と曖昧な表情で首を振った。以前のように頭巾をかぶっていれば陰気な印象が強まっていたところであろうが、いまは困惑気味の顔が剥き出しにされていたので、レイフォンとしては微笑ましく感じなくもなかった。
いっぽうダリアスは、とても打ち解けた感じでゼラの姿を見やっている。実のところ、レイフォンたちの一派で誰よりも早くゼラと顔をあわせていたのは、このダリアスであったのだ。それを伝聞でしか知らないレイフォンにとっては、ダリアスがこのようにゼラと打ち解けた姿を見せるのはずいぶん奇妙な心地であったが、しかし両者の間に確かな絆が存在するならば、それに越したことはなかった。
「何か策謀を練っている最中であったのか? それならば、邪魔をしてしまって悪かったな」
ダリアスがそのように言いたてたので、レイフォンは「いや」と首を横に振ってみせる。
「私たちは、のんびりお茶を楽しんでいただけだよ。策謀を練るのは、ティムトにまかせきりだからね」
レイフォンの知略の根源がティムトであるということは、つい先日ダリアスにも打ち明けていた。クリスフィアに、しつこくそうするようにせがまれた結果である。
「では、そのティムトはどこに行ったのだ? お前たちが別行動とは珍しいではないか」
「ティムトは寝所にこもっているだけだよ。王陛下をどのように説得するべきか、ひとりで静かに思案したいのだそうだ」
「王陛下か。それはまあ、王陛下にしてみても、そう簡単に肯んじることはできまいな」
前王や王太子らの暗殺を企てたのは《まつろわぬ民》なる邪神教団の一派であり、カノン王子に罪はなかった――その事実を王国中に布告するべきだと、レイフォンたちは新王ベイギルスを説得しているさなかなのである。
「王陛下は、やはりカノン王子に玉座を奪われてしまうのではないかというご懸念を抱いておられるようだね。王位継承権の剥奪まで取り消す必要はない、と言っているのだけれども、それでも安心はできないようだ」
「それはそうだろう。欲深い人間というものは、他者も同じぐらい欲深であると考えてしまうものなのだろうからな」
「おや、王陛下に対して、ずいぶん不敬な物言いじゃないか」
「このような場でぐらい、本音で語ることを許してくれ。普段は大人しく口をつぐんでいるのだからな」
ダリアスは苦笑を浮かべながら、ゼラの隣に腰を下ろした。
それと入れ違いに、レイフォンは立ち上がる。
「まあ、無聊をかこつているなら、ゆっくりしていくといい。いま、茶の準備をするからね」
「相変わらず、自分で茶などをいれているのか。お前に付く侍女や小姓は楽で助かるな」
ダリアスの軽口を聞きながら、レイフォンは茶の準備をした。
両者が縁を結んだのは、三年ほど前のことである。王都で行われた闘技会において、ダリアスが三位の座を獲得し、銀獅子宮の祝賀会に参席することになったのだ。当時のダリアスは千獅子長であったが、若年ながらも見事な騎士であるとされ、将来を嘱望されていた。
その後はダリアスも祝宴に参席する機会が増え、レイフォンと絆を深めていくことになった。友、と呼べるほど強い絆ではないかもしれないが、まあ気安い関係であることに違いはないだろう。レイフォンをお前呼ばわりする人間は、宮廷内にそう多くはなかった。
「しかし、王都で一番の知略家と言われていたお前が、まさか獅子の威を借る鼠だったとはな。俺もすっかり、騙されていたということか」
背後から、ダリアスの声が聞こえてくる。
レイフォンを責めるのではなく、からかうような口調である。よってレイフォンも、気軽に言葉を返すことができた。
「私はべつだん、君を騙したつもりなどないよ。王都で一番の知略家でござい、なんて自己紹介した覚えはないからね」
「しかし、宮廷内では誰もがそのように信じているだろう。その疑いを解かぬままでいるのだから、やはり責任はお前にあるはずだ」
「しかたがないさ。何せティムトは、人の注目を集めることを嫌っているからね」
黒くて苦いギギの茶をいれたレイフォンは、それを盆にのせてダリアスたちのもとに戻った。この五日間で、足腰の負傷はすっかり癒えている。
「ゼラ殿も、新しい茶をどうぞ。……それで? 今日の君は、私の欺瞞を弾劾しにやってきたということのかな?」
「そうではない。急いで為すこともなかったので、お前と少し腰を据えて語らいたかったのだ」
そのように言ってからギギの茶に口をつけたダリアスは、「苦いな」と顔をしかめた。
「ギギの茶は苦手かい? こちらに砂糖を準備しているから、必要なら使いたまえ。……で、私と何を語らいたいのかな?」
「現在の、この状況についてだ。《まつろわぬ民》もすっかり、なりを潜めてしまったが……これは、お前の賢い従者の予測通りの状況であるのか?」
「ある意味では、そうなのかもしれないね。カノン王子に罪がないと王国中に布告を回されるのは、《まつろわぬ民》にとっても見逃せない話であるので、必ず横槍が入るはずだと言っていたけれど――現状において、我々は王陛下を説得できていない。これでは《まつろわぬ民》も、わざわざ邪魔立てをする甲斐もないのじゃないのかな」
「しかし、ゼラドもグワラムも静まりかえったままではないか。何か騒動が起きればいいなどと考えているわけではないが、これでは肩透かしを食わされたような心地だぞ」
「うん。この王都だってあれだけ騒がしかったのに、ダリアスが戻ってくるなり、ぴたりと静かになってしまったからね。案外、ダリアスの威光が《まつろわぬ民》を怯ませているのかな」
「茶化すな」と、ダリアスはまた顔をしかめた。
彼は武人らしく、一本気な性格であるのだ。なおかつ、《まつろわぬ民》に対しては強い敵対心を抱いているので、この束の間の休息を楽しむ気にもなれないのだろう。
「でも、意外と的外れではないかもしれないよ。ダリアスとジェイ=シンは、それぞれが邪神を退治できるほどの力を持っているんだからね。ティムトの言う通り、《まつろわぬ民》がすべての手駒を使い果たしているのなら、手出しのしようがないのかもしれない」
「それならそれで、こちらも次の手を進めたいものだな。あのように悪辣な《まつろわぬ民》が野放しにされているというだけで、俺は落ち着かぬのだ」
そんな風に言ってから、ダリアスはかたわらのゼラを振り返った。
「それに、お前もな。お前は何も罪など犯していないのだから、いつまでもそのような姿をさらす必要はないはずだ」
ゼラの手は、鉄鎖で縛められている。鉄鎖の長さにはゆとりがあるので、生活するのに不自由はなかろうが、それでもやはり囚人の身なのである。
ゼラはダリアスの長身を見上げながら、また曖昧な顔で首を振った。
「わたくしは、真実を隠しておりました……それだけでも、立派な罪人でありましょう……それがどれほどの重さであるかは、審問を待ちたく思います……」
「審問、か。そちらも準備を進めているのであろうな?」
「うん。ダームにも、例の衛兵たちを送還するように通達したからね。その到着を待って、いよいよ審問が始められるはずだ」
それは、大罪人たるバウファおよびロネックの罪を見定めるための審問であった。
現在は、バウファの配下である聖教団の人間や、ロネックの配下である武官たちに尋問をして、証拠を固めているさなかである。ダームから送還されてくるのは、ジョルアンの配下たる防衛兵団の兵士たちであった。
「ゼラ殿も言っていた通り、バウファ殿は単独で悪事を働いていたようだね。しかし、ロネックのほうは……続々と余罪が出てきているようだ」
「うむ。やはりグワラム戦役においても、あやつは毒牙を振るっていたようだな。ルデン殿とディザット殿の死にも、あやつが関わっていたとなると……生半可な罰では許されまい」
と、ダリアスは自分の手の平を拳で叩いた。
赤の月の災厄の直前、グワラムにおける戦いにおいて、二名の十二獅子将が魂を返し、ロネックだけが王都に舞い戻った。それもまた、邪魔者を排斥しようというロネックの企みであったようなのだ。
(ティムトが最初に予見した通りの結末だったな。諸悪の根源は《まつろわぬ民》だとしても、ロネックの罪は、あまりに重い)
いくぶん感傷的な心地になりながら、レイフォンは熱いギギの茶をすすった。
「ルデン元帥の副官たるイフィウス殿も、あの戦いで魂を返してしまったらしいのだよね。まったく、惜しい人を亡くしたものだ」
「うむ? お前はイフィウス殿ともご縁があったのか?」
「うん。祝宴で何度かね。ちょっと堅苦しいところもあったけれど、なかなか愉快な御仁だったろう?」
「ああ。俺もあの御方は、敬愛していた。ならばこそ、ロネックを許すことはできん」
そう言って、ダリアスはいっそう鋭い眼光を浮かべた。
「それに、俺の副官についてもな。まさか、ルイドまでもがあのような目にあっていたとは……あれは、ジョルアンの配下であった者たちの仕業であるのだな?」
「うん。ギムやデンを捕縛したのも、第二防衛兵団の人間だったからね。あのルイドという御仁はギムたちと同じ場所に幽閉されていたのだから、そのように考えて間違いはないと思うよ」
「くそっ。ルイドをあのような目にあわせた張本人が判明したら、俺は自分を抑えられる自身がないぞ」
ダリアスの副官たるルイドは、ダリアスの行方を探し求めるジョルアンの配下たちによって、シムの毒草を飲まされてしまっていたのだ。それで心身に重い傷を負ってしまい、いまもなお『賢者の塔』の一室で看護されているのである。
「それで、ジェイ=シンのご伴侶がどうのこうのという話がなかったっけ?」
レイフォンがそのように問いかけると、ダリアスは「ああ」とわずかに眼光をやわらげた。
「彼女はずいぶんと、料理や菓子を作るのが得手であるようでな。そのおかげで、ルイドもかなり力を取り戻せた様子であるのだ」
「へえ。ルイドなる御仁はずいぶん手ひどく痛めつけられていたはずだけど、それが料理や菓子だけで元気になってしまったのかい?」
「よくわからんが、ルイドは若い頃にジェノスまでおもむいたことがあるらしい。とても懐かしい味だったと、弱々しいながらも笑っていたのだ」
それは、何よりの話である。まさか、ジェイ=シンの伴侶がそのような形で関わってくるとは、想像もしていなかった。
「ジェイ=シンのご伴侶は、けっこうな美人であられるそうだね。ジェイ=シンが嫌がって、なかなか紹介してくれないのだけれども」
「そうなのか? 俺は礼を言うために、紹介してもらったぞ。……ああ、そうか。確かにジェイ=シンは、嫌そうな顔をしていたな。しかし、かたらわのメルセウス殿が取りなして、俺に紹介してくれたのだ」
「ふうん。美人だったかい?」
「美人というか……とても愛くるしい見目であったな。ちょっと幼げにも見えたが、芯はずいぶんしっかりしているのだろうと思う」
そんな風に答えてから、ダリアスは苦笑した。
「俺が気を立てていたので、女人の話などを持ち出したのか? 知略家というのが偽りであっても、抜け目がないことに変わりはないようだな」
「それはまあ、気を立てるよりは笑っているほうが望ましいからね」
「まったく、とぼけたやつだ。……まあ、これまでの罪については審問を待つとして、俺たちはやはり行く末に目を向けるべきなのだろうな」
「そうだねえ。騒ぎが起きるのは、ゼラドかグワラムか……王陛下は、果たしてこちらの言い分を聞き届けてくれるかどうか……その辺りが、焦点になるのかな」
「うむ。俺の聖剣が錆びつかぬうちに、次の一手に進みたいものだ」
そんな風に語らう両者のもとに、開け放しの窓から穏やかな日差しが届いている。午睡のひとつでもしたくなるほどに、それは平穏な昼下がりであった。
しかし、運命神がダリアスの言葉を聞いていたのだろうか。王都で無聊をかこつていたレイフォンたちは、それからすぐに大きな変転を迎えることになった。
翌日の十四日には、グワラムにおいて再び火の手があがったという狼煙が朝一番で伝えられ、そのまた翌日には、ついにゼラド軍が進軍を開始したという報が密偵から届けられたのである。
安寧の日々を過ごしていた人々を嘲笑うかのように、すべてが急速に動き始めていた。