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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第七章 糾える運命
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Ⅴ-Ⅳ 無人の砦

2019.9/21 更新分 1/1 ・10/19 誤字を修正

 ゼラドの軍は、ドエルの砦に入場することになった。

 ドエルの砦とは、もはや王都アルグラッドから数日の距離にある、要所中の要所である。かつて王都の軍の千獅子長であったエルヴィルによると、これまでゼラド軍がドエルの砦まで到達したことは一度としてない、という話であった。


「ゼラド軍に対するセルヴァの最終防衛線は、さきほど通過したグリュドの砦であったのだ。このドエルの砦は、グリュドに援軍や物資を送るための補給基地である、ということだな。そして、ゼラドの進軍は狼煙によって伝えられていたのだから、このドエルの砦にも数万から成る軍勢が待機しているはずであるのだが……」


 しかし、ドエルの砦はもぬけの殻であった。

 グリュドの砦にように、妖魅に襲撃されたという痕跡すらない。建物も城壁も無傷のまま、城門を大きく開け放して、ゼラド軍を迎えることになったのである。


「ただし、武器庫や食糧庫までもが、完全に空の状態だった。何かを恐れて逃げ出したということでもなく、整然と砦を後にしたとしか思えぬ状態だ。これはいったい、どういうことなのだろう……」


 荷台の中で、エルヴィルはそのように頭を悩ませていた。

 メナ=ファムたちを乗せた荷車は、すでに城門をくぐっている。とにかく敵襲に備えて、全軍を収容しようという考えであるのだろう。荷台の窓から外を覗いてみると、そこにはゼラドの兵士たちの掲げる松明が野火のように広がっていた。


「とにかくこれで、王都は目の前に迫っちまったってことだね。誰の血も流れなかったのはありがたい話だけど……いよいよここからが、正念場だね」


 盗み聞きを用心して、メナ=ファムは小声で囁いてみせた。

 壁にもたれて座したエルヴィルは、厳しい面持ちで「うむ」とうなずく。


「何にせよ、王都の軍はこの夜にでも襲撃を仕掛けてくるかもしれん。そしてゼラド軍は王都を陥落させるまで、『カノン王子』をこの砦から出そうとすることもないだろう。俺たちには、一刻の猶予も残されていないということだ」


「ああ。ドンティたちに頼るばっかりじゃなく、こっちでも何か策を巡らせたいところだね」


 すると、荷台の扉が外から叩かれたので、二人はぴたりと押し黙ることになった。


「砦の入り口に到着した! カノン王子を然るべき場所までご案内するので、荷車からお降りいただきたい!」


 旗本隊の兵士ではなく、ゼラドの兵士の声である。

 メナ=ファムはエルヴィルに肩を貸して立ち上がらせ、シルファは黒豹プルートゥとともに立ち上がった。シルファはすでに、王子としての凛々しい面持ちを作りあげている。


 扉を開けると、そこにはゼラドの兵士たちがずらりと立ち並んでいた。

 荷台の出口から砦の入り口までの道が、左右に居並んだ兵士たちによって厳重に守られているのだ。それらはすべて黒光りする甲冑を纏ったゼラドの兵士たちであり、旗本隊の姿などはすっかり弾き出されてしまっていた。


(これじゃあいくらギリル=ザザでも、力ずくでシルファをさらう気にはなれないだろうね)


 なおかつ、この敷地は堅牢なる城壁に守られているのだ。砦を脱出することができたとしても、城壁などはどのように突破すればよいのか。メナ=ファムには、想像することすら難しかった。


(それでもあたしたちは、なんとしてでも逃げ出さないといけないんだ)


 そんな思いを胸に、メナ=ファムは地面に降り立った。

 しばらくすると、御者台からラムルエルが引っ立てられてくる。それと合流してから、偽王子の一行はドエルの砦へと足を踏み出した。


 すでに兵士たちが先行しているらしく、砦の窓にはいくつもの火が灯されている。

 石造りの、巨大な建造物である。ここまで間近に迫ってしまうと、その全容を把握することもできなかった。


 案内役の兵士に追従して、いよいよ砦の内に足を踏み入れる。

 壁も床も天井も、すべてが灰色の石でできた建物だ。足もとには敷物すら敷かれておらず、これでは火事騒ぎを起こすのも難しいように思われた。


「こちらに」と、案内役の兵士はずかずかと歩を進めていく。

 建物の中にも、数多くの兵士たちが行き来していた。壁の燭台にも火が灯されているので、目の頼りに困ることはない。


 そうして回廊の果てに行きつくと、そこに待ち受けているのは石造りの階段である。

 その階段を、延々とのぼらされた。

 どうやらこの巨大な建造物の、最上階にまで連れていかれるらしい。逃げ出す際の面倒を考えて、メナ=ファムは内心で舌打ちすることになった。


「カノン王子のご一行には、こちらでお休みいただく」


 やがて到着したのは、石造りの壁に設置された扉の前であった。

 そこに至るまでに、いくつもの扉を素通りしている。その扉の先は行き止まりであり、長い回廊の最奥に位置する部屋であった。

 やはりゼラドの者たちも、襲撃や脱走を警戒しているのだ。

 扉を開きながら、兵士は形ばかり一礼した。


「失礼ながら、部屋の鍵はこちらで預からせていただく。扉の前には常時兵士を立たせるので、ご安心してお休みいただきたい」


「……ご配慮、感謝する」


 シルファは鋭く面を引き締めつつ、プルートゥとともに入室した。

 メナ=ファムがそれに続こうとすると、案内役の兵士に呼び止められる。


「エルヴィル隊長は、軍議に参席していただきたい。自分がご案内をさせていただく」


 エルヴィルは、歩くことすら苦痛をともなうような状態である。

 しかし、ゼラドの兵士に弱みを見せようとはせず、厳しい面持ちで「相分かった」と応じる。


「では、王子殿下の御身はまかせたぞ、メナ=ファムよ」


「ああ。まかされたよ」


 メナ=ファムとラムルエルだけが歩を進めると、背後で扉が閉められた。

 室内には、すでに燭台が灯されている。しかしそれはなかなかの広さを持つ部屋であったので、ひとつやふたつの燭台ではとうてい足りていなかった。


「ふうん……なんだかよくわからないけど、それなりに立派そうな部屋だね」


「はい。おそらく、高官用、執務室ではないでしょうか?」


 ラムルエルは、落ち着いた眼差しで室内を見回していた。

 部屋の奥に、大きな卓と棚がある。ただし、棚は空っぽで、卓にも何ものせられていなかった。

 あとは、右手の壁に木造りの扉が見える。メナ=ファムが確認したところ、そこには寝台がひとつだけ置かれていた。


「ふん。王子殿下の従者どもは、床で寝ろってことなのかね」


 メナ=ファムは苦笑まじりに言い捨てたが、もとよりこの場所で夜を明かす気はなかった。セルヴァ軍との先端が開かれる前に、メナ=ファムたちは何としてでも逃げ出さなければならなかったのだ。


(それともいっそ、戦のどさくさに逃げ出すべきなのかねえ。これじゃあドンティたちとも連絡をつけることはできそうにないし……いよいよ厄介なことになっちまったもんだ)


 メナ=ファムは、寝所とは反対の側の壁に歩み寄った。

 そこには、窓の戸が設置されていたのだ。小さいながらも両開きの戸を開けると、その先には夜の闇が待ちかまえていた。


(ふうん。格子の類いはないんだね。縄さえありゃあ、ここから逃げ出せるかもしれないけど……)


 そのように考えながら下方に目をやると、遥かな先に松明の火が揺れていた。下から矢を射っても、ここまで届かせるのは難しそうなぐらいの距離があるようだ。


(落ちたら、まず助からない高さだね。まあ、もとから縄なんてありゃしないけどさ)


 ゼラドの兵士たちとて、この部屋はさんざん検分した後だろう。なんなら棚が空であるのも、ゼラドの兵士たちの仕業であるかもしれないのだ。縄やそれに類するものが残されているわけもなかった。


(とにかく、頭をひねるしかない。泣き言を言ってたって始まらないからね)


 メナ=ファムは窓の戸を閉めて、シルファのほうに歩を進めた。

 シルファは部屋の中央で、彫像のように立ち尽くしている。その耳に、メナ=ファムはそっと囁きかけた。


「いちおう盗み聞きの用心はしておくべきだろうね。しんどいだろうけど、あんたは王子様のふりをしておきな」


 シルファは、無言でうなずいた。

 表情は凛々しいままであるが、血の色を透かした青灰色の瞳には、いくぶん不安そうな光が瞬いている。


「あんたはあっちの寝台で休んでおきなよ。あたしはエルヴィルが戻るまで、逃げ出す手段を考えておくからさ」


 シルファは無言のまま首を横に振ると、大きな卓のほうに近づいていった。

 そこには木造りの椅子と、それに長椅子が置かれていたのだ。シルファが長椅子に腰を下ろすと、プルートゥは音もなくその足もとに寄り添った。


「とりあえず、旅の疲れを癒やすとするかね」


 大きめの声で言いながら、メナ=ファムはシルファの隣に陣取った。

 そうしてラムルエルを招き寄せると、椅子に座る習慣のない彼はメナ=ファムたちの正面に纏っていた外套を広げて、その上にあぐらをかく。


「さて……あたしらは、これからどうするべきかねえ?」


 ラムルエルのほうに身を乗り出しながら、メナ=ファムはそのように囁いた。

 ラムルエルは、黒い瞳で静かにメナ=ファムを見返してくる。


「我々、なすすべ、ないかと思われます」


「おいおい、ずいぶん気弱じゃないか。だからって、このまま大人しくしているわけにもいかないだろ?」


「ですが、逃げ出すこと、不可能です。ゼラド軍、カノン王子、奪われること、もっとも警戒しているでしょう。ならば、逃げ出す隙、生まれる、思えません」


「……だったら何もしないまま、すべてをあきらめようってのかい?」


「前半、同意します。後半、否定します」


 あくまで無表情に、ラムルエルはそう言いつのった。


「逃げ出す隙、ないのですから、迂闊に動く、危険です。我々、変転、待つべきではないでしょうか?」


「変転? 変転って、何の話さ?」


「この砦、無人、奇妙です。常ならぬ理由、あるのでしょう。ならば、それが、変転の運命、呼び寄せる、思います」


「わからないねえ。あんた、いきなり占星師にでもなっちまったのかい?」


「いえ。私、商人です。星読み、たしなみません。ですが、そのように思うのです」


 メナ=ファムは「うーん」と考え込んだ。

 確かにこのドエルの砦が無人であったのは、異常な事態であるのだろう。何かメナ=ファムたちには思いも寄らないような、常ならぬ理由があるに違いない。


(確かにそれで、何か騒動でも起きりゃあ、あたしたちが逃げ出す好機になるかもしれない。でも、ただそれを待つってわけにもいかないだろ)


 しかしまた、他に有効な手段が見つからないというのも事実である。

 メナ=ファムは、大いに思い悩むことになってしまった。


 そのとき――

 カタリ、と小さな物音がした。


 メナ=ファムはほとんど反射的に、刀の柄に手をかけて立ち上がる。

 プルートゥも身を起こし、グルル……と低いうなり声をあげた。


「お静かに……外の兵士たちに気取られます……」


 奇妙に押し殺した男の声が、薄闇の中に響きわたった。

 声の出どころは――部屋の奥の棚の方角である。


「わたくしは、敵ではございません……あなたがたがゼラドと運命をともにしようというお考えなのでしたら、その限りではございませんが……」


 そうして、驚くべきことが起きた。

 巨大な棚が、するすると横に移動し始めたのである。

 棚の向こうは漆黒の闇であり、その中に闇と同じ色をした人影がたたずんでいた。


「あなたがたがゼラドに魂を売り渡してしまったのでしたら、どうぞお声をあげて兵士どもを呼び寄せるがよろしいでしょう……そうでなければ、どうぞそのままお静かに……」


 人影が、こちらに進み出てきた。

 黒い頭巾と外套で人相を隠した、小柄な男である。

 そしてその男は、小さな筒のようなものを口もとにあてがっているようだった。


「……シム、吹き矢です。おそらく、毒、仕込まれています」


 ラムルエルが、感情の欠落した声でつぶやいた。

 メナ=ファムは刀の柄に手を添えたまま、シルファを庇える位置まで移動する。


「あんたはいったい、何者なんだい? どう見ても、まともな人間であるようには思えないね」


 メナ=ファムが囁きかけると、男は首をすくめるような格好で一礼した。


「あなたがたが兵士どもを呼び寄せなかったことを、心から喜ばしく思います……わたくしは、王都からの使いでございます……」


「王都からの使い? そんなもんが、どうして棚の裏に隠れているのさ?」


「こちらで、みなさまの到着をお待ちしていたのです……わたくしは、セルヴァ聖教団の末席に名を連ねる者でございます……」


 陰気な声で、男はそのように言いたてた。

 その間も、毒の吹き矢はぴたりとメナ=ファムに照準を定めたままであった。

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