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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第七章 糾える運命
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Ⅳ-Ⅳ 再会の日

2019.9/14 更新分 1/1

「見えてきたぞ。王都アルグラッドの城壁だ」


 ルブスの座した御者台の脇から身を乗り出しつつ、ダリアスはそのように言ってみせた。

 逆の側からおずおずと顔を出していたラナが、「はい……」と震えた声で応じてくる。


「ついに……ついに戻ってきたのですね……ダリアス様とともに王都を出た日が、もう何年もの昔に感じられてしまいます……」


「うむ。しかもあのときは、荷車の床下に隠れての逃避行であったからな」


 ダリアスも、心が熱くたぎっていくのを感じた。

 すると、トトスの手綱を振るっていたルブスが、「あの」と声をあげてきた。


「日が暮れる前に到着できたのは、何よりです。それで俺は、この先どうしたものでしょうね?」


「うむ? お前は俺の使命に手を貸してくれるのではなかったか?」


「ええ。ダリアス殿が死ねと仰るなら、こんなちっぽけな生命はいくらでも捧げてみせましょう。でも、俺はダームの公爵様を裏切った謀反人です。俺なんかをおそばに置いていたら、ダリアス殿にまで累が及んでしまうのではないでしょうかね?」


「それを言うなら、俺たちとて同罪だ。俺たちは、お前の準備してくれたこのトトスでここまでやってきたのだからな」


「でも、ダリアス殿は十二獅子将で、俺はたかだか小隊長です。それに俺は、ダリアス殿の命令でトトスや荷車を持ち出したわけではありませんからね。あくまで自分の意思でダリアス殿にお力添えをしたのですから、この罪は俺ひとりのもんです」


「お前の意志ではなく、レィミアの意志であろう?」


「いえいえ、とんでもない! そんなことが公爵様に知れてしまったら、レィミア様まで罪に問われちまうじゃないですか! そんなことになったら、俺はレィミア様に末代まで祟られちまいますよ!」


「そうか」と、ダリアスは苦笑した。


「何にせよ、お前を罪人として捕縛させたりはしない。たとえトライアス殿が王都にまで手を回していたとしても、俺がなんとかしてみせよう」


「そうですか。それなら、ありがたいことです」


 ルブスは陽気な笑みをこしらえた。


「それじゃあまずは、城門を無事に突破できるかどうかですね。身分を偽ったりはせずに、堂々と名乗られるおつもりなんでしょう?」


「うむ。レイフォンたちの手によって、ジョルアンやロネックどもの配下は一掃されているはずだからな。まさか再び、衛兵どもに斬りかかられることはあるまいよ」


 そのように答えてから、ダリアスは薄暗い荷台の内部を振り返った。


「リッサ、起きているのか? 間もなく王都に到着するぞ」


「起きていますよ。こんな揺れの激しい荷台の中で眠っていられるほど、僕の神経は太くありませんからね」


 うず高く積み上げられた毛布の上に横たわっていたリッサが、不愛想な声を返してくる。こちらに背を向けているので判然としないが、ルブスが町で買いつけた御伽噺の書でも読んでいたのだろう。


「王都に着けば、立派な寝台で眠ることもできるぞ。ずいぶん苦労をかけてしまったが、今日はゆっくりと休むがいい」


「ゆっくり休んで、明日からはどうなるのです? 僕を『賢者の塔』に帰してくださるのですか?」


「いや、お前にはトゥリハラから授かった知識で助けてもらわなければならないので、そういうわけにもいかんのだが……」


 するとリッサは猛然たる勢いで身を起こし、「ちょっと!」とわめき声をあげた。


「迂闊にそのお名前を口にしないでください! 昨晩だって、怪しげな妖術使いがそのお名前を探るためにやってきたのでしょう?」


「名前というか、俺に聖剣を授けたのは何者か、というのを探ろうとしていたようだな」


「同じことです! 魔術師にとって、真名は秘匿するべきものであるのですよ! 敵に真名を知られれば、それを伝って呪いを掛けられる恐れもあるのですからね!」


「だったら、トゥリ……いや、あやつも俺たちに真の名を語ったりはせず、適当な名前でやりすごそうと考えるのではないだろうか?」


 リッサは深々と溜め息をついてから、「あのですね」と言葉を重ねてきた。


「この大地と交信して魔術を行使するには、肉体も魂も清らかに保たなければならないのです。然して、虚言は魂を穢すのですよ。あの偉大なるお師匠様が、魂を穢してまで偽りの名を名乗られるとでもお思いですか?」


「あやつはまだお前の師匠ではなかろう。……とにかく、わかった。もうその名は迂闊に口に出さぬから、お前も少し落ち着いてくれ」


 そのように答えてから、ダリアスはひとつの疑念に思い至った。


「しかし、解せぬ話だな。《まつろわぬ民》などは魔術を使って悪行三昧ではないか。あれで魂を清らかに保つことなど、とうていかなうまい」


「ああもう、年端もいかない幼子に難解な数式でも教えている気分です。……《まつろわぬ民》というのは、邪神教団の総元締めみたいなものじゃないですか。彼らは最初から、どっぷりと闇に浸かっているのですよ。彼らが行使しているのは清らかなる精霊魔術ではなく、外法の黒魔術です。自分の魂が闇に堕ちることを厭わなければ、魔術も妖術も使い放題ということですね」


「ますます解せんな。どうしてあやつらは、そうまで自らの魂を粗末に扱うことができるのだ?」


「それはだから、大神アムスホルンさえ復活させれば、光と闇がひっくり返るとでも思っているのでしょうよ。彼らにとっては四大神と七小神こそが邪神であり、大神アムスホルンと七邪神こそが正当なる神である、という定義なのですからね」


 ダリアスは納得しかけたが、すぐにまた新たな疑問にぶつかることになった。


「ちょっと待て。七邪神はまだしも、大神アムスホルンは四大神の父たる存在ではないか。俺たち王国の民は、アムスホルンを邪神呼ばわりなどしておらんぞ?」


「それは、定義の問題です。『大神アムスホルンとは、魔力に満ちた世界そのものである』と考えれば、わかるでしょう?」


「さっぱりわからん。解説してくれ」


「ああもう、面倒くさい……いいですか? かつてこの世界は魔力に満ちており、魔術の文明に統治されていました。その頃の神が、大神アムスホルンです。しかしいつしかこの大地からは魔力が失われ、魔術の文明は鋼と石の文明に取って代わられました。これが、大神アムスホルンの眠りと、四大神の誕生です。そうして四大王国の民たちは、魔術を忌まわしき技として打ち捨てました。ここまでで、異論はありますか?」


「ない。魔術の名残である星読みや毒草の技を伝えるシムの民も、あまり好かれてはおらんしな」


「ええ。つまり、四大王国の民が大神アムスホルンを忌避しないのは、眠っているからです。大神が目覚めてこの大地に再び魔力が満ちれば、今度は自分たちが駆逐されてしまうかもしれないのですからね。肉体も魂も穢れまくっている僕たちは、魔術の文明に統治された世界では、なんの力も持ち得ないのです」


「うむ……つまり、大神アムスホルンが目覚めてしまったら、それは俺たちにとって邪神に他ならない、ということなのか?」


「それは、解釈が難しいところです」


 リッサは毛布の上であぐらをかき、腕を組んだ。


「魔術の世界が滅んだとき、一部の人間は鋼と石の文明に背を向けて、聖域という場所に引きこもりました。それがいわゆる聖域の民、大神の民というやつです。大神アムスホルンが目覚めたあかつきには、彼らが魔術の文明を再興し、この世を統治することになるのでしょう。ですが、そんな彼らでも、四大神を邪神とはしていません。そんな御託を並べているのは、四大王国に生まれながら四大神を捨て、大神アムスホルンの眠りを妨げようとする、《まつろわぬ民》だけであるのですからね」


「では……どういうことになるのだ?」


「四大王国の民たちは、大神アムスホルンを邪神ではなく、四大神の父と定めました。それは、大神アムスホルンは大地そのものであり、四大神はその上に築かれた王国そのものである、という論なのでしょうが……もう一歩踏み込んで考えると、大神アムスホルンなくして四大王国は生まれ得なかった、ということなのでしょう」


「それはもちろん、地面がなければ国を作ることもできんからな」


 リッサはくたびれ果てたように、荷台の壁にもたれかかった。


「年端もいかない幼子が、難解な数式を理解する必要はありません。面倒なので、もうやめてもいいですか?」


「いやいや、ここでやめられるのは据わりが悪い。結論だけでも話してくれ」


「結論って何ですか。そんなものは、大神アムスホルンが目覚めない限り、出やしませんよ。……とにかくですね、まだこの大地に魔力は蘇りきっていません。七邪神が現出するぐらいですから、ずいぶん蘇ってきてはいるのでしょうが、まだまだ不十分です。このような状態で大神アムスホルンを目覚めさせたら、たぶん世界は終了しますよ」


「終了?」


「ええ。孵化しかけている卵を割り砕いたら、中の雛も死んでしまうでしょう? それと同じように、この大陸そのものが滅亡します。《まつろわぬ民》というのはそんなことすら想像もできずに、嬉々として卵を割り砕こうとしている愚者の集まりということですね」


「なるほど。据わりのいい結論だ」と、ダリアスはリッサに笑いかけてみせた。


「要するに、俺たちは死力を尽くして《まつろわぬ民》を滅さねばならない、ということだな? そういうことなら、喜んでその役目を引き受けよう」


「ああ、そうですか。長々とくっちゃべった甲斐がありましたよ」


 リッサをそっぽを向いて、舌を出した。

 すると、トトスの手綱を操っていたルブスが呼びかけてくる。


「ダリアス殿、城門に到着しましたよ。なんだか王都とは思えぬほど寂れた感じですが、大丈夫でしょうかね?」


「ああ、現在の王都は戴冠式に備えて、入場の制限を行っているという話だからな。一見の商人や旅人などは、追い返されてしまうのだろう」


「ダリアス殿は、通行証でもお持ちで?」


「そのようなものがあるわけはなかろう。俺は荷車に潜んで王都を出奔した身であるのだぞ?」


 ルブスはやれやれとばかりに首を振って、荷車を停止させた。

 跳ね橋の前に立ち並んだ守衛たちは、すでに鋭い眼差しで槍をかまえている。普段以上に厳重な警護である。


「まずは、俺が話を通してくる。万が一に備えて、お前はいつでも荷車を出せるようにしておいてくれ」


「はいはい、承知つかまつりました。守衛を蹴散らして王都に入場というのも、一興でありますね」


 ルブスは呑気に笑っていたが、ラナはすっかり眉を下げてしまっていた。


「ダリアス様……どうか、お気をつけて」


「うむ。決して危険な真似はせぬから、案ずるな」


 ダリアスは荷台を飛び降り、徒歩で跳ね橋に近づいていった。

 守衛たちは、跳ね橋の前で槍を交差させている。


「止まれ! 通行証を提示してもらおう!」


「通行証の持ち合わせはない。もともと俺は、自由に城門を通ることを許されていた。いまでもその資格があるかどうか、確認してもらえるだろうか?」


 守衛のひとりが、ハッとした様子で立ちすくんだ。


「な、名前を名乗られよ!」


「俺の名は、ダリアスだ。ふた月前まで、ルアドラ騎士団団長の座を賜っていた身となる」


 ダリアスの言葉に対する反応は、激烈であった。

 守衛のひとりが「小隊長殿を!」と叫び、その言葉を受けた守衛のひとりが跳ね橋を駆けていく。

 やがてその守衛は、小隊長の房飾りをつけた兵士を連れて舞い戻ってきた。


「おお、ダリアス殿! よくぞご無事で……!」


「お前は……たしか、ディラーム老の旗下であったか?」


「はい! ディラーム将軍閣下の命を受けて、ダリアス殿の到着をお待ちしておりました!」


 ダリアスは、ようやく安堵の息をつくことができた。


「俺がダームを出たことは、ディラーム老にも伝わっていたのだな。あちらの荷車に控えている俺の仲間も通行を許してもらえるだろうか?」


「もちろんです。ただいちおう、お名前とご身分を確認させていただけますでしょうか?」


 ダリアスは少し迷ったが、正直に白状することにした。


「城下町の民ラナに、『賢者の塔』の学士リッサ、そしてダーム騎士団の小隊長であったルブスという者だ」


「はい。ディラーム老からうかがっていた通りの方々でありますね」


 と、小隊長の男は屈託なく笑った。


「どうぞお通りください。金狼宮にて、ディラーム将軍閣下がお待ちです。そちらまで、小官がご案内いたします」


「うむ。よろしくお願いする」


 荷車に戻ってその旨を伝えると、ラナは胸もとに手をやって息をつき、ルブスは「ふむ」と鼻を鳴らした。


「俺は、お咎めなしですか。公爵様も、お目こぼしをくださったのでしょうかね」


「というよりも、王宮で待ちかまえている人々は、トライアス殿ではなく俺の意思を尊重してくれたのだろう。ディラーム老やクリスフィア姫などは、俺が一日も早く王都に戻ることを願ってくれていたはずだ」


 そうして一行は、王都アルグラッドに踏み入ることになった。

 トトスにまたがった小隊長の案内で、石敷きの街路を粛々と進む。その道沿いで商いをする商人たちは、平常通りの日々を過ごしている様子であった。


(王宮を見舞った陰謀劇も、城下町には大きな影を落としていない、ということか。まあ、石塀の向こうの騒ぎなど、こやつらの知ったことではないだろうからな)


 城下町は城壁で守られているが、王宮はその中でさらなる城壁に守られているのだ。その城壁をいかにして突破するか、デンとふたりで画策した日々も、懐かしい限りであった。


 衛兵や妖魅に襲われることもなく、一行はふたつ目の城門に到着する。

 そこでもダリアスの顔を知る兵士が待ち受けており、何の時間をかけることもなく通過することができた。

 ここしばらくの停滞っぷりが嘘のような、順調なる道行きである。

 荷車を降りて、護衛の兵士たちに囲まれながら、白い石造りの道を進む。初めてこの城門をくぐったラナは緊張を隠しきれぬ様子で歩を進めており、ルブスは物珍しそうに視線を巡らせている。ただひとり、御伽噺の書を大事そうに抱え込んだリッサだけは、いつも通りの仏頂面であった。


 そうして目の前に、黄色みを帯びた花崗岩で造られた宮殿が迫ってくる。

 軍の高官たちのための宮殿、金狼宮である。

 その入り口に何名かの人間が立ち並んでおり、そのうちの一名が喜色をあらわに駆け寄ってきた。


「ダリアス殿! 待ちかねていたぞ!」


 淡い褐色の髪に、灰色の瞳。北方の生まれらしく白い肌をした、美麗ながらも勇猛なる女騎士、クリスフィアである。

 ダリアスも、心からの笑みを浮かべることができた。


「クリスフィア姫、ひさかたぶりだな」


「うむ! せいぜい八日かそこらの別離であったはずだが、とうていそのようには思えぬな!」


 そんな風に言いながら、クリスフィアはラナを振り返った。


「ラナも、無事で何よりだ! ダームを見舞った災厄については聞いているぞ! さぞかし恐ろしかったことであろう!」


「は、はい……わたしのような卑賤なる身に、温かきお言葉をありがとうございます……」


「何が卑賤だ! 人間の卑しさを決めるのは身分ではなく、心持ちであるのだぞ。お前のように純真な娘が自分を卑下する必要はない!」


 クリスフィアはずいぶん浮かれている様子で、ラナの肩を荒っぽく叩いた。

 ラナは困惑気味に眉を下げつつ、それで嬉しそうに微笑んでいる。


「おお、リッサも元気そうだな! そちらの御仁は……ああ、ダーム騎士団の何とかいう者か」


「うむ。この者は、ルブスという。俺たちが王都まで辿り着けたのも、すべてはこやつの功績で――」


「その話は、あとでゆっくり聞かせてもらおう! それよりも、まずは為すべきことがあろう?」


 笑いながら、クリスフィアは後方に控えていた人々に手を振った。

 その中から進み出てきた人影を見て、ラナは「ああ……」と声をあげる。

 その目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「さあ、我々にかまわず――」と、クリスフィアが言いかけたところで、ラナはたまらず石畳を駆けた。

 そのままの勢いで、こちらに近づいてきていた人影の片方に抱きつく。


「ああ、父さん……父さん、無事だったのね……」


「何を言ってやがる。俺たちのことは、伝書とかいうやつで伝えられてたんだろうが?」


 それは、ラナの父親である鍛冶屋のギムであった。

 そのかたわらでは、革細工屋の息子であるデンが、ぽたぽたと涙をこぼしている。


「会いたかった、父さん……もう傷は大丈夫なの? どこも痛くはない?」


「だから、ちっとは落ち着けってんだよ。貴き方々の前で、失礼だろうが?」


 そんな風に述べるギムの声も、涙声になってしまっていた。

 煤のしみこんだ黒い指先が、ラナの背中をぎゅっと抱きすくめている。その指先も、わずかに震えていた。


「これでダリアス殿も、ようやくひとつの使命を達成できたということだな」


 クリスフィアが、低い声で呼びかけてくる。

 さまざまな感情を噛みしめながら、ダリアスは「うむ」と応じてみせた。


 ラナを無事に、親のもとまで送り届ける。それもまた、ダリアスが心に誓った使命のひとつであったのだ。

 この後には、《まつろわぬ民》を退治するという大きな使命も控えている。

 しかしいまは、再会の喜びにひたるラナたちの邪魔をすることは決してかなわなかった。

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