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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第七章 糾える運命
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Ⅴ-Ⅲ ドエルの砦

2019.8/17 更新分 1/1

 ゼラドの軍は、なかなか進軍を止めようとしなかった。

 夜間の強行軍であるので、日中のような速度は出せていないのかもしれない。しかし、何度かの小休止をはさみつつ、もう数刻ばかりはトトスを駆けさせているはずだった。


「数万から成るゼラド軍を余さず収容するには、それ相応の規模の砦が必要であるからな。おそらくは……グリュドの砦に次ぐ要所である、ドエルの砦あたりを目指しているのだろう」


 激しく揺れる荷台の床に横たわったエルヴィルは、そんな風に述べていた。

 その言葉を聞いているのは、メナ=ファムとシルファとプルートゥの、二名と一頭である。メナ=ファムは水筒の水で口を湿してから、エルヴィルの血の気が薄い顔を見下ろした。


「砦の名前なんざ、どうでもいいけどさ。ドンティの企みが巧くいく見込みはあるのかい?」


 ゼラドの軍は、このままセルヴァの砦をひとつ陥落して、そこに居座ろうという計略であるようなのだ。そうしたら、シルファは砦の奥深くに幽閉されてしまうであろうから、砦に火をつけて騒ぎを起こして、脱出を果たす――というのが、ドンティの持ち込んできた新たな策なのである。

 いまだに傷が痛むのか、エルヴィルはわずかに眉を寄せながら、「どうだかな」と言い捨てた。


「いずれの砦であろうと、石造りであることに変わりはないし、火矢などで攻められることを想定している。そんな堅牢なる砦に火を放つことなど、そうそう簡単な話ではないだろう。そんな場当たり的な策にすがるしかないぐらい、俺たちの命運は危ういということだな」


「ふん。それでも黙って首を刎ねられるわけにはいかないからね。泣き言をほざいてるヒマなんかありゃしないよ」


「わかっている。……シルファの身は、なんとしてでも俺が守ってみせる」


 シルファは不安そうな面持ちで、エルヴィルの胸もとにそっと手を置いた。


「どうか無茶をなさらないでください、エルヴィル兄さん……わたしはどのような行く末を迎えようとも、後悔はありません」


「馬鹿を言うな。お前は……俺のような愚か者の口車に乗せられて、王家の名を騙ることになってしまったのだ。こんな馬鹿げた話で魂を返すことになるなど……決して許されるはずがない」


「いえ。わたしはエルヴィル兄さんと運命をともにできるだけで、満足であるのです。……このような運命に巻き込んでしまったメナ=ファムやラムルエルには申し訳ないばかりですが……」


「まったく、辛気臭い兄妹だね!」と、メナ=ファムは笑ってみせた。


「お涙頂戴もけっこうだけどさ、ちっとは明るい行く末ってやつに目を向けておくれよ。あたしたちはゼラドの軍から脱出して、ついでにセルヴァの追っ手からも逃げのびて、みんなで仲良くジャガルにでも移り住む。それ以外の行く末なんて、あたしは受け入れるつもりはないからね」


「そのような行く末をつかみ取ることができたら、どれだけ幸福かと思いますが……」


「だから、必死になってつかみ取るんだよ! みんなでしっかり手を取り合って、愉快な行く末をつかみ取ってやろうじゃないか!」


 笑いながら、メナ=ファムはシルファの絹糸のごとき銀髪をかき回してやった。

 シルファは気恥ずかしそうに、それでも心から幸福そうに、そっと微笑む。

 その笑顔に心を満たされつつ、メナ=ファムは心中で考えた。


(もちろんそれは、簡単な道じゃないだろうさ。あたしのお粗末な頭で考えたって、苦難だらけの道のりなんだからね)


 まず、現在のメナ=ファムがもっとも気にかけているのは、弟たるロア=ファムの所在であった。

 ドンティとギリル=ザザは、四日ほど前にナッツの宿場町という場所で、ロア=ファムと袂を分かつたのだと聞いている。本来、メナ=ファムたちにゼラド軍から離脱するように説得する役目を担っていたのはロア=ファムであったのだが、妖魅の襲撃によって深手を負ってしまい、その地から動けなくなってしまったのだ。


(首尾よくゼラド軍から逃げ出すことができても、どうやってロアと落ち合うか……いや、ドンティたちが一緒だったら、ロアのもとまで案内してくれるかもしれないけど……問題は、その後だ)


 王都の連中は、王家の名を騙ったシルファを決して許さないだろう、とエルヴィルは述べている。ならばメナ=ファムたちは、王都の息のかかった人間からも逃げ出さなくてはならなかったのだ。


(ロアと一緒にいるっていう数名ばかりの兵士どもなんざ、どうでもいい。問題は、ギリル=ザザだ。あいつだけは、敵に回していい相手じゃない)


 狩人として生きてきたメナ=ファムは、相手の力量を見抜く目を持っている。

 あのギリル=ザザという男は、メナ=ファムやエルヴィルていどの力量で太刀打ちできる相手ではなかったのだった。


(ギリル=ザザは、王都の連中の意向で動いてるんだからね。カノン王子の名を騙ったシルファが逃げ出そうとしたら、それを黙って見過ごすことはできないだろう)


 ゼラドの軍から逃げ出すまでは限りなく頼もしいギリル=ザザであるが、いざ逃げ出した後には、彼こそが限りなく厄介な相手に変じてしまうのだ。


(それに、あいつは手傷を負ったロアの代わりに、ここまで骨を折ってくれたんだ。本当は、相手がゼラドの人間でも、それを傷つけたりはしたくないって思ってる、あんな純真なお人がさ)


 闇の中で、ゼラドの陣の灯を見つめていたギリル=ザザの横顔は、いまでもメナ=ファムの脳裏にくっきりと残されている。

 あれほど勇猛で、恐るべき力を持つギリル=ザザが、まるで親とはぐれた幼子のように悲しげな目つきをしていた。自分たちの策謀で、何名ものゼラド兵が魂が返してしまったことを、彼は心から悲しんでいたのだ。


 それでもギリル=ザザは、迷っても嘆いてもいないのだと宣言した。自分の罪は罪として抱え込み、王国の民として正しく生きたいと――メナ=ファムの手を握りながら、そのように語っていたのである。


 あのように純真な人間を裏切ったりしたら、メナ=ファムの魂こそ闇に堕ちてしまうだろう。

 そして、弟のロア=ファムだって、あのギリル=ザザを信頼しているはずだ。そうでなければ、メナ=ファムの贈った大事な護符を、ギリル=ザザに託したりするはずがなかった。


(あのギリル=ザザを裏切って、一緒に逃げようなんて持ちかけたところで、ロアのやつは決してついてきたりしないだろう。たとえ偽王子を逃がした罪で、首を刎ねられることになろうとも……あいつが同志と認めた人間を裏切れるはずがない)


 そしてそれは、メナ=ファムにしても同じことだった。

 大事な弟が同志と認めた相手を、メナ=ファムが裏切れるわけはなかったのだ。


(どうにかして、ギリル=ザザに納得してもらえるように、心を尽くすしかないか……はん、ゼラドの軍から逃げ出すよりも、そっちのほうがよっぽど難儀かもしれないね)


 メナ=ファムがそんな風に考えたとき、トトスの車が動きを停止させた。

 また小休止か、あるいは敵軍の砦に到着したのか。メナ=ファムは、手もとに置いておいた刀を反射的に握りしめた。


「……砦に、到着したのでしょうか……?」


 シルファも、不安そうに黒豹プルートゥの首を抱きすくめていた。

 エルヴィルは、大儀そうに身を起こす。


「そうだとしても、俺たちが戦乱に巻き込まれることはないだろう。セルヴァの軍がゼラドの軍を迎え撃つ際にはグリュドの砦に戦力を集中させるので、近在の砦は守りも手薄になるはずだ」


「ふん……ついに、セルヴァの軍にも被害が出ちまうってわけだね」


 これでまた、シルファの罪に新たな重さが加えられてしまうのだ。

 本来であれば、セルヴァ軍とゼラド軍の戦端が開かれる前に、シルファは脱出していなければならなかったのである。


 全員が口をつぐんで、その場の重い空気に耐えることになった。

 エルヴィルが「妙だな……」とつぶやいたのは、それから四半刻ばかりの時間が過ぎてからだった。


「いくら何でも、静かすぎる……たとえ俺たちが陣の最後方に追いやられていたとしても、ゼラド軍の打ち鳴らす太鼓や笛の音などは聞こえてくるはずだ」


「ふうん? でも、これがただの小休止だったら、何か合図があるはずだよね」


 メナ=ファムは、御者台のラムルエルに様子をうかがってみようと腰を浮かせかけた。

 そのとき、荷台の扉が外から叩かれた。


「エルヴィル隊長! ゼラド軍から、使者が参りました!」


 旗本隊の兵士の声である。

 プルートゥから身を離したシルファは背筋をのばし、一瞬で王子としての顔をこしらえた。

 それを見届けてから、メナ=ファムが扉の閂を外して、扉を開ける。確かにそこには、旗本隊の兵士とゼラド軍の伝令役が顔をそろえていた。


「旗本隊隊長エルヴィルよ、大隊長ラギス閣下のご命令により、迎えに参った。自分に同行してもらいたい」


「むろん、命令には従うが……しかし、いったいどのような用件であるのだ? セルヴァの砦に到着したのではないのか?」


 伝令役の兵士は答える手間をはぶいて、無言のまま顎をしゃくった。

 その尊大な態度に腹を立てつつ、メナ=ファムはエルヴィルに肩を貸して立ち上がらせる。


「エルヴィル、ひとりで大丈夫かい? あたしは王子殿下のそばにいるべきだろうけど……」


「かまうな。お前の役目は、王子殿下をお守りすることだ」


 エルヴィルは荷台を出ていき、扉は兵士たちの手によって閉ざされた。

 メナ=ファムはおもいきり顔をしかめながら、今度こそ御者台に通ずる小窓に歩み寄る。


「おい、ラムルエル、いったいどうなってるんだい? 戦が始まったわけじゃないんだろう?」


「はい。そのような気配、ありません。行く手、闇、閉ざされています」


 では、やはり砦には到着していなかったのか。

 ならば何故、ゼラド軍は足を止め、そしてエルヴィルを連れ去ったのか。脱出の計画を立てているメナ=ファムたちにしてみれば、大いに不安をかきたてられるところであった。


(まさか、ドンティたちがドジを踏んで、脱出の計画がバレちまったとか……? いや、ギリル=ザザがおめおめと捕まっちまうとは思えない。それならそれで、このあたりにだって騒ぎが伝わってくるはずだ)


 メナ=ファムはシルファのかたわらに腰を下ろすと、その華奢な肩を引き寄せた。

 シルファは無言で、メナ=ファムの手に自分の手を重ねてくる。

 今度はさきほどよりも長きの時間が流れ――そして、エルヴィルが戻ってきた。


「ああもう、すっかり待ちくたびれちまったよ! いったい、どうしたってんだい、エルヴィル?」


 仲間の兵士の手を借りて、エルヴィルは荷台に上がってきた。

 その身柄をメナ=ファムが預かって、扉を閉めるなり、小窓からラムルエルが呼びかけてくる。


「前進、合図です。準備、よろしいですか?」


「ああ、ちょいと待っておくれ。……うん、いいよ」


 エルヴィルを敷物に座らせてから合図を送ると、荷車は粛々と前進を始めた。

 エルヴィルの正面にどかりとあぐらをかいて、メナ=ファムは相手の顔を覗き込む。


「さ、説明してもらおうか。いまのはいったい、なんだったんだい?」


 エルヴィルは、とても難しげな顔をしていた。

 その瞳には、困惑と不審の光が躍っている。


「俺は……ドエルの砦の検分をさせられたのだ」


「ドエルの砦? そいつはこれから刃を交えようっていう砦の名前じゃなかったっけ?」


「そうだ。ゼラドの軍は、ドエルの砦に到着していた。……しかし、その場はもぬけの殻であったのだ」


「もぬけの殻? それはつまり――」


「砦には、兵士のひとりも潜んでいなかった。しかも、城門が開け放たれたままであったのだ。まるで、ゼラドの軍を迎え入れようとしているかのようにな」


 そう言って、エルヴィルは激しくかぶりを振った。


「何か争いがあった気配もなく、ドエルの砦からすべての兵士が撤退してしまっていたのだ。このようなことが、ありえるわけがない……ドエルの兵士たちは、いったいどこに消えてしまったのだ?」


 もちろんメナ=ファムには、その問いに答えるすべもありはしなかった。

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