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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第七章 糾える運命
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Ⅳ-Ⅲ 束の間の休息

2019.8/10 更新分 1/1

 王都とダーム公爵領の間には、中継地点としての宿場町が存在する。

 王都からダームまでは、荷車を引かせたトトスで丸一日はかかってしまうので、おおよそはこの宿場町で一夜を明かすものなのである。


 ダリアスの一行がその宿場町に到着したのは、ダームを出奔した翌日の、日の出から数刻が過ぎたのちのことであった。

 水車小屋で《まつろわぬ民》を撃退した後は、何度か小休止をはさみつつ、ひたすら街道を駆け続けた。それでようやく、王都までの道程の半分を踏破することがかなったわけであった。


 ダリアスたちは荷車を捨てた身軽な格好であったので、このままでいけば日が高いうちに王都に到着できるだろう。

 しかし、この宿場町に到着するなり、ものすごい勢いで不満の声をあげる者があった。


「僕はもう限界です! これ以上無茶をするおつもりなら、僕をここで捨てていってください! いや、いっそ斬り捨てて下さってもけっこうですよ!」


 当然というか何というか、それは学士のリッサであった。

 宿場町に足を踏み入れ、トトスの背中から下りると同時に、彼女は街路にへたり込んでしまったのである。


 街路を行き交う人々は、そんなリッサをうろんげに見やりながら、足早に通りすぎていく。それらの視線を気にしながら、ダリアスは「おい」とリッサに呼びかけた。


「お前に苦労をかけたことは、申し訳なく思っている。しかし今は、王国の行く末を左右する変事の只中であるのだ。お前も王国の民として、なんとか力を尽くしてはくれんか」


「力なんて、とっくに絞り尽くされましたよ! もうトトスの上で揺られるのも、空腹をこらえて歩くのも御免です! 文句があるなら、どうぞお好きになさってください!」


 そんな風にわめきながら、リッサはごろんと横たわってしまった。

 たまたま通りかかった女たちが、くすくすと笑いながら通りすぎていく。いったいどうしたものかとダリアスが思案していると、トトスの手綱を握ったルブスが陽気に笑いかけてきた。


「まあ、ご婦人がたはそろそろ限界でありましょうよ。こうして無事に宿場町まで到着できたのですから、ちょいと荷車でも調達してきましょうか」


「荷車だと? トトスにそのようなものを引かせたら、王都に到着するのが遅れてしまうではないか」


「それでも日が暮れる前には到着できるでしょう。騎士としての訓練を受けた俺やダリアス殿はともかく、初めてトトスにまたがったご婦人がたに、これ以上の強行軍は無理だと思いますよ」


 そのように言われたダリアスは、かたわらのラナを振り返った。

 虚弱の徒たるリッサに比べれば、ラナは丈夫で健やかな娘である。しかし、さすがにそのほっそりとした顔には疲労の色が浮かんでいた。


「しかし……荷車を買おうにも、俺には銅貨の持ち合わせがないのだ」


「そいつは、俺におまかせください。ダームでいただいた給金を残らずかき集めてきたんで、しばらく銅貨に困ることはありません」


 そう言って、ルブスはにっと白い歯を見せた。


「荷車と、あとは水や食い物も調達してきましょう。トトスをお預けするんで、このあたりで待っていてください」


「あっ! だったら、書物もお願いします!」


 と、街路にひっくり返ったまま、リッサがわめき声をあげた。

 ルブスはけげんそうに、そのあられもない姿を見下ろす。


「書物って、なんの話です? こんな宿場町に、そんな気のきいた書物なんて売っちゃいませんよ」


「書物であれば、なんでもけっこうです! 昨日の夕刻から書物を読む時間もなかったので、僕の目と頭が禁断症状を起こしてしまっているのですよ!」


「はいはい、承知いたしましたよ、姫君。……それじゃあ、行ってまいります」


 ラナの手に手綱を託したルブスに、ダリアスは「おい」と呼びかける。


「ダームからの追っ手はまだ到着していなかろうが、昨晩のこともある。くれぐれも気をつけるのだぞ、ルブス」


「はいはい。一刻たっても戻らなかったら、魔術師に食われたとでも思ってください」


 ルブスは気安く肩をすくめてから、人混みの向こうに消えていった。

 ダリアスは息をつきつつ、リッサのほうに視線を転じる。


「いつまでもそのような姿をさらしていたら、衛兵を呼ばれてしまうぞ。他の人間の邪魔にならないよう、道の端に寄れ」


「だって、身体が動かないんですよ。僕だって、好きで寝転んでいるわけではありません」


「まったく……しかたのないやつだな」


 ダリアスはリッサの襟首をひっつかみ、無理やり引き起こしてやった。

 そうして道の端まで寄って、家屋の壁にもたれさせてやる。リッサは壁に背中をつけたまま、またずるずるとへたり込むことになった。


「ラナも、休んでいるがいい。トトスの手綱は、俺が預かろう」


「ありがとうございます。では、少しだけ」


 さすがにラナも、すいぶん消耗していたらしい。ダリアスに手綱を手渡すと、リッサのかたらわに腰を下ろした。

 ダリアスは二頭分の手綱を手に、壁に沿って立ち尽くす。そうして道の端に寄ると、宿場町の賑やかさをより客観的に検分することができた。


 ダームは交易の要であるので、王都と行き来する人間も多い。ダームの港町に到着した商品が、ひっきりなしに王都へと移送されるのだ。王都と五大公爵領の間に存在する宿場町の中では、この宿場町こそがもっとも栄えているはずだった。


「……この宿場町も、ダームに区分される土地なのでしょうか?」


 街路を行き交う人々を眺めながら、ラナがぽつりとつぶやく。

 同じ光景を見やりながら、ダリアスは「いや」と答えてみせた。


「この宿場町は自治領区とされているが、区分としては王都の領土だ。王都の貴族に任命された町長が、町を取り仕切っているはずだな」


「そうなのですね……王都の城下町にも負けない賑わいであるようです」


 ラナの声に、わずかに切なげな響きが混じる。


「なんだかこうしていると、昨日までの出来事が嘘のようです。……《まつろわぬ民》というものを放っておいたら、こういう平和も失われてしまう、ということなのですね」


 ダリアスは、ラナのほうに視線を向けた。

 壁にもたれて座したラナは、とても静かな表情で通りのほうを見やっている。疲労の色が濃いその顔の中で、茶色の瞳だけは澄みわたった光をたたえているようだった。


「わたしなどは、なんの力も持たない小娘にすぎませんが……少しでもダリアス様のお役に立てるのでしたら、決して力は惜しみません」


「お前はそうやって、健やかにあってくれればよいのだ。お前の存在そのものが、聖剣を振るう俺の癒やしになる、という話なのだからな」


 精一杯の思いを込めて、ダリアスはそのように答えてみせた。


「王都に到着すれば、ギムやデンたちと再会することもできよう。苦しかろうが、なんとか頑張ってくれ、ラナ」


「わたくしは、大丈夫です」と、ラナがダリアスを見上げてきた。

 その面に、可憐な微笑がたたえられている。これだけの苦難に見舞われながら、ラナの清純なる心はこれっぽっちも澱んではいないようだった。


「……そういえば、俺たちは二十日ほど前にもこの町を通りすぎたのだったな。あのときは、荷車の床の下で息を殺しており、町並みを目にすることもできなかったが」


「ああ、あれからまだ二十日ていどしか経っていないのですね。もう何年も前のことであるように思えてしまいます」


 ダリアスとラナはゼラの手配によって、王都を脱出した。その後は、エイラの神殿で身分を偽って過ごし、学士長のフゥライと邂逅を果たし、ダーム公爵家を巡る陰謀に巻き込まれ――そして、トゥリハラと出会って、疫神ムスィクヮと相対することになった。それがすべて、この二十日ばかりの間の出来事であったのだ。


(そもそも俺がラナと出会ったのは、それよりもひと月ほど前……ということは、赤の月の災厄から、間もなくふた月が経とうとしているのか)


 銀獅子宮が炎に包まれた災厄の日は、赤の月の九日である。

 では、今日は果たして何日であるのか。ラナに問うても答えは得られず、代わりにリッサが面倒くさげな声をあげた。


「今日は、黄の月の八日ですよ。赤の月の災厄から、明日でちょうどふた月ということですね」


「そうか……確かにもう、何年も前の出来事であるように感じられてしまうな」


 災厄の月からふた月ほどが経過して、ダリアスはようやく諸悪の根源たる《まつろわぬ民》に一太刀あびせることがかなった。

 しかし《まつろわぬ民》たる奇怪な老人は逃げ去ってしまったし、王都を中心に張り巡らされた陰謀はまだ解き明かされていない。王国の行く末を守るために、いまこそが正念場であるはずだった。


「そういえば、リッサに尋ねておきたいことがあったのだ」


「何ですか? 面倒な話は、御免ですよ」


「何も面倒な話ではない。お前は、歯が牙のような形をした老人に心当たりはないか?」


 だらしない体勢で壁にもたれたリッサは、「はあ?」と不愛想な声をあげた。


「何ですか、その質問は。意味がわからなすぎて、至極不愉快です」


「それぐらいのことで、不愉快にならないでくれ。それは昨晩、俺が対峙した《まつろわぬ民》であるのだが、そやつは王都の宮廷で暗躍していたはずであるのだ。あやつは妖魅のようにあちこち出没できるようだが、しかし、王都の宮殿というのは西方神の加護に守られているのだから、そうそう魔術を使うこともできないはずであろう。ならば、宮廷においても自由に動ける人間であると考えるのが妥当ではないか?」


「やっぱり意味がわかりませんね。僕は『賢者の塔』に住まう学士なのですから、宮廷の事情なんてさっぱりですよ」


「だから、『賢者の塔』にそういった人間がいなかったかを尋ねているのだ。『賢者の塔』も宮殿の一部であるのだから、不埒者が潜むには格好の場所ではないか?」


 リッサは何の感銘を受けた様子もなく、「さあ?」と言い捨てた。


「牙のような歯というのは、鮫歯のことですか? だったら大して珍しくもありませんが、僕に人の口の中を見て回る趣味はありません。そんな人間がいたかどうかなんて、わかりませんよ」


「そうか。あとは、髪も眉もなくて、驚くほどに年を食った老人であったのだが……」


「『賢者の塔』には何十人ものご老人がいらっしゃいますし、そういう人間はたいてい髪も抜け落ちておりましたね」


 どうやら、リッサから情報を引き出すことは難しいようだった。


(まあいい。王都に着けば、いくらでも調べようはあるのだからな。それに、俺に素顔を見せたからには、とっくに王都からは姿を消しているのだろう)


 ダリアスがそのように考えたとき、街路の向こうから見慣れた顔が近づいてきた。


「お待たせしました。とりあえず、食料です」


 ルブスはその手に、大きな包みを抱え込んでいた。そこからポイタンの生地に肉や野菜をはさみこんだ屋台の料理が取り出されると、リッサが亡者のように両腕を突き出した。


「時間がかかりすぎですよ! あと、書物はどうだったんですか?」


「やっぱりそんなもんは売っちゃいなかったんで、屋台の店番をしている子供に譲ってもらいましたよ」


 屋台の料理と薄っぺらい書物が、リッサの手に渡される。

 リッサはさっそく料理をかじりながら、書物の頁を繰った。


「ふん。『聖アレシュの苦難』ですか。まだこんな古臭い読み物が売られているんですね」


 ルブスは苦笑しながら、ダリアスのほうに空の手を差し出してきた。


「手綱はお預かりします。俺は帰りがけに食ってきたんで、ダリアス殿らもまずは腹を満たしてください。それが済んだら、荷車を引き取りに向かいましょう」


「うむ。何から何まで、世話になってしまったな」


「ダリアス殿にお仕えするのが、俺の最後の任務でありますからね。思うぞんぶん、こき使ってください」


 陽気に笑うルブスに手綱を手渡して、ダリアスも包みの中身を拝見することにした。

 その中から、まずは革の水筒を引っ張り出して、咽喉を潤す。ダームから持ち出してきた水筒の中身は、夜の間に飲み干してしまっていたのだ。

 ラナもルブスに礼を言ってから、屋台の料理を口にした。三人では食べきれないぐらいの食料が準備されているようだ。


「どうぞ食べながら聞いてください。この宿場町も、けっこうな騒ぎの渦中にあるようですよ」


「なに? まさか、妖魅が出たのではあるまいな?」


「そんな剣呑な話じゃありません。ただ、昨日のダームの話が、ちょっとずつ流れてきてるみたいですね。ここにたむろしてるのは大体がダームの商人なんでしょうから、港町がどんな有り様なのか気が気じゃないってところでしょう」


 疫神ムスィクヮに襲われたダームの港町は、千名を超える死者を出してしまったのだ。港町に家族を残している人間であれば、それは安穏とはしていられないだろう。


「あとは、王都の騒ぎですね。なんでも昨日、大勢の衛兵が捕縛されて、引っ立てられることになったようですよ」


「王都の衛兵? それは、どういう話であるのだ?」


「さて、そこまで詳しい内容はわかりませんでしたが……どうも、また十二獅子将のひとりが罪人として捕縛されたようですね。その関係で、きっと十二獅子将の部下たちも捕縛されたってことなんでしょう」


「十二獅子将が、捕縛……? ロネックの罪が暴かれたということだろうか?」


「そこまではわかりません。物見高い商人が風聞を撒き散らしているだけのことですからね」


 そこでルブスは、いくぶん表情を改めた。


「ただ、こいつはダリアス殿の使命には関係ないことかもしれませんが……どちらかというと、王都の外の騒ぎについてのほうが、あれこれ取り沙汰されているようでしたよ」


「王都の外の騒ぎ?」


「ええ。ゼラド大公国が兵士をかき集めて進軍の準備をしているらしい、とか、グワラムのほうで何か騒ぎがあったらしい、とか……また何か大きな戦でも始まるんじゃないかって、戦々恐々としている様子でしたね」


「戦か。このような際にゼラドやマヒュドラまで相手取っていたら、本当に王国の行く末が危うくなってしまうかもしれんな」


 ダリアスは、まだ温かいポイタンの生地を乱暴に噛みちぎった。


「しかし、弱音を吐くわけにもいかん。どのような敵であれ、王国の安寧を脅かすものは、俺がこの手で斬り伏せてやる」


「ご立派ですねえ。俺なんて、騎士団から解き放たれた解放感で浮かれているぐらいですのに」


 へらへらと笑うルブスの顔を、ダリアスは正面から見据えてみせた。


「ルブスよ、お前は今後、どのようにして生きていくつもりであるのだ?」


「それは昨晩も申し上げた通り、レィミア様との思い出を胸に、つつましく余生を過ごすつもりでありますよ」


「しかし、お前とてひとたびは王国のために剣を捧げた身であろう。ダームで犯した罪については、俺からトライアス殿に取りなすこともできると思うのだが……」


「いえいえ。そもそも俺のような人間が騎士なんざを志したのが間違いであったんです。ダリアス殿とお会いして、俺はいっそう思い知らされましたよ」


「なに? 俺が、何だというのだ?」


 ルブスは長めの前髪をかきあげてから、悪戯小僧のように笑った。


「王国の騎士っていうのは、ダリアス殿みたいにご立派なお人こそ相応しいってことです。俺なんざは場末の酒場で女の尻でも追いかけてるのが分相応ってもんですよ」


「……そうか。レィミアに向けられたその忠義を、王国に向けることがかなえば、お前もひとかどの騎士たりえると考えたのだがな」


「だから、それが無理らしいって話です」


 そんな風に言ってから、ルブスは騎士の敬礼をした。


「ただし、今の俺はダリアス殿のために死ねと、レィミア様から申しつけられておりますからね。余生について考えるのは、この使命を果たしたのちのことです。俺の力がいらなくなるまで、どうぞお好きなようにこき使ってください」


「うむ。お前の存在は、心からありがたく思っている。お前がいなければ、ラナたちに食事を与えることすら、ままならなかったのだからな」


 ダリアスも笑いながら、そのように応じてみせた。

 王都に到着するまでの、束の間の休息である。王都では、どのような脅威が待ち受けているのか。レイフォンやクリスフィアは、どこまで敵の牙城に迫っているのか――それを思えば思うほどに、現在のひとときがかけがえのないものであると感じられてならなかった。

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