Ⅲ-Ⅲ 夢の託宣
2019.8/3 更新分 1/1
金狼宮を出たレイフォン、ティムト、クリスフィア、ホドゥレイル=スドラの4名は、『裁きの塔』に向かうことになった。
目的は、大罪人として捕らえられたゼラとの面会を果たすためである。
すでにとっぷりと夜も更けていたが、新王ベイギルスから特別な許可証を出してもらうことができたので、一行はつつがなく『裁きの塔』の扉をくぐることがかなった。
「……そういえば、ダームにほうはどうなったのであろうな」
案内役たる兵士の耳をはばかり、小声でそのように囁いたのは、クリスフィアであった。
「せっかく伝書鴉などという便利なものを扱えるようになったばかりだというのに、ウォッツを失ってしまったために、またダームの様子がわからなくなってしまった。ダリアス殿とトライアス殿は、無事にダームを出立したのだろうか?」
「さて、どうだろう。港町で犠牲者が千名を超えるような災厄が勃発したというのだから、トライアス殿などはその後始末に忙殺されてしまうかもしれないね」
ティムトが無言であったので、レイフォンがそのように答えてみせた。
「それに、ジョルアンが毒殺されたてしまったことに関しては、もうあちらにも通達済みだからね。ジョルアンの配下であった兵士たちを証人として連行する意義も、ずいぶん薄まってしまったと考えるかもしれない」
「そうだとしても、せめてダリアス殿だけは一刻も早く戻ってきてもらいたいものだな。トゥリハラが言っていた通り、ジェイ=シンに力が戻ればいいのだが……そうでなければ、わたしたちだけで邪神などを相手取るのは不可能であろう」
するとようやく、ティムトが「心配は無用です」と声をあげた。
「この世に七体しか存在しないという邪神が、そう簡単に現出するとは思えません。そのような真似ができるならば、《まつろわぬ民》がとっくに実行していたことでしょう」
「しかし、今日だけで蜘蛛神ダッバハに疫神ムスィクヮの二体が現出しているのだぞ? 明日にでも新たな邪神が現出しないとは限らんではないか?」
「……ジェイ=シン殿の働きにより、大聖堂は守られたのです。この王都は西方神の加護に守られているのですから、邪神が現出するとしたら、それは別の地となるでしょう」
ティムトの言葉に、クリスフィアは「そうか」といっそう鋭い目つきになった。
「ティムトはそれが、グワラムかゼラドのどちらかではないかと危惧しているのだな」
「正確には、ゼラドと王都の間に広がる領土のいずこかに、ですね。ゼラドの進軍を助けるために、どこかの砦が邪神や妖魅に襲われる危険はありえると考えています」
薄暗い石造りの回廊でこのような会話を聞かされると、レイフォンはますます陰鬱な気分になってしまった。
それに、礼拝堂の崩落で痛めた足腰が、いまでもずきずきと疼いている。ティムトの手前、平気な顔を装っているものの、本当であれば一刻も早く寝台で身体を休めたいところであった。
(だけどまあ、ティムトにとってはゼラ殿との面会というのが、何より大事であるようだしな)
ならばレイフォンとしても、力を尽くすしかなかろう。
ただ願わくは、あまり長話にならないでほしいところであった。
「……かの罪人は暗殺の危険があるとのことでしたので、こちらの独房に隔離しております」
と、案内役の兵士がこれまた陰気な声で告げてきた。
そうして回廊の真ん中で立ち止まると、篭手に包まれた腕で前方を指し示す。
「かの罪人は、もっとも奥まった位置にある独房となります。わたしはこちらでお待ちいたしますので、どうぞお進みください」
「うん、ありがとう」
なるべく足をひきずらないように気をつけながら、レイフォンを先頭を進んだ。
そうして兵士に指示された独房の前で、横並びになる。その独房は扉だけが鉄の格子で作られており、回廊からでも中の様子をうかがうことができた。
ただし、独房の中は闇に包まれている。
そこには、窓も燭台も存在しなかったのだ。
ティムトに視線で確認をしてから、レイフォンはその闇の中に呼びかけた。
「ゼラ殿、起きておられるかな? 私は、レイフォンだ」
闇の中で、何かが蠢く気配がした。
しばらくして、幼子のように小さな人影が、扉のほうにひたひたと近づいてくる。その姿に、レイフォンはいささか驚かされることになった。
「やあ、ゼラ殿。……さしあたって、不当な扱いは受けていないようだね」
まずはそのように挨拶してみせたが、実のところ、ゼラはすっかり見違えてしまっていた。
といっても、何か異常な事態が生じたわけではない。ただゼラは、いつもその身に纏っていた外套や装束や飾り物を剥ぎ取られて、簡素な灰色の長衣一枚の姿になっていたのだった。
(そういえば、こんな風に彼の顔をはっきりと見るのも初めてのことなんだよな)
ゼラはいつも外套の頭巾を深々と傾けて、その人相を隠していた。おまけに誰よりも小柄であったため、なかなかその内側を覗き見る機会も得られなかったのだ。
思っていたよりも、ずいぶん厳つい顔立ちをしている。目も鼻も口も大きくて、ごつごつと角張った顔立ちをしており、まるで岩に刻んだ彫像であるかのようだ。
黒褐色の髪は乱雑に切られて、せり出た額にもしゃもしゃとかかっている。年齢は、三十から四十の間ぐらいであろう。その表情は沈着であり、茶色い瞳には知的で穏やかな光がたたえられていたが、そうでなければけっこうな強面に見えてしまいそうなところであった。
しかし、そうであるにも拘わらず、ゼラは非常に背が低い。
十四歳にしては小柄であるティムトよりも、さらに頭半分以上は小柄であるのだ。文官にしては、意外にがっしりとした身体つきであったものの、レイフォンはこれほど小柄な壮年の男性というものを他に見たことがなかった。
「これは皆様、おそろいで……わたくしへの処断が決定されたのでしょうか……?」
低いくぐもった声で、ゼラがそのようにつぶやいた。
レイフォンが知る通りの、ゼラの声である。それでようやく、レイフォンはこれがゼラ本人であるということを確信することができた。
「いや、ジョルアンの死によって審問は中断されてしまったからね。その後もてんやわんやの騒ぎだったから、とうていゼラ殿やバウファ殿の罪を審議する時間もなかったのだよ」
「左様でございますか……わたくしはどのような罰でも甘んじて受ける所存でございます」
そんな風に言ってから、ゼラは深々と頭を下げていた。
「そして皆様には、つつしんでお詫びの言葉を述べさせていただきます……長きに渡って皆様をたばかっていたこと、どうぞご容赦いただきたく思います」
「たばかっていたというと、それはエイラの神殿の鍵についてだね」
ゼラは神官長バウファの命令で、ヴァルダヌスの許嫁たるアイリア姫に、カノン王子の寝所の鍵を手渡していた。それでバウファとの共謀の罪を問われ、こうして捕縛されることになったのだ。
「はい……わたくしもバウファ様も潔白の身であり、こたびの陰謀には一切関わっていない、と……わたくしは最初から、そのような虚言で皆様をたばかっておりました。万死に値する裏切り行為でありましょう……」
「うん、まあ、それについては最初から打ち明けてほしかったというのが、私の偽らざる気持ちだけどね。過ぎたことをあれこれ言いたてても始まらないし、まずはティムトと語らっていただこうかな」
面を上げたゼラは、ゆっくりとティムトのほうに視線を転じた。
鉄格子でできた扉ごしに、ティムトはその姿をじっと見つめ返す。
「……思っていたよりも、ずいぶん落ち着いておられるようですね、ゼラ殿」
「はい……わたくしは、胸に抱えていた己の罪を、ようやく告白することがかないましたので……あの災厄の夜以来、初めて安らかな気持ちを抱くことがかなったのです」
そう言って、ゼラはわずかに目を細めた。
確かに、穏やかな面持ちである。その茶色い瞳は明るく澄みわたり、岩塊のごとき顔にも至極平穏な表情がたたえられていた。
「それでもあの夜にカノン王子が魂を返していたならば、あなたもそこまで安らかな気持ちを得ることはできなかったのでしょうね。なにせあなたは、カノン王子の美しさに心を奪われていたという話だったのですから」
ティムトのほうは、あくまで淡々と言葉を重ねている。
すると、ゼラの顔に悲哀の陰が漂った。
「カノン王子がご存命であられれば、わたくしも心から喜ばしく思います……ですが、その可能性はごくわずかであるのでしょう……あなたは、カノン王子のご存命を強く信じておられる様子でありましたが……」
「ええ。その気持ちは、日を追うごとに高まっています。今日の使者からの報告で、それはほとんど確信に変わりました」
と、ティムトがわずかに語調を強める。
「どうやらカノン王子は現在、グワラム城に身を寄せておられるようです」
その言葉の効果は、絶大であった。
ゼラが驚愕の表情となって、鉄の格子に取りすがってきたのである。
「そ、それは本当でございましょうか……? し、しかしどうして、カノン王子がグワラムなどに……? あそこは、北の王国に奪われてしまった領地でありましょう……?」
「理由は、僕にもわかりません。ただ、王都を出奔した王子にとっては、北の王国を敵視する理由もなかったのかもしれませんね」
ゼラは「ああ」とうめきながら、格子に額を押しつけた。
閉ざしたまぶたの隙間から、すうっと透明の涙がこぼれ落ちる。
「カノン王子は、本当にご存命であられたのですね……西方神よ、その寛大なる御心に惜しみなく感謝を捧げます……」
「《神の器》とされてしまったカノン王子の無事を、西方神に感謝するのですか?」
ゼラは「え?」とまぶたを開いた。
涙に濡れた茶色の瞳が、不思議そうにティムトを見つめる。
「《神の器》とは……? 聞き覚えのない言葉ですが、それも『禁忌の歴史書』とやらに記されていたのでしょうか……?」
ティムトが《神の器》について語ったのは、審問の中休みのさなかであり、その場にゼラは同席していなかったのだ。
ティムトはいつしか、食い入るような眼差しでゼラの表情を検分していた。
「《神の器》というのは、すべての神の理から外れた邪法の魔術です。あなたは、ご存知ではありませんでしたか?」
「はい……わたくしも祓魔官として、シムから伝わる病魔退散の法などは学ぶことになりましたが……そのような言葉に聞き覚えはございません……」
「そうですか。では、それについてはまたのちほど、ゆっくり語らせていただこうと思います」
鋭い眼差しは保持したまま、ティムトはそのように言い継いだ。
「それよりもまず、あなたのことを聞かせていただきます。あなたは大きな罪を告白されましたが、これで本当にすべてをつまびらかにされたのでしょうか?」
「……と、仰いますと……?」
「あなたはカノン王子のお美しさに心を射抜かれて、その無念を晴らすべく、尽力していたのだと聞かされました。ですが、ひとたび顔をあわせただけの人間のために、そうまで奔走する必要があったのでしょうか?」
「……それは……」
「もちろん、今回の陰謀の犠牲者はカノン王子おひとりに留まりません。あなたが知らずうちに陰謀に加担することによって、前王や王太子や数多くの貴き方々が魂を返されることになりました。大恩あるバウファ神官長への忠義と板挟みになり、大きな秘密を抱え込むことになったあなたが、陰で尽力してこのたびの陰謀を解き明かそうとお考えになられたことは、納得できなくもありません。……ただやっぱり、最初の出発点には疑問を感じてしまうのです」
口を閉ざしてしまったゼラに、ティムトはさらにたたみかける。
「あなたは審問の場において、カノン王子の無念を晴らすために、と明言されました。前王や王太子ではなく、カノン王子のために、です。たったひとたび顔をあわせただけで、そうまで魂を奪われることがありえるのでしょうか? あなたは本当に、カノン王子とただひとたび顔をあわせただけの関係であったのでしょうか? ……僕がお聞きしたいのは、その一点となります」
ゼラはがっくりとうなだれて、深く重たい溜め息をついた。
「ご慧眼、感服いたしました……ですが、わたくしがカノン王子と言葉を交わしたのは、ただひとたびだけです……そこには、偽りもございません……」
「では、他に偽りの言葉があったと?」
「はい……言葉をかわしたのはひとたびでありましたが、わたくしはそれ以外でも、何度となくカノン王子のお姿を拝見していたのです……」
「ふむ?」と首を傾げたのは、ずっと無言であったクリスフィアである。
「しかし、カノン王子は赤子の頃から、エイラの神殿に幽閉されていたのであろう? そうたびたび目にする機会があったとは思えんぞ」
「ああ。それに、エイラの神殿には誰も近づかぬようにと、前王が触れを出していたからね。その禁を破ったのは、ヴァルダヌスひとりであったはずだ」
レイフォンも同じ疑念を感じたので、言葉を重ねてみせた。
ゼラはようやく思い出したように、長衣の袖で自分の頬の涙をぬぐってから、また嘆息した。
「皆様がお望みであるならば、すべてを包み隠さずお話しいたしたく思いますが……しかしこれは、あまりに道理の通らない話なのでございます……このような話をしたところで、とうてい信じていただけるとは思えないのですが……」
「かまいませんよ。伝説の邪神が復活した、などという話でも、僕たちは信じざるをえないような状況にあるのですからね」
いまだ邪神が現れたという話も知らないゼラは、「はあ……」とうろんげにティムトを見やった。
「それでは、お話しいたします……そもそもの始まりは、わたくしの見た夢であったのです……」
「夢?」
「はい……あれは、赤の月になる少し前のことであったでしょうか……わたくしは、奇妙な夢を見たのです……最初に現れたのは、人語を介する奇妙な鼠でございました……」
クリスフィアが、ハッと身を強張らせるのが感じられた。
ゼラはそれに気づいた様子もなく、訥々と語っていく。
「なんの変哲もない、小さなギーズの鼠でございます……その鼠めが、わたくしに王国を救うのだと、そのように言いたててきて……夢の中で、わたくしは何を馬鹿なと鼻で笑っていたのですが……そうすると、その鼠めが……何か魔法のような手管で、大きな鏡にカノン王子のお姿を映したのです……」
そのときの様子を思い出しているのか、ゼラはまぶしいものでも見たように目を細めた。
「それは、美神の彫像のごときお美しさでありました……火のように赤き瞳に、透けるような白い肌……月の光を凝り固めたかのような、白銀の髪……わたくしは、ひと目でそのお美しさに魅了されてしまったのです……」
「ちょ、ちょっと待ってもらおうか。君はその頃、すでにカノン王子のお姿を見知っていたのかな?」
ティムトやクリスフィアが無言であったので、レイフォンが疑念を呈することにした。
ゼラは「いえ……」とかぶりを振る。
「それが、道理の通らない話でございまして……わたくしは、それまでにも何度かエイラの神殿の仕事を手伝うことがあったのですが、カノン王子の寝所には近づいたこともなかったのです……神殿の修道女も、王子について語ることはありませんでしたので……わたくしは、王子が白膚症であるということすら、知ってはおりませんでした……」
「ふうん。ディラーム老は、王子が半陰陽であるということも風聞で知っていたそうだけどね。……まあいいや。それで?」
「はい……鼠めは、この美しき第四王子カノンを、お救いあそばすのだと……わたくしに、そのように命じてきたのです……王子を王都の外に逃がせば、王国の行く末は救われる……お前が、王国を救うのだ、と……そのような夢でございました……」
そこでいったん息をついてから、ゼラは続けた。
「そうして夢から覚めたわたくしは、大きな疑念にとらわれながら、エイラの神殿に向かいました……カノン王子がどのようなお姿をしているのか、無性に気になってしまったのです……ヴァルダヌス将軍は、どこかの小窓から王子の寝所たる地下室を覗き見ているというお噂であったので……人目をはばかり、その小窓を探すことになりました……」
「それで……カノン王子と対面したわけですね?」
「はい……最初に拝見したのは、寝姿です……部屋の中には燭台もなく、ほとんど夜のような暗さでありましたが……幸い、わたくしは夜目がききましたので……寝台で眠るカノン王子のお姿を目に収めることがかないました……」
と、ゼラは再び、遠い思いに心を馳せるように目を細めた。
「そのときのわたくしの驚きは、どれほどのものであったことでしょう……カノン王子は、夢で見た通りのお姿であられたのです……わたくしは、何か妖魅に化かされているような心地になりながら……それでもあらためて、カノン王子のお美しさに心を奪われることになりました……」
「それが、赤の月になる少し前のことなのですね。それからあの災厄に見舞われるまでの数日間、あなたは王子のもとを訪れることになったわけですか?」
「はい……その際にひとたびだけ、王子が目覚めているときに出向いてしまい……そこで、言葉を交わすことになりました……わたくしは何を語ればよいのかもわからなかったので、早々に逃げ帰ることになってしまいましたが……」
それが、審問の際に語っていた出会いの光景であったのだろう。
カノン王子に何者かと問われたが、ゼラは何も答えることすらできなかった、という話であったのだ。
「それで、あなたは夢の中の鼠の言葉に従おうとは考えなかったのですか?」
「はい……わたくしのような非才の身で、カノン王子を王都の外に連れ出すことなど、できようはずもありませんでしたので……カノン王子の境遇に胸を痛めつつ、わたくしは無為に日々を過ごしておりました……」
「……そこで、バウファ神官長に寝所の鍵を託されたわけですね?」
ティムトの追及に、ゼラは「はい……」と唇を噛む。
「あの夢は、これを啓示していたのかと……わたくしは、また恐れおののくことになりました……まるで、神か魔なるものに、自分の運命を読み解かれているような恐怖に見舞われ……その日は眠りに落ちるまで、ずっと打ち震えておりました……」
「それではあなたは、これがカノン王子をお救いする一助であるのだと信じ、アイリア姫に寝所の鍵を託したのですか?」
「いえ……わたくしは、考えることを放棄したのです……何をどうすればよいのか、自分で決断することもかなわず……諾々と、バウファ様の言いつけに従ったまででございます……」
「そうしてその夜に、銀獅子宮が炎に包まれたわけか」
クリスフィアが、容赦のない声で鞭打った。
その語気の鋭さに、レイフォンばかりでなくティムトやホドゥレイル=スドラも振り返る。
それらの視線を跳ね返しながら、クリスフィアは驚くべき言葉を口にした。
「その鼠というのは、おそらくトゥリハラだ。あやつは災厄の日が訪れる前から、それを防ごうと画策していたわけだな」
「何ですって? どうしてあなたに、そのようなことがわかるのですか?」
「先刻は時間が足りなくて説明できなかったが、トゥリハラは最初、小さな鼠の姿で我々の前に現れたのだ。人語を介する鼠など、他にそうそういるわけもあるまい」
ティムトは心から驚いた様子で、華奢な身体をのけぞらした。
それからすぐに、深い思索に打ち沈む。
「大神の民たるトゥリハラが、ゼラ殿にカノン王子の救出を言いつけた……そうしてのちのち、ゼラ殿はダリアス将軍を救うことになり……ダリアス将軍は、ダームで疫神ムスィクヮを……」
「どうしたいんだい、ティムト? 何か面白いことでも判明したのかな?」
「……ええ、おそらくは」
ティムトは頭をもたげて、格子の向こうにたたずむゼラをねめつけた。
「ゼラ殿、その夢の中に出てきた鼠というのは、他に何か語っていませんでしたか?」
「さて……あれは夢と思えぬほど、明瞭なひとときでありましたが……これといって、他に特別なことは……」
「では、その鼠はあなたのことを何と呼んでいたのでしょう?」
ゼラはしばらく悩ましげに考えて込んでいたが、やがて「ああ……」と目を見開いた。
「たしか、それは……かつての同胞の末裔よ、と……そのように呼んでいたように思います……わたくしのようにちっぽけな人間であれば、鼠風情にそのような口を叩かれても、べつだん腹は立ちませんでしたが……」
「かつての同胞の末裔。やはり、そうですか」
ティムトはこらえかねたように、ゼラのほうに近づいた。
「それではもうひとつ、ぶしつけな質問をさせていただきます。ゼラ殿は、いったいどのような出自であられるのですか? たしか、孤児として聖堂で面倒を見られており、そこをバウファ神官長に救われた、というお話でしたね?」
「はい……わたくしは北西の外れにある、小さな領地の聖堂で育ったのですが……たまさかその土地を訪れたバウファ様に、身柄を預けられることになったのです……」
「では、ご両親は? 病魔か何かで亡くされたのでしょうか?」
「はい……母はわたくしが幼き頃に、病魔にて魂を返しました……父については……口さがない風聞でしか、耳にしたことはございません……」
そうしてゼラは、その驚くべき言葉を口にしたのだった。
「わたくしの父親は、聖域を捨てた大神の民であると……母親は領地の外でその者と密通して、わたくしを孕んだのだと……そのような風聞が流されておりました……」
まずはクリスフィアが、驚きの声をあげることになった。
「それではゼラ殿は、大神の民と王国の民の間に生まれた子であるというのか? どうしてそのような話を、これまで隠しておったのだ!」
「は……大神の民と申しましても、聖域を捨てたからには、大神の子たる資格を失いますし……それで四大神にも帰依していなければ、神を持たぬ獣のごとき存在となりましょう……わたくしは、人と獣の間に生まれた子として、ずっと虐げられていたのです……」
「ううむ、そうか。まあ、わたしたちもトゥリハラと出くわすまでは、大神の民のことなどは眼中になかったし……これではゼラ殿を責めることもできまいな」
そうしてクリスフィアは、ものすごい勢いでティムトを振り返った。
「それで、これはどういうことであるのだ? もちろん偶然や、無関係の話ではないのだろう?」
「はい。トゥリハラという御方は、なるべく俗世の出来事に関わらないように取り計らっていたのでしょう? だから最初は、かつての同胞の末裔であるゼラ殿に、夢の中で啓示を与えるという、迂遠な方法を取ったのではないでしょうか」
張り詰めた声で、ティムトはそのように語らった。
「それでも《まつろわぬ民》の陰謀を阻止することはかなわなかったので、今度はダリアス将軍に救いの手をのばした。……あなたがダリアス将軍に助力したのも、夢の中の啓示に従った結果であったのですか?」
「いえ……わたくしがその奇妙な夢を見たのは、最初の一度きりでございます……」
「なるほど。しかしあなたは、ダリアス将軍をお助けすることになった。それはきっと、そういう星の巡りであったのでしょう。トゥリハラという御方が確かな力を持つ魔術師であれば、それぐらいの星の運行を読み取ることは容易いのでしょうからね。やはりあなたは、選ばれるべくして選ばれた人間であったのです」
「はあ……皆様が何を語らっておられるのか、わたくしにはいまひとつ理解できないのですが……」
ゼラはいくぶん困惑気味に、眉を下げていた。
そうすると、厳つい岩のような顔が、ずいぶん愛嬌のある表情になる。
「すべてを、ご説明いたします。その上で、また僕たちと手を携えてください。僕たちには、あなたのお力が必要であるのです」
「では、ゼラ殿が《まつろわぬ民》であるという疑いは解けたのだね?」
レイフォンが口をはさむと、ティムトは少しうるさげに「ええ」と言い捨てた。
「ですがひとつ訂正させていただくと、僕はゼラ殿が《まつろわぬ民》であると疑っていたわけではありません。ただ、ひとりだけ立ち位置が定まらず、大きな不確定因子となっていたので、僕の思考のさまたげになっていたに過ぎません」
「では、すっかり視界も晴れたのかな? その調子で《まつろわぬ民》の正体を突き止められたら、ようやく勝利の目が見えてくるね」
レイフォンがそのように言いつのると、ティムトはますます不機嫌そうな顔になってしまった。
「それも、訂正させていただきます。すでに《神の器》の儀式は完了してしまったのですから、《まつろわぬ民》を退治できても、話は終わらないのですよ。カノン王子と、グワラムに出現したと思われる氷雪の御子をなんとかしない限り、四大王国に未来はありません」
「でも、当面の敵は《まつろわぬ民》なのだからね。その正体を暴いて退治するのが、まずは肝要だろう?」
「……《まつろわぬ民》の正体に関しては、おおよその見当がついています」
レイフォンは、クリスフィアとともに驚きの声をあげることになった。
「そ、それは本当なのかい? そんなこと、これまで一言も言っていなかったじゃないか!」
「ゼラ殿が不確定因子であったので、正しい答えを出せずにいたのです。それに、《まつろわぬ民》はとっくに姿を消してしまっているのですから、その正体を暴くことに大きな意味はありません」
「そんなことはないだろう。これだけ宮廷の奥深くで暗躍していたのだから、《まつろわぬ民》は宮廷の中に潜んでいるはずじゃないか」
「それでも現在は、宮廷の中から姿を消しています。魔術師には『結界』という術がありますので、トゥリハラという御方と同じように、陰から僕たちの姿を覗き見ているのでしょう」
そうしてティムトは、鋭い表情でゼラに向きなおった。
「ともあれ、まずはゼラ殿に説明をするのが先決となります。この半日で起きた出来事をすべて聞き届けた上で、僕たちと手を携えていただきたく思います」
「わたくしは虜囚の身でありますので、どれほどのお力になれるかは覚束ないところでありますが……カノン王子をお救いするためであれば、力を惜しみはいたしません……」
そう言って、ゼラは深々とうなずいた。
次に顔を上げたとき、その瞳にはこれまで以上に明るくて清廉な輝きが宿されていた。